雑感

設計とは別に思ったこと

時間がなくて              20181103

 

 いつも、明日までの時間を考えて、どこまで出来るかと計算している。そんな日々が長く続いている。

 夜更けまで仕事しても、朝ゆっくり始動したりするので、どれだけ忙しいのかは客観的に判断できないけれど。

 補足しておくと、これは稼ぎたいという欲求から生じていない。ただ単に、乗りかかったプロジェクトが複雑すぎて、しかし関係者が多いから「どげんかせんといかん」状態に落ち入るのだ。

 

 まあ兎にも角にも、個人的には結構しんどい。

 冷静に考えてみると、一番しんどいと感じる理由は仲間が横を向くことだ。

 その仲間もしんどいし、僕としては甘える訳にはいかないのを承知しているけれど、横を向かれるのはやはりしんどい。

 しんどい、の行列。笑

 

 二人の孫が時々訪ねてくる。というか、長女が連れて立ち寄る。

 甘えたりすねたりの長男。顔を覗き込むと笑顔を作る次男。という孫ふたり。

 彼らを見ていると、時間の針がきちんと動いていることを感じる。一歩一歩当たり前のように過ごしている。進んでいる。

 

 さて、振り返って反省してもどうにもならないことはわかっている。この雑感に何度も記したように、今こそ世界を自身でまとめるべきだ。そうありたい。

 

 孫たちの吸っている空気が神々しく見える昨今。

通り雨                 20181021

 

 昨日一昨日と、宮城の鉄骨工場で打ち合わせをしていた。

 良いことかあるいはそうでないのか、ここ数年の建設業界はあらゆる分野で需要が高く、人手不足が深刻化している。

 宮城の工場で泊りがけの打ち合わせになるのも、先方も当方もそうした環境下で人員不足のために切迫しているからだ。

 

 いろいろなことがあって、昨日土曜日に工場事務所から帰路に着くべき時間が迫ったのに、課題がまだ残っていた。

 出立限界の1時間前から、激しい雨が工場事務所の屋根を叩いて、それはちょっと会話の音量を増す必要があるくらいだった。

 レンタカー店舗と駅との間を傘なしでは到底行きつかないと一瞬考えたけれど、当面の課題にすぐ忘れる。

 

 あと5分、あと3分と面白がって急かされる中、鞄に資料を詰め込んで発車した。

 

 雨の匂いが車の床から立ち上るなかを走らせると、ところどころで霧か靄の塊がぶつかってくる。

「ああ、昔ひとりで街道を旅していれば、こんな靄の奥に現実から離れた世界を見ただろうなあ」、などと思う。

 

 小一時間で古川駅に着いたのだけれど、途中から路面は乾いていて、局所的な集中雨だったと知る。

 きれいに刈り取られた田圃を突っ切るばかりの時間。雨と霞にたぶらかされずにすんでよかったと思う、、とても懐の深い東北のいなか。

負けず嫌い               20181006

 

 今日は孫K君の保育園運動会だった。憎まれ口などもきくようになったので、ずいぶん大きくなったと感じていたけれど、保育園児童に混ざってみるとまだ2歳9か月だから小さい方だった。

 離れて眺める孫の姿にうっとりとしながらも、少し不安げな様子にこれからの人生での試練を思って何とかできないものかと考えたり、いや正々堂々と立ち向かってほしいなどとあらためたりする。

 活発になっている年長さんの走る姿を見て、わずかな期間に大変な変わりようだと感心しながら、幼いころの自分の運動会を思い出した。

 

 僕は4月13日生まれだから、幼稚園では何でもかんでも圧倒的ななアドバンテージをもらっていた。母校相模女子大は、幼稚園から大学まであるところだったので、運動会はそれなりの広さで行われていた。

 僕は、年中のリレー選手として年長のアンカーにバトンを渡すポジションだった。何度かの予行演習で、そのアンカー女子と同走競争相手のひとりに相当なスピード差があることが判明した。

 アンカーに渡す前にどれだけ相手を離しておけば良いか、勝ち負けを繰り返すうち、風景として会得していた。

 

 さて、本番で僕は前走からバトンを受け取ると、二人をかわしても猛然と走った。少しでも離さなければならない。

 園児だから、選手とは言え棒立ちで片手を水平に後ろに伸ばして待っているようなリレーだ。そこに一人だけ勝負に夢中の園児がいて、必死の形相で走るのだから、後からの父母の話では会場がどよめいたらしい。

 アンカー女子は距離はみるみる詰められるも、テープを切って、僕は「勝った」ではなくて、「よし」と思った。

 

 

 親交の長い友人には僕の負けず嫌いがとっくに見破られているかも知れないけれど、普通には僕は勝ち負けにこだわらない・・・と思われている気がする。

 それは、「孤独な金持ちとにぎやかな長屋住まいではどちらが幸せか」という問いに答えが複数あるように、(あるいは無いように)勝ち負けは簡単に決められない(あるいは意味が無い)と思うし、そもそも価値観の多様性や幅こそが大人の獲得すべきものだと考えてきたからだ。

 しかし、それと並行して一遍の事実がある。

 あんまり負けず嫌いなので、勝負の設定をぼやかしたいという欲求。負けを認めたくないから勝負の存在を否定する意思の働きがあるということ。

 

 まあでも、あんまり自分を追いつめることは止めておこう。「勝ちたがり」でないことは自分でも自信があるし、おそらく友人も認めてくれるだろうから。

オリオン座               20181001

 

 さっき缶チューハイをファミリーマートに買いに出てみたら、星がたくさんにぎやかだった。なかでも、オリオン座は昔からの友達のようにこちらを眺めている様子。

 

 昨晩は、記録的にもなろうかという台風の直撃で、南西に傾斜している地勢にある我が家は暴力的な風に窓がたたかれ続けた。

 窓ガラスは面白いようにたわんで、レースと遮光のカーテンをしっかり重ね合わせた。バルコニーに補修工事が進行していることもあって、中途半端に止められた防水紙が「はためく」の3乗くらいのうなりを上げ続ける。

 それでも寝てしまうのは、仕事を頑張っている証だろうか。笑

 

 今朝は、水道橋での打ち合わせに50分の余裕を持って家を出たけれど、小田急線が60分の遅延なので遅刻するのは不可抗力というもの。新宿駅ではホームになかなか降りられなかった。

 

 水道橋関連に少しの区切りがついて、今晩はとても楽しい茅ヶ崎でのカフェ計画(盆栽展示あり)だから、就寝時間など気にもならない。

 

 オリオン座が頭の上をゆっくり移動していると感じられるのは、良い酔い方だ。きっと。

アンチ自由               20180923

 

 前回は、「自由」ということを記した。

 今回は、「自由が難しい」という雑感。

 

 書店の文庫本コーナーで、「北氷洋」というタイトルの本に出くわして、最近直感的に買った本が楽しかったこともあってその延長気分で購入した。

 19世紀後半の、イギリス船籍の捕鯨船の物語だ。文庫カバーの帯にあった惹句と、古風な装丁画が興味深くて買った。

 

 これまでの普段の生活を振り返ると、長女長男は独立して時間が経過しているけれど、僕たち家族の共通項に殺人事件を好まないということがある。もちろん、潔癖的に問題にするつもりは無いとしても、殺人事件を夕食団らんの時間帯ニュースに告げる世の中に懐疑があるし、フィクションの小説などに移ってみれば、殺人事件を想定しないと展開できない作者にあさましさなども感じたりするのだ。もちろんこれは好みの問題としても。

 

 今回読了した「北氷洋」に戻ると、この物語は殺人のオンパレードだ。殺人の場面や絶命する人々が無数に描写される。

 あまりの痛ましさに何度か本を置こうかと考えたのに、結局最後まで読んだのは、物語に魅力を感じたことと翻訳者のリズムに僕が合っていたからだろうと思う。

 

 ここに記そうとしたのは、物語に登場する荒くれもののふるまいではなくて、それよりははるかに小さな、取るに足りない、気にもする必要が無いかのようなやりとりが現在の日常にある、ということだ。主導権確保の付き合い・・・と言う意味で。

 僕は、これまでもそうだったし、これからもナイフを突きつけられる状況があると思っていない。

 そうした意味で、この物語は明快にフィクションであり続けるのだけれど、考えようによっては「相手を貶める、圧倒する」という観点ではフィクションとも言い切れない。

 

 きっとそれは僕だけではないだろう。覚悟も準備も求められるという意味で、最後まで読んだような気がする。

 これはハウツーではありえない。もちろん。でも気になった物語だし楽しんだ。

自由                  20180916

 

 最近のいつかは特定できない、ひょっとすると結構前だったかも知れないある瞬間に「自由であること」という思いが起こった。

 

 自由という言葉は食事と同じくらい人々の頭に浮かぶもので、これはわかりやすそうでもあって、一方ではやっかいだとも思われた。

 平易には、「束縛されない状態」や、「好きなことを行なえること」などと認識されているように思う。けれど、それは相対的な判断ではないかとふと思うのだ。

 

 「命令されない」、「監視されない」、「評価されない」、もう少し川下に来て「期待されない」、「観察されない」、「説明を求められない」・・・などがあるだろうか。

 そんな時、僕の頭に反語的に浮かんだのは「自ずから欲する」と言う概念。誰にも遠慮なく行える、「愛する」という行為だった。

 これは先に自由という言葉からイメージした、受け身の評価・判断とは違う、極めて自己本位な在り様だ。

 

 つまり、前後の説明や客観視とは違うところにある気持ち。生命力の発露。

 

 

 我が家の壁の一部に、妻が長年師匠と仰ぎ続けている先生の小さな一筆が飾られている。ほぼ月替わりのようで、今は達磨の絵と並んだ「いま ここ」という文字。

 いま ここ・・・が全てなのか、  全てだろうと思う。

ソナチネ                20180915

 

 子供のころの話。

 小学校2年だったか3年だったか、横浜のそれなりのホールで僕はソナチネを弾いた。

 こぶりなオーディトリアムであったことはもちろんとしても、おごそかな緞帳が開くとステージの中央にあるグランドピアノに照明があてられていた。リハーサルと違うのは、花のスタンドと司会者テーブルが設けられていることで、それらは子供ピアノ発表会を告げていた。

 

 アナウンスで名前と曲目を紹介されて、普段は着たことのないようなシャツとズボンと靴を履いて、スポットライトの中をピアノに歩む。その一連の所作を事前に何度繰り返し練習したことだろう。あるいは、ピアノ曲を弾く回数よりも多かったかも知れない。

 どうやったら逃げ出せるか考えようとしていた数日だったけれど、子供なので妙案など浮かびようもない。

 気付いたら当日の朝になっていた。

「左足と左手を同時に出してはいけない」と確認しながらピアノに向かうと、スポットライトのせいで客席は全く見ることができずに少しホッとした。

 

 鍵盤に手を乗せて一呼吸おいて弾き始める。緊張という状態を知らない年齢なので、どのように振る舞っていたかはわからない。長くはない曲が佳境に入ろうとしたとき、右手のどれかが道に迷った。不思議と慌てることはなくて、ゆっくり2つ3つの音を探したら、知っている音が出てきて演奏は無事に完了した。

 

 椅子を降りて客席を向き、急がずお辞儀をして袖に戻る。楽屋を抜けてホワイエに出てその緩やかな傾斜を上っている時、心に光が射した。「世の中は動いている!!」「発表会は過去だ!!」

 

「明けない夜は無い」と後から見聞きするようになったとき、僕はいつもこのホワイエを思い出す。

バイエル                20180829

 

 自分の生活とこれまでの過ごし方を思えば、僕は音楽好きだとは公言できないけれど、そういうレベルで僕は音楽好きだ。

 生の音に、あるいは音楽そのものに反応する力は薄いのだと考えざるを得ないとしても、「古代ギリシャ人は音楽と天文学で世界を理解していた」などと聞こうものならわが身を忘れてにんまりしたりする。

 

 最近、二人目の孫の誕生をきっかけに二人の孫が身近に居たこともあって、童謡の「ぞうさん」や「ぶんぶんぶん・はちが・・・」などの歌詞と旋律にひとり雷に打たれることもあった。

 

 そういったことの延長なのか始まりなのか、僕はバイエルが好きだ。

 

 たくさんありそうなのに、数えるほどしか遭遇した記憶がないのは、住宅街を歩いていて覚束ない指と思われるバイエルが聞こえてきたという瞬間。上手いかどうかは関係なくて、その拍子に力さえ感じれば、僕は祝福された気分になる。そう、バイエルそのもの、またそれが指し示す世界が好きなのだ。

 

 先週の夕刻、妻と落ち合う前に時間があったのでデパートの書籍売り場に立ち寄った。僕の本好きは、先に記した音楽好きと同レベルかも知れなくて、建築関連を除けばしばらく本屋さんを歩き回ってもなかなか購入に結実しないことが多い。ところが、この日は「見て」「手に取って」「レジに向かった」、それが「羊と鋼の森」。

 

 理由は簡単で、「羊」「鋼」「森」それぞれが好きで、このタイトルの組み合わせの相乗効果が、ためらいなく僕をレジに向かわせたのだ。なにしろ「羊と鋼の森」である。

 

 読み終わっての感想。(あまり記したことがない・笑)

 

 物語としては、その展開の仕方に読み手の嗜好が沿わなければ、評価を異にするかもしれないと思った。けれど、「美はこの世界にあふれていて、手を伸ばせばすくいとることができる」ということを、こんなにわかりやすく紹介あるいは導いてくれる文章は初めて、と思った。

 

「羊と鋼の森」とは何か?

 主人公が心酔して恐らく誰しも感嘆する名言とは何か?

 それをここで記すのは適切ではないと思うので、興味が湧いたら実際に確認されることをお勧めしたい。

 

 ただ、こうしてここに記すまで、とっくに大ヒットしていて映画化まで完了していることを知らなかった、そんな紹介者を信用できればの話だけれど。

蝉の音                 20180825

 

 小学校三年生の夏の思い出。

 僕の両親は山口県徳山市(現周南市)の出身で、子供のころ何度か夏休みを祖父母の家で過ごした。

 

 最初に一人で祖母の家に残ったのは小三の夏だったように思う。徳山駅からタクシーで30分余り山に分け入るようなところで、バスは一日何便かが運航されていたけれど、常に乗客は数人程度という地域だった。

 

 父の生家と母の生家は一里ほどの距離で、子供の足でも行き来できた。不用心のようであっても、その道中で出会うのはみな顔見知りらしくて警戒は必要なかったのだ。

 

 さて、思い出の詳細は今度ゆっくり記すとして、今日残しておきたいのはふたつのこと。

 

 ひとつは叔父の声。

 「信ちゃん、よう来たの」・・太平洋戦争に従軍して、敵と間近にまみえることはなくとも、危険なワニに発砲したというその叔父は、僕たち家族の到着よりも数時間遅れて帰宅したはずだったけれど、なぜか浴衣の帯を直しながら現れて、僕にそう話しかけたのだった。「信ちゃん、よう来たの」

 その声は、こころの奥深くから発せられたようでもあって、子供の鼓膜に何かを焼き付けるだけの力があった。

 

 もうひとつは祖母の日傘

 「信ちゃん、今日はお寺さんに行こう」・・母方の祖母がそう宣言した。うん、もいいえもなく、付いていくばかりなのだけれど、後から思い出すに、その歩く様子が忘れられない。

 祖母は普段とは違った着物を着て、新しい真っ白な日傘をさして時速2㎞くらいで進む。持て余す僕は、橋があれば欄干に上り、両側を制覇しながら、渓流があれば水をすくって飲み、100m先まで駆けだしてあたりをうかがう。そんな僕をにこにこ眺めながら祖母はマイペース。

 あるとき、相当に離れて振り返った祖母の姿。

 小川沿いの道に周囲を圧倒する高さの木々が覆い被さっている。それでも真上にある真夏正午の日差しは、樹木をものともせずに祖母の日傘を浮き立たせて、ただそれが少しづつ揺れている。

 蝉の音と眩い日差しが空間を埋め尽くした、その中にある小さくて白い日傘。

 

 この記憶映像に僕は意味を探したことが無いのだけれど、それは先の叔父の声と同じように、ただ子供としての僕に定着しているからだ。どこか不可侵のように思えてとても大切な記憶。

フェイク                20180816

 

 昨日は朝から横浜に出かける用事があった。遅刻を心配して、お盆休みだから空いているのではないかと想像しながらも早めに出かけたら、超空きすきで1時間近く前に着いてしまった。

 下の写真は保土ヶ谷バイパスに入ったときと、ベイブリッジを下の一般道で渡っているところと、町田まで帰ってきたところ。どれも、空を撮りたかった。

 午前中に仕事が終わって、大桟橋に寄り道しようと考えて、昼になったから中華街に切り替えて昼食にした。豚まん5個セットがおみやげ。

 標題の「フェイク」は、昨日と今日のテレビ番組などを見ての感想。

 

最初:スマートフォンでのネット記事で台湾元総統の李登輝氏の語    録に触れる。

親日家そのものの、日本への思いが感じられて、戦後教育の渦中にあった僕としては、ある意味驚きもあった。

 

ノモンハン事件のNHK特集:2万人の戦死者を出したソ連との戦いが、どのように進められたかの検証。基本的に意思決定者の不在を告発するもので、戦後に収監されたであろう状態で収録された、参謀や中将大将の証言テープの軽い声音が痛い。(収録の状況は不明)

 

幻解 超常ファイル:NHK番組の、アメリカ軍の機密保護と政府によるUFO隠しという疑念への歴史をレポートしたもの。(たぶん再放送)

最初にUFOの存在を直感的に支持した人が、それを証明しようと検証の無い情報へ依存、捏造していく様子を活写。(番組としてどちらかへの軍配は示さないけれど)

 

これらの情報を考え合わせると混乱を来す。

なぜなら、こうしたケースの外に自分が居ると自信を持てないからだ。

「信じる」という行為は主体的なものと考えられがちだけれど、大いに怪しい。「信じさせたい人」の存在を感じなければならないと思う。

「大きな声や、多くの声が必ずしも正しいとは限らない、に加え、信頼する人の意見が正しいとも限らない」という単純な原則をかみしめたい終戦記念日。

祭りの音                20180804

 

 僕の住んでいる東京町田市には、大まかにみて3つの川が流れている。

 東京都と神奈川県の境に位置づけられるその名の通りの境川は、藤沢市・江の島駅近辺で再会することができる。

 もう一つの鶴見川は、一時期公害汚染で全国に名を馳せたこともあったようだけれど、今は鴨がすいすいと静かに航跡を描いたりする。川崎で東京湾に注いでいるはずだ。

 これらのなかで一番地味なのが僕達の住まいにほど近い恩田川だ。川幅は広い所でも10メートルほど。

 

 僕の幼年時代、自転車に乗るようになったころ、この恩田川をはさんで公団住宅20棟余りが建設された。恩田川の東側をイ号棟1~と呼び、西側をロ号棟1~と呼ぶ。

 多摩ニュータウン着工の7,8年ほど前の完成で、こじんまりとしながらも川沿い遊歩道には象やキノコをかたどったテーブルやいすが設えらていて、きらきらと新しい生活の匂いを放っていた。

 その中でも僕が特に気に入ったのは外周路。公団住宅の外側は未舗装だらけでバス通りでさえ悪路だったけれど、中はきれいに舗装されていた。その周回800メートルくらいを自転車で何回回ったことだろう。きっとその時、そこに引っ越してきた当時小学生の妻や家族と何度もすれ違っていたはずだけれど今確認する方法はない。

 

 その公団住宅の自治会夏祭りがいつ盛況になったかは確かな記憶がないけれど、一定の盛り上がりをみせている。それなりの音量で「炭坑節」と「東京音頭」を繰り返すようすは、時にうるさいと思った記憶と同時に、耳の底にしっかり定着している。川があるという地形から、その周りは取り囲む状況だから極めて内部的な印象なのだ。

 

 夏になると、日本橋水天宮前に勤めていたオフィスで、同僚数人が残る夜更け残業の時に、ふとそれが聞こえるような錯覚に何度も陥って不思議な思いをした。

 

 今晩、長女夫婦と孫K君はそこに出かける様子だ。

K君新居                 20180728

 

 僕の孫Kの両親は住宅を取得しようとしている。

 一応、そうした仕事のそばにいるし、かつての仲間が不動産取得について協力すると言ってくれたので、感謝と共に同席したりしている。

 

 今日は内覧会のようなもの。幼児が居ると親(長女夫婦)の集中が散漫になるとアドバイスしてもらっていたけれど、やっぱり見せたくもあったし、KとRという孫二人の面倒を見る妻も負担が大きくなるのでKを連れて一緒に出掛けた。

 

 Kはとても良い子にしていた。

 誰かを撮るというのではなくて、コンセントなどがどこにあるかと漠然とした写真を撮るなかに、Kが入り込んできた。

 

 写り込んだことを期待しながら、帰宅して確認すると頭のてっぺんのほんの一部だった。

 記念撮影する状況ではなかったので、他の写真は写っていても関係者の背中ばかり。だから、なんとなく大事な写真に思えてきた。

荒美を知ってるか!            20180721

 

 発端は20数年前で、「荒美を知ってるか!」はその数年後。

 もう時効。

 

 ある晩秋、大学の恩師を囲む集まりが散開して数人で3次会らしきものに寄っていたとき。

 同じグループで卒業設計に勤しんだNさんが、「荒美、お前関西で何かやったか?」と突然訊いてきた。初め意味が呑み込めなかったけれど、関西での仕事は他に経験が無いので、「あれかな?」とは思う。

 聞くと、早大建築学科80年過ぎ卒の人間に許せない者がいて、その名を荒美という・・・と複数情報があったらしい。Nさんは全国区なのだ。「何か迷惑かけた?」と聞いても「それはないけどなんで関西(の一部ゼネコン)でお前が話題?」ということだった。

 

 潔白かどうかは別として、経緯を残そう。

 

ある日突然、大学時代の親友が「旅館設計のアドバイスはできるか?」という電話をくれた。

 

意味を尋ねると、関西で新しい小ぶりの旅館建設を望んでいるかたが行き詰ったとのこと。

 

 行き詰った理由。

初めに依頼した高名な建築家は、設計も相当進んだ後に破綻した。(お客様によると商売よりも自身の美学を主張したらしい)

 

次に旅館の顧問が紹介した大手建設会社は、女将を素人扱いして一向に建設的提案がなされなかった。

(建設会社によると、思い付きのオンパレードで付き合いきれないとみなが感じていたという説明)

 

展望も開けないまま、敷地を調査させていただくと、広い川のほとりに立地し、周囲も建物が少しあるばかりで幽谷という言葉さえ浮かぶようすで俄然興味が増した。

 

 提案

現場に立ったイメージから、「骨休めに舞い降りた龍」を骨格に決めた。

しばらく時間をいただいてプレゼンに再訪すると、途中で女将は落涙された。それは、提案の善し悪しではなくて共通言語への巡り会いだったと想像している。

 

顧問は設計者を我々にと考え始めるが、何しろ紹介した本人なので仕切りに悩んだらしい。

 

 決裂

その後、顧問と女将に連れられて、建設会社を訪問した。

僕は穏やかにやりたかったけれど、いきなり10名を大きく超えたスタッフに待ちかまえられ、重たい会議が始まった。

女将がため込んだストレスはこれかと直感する。

そもそも匿名の公民館のような設計は看過できない。

1時間の質疑応答を繰り返して、「女将もおそらく同じだと推察するが、何より僕が納得できない」と宣言した。誰も声を出さなかった。

 

 決着

顧問が休会を宣言して別室に僕を連れて行った。

そこには建設会社の営業取締役が同席して、設計は荒美に移行すると約束された。何のことはない、僕は主人公気取りだったけれどわき役だったのだ。でも、龍の設計に心弾んだ。

 

 転回

このままだったらさほど大きな問題ではなかったのに、設計を完了して最後の見積時に、女将はあろうことか大手ゼネコンに鞍替えしたのだ。

 

 結論

僕も途中からわかってきてはいたので驚きはしなかったけれど、そりゃあまあ、さっきまでのゼネコンは怒るだろう。

 

僕は善意の設計者か、かきまわすだけの自己本位者か・・・?

ただ残しておきたいのは、涙はなくても良いけれど、こころに肉薄したのは僕だという思い、その時間。

気宇壮大                 20180718

 

 先月末のこと。仲間に呼び出されて、桜木町駅隣のビルに向かった。待っていたのはその仲間と、仲間と事務所を共有しているKさん。以前にもお会いしたことがある。

 

 そこで展開されたのは、東アジアの天然ガスに関係した、まさに気宇壮大と言っていいプロジェクトの話。ご本人もスケールの異常さに時折失笑めいたものが混ざるのだけれど、話を聞く僕の役割はそのプロジェクトに必要になりそうなコンテナ資料の作成だから、まあ詐欺の疑いはない。

 というか、以前から存じ上げているし、その真摯な仕事ぶりには共感してきた。

 

 心配するとすれば、そのプロジェクトが失敗したときのKさんのダメージだけれど、それはご本人が一番冷静に見えたのであまり気に掛けることもなさそうだ。

 成功率について質問したくても、それは部外者として失礼だろう。ただ、Kさんの最大成功イメージを100とした場合、5くらいの関与は冷静に望めるという気配に、それでも気宇壮大だなあと思った。なにしろ、ここ何年かそこに全てを投入しているのだから。「玉砕したら?・・・隠居です 笑」とのこと。

 

 Kさんが次の約束に向かわれた後、仲間と美味しい料理とお酒を楽しんだ。仲間が電話で長いこと離席したので自撮りをしてみたら、とても気に入ったので記録する。(禁嘲笑)

Eテレ                  20180712

 

 Eテレに必ず見る番組があるのではないけれど、ときどき、酸素補給するようにEテレを見ることがある。

 視聴率を目標にするのとは違った製作者の工夫が、こころに染みることが多いからだ。それは幼児番組であったり、2355のようなスポット番組であったりする。

 例えば「剣山」の紹介。

 子供がこれは何だろう?と思うように、わかりやすくしかもちょっと不思議に紹介するのは定番だとしても、その背景となる台紙を艶消し黒の梨地にして、スポットライトを当てるという効果はとても大きなものがある。画面が豊かで華やいで、しかも落ち着きがあるのだ。

 翻ってワイドショーの風景。各局、説明ボードとそのシール剥がしで期待を繋ぐことに明け暮れるばかり。

 僕も満載しているので非難はできないけれど、妬みや隠れた嘲り、浅薄な良心の確認など、自分の嫌なところを見せつけられるようでストレスフル。

 

 またまた話は飛んで、ブラジルVSベルギー戦。

 不運なオウンゴールを献上したフェルナンジーニョが家族まで攻撃にさらされる中、彼がプロデビューしたアトレチコが声明を出したらしい。「僕たちは君の味方で、その活躍を誇りに思っている」と。「攻撃しているのはほんの一部でブラジル国民のほとんどは君を愛している」とも。少し厳しいのは「こうした風潮を根絶するため君は先頭に立って声を上げて欲しい」というところだったけれど。

 フランスは準決勝ベルギー戦で、後半5分に先制点を奪うと、残りの40分余りを超守備的な陣形で試合を終わらせた。記事によれば、デシャン監督は勝つためならなんでもすると言ったらしい。

 

 その覚悟を僕は尊重するけれど、同時に思い出した番組がある。

 局は忘れたけれど、園長が園児に柔道を教える場面。

 

 きちんとした礼儀と、襟と袖を使ってしっかり組むことを徹底していた。前かがみで手を振り払ってばかりの、国際大会とは違った風景だった。

 

 「スポーツ」「体育」「武道」が混在する、恐らく世界でも希少な日本という国。Eテレは武道系か。

ムバッペ                20180708

 

 ここのところ、床に就いた時に読むのは、北杜夫の「船乗りクプクプの冒険」と、カズオ イシグロの「夜想曲集」が交互だった。

 変な取り合わせのようでもあるけれど、睡眠との関係を言えば共通点も少なくない。

 それでも、ワールドカップの試合もそれなりに見ながらだったから、数行で寝てしまうことも多かったので、経済的だった。

 

 クプクプは、数年前に友人のお子さんにプレゼントしたときに同時購入したのだったか。夜想曲集は妻が購入したもの。 

 

 話は大転換してフランス代表の若き旗手。

 初めのころはいくつかの読み方がテレビから聞こえたけれど、何試合かを終えて「エムバぺ」に落ち着いてきたようだ。でも、僕は何の根拠も無しに、「ムパッペ」だと思っている。そう、根拠なしに。

希望として。 

 

 それは、クプクプと夜想曲集の延長線に彼がいるように思えたから。

 詳しくないけれど、メッシのドリブルやCロナウドの嗅覚、ネイマールの自在さやイニエスタの構成力にはただ感嘆する。一番好きなのはウルグアイのスアレス。でも、今回は今一つの結果だった。

 そうした中で、僕のアイドル(もちろん多くの人共通だ)はベルギーのルカクとフランスのムバッペ。

 

「美しき雄牛が人の姿を借りたルカク」

「ピーターパンのようなムバッペ」

 

 日本代表の想像を超えた活躍が、彼らを観戦する機会に繋がった。柴崎を先頭に、堂安や中島大島が活躍して欲しいカタール大会に期待が高まる。INUIも残っているように。

FIFAワールドカップはおとぎ話のようだ。

おおと驚き、拍手して悔しがる      20180703

 

 勝負の世界には未知が多いので、「戦う」ということをもっと考えようと思った。

ああびっくり ためいき         20180629

 

 恨み言を言わないセネガル監督に感激。それのみ。

敵に塩を送る              20180628

 

 ワールドカップのアイスランド初戦を見て、そこにサムライがいると思った。

 なぜサムライを連想したのかというと、自己顕示の抑制と仲間への献身、そして相手への敬意を感じたからだ。

 そんなことをサッカーの試合で感じたことは全く無かったので、単純に驚いた。姿は違うけれど親戚に会ったように。

 

 その後、ネット記事で多分オシムさんだったと思うけれど、勝敗を超えて献身できるのは日本とアイスランドくらいではないか・・・という指摘を読んで、なるほどそういうことなのかと思った。

 

 マリーシアと呼ばれる、少しでも有利な環境を引き寄せる、あるいは欺いてでもそれを獲得する、というのが世界的なサッカーの潮流だと何度も聞かされてきた。でも違うひとがいた。

 僕はその後、どこか移動中の電車で「敵に塩を送る」と検索した。

 それは、多くの人がが思っている美談とは限らないようだけれど、少なくとも闘う以前の悪い状況を利用するという発想からは遠いようだ。

 はっきりとしたことは言えないけれど、現時点で僕が思うのは「何を欲するか」という問いがあること。

「勝利」なのか、「戦うこと」なのか。

 

 それは、とても大袈裟に言えばなぜ生きるのか、に等しくも思える。もちろん、どちらが良いという既成概念から離れて。

沖縄                  20180624

 

 沖縄でいくつか提案をしていたプロジェクトがあって、現地でお客様と打合せすることになった。

 ひとつは古宇利島の中腹から海を臨む住宅で、これは民泊を想定している。

 もうひとつもインバウンド激増の背景から同じような条件で、こちらは丁度良い感じにひなびた百名。

(途中、名護市役所に立ち寄って建築のすばらしさに感激した)

 

 北海道のニセコにも興が乗ってきた提案があって、日本は長いなあなどと思ったのだった。

雨雲のはからい             20180610

 

 僕たちの大事な孫Kの弟が今月末にやってくるはずだった。それが、何を思ったか昨晩遅くというか今朝と言うか、誰しも想像しない日にデビューした。

 考えてみると、Kの誕生日は0106だから、弟くんは0610が気持ち良い、というかカッコ良い。

 

 産院に出かける夫君のかわりにKを見る必要があって、妻は先に長女家族の家に出かけていた。

 生まれそうだ、から生まれたへの移行はこちらの準備が整わないスピードだった。

 「まあなんと幸せなことか」と思うまま仕事を続けるのも就寝するのも違和感があって、近くに行ってみることにした。

 

 予想していなかったから荒美Bではない訳で、歩いて行った。僕の場合、かみさまという存在は像を結ばないのだけれど、途中、何か見えないものに感謝した。

 対面できるとも思わなかったし、そのためではなかったけれど、いくつかのラインのやりとりを僕は運よく誤解して産院の扉を開けてもらえた。「やあ」

 

 彼のデビューについて何かタイトルじみたものは考えたくないので、今日の雑感は「雨雲のはからい」。

 産院に歩いていく前後はそれなりに雨が降っていたのだけれど、うっかり傘無しで出て、その後も僕は気にもとめずに1時間歩けたのだから。

 

 Kくんと同じく、自分の人生を楽しんで歩くことを陰ながら応援する。

鳥の鳴き声               20180604

 

 昨晩は製図に少々疲れて23時半ころ床に就いた。疲労を感じていたから、先方が10人近い打ち合わせに遅れるのが心配で、珍しくスマートフォンの目覚ましを7時にセットした。それで万全だったはずなのに、4時過ぎに目が覚めた。

 早く起きることは特段珍しくはないかもしれないけれど、その時間はあまり知らない。

 夕べ、この季節にしては暑いので窓を開けたままにした。夏至に向けて勢力を増している太陽ではあるけれど、未明には文字が見える程度。

 そのうち、原因が判明した。鳥がにぎやかなのだ。窓を東西開けていたこともあって。

 

 数年前から近所で増えだしたうぐいす。その彼らに負けじと名前を知らない鳥が闘うように歌っている。きっと戦っているのだろう。

 戦っているのに姿や声が美しいのは羨ましいことではないか、などと本当はうつらうつらして考えたいところなのに、思わず明瞭に考えている自分に7時までの時間を思う。

 3時間のあいだ、3度キッチンに行ってトマトジュースを飲んだ。こんな日もある。こんな朝か。そうしたら、あと何回朝があるのだろうかなどと考えたりして。もう、眠れる訳がない。

松山追記                20180601

 

 先月末に松山を再訪した。

 国内出張は不思議なからくりに包まれていて、日帰りよりも一泊の方が廉価になっている。羽田を7時20分に出て、21時ころ帰るのであれば日帰りもできるけれど、よほどスケジュールが混んでいない限り一泊の方が有難いので、ほとんどそのようにしている。

 今回は二日目にすべきことが少なかったので、宇和島を訪ねることができた。(施主と監督が宇和島の方で、とても興味があった。)

 宇和島に着いて、宇和島鯛めしを食べた。とても美味しい。意外だったのは、ジャコ天がこれまでのどこより新鮮な感じで美味しかったのと、おからを使った丸寿司が楽しかったこと。

 施主のお知り合いが下灘という中国人観光客も訪れる、無人駅の前にカフェを出されているのだけれど、こちらは定休日だった。

 うぐいすが声を争って鳴く一日だった。

スタジオ完成              20180519

 

 何度か途中で触れてきた愛媛松山のスタジオが完成した。

 水野謙治さんとおっしゃる海外からも注目されて受賞の多いフォトグラファーのスタジオだ。ご覧ください。

 上の写真の左は僕が造った模型。少し前だったけれど、水野さんは喜んでくださってご自身のHPに写真を掲載された。右は最近撮られた竣工時の写真。

 計画段階では、多くのスタジオがビルの中にあることからもわかるように、外界との接触は期待の中に無かった。

 それでも、愛媛松山の郊外という立地や、カメラマンのワークショップが多く開催されそうなお話から、ある意味無機質なスタジオと人が語らう場所の共存を考えたいと思った。

 

 結果はこれから判明することになる。

 僕の意図は、自然光を取り入れ反射させ、ときに遮断して暗闇にすること。さあどうだろうか。

足手まとい              20180514

 

 先月末から心が少し軽くなった僕は、休酒(荒美Bという)したり遠出の散歩(8㎞くらい)をしたりなどと健康的に過ごそうとしている。

 そんな気分のせいか、自宅兼事務所の螺旋階段にぶら下がってみた。これは専ら背筋を伸ばそうと思ってのことだったけれど、自分の重さに驚く。正確に言えば、わかっていたことを確認したはずだったのに衝撃があった。

 懸垂など夢のまた夢。しかしながら、ぶら下がり方がボルダリストのように指先をかけただけなので、鉄棒を逆手に持ったら少しは違うのではないかと思った。

 

 翌日、長女と孫Kが訪ねてきて妻と4人で近くの公園に出かけた。さりげなく低いウンテイに足を地面に着けたままぶら下がってみる。あがくまでもなく状況に変化のないことが理解できた。おっさんサッカーをそれなりに楽しんでいたはずなのにと思って、それから十数年が経過したことに気付き、毎日昼休みに隅田川テラスを4㎞歩いていたはずなのにと思ってこれも4年前だと判明する。

 

 

 何か災害などがあったとき、家族や孫Kを守り導くために多少は鍛えなくてはいけないのではないか・・・と思ったことが何度となくある。ところが残念なことに助けられる側に回ってしまっているようだ。足手まとい、という言葉が浮かぶ。

 しかし、無責任かも知れないけれどスッキリした。鍛える、という努力目標ではなくて最低限の義務だと明らかになったのだから。気負うことなく粛々と実行せねばなるまい。

GW                 20180509

 

 久しぶりにゴールデンウィークらしい時間を過ごした。

 最後の検査で追加書類などを求められていた松山の現場が、4月25日に終了してホッとした。

 27日に間に合わないとお客様にも申し訳ないし、こころに引っかかったままゴールデンウィークに突入しなければならないところだった。

 

 検査済証を取得した25日の翌日は、藤が見ごろピークだという足利フラワーパークに出かけることになっていた。これは妻の発案で、母二人を案内するというもの。ひょっとしたら延期をお願いするかも知れない、と話していたけれど気持ちよく出発できた。

 足利フラワーパークは大変人気のあるところらしくて賑わっていたけれど、朝6時出発だったから駐車場も食事も混雑の前に滑り込めて、とても気持ちの良い一日になった。

 

 藤が大変見事なのに驚き、園内隅々に管理者の目が行き届いている様子に好感を持って、そうしたら花の美しさ愛らしさに素直な共感ができるようだった。

 

 その後も休みらしい日が続いて、長女・孫Kと食事にでかけたり、水族館に行ったりして、5日には妻と川越の小江戸を2万歩歩き回った。

 個人で仕事をしていると、曜日の感覚が薄れてきてしまうけれど、オンオフをしっかり作らないといけない、というよりそのことの楽しさを思い出すゴールデンウィークになった。