雑感
設計とは別に思ったこと
WBC日本優勝 20230322
今日、ワールドベースボールクラシックで、見事日本チームが優勝した。とても嬉しく、選手のみなさんおめでとうございます。
品の無い視点であることは自覚しているけれど、この大会で本人の実力を示せるかどうかで一生が(主に稼ぎとして)大きく変わることが素人目にも予測できるので、自分の楽しみに加えて応援していた。
栗山監督の采配について妻と話しているとき、「栗山監督は野球という競技をエンターテインメントとしてとらえているように見える。」という妻の意見に同意した。
ネットやニュースによれば、ダルビッシュ投手が「戦争じゃないのだから楽しんで自分の力を存分に発揮しよう」と若手に繰り返し話していたらしい。
国を賭けた「絶対負けられぬ戦い」などと一部のマスコミがあおっても、僕自身は、野球やサッカー代表は国の威信などかけているとは思えない。非常な期待を背負っているのは間違いないけれど。
大切なのは楽しみつくすことで、唯一無二の時間を共有することだ。その点で、準決勝に敗れたメキシコ監督が、「試合には敗れたけれど、野球という競技が世界に勝利を宣言した」と語った(らしい)ことに激しく共感する。それくらい心躍る試合だった。
そしてまた、今日のアメリカとの決勝戦でも日本の若手が躍動した。その上に、栗山監督のサービス精神も垣間見られるようだったけれど、それは、チームに貢献した選手に報いたり、不振であっても将来への手がかりをつかませることが、選手本人ばかりか次期日本チームの財産になるという考えの上にあったと素人なりに想像する。
その意味で、メキシコ監督が言ったように栗山采配はワールドベースボールクラシックを超えて勝利を上げたのだろう。
勝つとはどういうことなのか、どのように勝つことが幸せなのか、なんだか最良の意味でのエンターテインメントを見せてもらった気がする。興奮のままに。笑
椿園 20230318
15日に確定申告が提出出来て、ホッとした16日に妻と長女(子供二人を小学校と幼稚園に送り出した後)とで地元の薬師池公園に出かけた。
少し離れた西隣に比較的最近できた「西園」は、レストランも小ぎれいに出来ていて食事に来る人も多いようだけれど、薬師池公園は台風で飛ばされそうな売店に、うどん・そば・ラーメン・田楽・餅などの品書きが無造作に貼られているばかりだ。
僕は小学校2~3年のころ薬師池の方に友だちがいて、学校から戻ると玄関にランドセルを放り出してよく遊びに行っていた。勝手に鯉を釣ったり池の先の雑木林を走り回ったりして、日が陰ると帰路についた。
片道4㎞らしいから、一日10㎞を大きく超えて走り回っていたことになる。親に行き先も告げず、車が少なくて不審者などという言葉も見聞きしなかった時代。(というか町田)
その頃と池の形はあまり変わらないけれど、公園は少しづつ拡張されているようで、牡丹園や蓮田、他もいろいろあって、その中に椿園がある。
小さな一山を充てていて、椿の種類の多さにとても驚いた。

さっきネットで検索してみると、椿は日本から世界に広まったものらしい。
種類は日本国内に2200種、海外を含めると6000種があるということで、歩いているだけで数十種類を見たような気がした。
上り下りして満足したあと、さきほどの売店では歴史がありすぎるので、軽食を買って西園の丘のてっぺんの芝生で食べた。
半袖で歩く人もいるくらいで、気持ちの良い春の日だった。
ジャングル生活 20230308
有吉佐和子氏の「女二人のニューギニア」という滞在記というか冒険譚か、という文庫を読んだ。
1968年に刊行されていて、最近再文庫化されたもので、書店で目立つように置かれていたので購入したのだった。
友人の文化人類学者畑中幸子氏に誘われて出向いた旅で、子供のころ父親の仕事でインドネシアで育ったために訪問しようとしていたところで行き先を変えたらしい。
お茶にでも誘うように「ニューギニアは良いところよ、来てみたら」と言われて二つ返事で約束する。
飛行機を乗り継いで、最後にセスナでジャングルの一画に到着してからは3日の徒歩工程だったらしい。

過酷なジャングルでの日々に恐れおののき嘆き節も聞こえてくるものの、信じがたいタフネスであっけらかんと過ごしてしまうところに驚かされる。
(三日間のジャングル行で爪を剥がしてしまい、1週間の予定が一か月になってしまう。その間、衣服を持たない現地の人々に11枚のパンツを縫ってやるのだ)
53歳で早逝(1984年)されたから、再文庫化と言っても新たに手を加えたりはしていないはずなのに、文章やテンポがまさに現代との違いを見せていないことはほとんど謎レベルでとても楽しい。
学者の畑中氏とふたり、「生きているんだなあ!」というのが率直な感想だ。
畑中氏の「ニューギニアでは人間が機械などに隷属することなく、人間らしく生きている」という指摘は、それがどのようなことなのか実感は持ちにくいけれど、何よりこの二人が大変に人間らしいというか、人間は潜在的にたくましいのか、という希望につながった。
最近の自作食 20230307
前にも記したとおり、自慢できるようなものではないけれど、せっかく作ったので記録しておきたい。笑
パスタはごく短時間で作れるようになった。当たり前か。
僕のカレー好き=クローブ好きだ。香りづけができたら取り出す。
三種肉巻き。レタス+チーズ、山芋、りんご。
長崎ちゃんぽんは見た目よりずっとおいしかった。
5138歩 20230302
直近の半年の、一日平均歩数が5138だった。
家(仕事場兼用)から一歩も出ない日というのはかなり少ないけれど、それでも無いわけではなくて、家の中はスマートフォンを置きっぱなしも多いから、歩いた日で見れば多少は平均を押し下げているだろう。
通勤をしている頃は観察していなかったけれど、家~職場の往復だけを考えても5000歩はあっただろうから、不十分なことがわかる。(墨田川テラスを昼に歩いていたころは、毎日1万歩を大きく超えていたはずで、その後体重が増えたのは必然か)
しばらく前に読んだ記事では、統計で歩数と健康状態の相関を見たとき、5000歩/1日が屈折点だとあった。
それを下回ると運動不足で、それを上回っても健康増進効果は比例関係が見られないらしい。その記事を信じればとりあえず合格。
ときどき続けて歩くことのある散歩は、7000歩あまりなので有効だけれど、1時間かかってしまうのが負担だ。きっと小まめに動くことが大切なのだろう。置物になってしまう僕にとっては。
寄りかからずに 20230222
前回記したソフトクラッシュの影響で、月曜日夜はほぼ徹夜になった。
そのため、昨日今日はその後の連絡を待つことを自分に言い訳してぼんやり過ごしている。テレビを見ながら。笑
興味深い番組がふたつあったのでその感想。
ふたつとも、何かの価値判断をなるべく誰にも寄りかからずに自分でくだしたい。という内容だったと思う。

ひとつ目は、アーティスト森村泰昌さんが、ロシアのウクライナ侵攻について考えを述べたもの。
ロシアを糾弾し、ウクライナの支援を正義とするのは難しくないけれど、誰かが作ったかもしれない構図にからめとられたくない・・・と言っていた。

もうひとつが、「いい移住」という番組で紹介されたもので、琵琶湖ほとりに移住して、移住者としての困難を共有した女性たちが、その体験を踏まえて出版した雑誌の話。
第2号は、「嫁」がテーマで、それは嫁こそが昔ながらの移住者であることを発見し、しきたりの強制と自我の発露のあいだに良い環境を想像できないか、と考えたというもの。
どちらも興味深かったし、自分に足りないものを指摘された気がした。
その流れの中で。
僕は「陰謀論」とか「背後のあやつり集団」といった話に与したくないので気を付けたいところだけれど、ネット記事に次の指摘を見つけた。
・大気汚染防止法第27条第1項 この法律の規定は、放射性物質による大気汚染及びその防止については、適用しない。
・土壌汚染対策法第2条第1項 この法律において「特定有害物質」とは、鉛、砒素、トリリクロロチレンその他の物質(放射性物質を除く) 後略
・水質汚濁防止法第23条第1項 この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁及びその防止については、適用しない
この法令を定めた経緯には何か理由があるはずだけれど、それを多くの人が共有しているとは思えない。少しずつでも関心を持ち続けたいと思った。
ソフトクラッシュ 20230218
昨日、午前4時ころ、製図ソフトに異変が起こって、熊谷での内容がクラッシュした。
普通にパニックになって、回復を試みたけれど最終的に保存できたのは一週間前の情報で、この間の更新は3日分だったから実害はその程度ではあるものの、あらためて作り直すのは結構しんどい。
理由はわからなくて、わかればそんなミスを避けるのだけれど、今日の気分としては数日分で助かったという感じ。 かな。
そもそも、その修正は工務店さんの勘違いから発生していることもあって、僕は迷惑をかけているのは認めるけれど、ただ疲労感が募る。
そんなこともありますよね。原因がわかるようだったら避けられたはずで、「電子」というのかどうなのか、遠慮も忖度もないやつらが嫌い。笑
ドリトル先生航海記 20230210
最近、スマートフォンで記事を見ることが激減した。内容に関して文句を言いたいことに加えて、画面が投げやりだし、広告に至っては・・・とは誰しも感じていることだろう。不満を言いながら開くのはおかしいことにやっと気付いた。
写真は、今日、熊谷に打ち合わせに出かけた車中からのもの。
天気予報で北関東は豪雪などと報じられていたけれど、しばらく前からの予定だったし、必要にも迫られていたのでそのまま出かけた。
特に困ることもなかったのでそのことはよいとして、写真にしたのはちょうど今「ドリトル先生航海記」を楽しく読んでいることを記録したかったからだ。
行きは文庫本を読み、帰りはサンドイッチを食べてからまた読んだ。
なぜ今さらドリトル先生なのか・・・という経緯。
僕はコアなファンではないけれど、椎名誠さんをときどき読む。今回の「すばらしい暗闇世界」は、期待通りか期待以上に不気味な生命体の観察があって、睡眠導入本としては疑問点がつくけれど、それは個人的なこととして、椎名さんの行動力にひたすら敬服する。
そんな感想の中で、椎名さんが「十五少年漂流記」に大きな影響を受けたという記述があって、そうだな、読んでみようと思った。そのことと同時に、本の最後の既刊宣伝で、「ドリトル先生航海記」が、福岡伸一さんの新訳であることを知った。
だからその2冊と、椎名さんの十五少年漂流記に関する文庫本を買った。(町田駅前の久美堂にはすべてが並んでいた・・感)
少年少女文学というものがあるとして、それはなんだろうか、と思う。少なくとも僕にとって、それは懐かしみや慰めではなくて活力源になると実感を持った。
森本米穀店 20230203
先日、栗城さんのことを記したとき、ページの項目容量を超えるので新しいページを、というメッセージがあらわれた。
ひとつの文章と、区切り線、写真などのアイテムが200個を限度としているようなのだ。
直前の雑感を、階層を一つ下げて新たなページを始めるという難しくない作業なのだけれど、初めて1年か2年のときあらぬところを触ったらしくて、それまで記したものが破棄されたことがあった。
少し動揺してサイト管理会社に電話相談したのだけれど、破棄したものは戻せないという至極単純まっとうな指摘で、涙をのんだ。
だから、1年以内にそうした更新をする必要が生じたとき、毎回ちょっと緊張している。
その、破棄してしまった後、しばらく日付を入れなかったので不明なものの、最初は2010年7月28日とあった。だから、少なくとも12年と6か月が経過している。
栗城さんを紹介した河野さんのあとがきに、ブログを書いているけれど主に近親者に向けたものだから、開いてくれる人は顔を思い出せる範囲だっただろう、という記述があった。(それは栗城さんのことを発信した後に数万まで跳ね上がったともあった。)
僕も、跳ね上がった経験を別にすれば同じ状況で、義母が去ったここ数年では妻と長女の他には数人の友人の顔が浮かぶという状況だ。
たまにではあっても開いてくださった方には感謝ばかりなのだけれど、多くの人に露出したいかといえば、そうではない。
記すようになって数年後、同窓会でホームページを持っている10人くらいを紹介してもらったことがあって、その次の同窓会で「見ることがあるよ」と言ってもらったときはとても嬉しかった記憶があるけれど。
最近、僕でも役に立てる建物建設予定者があるはずだ、無いわけがない・・・と思うようになって、もう少し見てもらえるような努力をすべきだと考え始めた。ゆっくりだけど。
長くの友人に親から米穀店を継いだやつがいて、僕が独立したときにお店と住居の建て替えの相談を受けた。設計費用を圧縮して、それを恩着せがましく言っていたから、彼は正月に他では食べたことがないくらいおいしい餅を送ってくれるようになった。事務所の共同設立者も同時に。
それが30年を超えている。おお。
途中で何度も「もうほんとにありがとう、充分をとっくに超えているから申し訳ない」と伝えると、「生きている証明だから」との返答。だから今は「子も孫も美味しいから楽しみにしている、よろしく」と年賀状に添えることにした。
このエピソードを加えたのは、この雑感を続けていることが自分が生きていることと似ている、と言いたかったからだけれど、ちょっと重みが違い過ぎるか。泣
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さて、彼は店舗を経営しているのだから、名前くらい明らかにしてもよいだろう。
「八王子市犬目町 森本米穀店」ほんっとにおいしいお餅。!!
価格は知らない。泣
森本君はハンドボール部で活躍していたけれど、結構シャイな人物で、僕も彼の5分の1くらいはシャイなので二人でつるんだことはない。それでも面白い事件屋なので、書き始めたら制御がきかなくなる恐れがある。だから自重しよう。誰も見ていないとしても自重は美徳だ。
若いころ、森本米穀店(ご両親の代)の近くに焙煎機から何から整えたコーヒー専門店「モロ」が開かれた。僕も何度も飲ませてもらったけれど、店主は気難しいところがあって、若者に2杯は出さないという戒律のようなものがあった。一度などはその日の午前に確かに飲んだその午後に、2回目のオーダーをしたらマスターが拒否したことがあったけれど、森本君が「遠い町田からわざわざ飲みに来たんだからどうにかして」と交渉してくれて無事おさまったのだった。
このマスターはコーヒー命、が前提として、この店の開業資金を鉄塔建設の飯場で得たという筋金の入っちゃった人物だった。
(鉄塔建設というのは、ほとんどの場合道などないから一か月とか山中に隔離される過酷な、しかも身分証明があいまいな、相当にやばい飯場だ)
まあ、だからこそ森本君を我が子のようにそばに置いたのだろう。
(そういえば、森本君も信州の身分証明が求められないレタス農家、というか組織に入って結構危険な場面に遭遇したらしいし)
コーヒー店の方は、グーグルマップで休業日だったのか人気がないのが少しだけ心配。
10年余り前、八王子の建設環境を知りたいとおもって森本君を訪ねた。突然だし勝手だったけれど、車で数時間かけて周辺を回ってくれて、建設事情などを説明してくれた。
なかなか、クラス会に顔を見せないのはどうしても土日に仕事が集中するからだと聞いた。加えて、今は離れているだろうけれど、PTA会長や地域の野球少年の指導者など、僕にはちょっと想像できないくらい多くて濃密な活動があるらしかった。
ああそうだ、おっさん野球に飛び入りさせてもらってその晩の打ち上げにも出たい、と頼んで了解を得たのに不義理をしている。
八王子市犬目町 コーヒー専門店「モロ」・営業日など未確認