小コラム
建築士の家作り小コラム・・・というタイトルでメールマガジンで配信しているものです。(NO21を最後に終了しました)
NO21 「 素朴なパイ 」 2011/08
作家・ジャーナリストの駒沢敏器さんがご自身のブログで、アメリカの素朴なパイについて書かれていました。少し引用させていただくと、
「チェリー・パイでもアップル・パイでも、ピーカンナッツでもいい。こてこてに甘く、どこも飾ったところのないそのようなパイを、フォークでつぶすようにして食べる。ときにはバニラアイスをのせて、どろどろと掻き混ぜながら「自分の味」にする。口に入れたときの感慨はもはや味覚(taste)というよりも、一種の体験(experience)に近い。ほぼ確実に、幸せな気持ちになれる。」
そして、研ぎ澄まされた感覚を持つパティシェが作ったパイを食べるのも大きな喜びだけれど、まったく違った愛おしさが素朴なパイには在るのだ。ということを書かれています。
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また、友人を介してフェイスブックで知った、とても興味深い活動と施設があります。
東京を西に進んだあきる野市にある「少女マンガ館」です。少女マンガを集めて多くの人に楽しんでもらおうと考えた館主の大井夏代さんとご主人は、その地にご自宅とマンガ館を兼ねた建物を建てられました。
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活動は多岐に渡り、簡単に紹介することは憚られますのでエピソードをひとつだけ。
常連さんの多くは近所の子供達らしいのですが、ある日マンガを読みながら部屋の片隅で寝入ってってしまったそうです。そしてそれを見たご夫婦が、「これだっ!自分達が欲しかったのはこんな場所や時間なんだ」と確認し合ったとか。
スタイルから入ってスタイリッシュにまとめ上げるのもひとつの方法でしょう。でも最近は、スタイルが多く消費されてしまったからか、それを乗り越える試みに触れることが増え、とても期待が高まります。
NO20 「 身体スケール 」 2011/06
ベルスもそのひとつなのですが、グループ会社の社員に住宅取得の支援サービスを行っている会社が集まって、東北支援のチャリティーイベントが開催されました。
そこにセミナーという形式のひとこまが私に割り与えられ、住宅建設に関するアドバイスを提供する機会が得られたので、しばらく考えた後、「地震と建築基準法と現在」というテーマを設定しました。
構造も法規も専門でない私がこうしたテーマを選んだのは、専門分野がどんどん一般感覚から離れて行っているという思いがあったからです。阪神淡路大震災のあとも中越などに激甚な地震が発生し、今回の東北大震災で天災に対する不安感はある意味でピークに達しているのかも知れません。
そこで、100%を追及する大変大きな責務を負った専門家から距離を置いて、より一般の方に近い意匠担当の建築士の思うところを伝えてみたくなったのです。
日本の地震の経歴を辿り、被害の少なかった諸島地域や内陸山間部での地震まで考慮に入れると、関東地方だけを見ても10年余りの感覚でマグニチュード7以上の地震に見舞われてきたことがわかります。
これが意味するところは、一世代限りで考えれば震災は遭遇するかどうかのギャンブルに見えますが、もう少しだけスパンを広げると、避けられるものではなくてむしろ共存するしかないことが見えてきます。
その時、恐ろしいとはいえ、地震から距離を置いて否定的な気持ちだけで眺めるだけ、あるいは完璧に備えようと肩をいからせてしまうようでは却ってマイナスが大きいのではと気付いたのが今回の収穫です。
では何が求められるかと言えば、ゼロ・100 という極論を避けた身体スケールでのリスク管理です。実は震災で命を落とす確率は極めて微小なのです。ですから、あきらめたりのめり込んだりすることなく、丁寧に観察を繰り返せば、もっと強力な対策が講じられると思ったのでした。
NO19 「普請 (あまねく請う)」 2011/04
『 建築とは、建築に仕える者たちすべてに住居への献身を要求する一つのミッションである。』 ( 建築家の講義-ル・コルビュジェ )
という言葉をある本で読ませていただきました。この本はベストセラーになっているので、読まれた方もいらっしゃるかも知れません。
--「そうか、こうやって木の家を建てるのか。」 (田鎖郁男著:小学館)--
そして標題にした「普請(あまねく請う)」ということについても、この本の中で触れられています。
私の経験ですが、数年前、屋根の茅を葺き替える工事のドキュメント番組を見ました。数十年に一度は葺き替えが必要で、それは一軒の家でこなせる作業量ではないため、村中が総掛かりになるそうです。
屋根に登る人、茅を運ぶ人、炊き出しをする人。それぞれ大変だと思いますが、しかし一方で華やいだ気配も伝わってきました。
また、ある地方の工務店にお邪魔したとき、「以前は棟梁が現場に住み込んで、建て主が食事やその他を提供して、時間をかけて建てたものだ」と、うかがいました。棟梁が数十の職種について信頼する職人を呼び寄せ、建て主の人生の一大事に精魂を傾けたというのです。
棟梁というリーダーを介してとはいえ、建て主がたくさんの人の力を借りて住まいを建て、保全したということに変わりはありません。
気苦労がきっとあったでしょう。でも同時に、ひとりひとりの顔を見、挨拶をし、感謝し合って作り上げる喜びは、人生の大きな喜びの一つであったに違いありません。
それから後、様々な変化があったとしても、本質は変わらないのではないでしょうか。
ここ十年、家作りの手法は革新とも呼べる変化を遂げました。値下げ競争で疲弊していく工務店がある一方、力のある工務店は家作りの原点を見つめ直し、普請の気持ちをお客様と共有できるかどうかに心を砕いています。彼らは、家を売り手と買い手の間にある商品としては考えていません。
普請という、建て主が真ん中に座る幸せな時代の再来は、もうそこにあるのです。
NO18 「 ゆらぎ 」 2011/02
経済成長の頂に登り詰めたころからか、「癒し」・「ヒーリング」という言葉が頻繁に使われるようになりました。それまでの、次のステージを夢見てひたすら前進する生活に気疲れを感じたのでしょうか。
「癒し」 は、「f 分の1のゆらぎ」 によってもたらされるという説明があって、CDのカバーなどで何度も見かけた記憶がありますし、時によっては炊飯器などの家電製品にも使われていました。
f 分の1のゆらぎとは、蝋燭の炎が揺れる様子や風にそよぐ木立の葉音、小川のせせらぎなど、わずかに不規則な繰り返しを指していて、人をリラックスさせて心地良くする効果があると言われました。確かに、木漏れ日がテーブルの上をゆっくり行き来する様子を想像するだけで、何か心の波が静まっていくような感じがします。
住宅には色々な場面があって、求められることも多岐に渡りますが、その大きな目的のひとつに休息があることは間違いないでしょう。だとすれば、効率や精度ばかりでなく、f 分の1のゆらぎを取り入れることを考えてみるのも良いかもしれません。
では、住宅の中のゆらぎとは何でしょう。
もちろん色々な可能性があると思いますが、私が真っ先に思いつくのは多面的な採光と反射による効果です。天気や季節、時間によって刻々と変化していく様はとても見飽きるものではありません。そして、その光を受ける床や壁、家具に自然素材を活用すると、とても深みのある場所になるのではないでしょうか。
また、意外と部屋を落ち着かせてくれるのが、本棚と食器です。
珈琲店の壁に並べられたたくさんのコーヒーカップ、ショットバーの棚に居並ぶ数々のボトル、休日の学校の図書館。そのほんの一部を真似してみると、なにか生活が息づいてくるようです。掃除などの管理に負荷がかからない程度に露出させるのも楽しいものです。
以前設計させていただいたお宅で、造り付け家具の飾り棚にたくさんの写真立て(ご家族のスナップや旅行のチケット)を見たとき、とても豊かな気持ちになりました。
NO17 「 再生住宅 」 2010/12
先日、積水ハウスさんの新しい再生住宅の事業「EVER LOOP」の現場を見学してきました。
簡単に説明すると、積水ハウスさんが請け負って建てた注文住宅で、そのお客様が引越しなどで売却されるとき、積水ハウスさんが買い取ってリニューアルのうえ、新築同様の中古住宅として販売するというものです。まさに新築同様に10年保証が付くことが画期的です。
この事業の魅力をいくつか挙げると、資源の有効利用・街並みの保全・完成形を見ての判断・新築に比べての低コスト・節税効果などがあります。
最近、シェアハウスや超低コスト賃貸アパート、女性専用アパート、コンテナハウスなどを見学することが続いて、この再生住宅も含めて住宅のあり方が多様化していることを実感します。前々回この小コラムで触れた小さな家計画などもありました。
成熟した社会がワンパターンのファミリーモデルから脱して、きめ細かなニーズに向き合うようになった変化でしょうか。核家族や単身世帯の増加は日常風景として定着し、他人同士が共同生活をしたり軽やかに居住地を変えたりするなどの新しいライフスタイルも見えるようになりました。
そして底を流れているのは資源の再利用と、重い住居費からの解放です。多くの資産を所有している人は例外かも知れませんが、身軽になった人が活発な暮らしを求めるのならそれはきっと景気の浮揚にも繋がるでしょう。大袈裟に考えると文化的構造改革なのかも知れません。
私たちも、軽微な住宅、ヘビーユースに耐える住宅など、目的を見極めて期待に応える準備が欠かせません。
NO16 「 顧客本位 」 2010/11
今日の夕方、小さな集まりがあります。
このA+というサービスは(株)ベルスの1セクションですが、そもそもベルスは日本IBM(株)とその関連会社、その他提携会社の社宅管理から始まった、生活全般での支援サービスを行う会社です。そうした取り組みに興味を持っていただいた方が小さな集まりを持たれるのです。
そこで、A+の活動を報告することになりました。内部にいると、自分たちの行っていることが自明のように思われますが、何も知らない方に説明しようとすると考え込んでしまうところがあります。
A+の特長は何か?いくつかの断片が出てきて、それをまとめると「顧客本位」ということに辿り着きました。
顧客本位を謳うことは珍しくありませんし、むしろ顧客本位という姿勢が無ければ受け入れられない時代になっているとも言えるでしょう。それでも、住宅建設の場合はハウスメーカーと工務店両方を視野に入れたお客様に、偏りなく情報提供しているところはとても少ないように思われます。
自分の得意とするフィールドに引き寄せようとせず、常にお客様の斜め後ろで同じ景色を見ようと努める。それが、福利厚生会社の1セクションとしての存在価値だと考えるのです。
時には、賃貸アパートをお考えのお客様に、将来の返済リスクを考えて規模縮小をご提案することもあります。
こうした考え方をお伝えすることは簡単ではありませんが、そうしたサービスに価値を見つけてくださるお客様にひとりでも多く会えればと、活動を続けています。
その集積の先に、見たいものがあるに違いないと感じるからです。
NO15 「 小さな家 」 2010/10
ウサギ小屋と言ってピンとくるのは何歳くらいの方まででしょうか?
バブルの少し前、1980年代の中頃までは、日本は経済成長したけれどワーカーホリックで、ウサギ小屋のような小さな家に住んでいる、と海外で揶揄されていたようです。
国会答弁などでもそうした話題があって、「そうか、もっと立派な家を手に入れなくてはいけないんだ」 という意識が国全体で共有されていました。
その当時でも、専門家からはどのようなデータに基づくのかと、その根拠の脆弱性が指摘されていましたが、ムードは断然大きな家を求める方向にありました。
最近、そうした流れと違う主張が目立つようになっています。先日購入した本は 「小さな家」 というタイトルで、むやみに大きな家を求めるのではなく、生活に応じた適正規模、若しくは小振りな家を勧めています。
長期的にインフレだった時代と違い、今、大きすぎる家への投資が重い負担となる傾向もあって、読者に受け入れられる下地ができたのでしょう。
設計の業界では、いつの時代も小さな家にあこがれのようなものがあって目新しくはないのですが、小さい家は技量を発揮しやすいので歓迎されています。小さい家には明瞭な構成と美しいディテールが求められるのです。
ここで注意すべきは、小さな家が大きな家の縮小版ではないということです。10帖だった部屋を6帖で我慢しようということではありません。
居場所を作る知恵と努力があれば、快適でかつ結果的に面積の小さい家が実現できるということです。
独立柱にもたれている写真がありましたが、家具に居場所を頼らない計画は、和の知恵が発揮しやすい素足で暮らす家のようで、原点に回帰する側面があるのかも知れません。
NO14 「 移動住居 」 2010/09
このところ、コンテナハウスを造っている会社と、賃貸事業に向けた商品化について相談しています。
いつまで遊んでいるかわからない遊休地も、移設の容易なコンテナハウスなら、リスク回避の賃貸経営ができるのでは、という考えからです。
コンテナハウスは、建築基準法を満たすために基礎を必要としますが、それ以外は移設が可能なものです。
プレファブ住宅と似ているようで決定的に違うのは、海上・陸上運輸や、道交法などのさまざまな規格・制限に適合しているため、ボルトを抜いて基礎から切り離せば、そのままクレーンで吊り上げて、隣町でもニューヨークでも好きなところに家具と一緒に持って行けるところです。
しかも、増設と分離が容易です。
実際のお客様で、10年後に名古屋に戻る予定の方が、『土地を売却して家を持って行く』、という計画を進めていらっしゃると聞きました。(規模的には集合住宅も可能)
遊休地地主のAさんがコンテナ賃貸住宅を導入して、10年後に別の計画が本格化したとき、遊休地地主のBさんに売却・移設することが可能なら、そこに生まれるメリットはとても大きなものになるでしょう。
モンゴルでは遊牧民が草を追って移動を繰り返していて、そのためのテント状伝統家屋「ゲル」の、草原で土地を占有しない佇まいは、ある意味とても詩的です。
世界で最も有名な住宅のひとつ、コルビュジェの「サヴォア邸」は、草原に舞い降りた住宅と形容されました。重力に反行しようとした現代建築は、その始まりから移動式住宅を内包していたのかも知れません。
デザインの可能性について端緒を開くと、開発者の話は月面住宅まで及びそうですが、まずはサスティナブル住居として、経済としても風景としても、地面を大切にする新しい建築の実現に参画したいと思い、働きかけています。
NO13 「 仕上げ材 」 2010/08
・壁に貼るビニールクロスは、施工費込みでおよそ1,000円/㎡です。
・寒冷紗(かんれいしゃ)を貼って水性ペンキを塗ると、2,200円/㎡
・上質の珪藻土や漆喰仕上げにするには、4,000円/㎡。
仮に、内装の壁が200㎡だとすると、ビニールクロスよりそれぞれ、24万円、60万円高くなります。
私が育った家は、後から2階を増築しましたが、当初は平屋で70㎡ほどだったと思います。丘ひとつ分、雑木林を切り開いて100件宅地分譲された一画で、どこも若い家族が一斉に家を建てました。
父は山口県で教員になったあと、東京に出てきてそんなに時間が経っていなかったので、建設費の工面に苦労したと何度も聞きました。
ですから、贅沢な家ではなかったのですが、リビングの壁は1.8mまでが濃緑色の布クロスで、濃褐色の見切り縁の上はまっ白な漆喰でした。
父の友人の美術の先生が、新聞見開きほどの抽象画をプレゼントしてくれて、その先生の手作りの額のまま壁に掛けられていました。
布クロスは暖かく、漆喰はひんやりしていて、頬や手のひらでその感触を確かめていました。
もう何十年も経ちますが、いまでもその壁と絵を懐かしく思い出します。
ビニールクロスと塗装と左官。どれが良いというものではありませんし、ひとによって好みもあると思います。でも私の印象としては、布クロスと漆喰の組み合わせだったから、今でも懐かしく思い出すのです。
家全体で比較すると始めに書いたような差額になりますが、部分的に使うならずっと圧縮することができます。
数十年後、あるいは引っ越しをしているかも知れませんが、その先でも記憶にとどまる家に出来たら、嬉しいことではないでしょうか。
NO12 「 表と裏 」 2010/08
たまたま買ってみた日経ヴェリタスに、日本一の個人投資家という紹介で、竹田和平氏へのインタビューがありました。その中に、
「世のすべては陰と陽でできているがね。昼と夜、明と暗、そして損と得。何でも対称にして考えると本質が見えてくる」 というお話しがありました。
同じ頃読んでいた、雀鬼会会長である桜井章一さんの本 『負けない技術』 の中にも、
「コインは表と裏があって初めて立体になる。その両側を見るからわかることがある」 という趣旨の文章がありました。
どちらも勝負の世界のことで私は縁がありませんし、その真意が理解できるとは言えないのですが、一方的に得続けることは考えない方が良い、という考えが含まれているようです。
住宅設計・建築でも両面が大切だと思うことがたくさんあります。
多くの人が、「耐震性が高くて明るく開放的な家」 や、「省エネ性が高くて自然に親しめる家」 を望んでいて、加えて、できれば安い方が良いと思っています。
これは当然のことで、少しも違和感はありません。でも、専門として考えようとすると難しいことに気付きます。
耐震性は壁の多さに左右されますから、開放的な家や窓の大きい家とは矛盾します。省エネは、基本的に外部との絶縁性能によってその能力が決まりますので、できるだけ窓を開けない方がよいのです。
もちろん、高いお金をかけてその両方を得ることはできますが、肝心なのはよりどちらを欲しいと思っているのかということと、バランスではないでしょうか。
「せっかく建てるのだからぜひ良いものにしたい」 のは当然として、良いものを価値観の両側から考えてみると、より納得できる家作りになると思います。
建物の場所によって、その期待するものを明確に分けるということも出来るかも知れません。
NO11 「 雨 」 2010/06
以前テレビを見ていたら、「雨の日を楽しみにしている人」 というサブタイトルで、手作りの傘を販売している人が紹介されました。
そのようなタイトルが付けられるのですから、一般的に雨は楽しいものと思われていないことがわかります。誰でも出掛ける時に雨が降っていれば「ついてないな」と思うでしょうし、荷物があったり晴れ着のときは恨めしくも思うでしょう。
でも、映画や小説などのシーンで雨が効果を発揮していることも少なくありません。今ふと思い出したのは、漫画家つげ義春の「海辺の叙景」という一遍です。
田舎の海水浴場で知り合った若い男女が、すぐに来た別れの日、雨の砂浜でぽつりぽつりと会話して、ひ弱な感じの男性が披露した泳ぎに傘をさした女性が小さな声援を送るという話です。
前半の賑わった海水浴場と、後半の雨で二人だけの砂浜が際立った対比を見せていました。
リバイバルブームで文庫本になった短編集に収められていて、他にも何度か雨が出てきたように思います。
『家にいる時積極的に雨を楽しもう』 と言うと、かなりマニアックな提案になるでしょう。でも、雨をゆったり眺めることができれば梅雨時も楽しい時間が増えるかも知れません。
それには窓と庇を工夫することがポイントです。
十分な奥行きの庇を確保することと、雨の落ちた庭や道路が自然に眺められる窓の高さがポイントです。
雨の日に居心地の良い喫茶店を思い出すと、手がかりが得られるかも知れません。
NO10 「記憶のスイッチ」 2010/05
2009年の終わり頃、初めて建設中の東京スカイツリーを遠望したとき、塔なのに左右非対称に見えるのは何故だろうとインターネットで検索しました。
ウィキペディアには、「東京スカイツリーのデザインは、日本刀や日本建築に見られる 『反り・むくり』 の美しさを表現している」、とありました。こうした表情を作り出すため、地表面では正三角形の平面形を、高さが増すにつれて円に変えていっているとのこと。
地表面の柱が奇数のため、途中部分では見る角度によって左右が非対称になるのでしょう。そう言えばテレビか何かで聞いたことがあったな、と思いました。
だんだん伸びていくのを遠くから眺めていましたが、先日、NHKのニュースでスカイツリーが紹介されたとき、興味深い話がありました。
デザイン監修をされた澄川喜一さん (元 東京芸大学長・彫刻家) が、「デザインのヒントは北千住にあったおばけ煙突です。」 と言われたのです。
おばけ煙突とは、東電の火力発電所にあった高さ84mの4本の煙突とのことで、見る場所によって4本の重なり具合が違うため、1本から4本まで変化して見えたそうです。つまり、煙突の見え方と場所が固有の関係を持っていたのです。
シンボルとそれを見る人に個別の関係を持って欲しくて、見る場所によって違って見える形を採用したのが、このスカイツリーの左右非対称ということだそうです。
漫画家の秋元治さん (こちら葛飾区亀有公園前派出所の作者)も登場して、下町の記憶が受け継がれることを喜んでいました。
偶然ですがこのニュースの少し前に、私は秋本治さんの 「両さんと歩く下町」 という本を読んでいました。この中におばけ煙突のことが記録されています。その他にも、今は失われたり見えにくくなったりした下町の様子がたくさん紹介されていて、東京が大きなダイナミズムで変化してきたことを教えてくれます。
東京スカイツリーが不思議な姿として人々の話題になるとき、その場所の時代背景まで伝承されることがあれば、それはとても暖かくて楽しいことだと思いました。
NO9 「考え抜く」 2010/04
ル・コルビュジエの愛弟子に師事した建築家、鈴木恂氏の住宅見学会があり、参加しました。品川駅から歩いて、プリンスホテル新高輪がある坂を登り切り、西側斜面に変わったところに建てられた住宅です。竣工後44年とのこと。
見学会開始の15時ころには、この朝41年ぶりに降った4月中旬の雪は消えていて、建築家が「メキシコの旅で発見した」という西陽が住宅を貫いていました。建て主の宝石商は、隣地が下がっているために、足元から全身に西陽を受ける部屋を仕事場として、嬉しそうに宝石をかざしていたそうです。
最近、オーナーが替わって、現在はワインの輸入代理店経営者がオフィスとして使われています。その方が、見学会を開くことを快諾してくださって実現した会とのこと。短い時間なので何かわかったとは言えませんが、素足で木の床とそこに当たる陽の感触を楽しんでいるというエピソードが紹介されたように、とても身の回りのことや生活を大切にされている方だと思いました。
40人を超える参加者があり、しかもワイン専門家とワイン通建築家が選んだワインとチーズがふんだんにありましたから、皆の会話も弾んでいました。それなのに、不思議とうるさく感じることはありません。
少し友人から離れて、ゆっくり歩き回りながら写真を何枚か撮りました。写真を撮るという作業は構図を考えるため、より建物の骨格が見えてきます。
小振りで可愛らしくさえ見える住宅が、恐ろしく骨太であることに気づき始めました。実年齢ではまだ青年であったはずの建築家の、考えて考えて、考え抜いた格闘が垣間見えたように思い、「ドン」と何かにぶつかったような気がしました。ご本人は遠くで、参加者とゆったり歓談されていましたが。
NO8 「美しい夜」 2010/03
去年の秋に井の頭公園の一角で、野外の芝居を観ました。
高校時代の同級生が座長を務めていて、共通の友人が案内を回してくれたためです。
ずいぶん前にも同じように連絡をもらって、駒場東大前の小さな劇場に出かけたことがありました。
その、ずいぶん前の時は前衛的な印象が突出して記憶にあるのですが、今回の公演はとても懐が深い印象で、身体のどこかに深く共鳴するものがありました。
まず、舞台が公園の広い芝生もしくは草原にあって(池の周辺からはだいぶ離れています)、一本だけ枝を広げている大木を中心に据えた円形劇場であること。その舞台の周りにパイプ椅子を並べて囲んだのが客席です。否応なく舞台と観客は一体の環境に置かれます。そして、パイプ席に座る私たちのすぐ脇を、鍛えられた体と、腹の底から明瞭に発声できる演者が走り、踊るのです。
芝居に引き込まれながらもふとした間合いに空を見上げ、あたりを見回すと、そこはまぎれもなく昼間子供たちが歓声を上げて走りまわる公園です。
一座は何を夜空から降ろしてきたのか、と思うように、その夜は私にとって特別に美しいものとなりました。
その座長から、この春より全国を渡り歩く旅公演に出るとの連絡をもらいました。
(リンク切れのため削除しました)
旅公演ということで、家族3人に変更されていますが、美しい、あるいは他にもいろいろに形容されるであろう、特別な空気がある芝居と場所になるのだと思います。
NO7 「一貫性があることの豊かさ」 2010/02
七里ヶ浜で大変な人気を誇った(と色々な人から聞かされた)ダイニングバー「J.J.MONKS」(リンク切れのため削除しました)が、数年前に逗子駅の近くに移りました。
私はそれ以降の新米ファンですが、ここで内輪の小さな忘年会と新年会があり、続けて出かけました。
長く人気のある定番メニューと、その時々の素材で創作されるメニューが並んでいます。私を最初に連れて行ってくれた友人は地元の人なので、オーナーでもあるシェフと言葉少なですが会話があります。「こういうのを作ってみた」と言って出してくれるマリネなどは即興性が感じられ、とても楽しい食事になります。
全部が美味しくてあれこれと食べ進むのですが、そこには美味しさとは別に感心させられることがあります。それは料理のテイスト(味とはちょっと違います)に一貫性があって、何を食べても脱線する心配がないことです。
あっさりしたドレッシングと濃厚なパスタソースというように、材料やボリュームが違ったものでも同じ線上にあって、そのことが逆に、食材のバリエーションの豊かさを感じさせてくれるのです。
友人にこのことを話すと、「スタイルがあるからかな。」との返答でした。
デザインを統一すると言えば、要素を減らしがちになり、やや禁欲的な感じになりますが、スタイルを守るという意識なら、一貫性があることの安心感と豊饒さが同時に得られる実例だと思いました。
料理の視覚的な印象や食器の合わせ方も、さりげない程度に、しかし真剣に選択されているようでした。
NO6 「コンテナハウス」 2010/01
長年の友人の、デザイン大好き現場監督さんがコンテナハウスに携わることになり、お酒を飲みながら興味深い話を聞かせてもらいました。
(コンテナの達人 (リンク切れのため削除しました)
従来のコンテナハウスは、実際に使用された輸送用コンテナを転換使用するものですが、このコンテナハウスは住居用に製作されるものなので、鉄骨構造として建築基準法に準拠しているとのこと。(5階建てまでが可能)
現段階では、建築コストが膨大になる離島建築で脚光を浴びているそうです。写真を見せてもらうと、ホテルや住宅などとても洗練されていて、まさにデザイナーズハウスという主張通りになっています。
一定の基礎を設けますが、コンテナハウス自体は移設が容易なので、離島建築ばかりでなく、遊休地利用や変化に即応させたい商業建築としても、大変面白い存在です。
動き回れる住居ということで、モンゴルのゲル(あるいはパオ:包)を思い出します。都市の変化に応じた新陳代謝ということでは、黒川紀章氏らの提唱したメタボリズム運動に通ずる部分もあるでしょうか。
老後に、家ごと海辺に移転する様を思い浮かべて楽しくなりました。
NO5 「一連の動作のデザイン」 2009/12
東京ミッドタウンのデザインサイト21-21に出かけました。
インダストリアルデザイナーの深澤直人さんと、写真家藤井保さんの展覧会「The Outline 見えていない輪郭展」を見るためです。
深澤さんは、mujiの壁掛けCDプレーヤーや、auのいくつかの携帯電話、パナソニックのドライヤーなど、その作品を多くの人が見たり触れたりしている、まさに同時代のデザイナーです。実物と、研ぎ澄まされた藤井さんの写真によって、デザインとは何か、を考えさせられる企画展でした。
張り詰めるような雰囲気がある一方で、作品に深澤さんの短いコメントが付されているためか、アットホームな感じもあって、とても楽しい時間を過ごせました。
そのコメントのひとつに、オーブントースターについての次のようなものがありました。(※憶えていないので、文章はまったく違うものです。)
・・・パンを入れてスイッチを入れ、だんだん焼き色がついてくるのを眺めて、香りと一緒にパンを取り出して食べる、という一連の動作をデザインしました。・・・
デザインに時間の経過や心の動きが編み込まれているのだとしたら、とても面白いと思います。シンプルさを追求して、カッコ良くても冷たい印象のものが少なくない現代工業デザインにあって、とても楽しくなるコメントでした。
NO4 「リゾートホテルと日常」 2009/11
婦人画報の12月号(11月1日発売)を買いました。
学生時代からの友人である稲葉なおとさん(作家・写真家)が、「心の再生アジアン・リゾート」という記事(4つのホテルの写真と、4つのショートストーリー)を載せているからです。
バり、プーケット、シンガポール、モルディブの美しいホテルを眺めるだけでも楽しいのですが、ショートストーリーが並べてあるために臨場感が増して、何か手が届きそうな、空気が吸えそうな感じさえします。
ため息ばかりが出てしまいそうですが、ふっと思いました。
真っ青な海とコンクリートジャングル、計算された演出と情報の洪水・・・、リゾートホテルと日常ではあまりに距離があるようですが、同じ地球上、つながってもいるのです。
真似できませんし、真似ても意味がないのはわかりますが、「心持ち」を近づける試みが何かを生んでくれそうです。
きっと丁寧に観察して、大切に配置することがそのスタートだと思いました。
NO3 「ダチョウの骨格標本」 2009/09
8月末に東京ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTで行われていた「骨」展に行ってみました。
シンプルでコンパクトな展示だったため、体力を奪われることなく楽しめたのが嬉しかったです。展示物のひとつにダチョウの骨格標本があり、とても美しいのでしばらくみとれてしまいました。
私にとってダチョウは、埃っぽさとスピード感からくるのか、荒っぽいイメージの鳥だか動物だか・・・という存在でしたが、骨を見ると全然違った印象があります。しっかりした樽のような胴体部分を細くて長い脚が支え、絶妙なカーブを描く頸骨の上にとても小さくて、でもオブジェのように繊細でかつ意志的な頭骨が気持よく載っています。
バランスの妙といったものに感心させられ、見たことはないものの、骨格では鶴よりも美しいのではないかと思いました。
DESIGNは実に多様な面から構成されているのだと思いますが、骨格が全体を凌駕することもあるのだ(私だけの感想かもしれませんが)、と感心しました。
NO2 「マップラバーとマップヘイター」 2009/08
分子生物学という一般に馴染みの無い分野にもかかわらず、60万部以上の大ヒット「生物と無生物のあいだ」を著した福岡伸一博士。読まれた方も多いでしょう。
最近、新著の「世界は分けてもわからない」を読みました。その中にあった「マップラバーとマップヘイター(地図好きと地図嫌い)」の話は大変興味深いものです。
世界を俯瞰して全体を知りたがるラバー、身の回りに細心の注意を払うヘイター。
家作りに転用すると、あるいは家作りに限っては、どちらの存在も大切に思われます。構造や性能、経済性などをラバーが検討し、住み心地や使い勝手、肌触りなどをヘイターが観察する。
夫婦、親子、同居者・・・ラバーとヘイターが役割分担することができれば、とても重層的な検討になるのではないか、と思いました。
NO1 「小さな部分に分解して検討します。」 2009/07
先日、立教大学のオープンクラスという公開講座の録画をテレビで見ました。
講師の佐野元春さんが、ゲストの小田和正さんに曲作りについて尋ねたとき、上のような説明がありました。
作曲できない私は、メロディーは一連の流れで生まれてくるのだろうと思っていましたが、小田さんは一度できた曲を小さな部分に分解し、様々に置き換えてみて、良い方を選ぶ方法で完成させるそうです。
小田さんの心地良い歌は、こうした研磨の成果なのですね。
家作りもきっと同じです。建てる方は、いくつかのハウスメーカーや設計事務所に提案を募り、慎重に選ばれるのですが、肝心なのは選んだ後にあって、窓の高さや物のしまい場所など、小さな検討を積み重ねることが、家の心地良さを格段にアップさせるのではないでしょうか。