雑感

設計とは別に思ったこと。

オール5300点               20240910

 

 一昨日日曜日、高校友人のモリモト・マエダ・ヤマモト、と八王子昼宴会をした。

 来年、家を建てていた広島に移るかも、というヤマモトがクラス会を発案して(彼は常に幹事だ)、土曜日は継いだ米穀店を休めないモリモトにぜひ会おうということになったのだ。マエダは船橋からの参加。マエダも海外出張が多くてなかなか顔を見られない。

 

 実は、モリモト・マエダは高校卒業時に一緒に京都大学を受験した仲間だ。「あれは旅行だったね」と意見が一致したように誰も受かるなどと考えていなかったけれど。

 僕は大学受験など意識の中になくて、どこか予備校に潜り込まなければ、という心理状態だった。

 受験後、なぜかタクシーに乗って対向右折車と正面衝突した。僕が助手席にいて、ダッシュボード下にあった後付け空調機に向う脛を強打して出血までしたのに、彼らは「大丈夫です」とか。

 これはぶつかるな・・・と思ってからの時間の長いこと。

 

 話が逸れたけれど、一年ほと前に町田近辺在住の高校友人の集まりで、キムラさんが「オール5だった」と切り出すと、ヤマモトもコムロも「ああ、俺も」 え 。

 

 忘れもしない内申点。オール5は51点だったはず。僕は43点で、担任の馬場先生からは「この内申点でこの高校を志願する人は滅多にいないのよ」おお。

 

 当時は志望校管理が徹底していたので、不合格はとても少数だった。もしあと一人不合格にしなければならないとしたら、それは僕だっただろう。

 

 さて、モリモトが発した当時の記憶。「おれはオール5で300点満点だった」おいおい、オール5ってその辺に居る??

 8クラスあったから、一学年300名あまり。その一番とびりの八王子昼飲み。愉快。

体重と糖質                 20240907

 

 函館旅行に行ったとき、普段は炭水化物や糖質を気にしていたもののその気持ち制限を解除した。せっかくの旅行だから存分に楽しみたかったから。

 帰ってから不合格体重を量るとさして増えていなかったから、その後も気にしないことにした。ネット記事などで還暦を過ぎての食事制限は必ずしもよくない・・・などと読むし。(奨励は小太りで大太りりではないけれど 笑)

 

 20代にアルバイトから所員まで6年ほど勤めた東横線祐天寺駅そばの設計事務所時代、好んで出かけたカレー屋さんと洋食屋さんがあった。

 どちらもご夫婦らしきふたりが切り盛りするお店で、そこの「ハンバーグ乗せスパゲッティ」がとても好きだった。ハンバーグがとくに好きでもないのに、毎回同じものを頼んだ。食べながらも不思議に思っていたけれど、やや硬質で白いスパゲッティと炒め油の香りが好きだったのだと思う。ほんの少し焦げ臭い感じ。ラードが混ざっていたのか。

 

 すっかり離れていたけれど、40代になってたまたま近くに行くことがあったので寄ってみると、嬉しいことに覚えていてくれて、しかし「まあ、大きくなられて」と不思議な感想をもらった。「太った」と言いづらかったのかな。

 写真は、そば・堅焼きそば・カルボナーラ。短い時間で考えもせずに作れるのはやっぱり麺類だ。しかも好きだし。

 他にできるのは肉や豆の炒め物か煮込みもの。和食系は妻にまかせて僕は放棄。

 このあいだ、孫が夕食を一緒にするというので「マッシュポテト+カリカリベーコンクラッカー乗せ」を作った。いくらも買っておいたけれど、これは孫たちの希望でごはんにのせることになった。

 変な取り合わせ。笑

 本当は炒り卵+キャビアクラッカー乗せも頭をかすめたけれど、キャビアは高いから迷っていたら近くのスーパーに無かったのでほっとした。

函館旅行記録                20240902

 

 今回の、というかいつも通り旅行は妻が裁量する。僕はただ「おお、いい計画だと思う」失敗経験がないし。!(^^)!

 今回妻は「読売旅行」に応募した。羽田往復で、ガイドは初日の午後のみであとは自由行動。(五稜郭からトラピスト修道院見学)

写真左上から、修道院中景・ジャンヌダルク像・外来信者祈祷所建物・修道院を開祖した人々・五稜郭・五稜郭タワーから函館山。

 

 修道院を開いた人々の記念写真は、併設されている資料館にあった。僕は最近曽野綾子さんのエッセイなど読んでいたので他人事と思えず。

 右下の写真は五稜郭タワーから函館山を見返したもので、わかりにくいけれど、真ん中あたりでくびれているのがパンフレット夜景写真に見るところ。今回は夜景を見ようと麓まで行くものの、霧が立って機会に恵まれなかった。

 それでも、下の写真の内、最後の3枚に撮ったレストランオーナーらしき女性と話すと、地元にいると函館山に登ることはなくて「最後は小学校の遠足だと思う。」とのこと。ちょっと気が晴れた。

 宿泊した「函館国際ホテル」は函館駅から徒歩10分程度で、その先そばにビアホールがあった。

 古い建物を改装したらしくて、真ん中に蒸溜窯が何基も鎮座している。オブジェではなくて稼働しているらしい。

 

 僕はクラフトビールにさして関心を持たなかったけれど、10年前に川越に出かけて「伽羅」と名付けられたものを飲んで開眼した。ような。

 この、函館のクラフトビールでその体験を思い出して、大いに満足した。燻製鶏のハニーマスタードがまたおいしい。!(^^)!

道と、潮の香り               20240901

 

 遅い夏休みで函館に出かけた。台風が来ていたからどうなることかと気を揉んだけれど、進路北上は予想外なほど遅れたので、3日の行程で傘を差したのは15分ほどだった。

 左の写真は、市電を乗り間違えて着いた小さな漁村の通りのひとつ。

 僕たちが乗車した範囲では一度だけ二股に分かれるのだけれど、きちんと間違えたので近くの終点まで行ってみることにした。

 降りてみると、潮の香りに包まれたのですぐそこの海を目指した。写真は海を背に振り返った静かな通り。

 数隻の漁船が陸に引き上げられていて、水は澄み切っている。

 防波堤と波消しブロックで保護されているから、小さいとは言え漁港なのだろう。

 

「谷地頭」という電停(市電駅)に戻ろうとすると、「石川啄木一族の墓」と「立待岬」という観光案内板が目に入った。800mとあるし、明らかに上り坂なので「行かないよね」と申し合わせるもいつの間にか向かっていた。

 過去2回熱中症になりかけた僕は、石川啄木一族の墓の前にある木陰で休息をとり(風が心地よい)、あそこがてっぺんというところまで行こうと頑張ってみると上の左の写真のように岬に出た。

 海の向こうに陸地が見えたから、ひょっとして、と思ったら津軽海峡をはさんだ大間だった。

 右の写真は岬の小さな売店で買った「帆立焼き」を食べながら下り始めた道。わかりにくいけれど、遠くの先に函館山山頂が写っている。

 八重山諸島や十勝、伊勢などでガイドさんが案内してくれるツアーも体験したし、レンタカーで移動する旅も多くあった。

 しかし、今回の函館のように距離が限定される旅であれば、とにかく歩き回るのが楽しいのだと再確認した。そしてそれは、常に「道」によって導かれているといまさらながら気づく。「路地」「都市道路」「海路」「空路」。

 出発前に耳に入ってきた情報はオーバーツーリズムの弊害が過半だったけれど、8月最後の3日間だったせいか、交通機関にも飲食店にもなにも不満を持たなかった。

(写真は赤レンガ倉庫群)

2024夏                 20240817

 写真は妻が育てているあさがお。 

 咲く花の数は日によって違って、この日は多かった。

 育てているという言い方が適切かどうか置いておいて、最初は孫の理科観察だった。

 その孫も小学校3年生になり、先日サッカークラブの3泊4日の合宿から帰ってきたところだ。

 8月15日に墓参りに行った。その時の遠い空が左上の写真だけれど、周りに人がまったくいなかったのが印象的だった。

 出かける前に妻から「お盆に墓参りする人は珍しい」かも、という話を聞いていて、その通りだった。

 妻の妹があるとき、義母に「お盆休みにお墓参りします」と伝えたところ、「お盆には皆帰ってきているからお墓には誰もいない」という答えがあったらしい。

 そんなことも知らない自分。笑。

 

 真ん中は孫ママ(長女)が買ってきてくれた崎陽軒弁当の割りばし包み紙。マークというか、絵が何なのだろうとしばし話題になった。やがて玉を持った龍だろうと落ち着いたけれど、僕個人としてはその龍の爪の数が気になる。まあいいか。

 

 右は、僕が即席に作った食事。おいしかった。!(^^)!

麺のこと               20240817

 

 まず、おいしかった記憶。

 

 20代で妻と出かけたヨーロッパ建築視察旅行時(イタリア)のカルボナーラ。ペペロンチーノ、その他。ああ、マルゲリータピザ。

 

 学生時代に新宿に現れた「壁の穴」、たらこスパゲッティ。

 

 高校時代、山本君とコインを足して食べた登戸駅構内のコロッケうどん。カレー味コロッケ。箱根そば。

 

 丸亀製麺。水天宮前駅近所で、店は高架下でくすんだ印象だったのに、行列の後ろについて食べたらおいしかった。!(^^)!

 

 終電を乗り越した相模大野駅(小田急線)の、ワゴン車ラーメン店。あきらかにそちら系の人だけれど、ワゴン車内調理場は畳敷きで、そちらの方は真っ白い足袋だった。

 

 海の家のインスタントラーメン。

 学生時代のアルバイト中に食べたカップ焼きそば。

 

 小学校就学前に、隣の家の尚ちゃんが沸かしたインスタントラーメン用の湯。(味は覚えていない)

 

 香港で有り金を(数千円 笑)をむしり取られた後の屋台ラーメン。青菜のトッピングが絶妙。同行先輩のとっさの判断(現金確保)に感謝しつつ。

 

 バブル時代の、〆の稲庭うどん。

 

 小豆島に行ったときのうどんセルフサービスのようす。(これが本場か!)

 

 中華料理店でオーダーした「豚肉細切り」「牛肉細切り」焼きそば。(たいていどこでも)

 

 京都駅プラットフォームの立ち食いうどん。(そばは悲惨)

 ああ、それと名古屋駅構内で食べた味噌煮込みうどん。なぜか駅外ではありがたみが薄れたけれど。 

 

 あまり良くない記憶を辿ろうかと思ったけれど、楽しくないので割愛。(付記すれば、天下一品も、3年に一度くらい食べたいと思う)

 さて、直近のラーメン写真

 左は土浦国道沿いのドライブイン風ラーメン店。「黒い・・・」と券売機に書いてあった。

 大型車も相当数停められるそうで、店内も50席を超えているように思えた。11時ころだったから客は僕一人で、それなのに市役所か法務局のように電子音声で番号を呼ばれた。24時間営業らしいし仕方ないか。

 食べると、とてもおいしかった。仮に僕が店長で、オーナーから味の改善を求められても次の手を思いつかないと思うほどに。

 

 中央は「はやし田」というチェーン店の塩ラーメン。町田の商店街中央通りに新規出店されて、店構えとポスターが目を引く。検索してチェーン店なことを知って、国道16号の店に出かけた。

 美味しいかどうか、それはそれぞれの評価だろうけれど、僕からすると可もなく不可もなく。清潔でアルバイトさんの元気よさは満点。

 個人的には塩ラーメンに「こく」や「ふかみ」を欲していなくて、切れ味と余韻のラーメンにしてほしい。

 

 右は僕が初めて通販で購入したもの。読売新聞の広告を見て電話注文した。驚

 左のラーメンからすると塩分が半分以下と思われるけれど、家の中ならこの方がよい。

薫るアイスコーヒー           20240809 

 

 先週、平塚のもとお客様を尋ねることがあったので、辻堂のナリエンカフェに寄ろうかと思った。妻に話すと食べたかったものがある、と同行することになった。

 「タクシー運転手さんうまい店に連れてって」という番組でも紹介された、造園に血道をあげる社長が敷地内にコンテナで併設した奥さん経営のカフェだ。

 

 ナリen カフェ (ナリエン) - 辻堂/カフェ | 食べログ (tabelog.com)

 開設当初、ホットサンドをメインにする、という話をうかがって、僕はそれで勝負できるのかな、と訝しんだ。でも、開業時は客足が思ったようではなかったらしいけれど、訪れた日はママ友さんや家族連れで盛況だった。近い距離にお住まいであれば、再訪率はとても高いと想像できる。この空気感は得難い。

 

 妻は、僕たちの長男の結婚相手が辻堂出身なので、その母親とこの店を訪ねたことがあって、そのときアジフライを使ったホットサンドに目が行ったものの、嫁母とは別にしようと考えたことがあったようで、それが記憶にあったらしい。僕は、迷いなくそれを注文した。

 このお店を開業されたとき、無造作にアイスコーヒーを出してくださったのだけれど、それを一口飲む前に、コーヒーが薫ってきたことに驚いて率直に感想を述べた。

 すると、社長さんは満面の笑みで「よし」と言った。

 写真は、帰り道に寄った茅ヶ崎の海水浴場。この時期には稀な曇天だったから、人出は多くなかった。砂浜を歩くなんて考えていなかったから、革靴が重く感じられた。

 左の写真の水平線にあるのが烏帽子岩で、右の写真は江ノ島と烏帽子岩が入っている。

いろ                   20240806

 

 自分の雑感を見直してみて、二つの建物が黒くて似ていることに気づいた。

 僕は、設計を担当していても、色については意見を言わないようにしている。それは単純に、少なくない金額を投資される建て主さんの気持ちというか、思い入れを尊重したいからだ。

 

 コンテナ建築という、少し風変わりな建物に興味を持たれる方には傾向があって、基本的に鉄好きだから、黒を好むようだ。

 

 僕は、かすみがうらの寮を淡いレモン色かほんのりした水色にしたかった。でも、そんな色はメンテナンスに費用がかかるから表明はご法度だ。もし可能だったら、建物をレモン、階段を水色にしたかった。美しい海の色を知っている南国の彼らであれば、評価されただろう。

 

 「わびさび」を尊重することに特に異論は持たないけれど、「朱」をめでた「歌舞く」気持ちを思い出すことが子孫の日本を明るくするのでは、と思ったり。

 パリオリンピックの日本人の活躍に、そんな気配を感じつつ。

「労働」                20240805

 

 大学生のとき、建築学科の講義で「施工」という科目を受けていて、夏休みに現場で実習的なアルバイトをしてレポートを提出する、という課題が出た。

 友人の山本君の父君が大手ゼネコンの偉い人なことを知っていたから、すぐに頼み込んだ。

 小田急線の新百合ヶ丘駅の目の前の、「麻生区庁舎」の現場。

 

 アルバイトの日程が決まってから、その課題による事故を懸念した大学側の指示でそのレポートそのものが立ち消えになったのだけれど、僕はアルバイトを楽しんだ。

 

 朝8時ころの点呼とラジオ体操から始まって、夕方まで。真夏だったから明るいうちに終業だったけれど、蝉の大合唱と汗で重くなったシャツは、なんだか満足感を与えてくれた。一日を終える肯定感なのか。

 ある日は、地下の単純作業を任されて、時計を持っていなかったから、3時の休憩も飛ばしてしまって叱られたりもした。

 

 その後。設計事務所に勤めるようになって、「建築基準法」との確執が始まった。他の法令を知らないので比較はできないけれど、日本の経済の低迷はここにも端的に表れている。おいおい。

 

 建築士という形骸化した制度も含めて、刷新が急務だ。ああ、でも難しいだろうな。数万人かそれ以上が失職するかも。

 AIを使えば半日だろうになあ・・・。笑

 

 10年以上前になるかな、この雑感でコマーシャルを引いて「愛だろ、愛」ということを記したことがあった。

「愛」なくてなにがあるだろう。

かすみがうら               20240803

 

 一昨日、昨年着手した社員寮の引き渡しがあった。

 茨城県の出島と呼ばれた、ちょっとクリミア半島に似ていなくもない場所での、自動車関連 工作機械 製造会社「マルタツ」社員寮だ。

 東南アジアからの研修生が入居するらしい。19室。

 ニュースの聞きかじりによれば、円安は外国人労働者に少なくない動揺をもたらしているらしい。

 

 僕は、国道をはさんだ工場から寮に帰ってくる、その東南アジアの若者の心情を推し量った。工場にも出入りすることがあったから、礼儀正しくフレンドリーな彼らとほんの少し空気を共有していたつもり。

 

 65歳になって、働かなくてもよい年齢だからこそ、働きたくなった。「労働」心地よい響き。

 インドネシアかタイか・・・。きっと日本を乗り超えていくだろう国の、近未来を想像するのは楽しいことだ。最後はもちろん日本が豊かであるのが当然として。笑

乃木坂                  20240803

 先週、施工した建設会社から電話があって、乃木坂に10年前に設計を担当したメルセデスベンツの店舗が営業終了になることを知った。

 東京ミッドタウンのはす向かい・・・やや乃木坂駅寄り・・・のこの建物は、ベンツのショールーム兼オフィスの隣に位置していて、総合病院の解体後にコインパーキングになっていたものを、土地有効利用のためにイベントスペースとして企画されたものだ。

 

 丁度オフロードの新車種が発売されるころで、45°の人工の台を作ってプロドライバーの運転でお客さんを同乗させ、その性能を見せつけるものだった。

 僕はこの建物と人工台(登坂路)、それにゲートの設計を担当した。

 登坂路の構造は、高名な構造設計家にお願いした。打ち合わせの中で、頂上にたどり着いたときに地震があったら、と、答えの無い不安を口にしたら、その大家は豪胆そのものの顔をされて、「荒美さん、その確率をどのくらいに想像しますか?」と歯牙にもかけぬ様子だった。

 確かに、頂上付近に留まるのは数秒だから、数秒÷90000、の訳でマラカナンスタジアムの満席から一人を指さすようなものだ。

 

 昼時だったので、2種のメニューから暖かい肉そばを食べた。1200円はおごったところが無くて好印象だし、おいしかった。やや塩辛いと思ったものの、卵が添えられていて、それをすき焼き風に使えば丁度よいのだと知った。結構おすすめかも。

 以前、IBMの役員さんのご自宅を設計する機会に恵まれた。

 そのとき、丁度車を買い替えようとされていて、その様子を聞いたことがある。

 その方は、古い国産車に長年乗っていたので、メルセデスでもレクサスでも客扱いされなかったことに驚いてらした。

 

 六本木は言うまでもなく、白金・二子玉川・青山・・・

 最近現場が始まる中高の友人の建設地、三鷹や高円寺こそ「東京」なのだなあと思う。