雑感

設計とは別に思ったこと

アルルの寝室3点           20190814

 

 先週、上野の西洋美術館に「松方コレクション展」を観に出かけた。

 美術展は遠ざかるとしばらく出かけなくなるものの、何となくそちらに興味のベクトルが向かうと連続するようだ。

 松方さんという方は、川崎製鉄とか川崎造船を経営した人で、第一次世界大戦を前に船舶の需要が最大に高まることを見越して、受注の無いままにたくさんの船を造って大変な利益を上げたと聞いた。

 そして、そのお金を日本の文化が西欧に比肩できるよう、美術品の収集に充てたらしい。

 

 そのコレクションの中に、ゴッホのいくつかの作品があった。

 上の「白いバラ」というタイトルの絵は、とても可憐な感じがして僕のゴッホ感に修正が加えられた。

 そしてなんとも奇妙な感じがしたのが「アルルの寝室」だ。

 

 美術の教科書で何度も目にしてきたので、「モナリザ」を見るように頭は確認作業に入るのだけれど、つまり、この絵は大変に有名で評価の定まったものなのだ・・・として見るのだけれど、同時に「この絵のどこに人類が熱狂する要素があるのだろう」という疑問もわかないではない。

 

 面白いのは、これは確信をもって言えないことを前提として、町田の小さな展覧会で見かけたら驚愕するのではないか、と思わせられるところだ。評価とかではなくて、普通ではないことがちょっとわかるのだ。

 

 帰ってきて調べてみて、「アルルの寝室」は3つ描かれていることを知った。

 今回の松方コレクション展では、3番目が展示されていた。ネットで見る限り、これが一番好きだ。

 帰りにアメ横に寄って飲食したら、けっこう高額だった。台湾とかトルコの料理店が多いし、日本式居酒屋も観光地価格なのか、江の島化なのだなあと思った。

写実絵画展             20190729

 

 先週の土曜日に、台風が接近するかなあと思いながらも、久しぶりに仕事以外で遠出したいと考えて、ホキ美術館で開かれているスペインの現代写実絵画の展覧会に出かけることにした。

 

 美術館は千葉市緑区あすみが丘にある。

 町田から車で行くには、保土ヶ谷バイパスから首都高に入ってベイブリッジを渡り、羽田空港の手前でアクアラインに乗る。木更津に着いてからがまだ遠いものの、千葉や茨城の高速はのんびりしていて負担が無い。

 検索すると2時間半はかかりそうだったけれど、海ほたるはいつも通過するばかりだったから降りてみたかったし、ホキ美術館は建物も大変魅力的で知られているのだ。

 

 TV番組で紹介されるのを見ていて、ぜひ見てみたい作品も何点かあった。

 この美術館はその奇抜な佇まいも注目されるけれど、一番素晴らしいと大きな声で言いたいのはその展示方法の絶妙さだ。

 ありきたりの言い方としても、流れるようなすぺースのつながりの中に作品が一点づつしっかりとあらわれてくるのだ。

 

 期待していた作品に触れて喜んだり少しがっかりしたりしている内に現れたのが右の絵。

 

Iván Franco Fraga という作家の

Le ( Salmacis Num.3 )

 

 とても大きい絵のように感じて帰ってきたけれど、インターネットで見てみると120㎝×80㎝だった。

 驚くのはその大きな画面の、例えば1㎝四方を切り取ったとしてもとても丁寧で密度が高く感じられること。

「写真と絵は、時に似た姿を見せても全く違ったものを表現している」のか。作者の人間に対する愛情が僕に伝染ってくる。

 

 この作品まで、老人を描いたものに大いなる共感を得ながら進んできた。「絵画は、老人の美しく優れた面を可視化する力があるのか」と思っていたとき、この絵が、老いや特定のことに縛られない人間の美しさを見せているのだと気付かせてくれた。

 なんだか希望のわく良い気分。

梅雨明け              20190724

 

 昨日は18:30からの打ち合わせに甲府盆地の石和温泉に向かっていた。

 

 前の晩少ししか寝ていなかったので、中央線特急「かいじ」ではうつらうつらしていた。

 ふと目が覚めたのはトンネルを出るところで、窓側が好きな僕は何気なく外に目をやった。

 甲府盆地はなんともわかりやすい盆地で、中央線のある地点からは底の浅いサラダ椀のように見える。この時はまさにその地点で、盆地の中央、街並みを田が取り囲むところに、雨雲にぽっかり開いた孔から陽が差し込んでいた。

 それはとても大袈裟に言えばローマのパンテオンのようで、違った見方をすればアニメーションのひとこまのようだった。

 

 やがて列車は雨の地域に突入したらしくて、薄暗い窓に水滴が流れるようになった。

 ありがたいことに、石和温泉駅に降り立ってみると、道路は濡れているものの雨は上がっていた。

 

 一昨日の夕方のニュースで、森田さんが「明日梅雨明けかな、どうかな」と言っていたのを思い出して、きっと梅雨明け宣言は翌日だろうけれど、僕はさっきの光景を2019の梅雨明けにすることにした。

匂い                20190716

 

 昨日の海の日、参議院議員選挙の手伝いアルバイトをする妻を説明会場に送ろうと思って、近くに一風堂があったことを思い出した。

 年に一度程度しか食べないからファンだと言えないけれど、前に雑感に記したとおり、僕は一風堂のラーメンを尊敬している。僕に言わせてもらえるなら、あんなに確かで奥行きがあって、ハンサムなスープは努力の上に幸運も重ならなければ生まれないように思う。

 昨日も感激した。(度々行かないのは、時々感激したいからだ)

 

 思わず一風堂のスープの話を書いたけれど、標題にした「匂い」はラーメンのことではない。

 

 妻を会場近くで降ろしたあと、ラジオのスイッチを入れた。

 JAL提供の少し気恥ずかしくて気取った番組は、たまにラジオを聞いているのに初めてだった。

 

 就職して10年、仕事をそれなりに頑張ってきたという青年独白調のストーリーは、その父の話題に移る。あれだけ仕事に打ち込んだ父親の意外な言葉に青年は驚く。

「脇目も振らずに頑張ったから悔いはないでしょうね」という息子の問いに、

「仕事をし過ぎた。残念だ。他の時間を作るべきだった」という答えが返ってくるのだ。

 

 僕は少しも仕事をし過ぎていないので、そこに自分を投影する気はない。それでも、多くの日本男子に見られるように、仕事を生活の最上位に置こうとしてきた事実はある。それが、子供たちの独立と還暦という環境変化から、疑わしく思えてきた。

 少なくとも、仕事のできる人は、仕事を(僕の思うような意味で)仕事と思っていないことには気付いた。

 最近妻に「これからは楽しい仕事しかしない」と宣言した。

 これは、出来得れば楽しい仕事を選びたい・・・という感情も混ざっているけれど、本意は、仕事への取組み角度を変えて全部楽しんでやろう・・・という決心もしくはスローガンだ。

 

 町田駅のターミナル交差点で信号待ちした後、発進したときにラジオは楽曲に切り替わった。大きなT字路を右にハンドルを切りながら聞こえてきたのは、歯切れよくさわやかなギターのシャッフルとコード進行。否応なく高まった期待の頂点で山下達郎の声が聞こえた。

 その時ほんの一瞬、その曲を繰り返し聞いたころの空気と匂いが蘇った。あっという間に消えるその匂いを追いかけたとき、吉田美奈子のアルバムジャケットが頭をかすめていった。 

 今日、今雑感を書いていて、曲のタイトルがわからないから「山下達郎 高くて」と検索してみると、簡単に結果が出た。

 タイトルは「SPARKLE」

 

 驚いたのは、歌詞の出だしが「七つの海から・・」だったことと、作詞者が吉田美奈子だったこと。

 暦と記憶の偶然を僕は楽しんだけれど、何より財産になったのはあの一瞬の匂いだ。

クリムト展              20190710

 

 先週土曜日は、少し変わったスケジュールだった。

 10:00に東新宿に初めてのお客様を訪問した。コンテナ建築について情報が欲しいと呼ばれて出かけたのに、あらわれた3名は浮かない顔つきだった。

 

 設計コンサルタントの会社なので、しかも設計部だからそんななのかなあ、と不思議に思いながら問われるままに説明をしていくと、やはり設計だからところどころピクッと反応がある。

 終盤になって「それで建設の費用感は・・・」という話になっておおよそのイメージを伝えると表情が一変した。

 コンテナ建築の場合、きっと安いのだろうと勝手に期待されていることが多いのだけれど、今回は反対だった。

 「え、そのくらいで検討できるんですか?」と聞かれてこちらがびっくり。

 

 「いやあ、得られた情報ではとても予算が足りない様子だったので、無駄な打合せかと思ってました。」・・・おいおい。それからの15分はとても楽しい時間になった。

 

 ビルから表通りに出たのが11:30。

 「さて、」

 東新宿駅に向かって少し歩いてから、そうだ!と思ってUターンした。新宿三丁目のカレー店ガンジーに歩いて行って、大好きなビーフカレーを、カレーを見つめながら食す。大き目音量のスティービーワンダーがカレーになかなか良い。

 店から狭くて急な階段を降りて路地に出たのが12:40。

 「さて、」

 さてさてしているのは、実はこの日、郡山までお客様ご夫婦との打合せに出かける予定で、東京駅16:00発だからだ。

 紀伊国屋書店巡りとショールーム覗きかなと思っていたものの、どこかに座りたいなあという欲求が頭をもたげてきた。そこで思いついたのが上野公園。東京駅に近づくし。そして最近妻がクリムト展を観てきたと話していたのを思い出す。

 「そうだ、上野公園に行こう。」

 公園入口のチケットブースに寄ると、クリムト展は都美術館で7月10日までとあった。

 一般1枚をと伝えると「30分待ちます」とさりげなく宣言されて、逡巡すると意外そうに「30分ですよ」とたたみかけられる。そうか、普段はもっとずっと長いのだな。

 思いつきで来たのだからそんなに頑張らなくても良いし、ぞろぞろ並んで観るのもなあと考えはしたけれど、結局押し切られるように購入した。

 

 並んだ40分は気温は高くなくても超高湿度だったし、場内では本当にぞろぞろで遠くからしか見られなかったものの、晩年に行くにつれて増していく迫力と、黒の美しさに目を奪われた。満足。

 

 郡山では帰宅可能な最終新幹線が22:24と調べておいたのに、「荒美さん、時間大丈夫?」と聞かれたのが22:10だったので次の日まで飲んでホテルに泊まった。

 僕にしては珍しい一日。行き当たりばったりもいいな。

せごどんジャンプ           20190701

 

 前回記したとおり、大分と熊本に行ってきた。

 若いときに勤めていた、というよりは学びに行っていた設計事務所の所長は大変厳しい人物だったけれど、阿蘇旅行から帰ってからは嬉しそうにその印象を熱弁していた。

 

 だから、「阿蘇」はときおり頭に浮かぶ憧れの場所だった。それでも今になってようやく訪ねたのは何という腰の重さだろう。やれやれ。

 

 昨年のNHK大河ドラマは「せごどん」(西郷どん)で、前半のころ何度か楽しんだ。オープンングに主人公俳優の鈴木さんが鹿児島の丘で豪快にジャンプする場面があった。ポスターにもなっていたから、見た人もきっと相当数だ。

 最近は、インスタグラムに飛び上がっている写真を載せるのがなかば常識らしくて、観光地では若者中心に跳んでいる。

 インスタグラムにも縁が無いし、真似をしようと思ったことは無かったけれど、阿蘇の優しい草地に触れているとこれは絶好の機会だと思われてきた。

 

 妻と長男に撮ってくれと頼んで、試みたのがこの写真。

 跳んだ高さがわかりにくいところがミソで、なるべく高く跳んでいると錯覚して欲しいところ。

 長男もスマートフォンではないカメラで撮ってくれたものを送ってくれたようだから、見せたいのがあったらもう一回。

 

 跳んだのが3回だったか。直後に腰に痛みを感じて少し青ざめたけれど、数十分で消えた。よかった。

雷と船と蛍              20190626

 

 この3つの共通点は、「点」。

 まあでも、雷は点ではなかったかも知れない。

 

 21日の19:10に出張先の石垣島から飛行機に乗った。実は今日も石垣島に戻っていて、19時過ぎに家に電話したときに外が明るいことを話題にしたから、21日も安定航路に飛行機が到達したころ西の空が明るかったのは記憶違いではない。

 それが段々と闇に染まりかけた時、遠くの、きっと100㎞くらい先ではないか、空に時々の点灯があることに気付いた。雷だ。

 

 雷は落ちるのではなくて地面から立ち上るのだと以前聞いた。飛行機から見る雷はまさにそれで、地面から雲に向けての瞬間的なライトアップのようだった。稲妻はまったく見えない。雷は間欠的で、10分ほどの間に20個くらい見ただろうか。

 

 22:00ころになって、暗闇を見下ろすと空の星よりはずいぶん明るい光源が点在していることに気付いた。時間からすると房総半島付近のはずだ。その光源が地上のものなのか、海上のものなのか、目を凝らして判断しようとするとその闇にいろいろなものが見えてくる気がする。森?波?

 

 やがて、光りの点に繋がりらしきものが感じられはじめて、それはだんだんと絨毯のようになっていった。直下は千葉市あたりか。遠くに見える線は海ほたるで、その先は木更津だ。

 地上を飛行機よりもずっと速く走る光が見えてきて、それは滑走路の誘導に違いない。でも、飛行機位置よりははるかに南にあって別の滑走路らしい。羽田空港の大きさを知ることになる。

 ズンズンと着陸して窓から見えるのは無数と言いたいほどの埋込誘導照明だった。

 

 22日は熊本の黒川温泉に居た。

 これは家族旅行で、大分のある市役所の建設現場に勤務する長男と合流した週末旅行だ。たまたま石垣出張とつながったので移動だらけの週になった。長女は2人の息子にかかりきりだから今回は3人。

 黒川温泉は渓谷にあって何かが保全された様子で、温泉郷自体が大変やさしく迎えてくれる印象だった。なかでも「奥の湯」は端にあるので静かで心休まるし、歩き回るだけの風呂の点在が楽しい。

 

 部屋係のおばあちゃんが、「この部屋は川と反対側の人工流の環境なので難しいが、川沿い露天風呂からは蛍が見えるかも知れない。」と教えてくれた。妻がようやく確保した1部屋だったので不満のあるはずもないのだけれど、結果的に、その露天風呂で粘っても見られなかった蛍が部屋から観察できた。

 自宅のある町田にも蛍の里があって、比較するまでもないくらいそこの蛍とは違う種類だ。源氏?平家?

 

 少し残念なのは、川に出てきた蛍ではなくて雑木林の中にいるので、多くが葉の陰に隠れてしまうこと。でも、4回光って休むやつ、光りを曳きながら飛びたがるやつ、歩いて移動するやつ・・・

「蛍にも個性があるのか-」

 

 翌朝、日の出のころに部屋から対岸を見ていると、峡谷を吹き抜ける風が葉や木々を揺らした。

 葉の形、大きさ、茎の太さと柔らかさ、草木の高さと隣の環境。それぞれに揺れ方が違うことに気付いて、風景は点の集合だと思った。

父島                  20160618

 上の写真はグーグルアースで父島を検索したときに出てきたもの。写真中央の切り通しのような隙間が気になると同時に、何か日本ではないような気配があって引き込まれる。

 

 父島を調べたのは近々コンテナ建築がありそうなためだけれど、少し残念ながら設計者は建て主が指名された方なので、僕の出番はない。

 それでも、見知った顔が何人も乗り込むと聞いて検索したくなった。

 自分で調べてはいないものの、父島に行くにはフェリーで24時間、それも週一便と聞く。そんな島、東京都があるのだなあ。

 

 今週と来週、石垣島に打ち合わせと検査に2回行くことになった。こうして地図で見ると石垣島の方が父島より遠いけれど、時間と空間で考えるとまるで違う。いつか行ってみたい。

自己満足               20190608

 

 昨晩、西千葉の「みどり台駅」そばにある、「西千葉工作室」でのセミナーに出かけた。(自宅からは2時間20分で、結構遠い。)

 目的は、今度コンテナを発注してくれるかも知れないプロジェクトのコアメンバーが主催するので、少しでも理解したいと思ったからだ。

 その主催者は、株式会社マイキー代表の西山さんという女性で、千葉大建築学科を卒業して何年か会社勤めをして、やはり地域活動を本業にしたいと独立して5年余りということなので、そうした年齢だ。

 

 下の写真はHPから借用したものだ。

 このプロジェクトは、西千葉に住み続ける西山さんが、自分にとって快適な場所を広げていこうと着手したもの。

 まず、人が立ち止まれる場所を確保して、ベンチを置いてみる。立ち寄ったひとの話を聞いて、家庭菜園を作ってみる。野菜ができると近隣居住者どうしのレシピ交換会をやってみる。バーベキューの会を催してみる。

 正確ではないけれど、こうした活動にお年寄りや幼児を抱えたお母さん、子供たち、最後にお父さんや学生も集まってきたとのこと。

 地域ネットワーク作りに熱心なゲストが3方招かれ、それぞれの活動紹介を経て、今後の活動方針について意見交換がなされた。

 

 西山さんの悩みと言うかとまどいは、自己満足で始めたものが規模が大きくなり、さまざまな意見が集まってくるようになって精神的な負担が無視できないレベルに到達しそうだということ。

 

 1回参加しただけの感想を述べれば、自己満足が社会的意義の確立に移行させられることへの期待と、それを上回る不安のように聞こえた。

 セミナー冒頭でこのプロジェクトを始めた心境を語った西山さんは、実に自然なようすだった。どこにも力が入っていなくて。

 それが発展と同時に「社会的存在意義」「共感を生むための説明」「組織の維持」「期待に応える結果」などの重荷が肩にかかってきたのかも知れない。

 

 これらのことに精通していない僕は答えの出しようがないけれど、「他者のための善人の行為、善人達の行為」と、「他人を観察しまくって悩んで出した自己満足」との間には、計り知れない距離があるように思った。

 

 他人の評価にさらされる自己満足こそが、表現者の存在理由ではないか。でなければ、政治家になれば良いのだ。いや、本当は、そうした姿勢を政治家にこそ獲得して欲しいと思っているのかも知れない。他人の幸福をむやみに口にすべきではないのだ。

意を通す               20190601

 

 「意を通す」という言葉が一般的かどうかわからないけれど、まとめて変換したらこの通りになったので変でもないのだろう。

 「意を通す」の対にはならないとしても、微妙にすれ違うのが「理を通す」なのではないかと思う。

 

 昨晩、週末を使って帰京した長男と深夜に雑談をしていたら、「論理的に間違っていても、意固地でも、やれ!と言い張る人がいて、この世の中ではそちらが正しいことに気付いた。」と言った。うむ、あっぱれ。お父さんは最近ようやく気づいたところだ。笑

 

 言い訳をすると、僕の父、父方母方二人の祖父も校長だった。だから、家には道徳教育の分厚い本が並んでいて、尊敬すべきは吉田松陰なのだ。そこにあるのは「理を踏み違えたら正せ」「理解が得られなくとも自分に正直であれ」など。

 それは間違っていないと今でも思うけれど、建設という利益至上の世界とはあまりに遠い。「理が違っていようが、結果を出して廻りを納得させる者こそが評価される。」のが当然なのだ。

 

 僕も競争の中に居るとは自覚していたし、成果を上げて良い思いをしたいと考えていた。しかし、「それは筋が違う」「それやってもいいのかな」という場面に直面するといきなりクールダウンする癖があった。それではいけないのだ。何より他人が着いてこない。

 リスクを背負って、多少ズルをしてでも前に進む人は力強く見える。

 ただこの瞬間こうも思うのだ。「多少ズルしてでも前に進む人は、実に責任転嫁が上手い」。これも経験で知っている。

 

 良い人ぶるのは滑稽かも知れないけれど、責任転嫁が上手くなれそうにない長男と僕。必要なのは、途中で他人を傷つけても最後に笑い合える結果を描ききる力なのだろう。これから競争だ。

カラオケ               20190526

 

 先週の木曜日に、1年携わった仕事の関係で、ごくごく内輪の反省会と言う打ち上げに参加した。

 一緒に苦しんだこちら側もう一人の出席者は、「無事に終わる会だったら良いけど」などとのたまうので不安になったけれど、至極普通に親交を深められる機会になった。

 

 当たり前のように「もう一軒」ということになって、スナックというのだか、そういうお店に入った。

 

 そうした場合、どのようにカラオケを回避するかを考えたのが若いとき。でもじきに、回避することが却って目立つことに気付いて、少し早めに歌ってしまうという技を身に着けた。

 僕は、自分のことだから身びいきに見ようとしても、歌唱力が平均より下なことは、わかるというより肌で感じている。

 

 でも、歌唱力がここで上がるはずもないけれど、今回は相当に楽しんだ。4回も歌って、経験値が底をついたので、サザンオールスターズのデビュー曲までうたったくらいだ。(今何時?)

 なぜ楽しかったのか。なぜ、みなさんもそれなりに受け入れてくれたのか。

 それは簡単なことで、大きな声で元気に歌ったからだ。

 

 現金なもので、次に歌う機会が巡ってくるだろうかと思う今日。

我ながらびっくり。

久しぶりの土日            20190519

 

 5月18日(土)

 昨日は長女家族が誕生日祝いといって食事に招待してくれた。

 僕たち夫婦初孫のK君が、「G君(じいくんではない)おめでとう」と少し恥ずかし気に、しかしはっきりと祝ってくれて食事開始となった。

 このお店は町田でも相当に田舎に位置していて、なんとか車で入っていける道の行き止まりあたりにある。聞けば経営者のお父さんがすぐそばで野菜を作る農家とのことで、だからか野菜が本当に美味しい。テーブルは屋外も含めて5卓程度で、昨日も満席だった。みなさん大変満足そうだけれど、このお店の小さな弱点は、コースとはいえ11:30から14:50までかかる時間の長さだ。

 車なので僕以外はノンアルコールだから、こうした場合はやはり2時間くらいがありがたい。0歳児と3歳児はよく耐えた。お父さんとお母さんはしばしば戸外に連れ出していたけれど。

 それでもK君はすぐに帰りたくなかったらしく、近くの野津田公園にみなで寄った。

 K君、りょー君、パパ、ママに、嬉しい時間を感謝する。

 

 5月19日(日)

 今日は相模大野に贈り物手配に出かけるという妻につきあった。

 昨日祝ってくれた長女の夫の、その妹さんが結婚したのだ。目的だった鋳物ホーロー鍋は取り寄せ扱いということで、店員さんに「こちらも大変人気がある」という国産のものを紹介される。妻はそれを気に入った様子で決めて、僕はその鍋の紹介ビデオに見入った。

 コンテナで鉄工場には親近感を抱く近頃で、ビデオに映る工場は扱うものが食器だからその清潔感と精密機器の繊細さは比較にならないけれど、やはり荒々しい鉄だ。それが目の前に並んでいる調理なべだとは。想像すればわかりそうでいて、知らない事の多いこと。

 

 昼どきになったから、ラーメンを食べて帰ろうということになって、検索して向かう。近づいたら以前にも来たことが判明して、良い印象だったのでカウンターのみの店に入る。一番奥のカウンターで水はセルフなのかと見回すと、食券機のそばにありそう。向かうと食券機に近づいて来た人がいて、それは中学からの親友だった。距離にして40㎝。彼とは御茶ノ水の雑踏で出くわしたこともあった。

 声をかけるというには近過ぎたのと、「いやー最近どうしてる」という場所でもなかったし、なにより作家であり文芸誌発行元にもなっている彼は最近最新号を送ってくれたところなので、その謝辞と感想をどのように伝えるか逡巡した。加えて、彼は実に期待を込めて嬉しそうに食券機に正対したので(目が釘付け)、その瞬間も邪魔できなかった。

 

 まあいつでも会えるからと彼の背中を通り抜けて一足先に店を出た。(妻には知らせていなかった)

 Jが居たよ、と話しながら車に向かうと、パチンコ店と駐車場が一緒なので100台を大きく越えそうな規模なのに、僕たちの車の隣に彼の愛車FIAT500が停められていた。 偶然て面白いなあ。

目で拾う               20190517

 

 最近僕の枕元にあるのは、マディソン郡の橋の原作者ウォーラーのエッセイ集、水木しげるの短編集、片岡義男の「あの影を愛した」そして福岡ハカセの「世界は分けてもわからない」

 

 最初に「世界は・・・」を読んだとき、この雑感にも記したけれど感激した。内容もさることながら、その文章が音楽のように心地よく響いたからだ。

 内容をよく忘れるという還暦者の恩恵もあって、寝る前につまみ読みするのが結構楽しい。

 その中に、星が見えるのは不思議だ、という項目があった。

 

 光には波長と粒子の両方の様子が現れるという話はよく聞こえてくるけれど、福岡ハカセはもう少し踏み込んでいく。

 科学的に考えると、とても微弱な波長を目が感知するためにはシャッター解放写真のようにそれなりの時間、じっと波を集める必要があるらしい。

 ところが、僕たちは夜空に関してそんなふるまいはしない。

 すると、粒子なのか。

 

 小学生のころ、小さな天体望遠鏡を買ってもらって夜空を眺めた。望遠鏡の向きを狙った星にセットするよりは、インコースの直球にバットをどう出すか考えることが数万倍快感だった僕は、さして星空少年の時間を持てなかったけれど、数百光年という距離があることはおぼろげに理解した。

 

 昨晩深夜、散歩に出たとき、町田は、この散歩コースは空が広いなと気づいた。11夜くらいの月は明るいけれど、月から目を離せば星がまたたいている様が見つかる。そのとき、福岡ハカセの文章を思い出した。

 

 光は粒子の側面がある。

 

 まったく人に会わない深夜の恩田川沿い散歩・サイクリングコースで、夜空を見上げた僕の目に落ちてきた粒子。 何粒?

ようこそ。  遠かった?  確かに拾ったよ。

ゴミ拾い               20190426

 

 長くお世話になった箱崎にあった会社は、外資系企業にサービス提供する業務だったため(僕はこの外資系企業の社員の方の住宅設計を多数行わせていただいた)、おつきあいというものが多少あった。

 その一つが地域貢献のための路上ゴミ拾い活動で、隔月に一度だったか我々にも声がかかる。集合場所に行って氏名を告げると、軍手と長いトングみないなもの、それにサッカーボールが3個入りそうなビニール袋を手渡される。拾うゴミよりもこの方が深刻ではないかという思いを封印して、それから30分そのあたりをゴミを求めてウロウロするのだ。(そのころはまだ植え込みに煙草の吸殻があって、俄か清掃人に人気スポットだったりした。狩猟本能か)

 そうしたことには積極的でない自分だけれど、案内役が飲み仲間の今村さんだったので幾度となく参加した。

 

 これは、やってみると簡単にわかることだけれど小さなしかし確実な快感をもたらす。・・・なるほどゴミ拾い・・・トイレ掃除にはまだ抵抗感があるとしても。

 

 しかしながら、街を歩く時に素手でゴミを拾うほどにはなり得ないし、なにしろ駅構内以外にゴミ箱が無い世の中だ。やや中途半端な気分。

 

 そうした自戒を込めて街を見ると、外国人がゴミが無いと驚く日本は多くの清掃員に支えられていることがわかる。あまり自慢にならない。

 

 さて、時にそんなことを考えていて散歩に出た昨日。線路際の見通しの良い道の遠くに小さくない散乱ゴミがあるようだった。

 車は単に避けているし、多くない通行人は眼中に無い様子。

 僕は片づけようなどとは思わず、まあできればこれ以上の散乱を防ぐために足で道端に移動させるか、くらいの気持ちで近づく。それでも面倒くさいから無視しようかと思い始めたら、大きな塊は段ボールで散乱しているものは均質だと気付いた。

 

 立ち止まって眺め降ろすとレトルトカレーの散乱だった。カレーが好きだからという訳ではない。ただ、正体がわかったし触りやすいと思ったから集め始めたのだ。手を付けてみると、破れたものも少なくなくて、一番驚いたのは引き擦った段ボールの縁がもっともカレーだったことで、大いに後悔した。段ボールにごしごし。

 

 そんなところに立ち寄ったおばあさんは、段ボールを落としたであろう運転手を悪く言いながら「迷惑なこと」と憤慨して立ち去った。おいおい。

 ちょっと落着しかかって達成感も感じ始めた僕は、逆さになった段ボールの小さなラベルを覗き込む。042・・・と070・・・が見つかって、迷わず070にかける。電話に出た塚田さんに事情を説明すると、実にさわやかな声で礼を言ってくれ、住所を教えてくれと頼まれた。少し歩き回って住居表示プレートを見つけて告げると、僕の名前を教えて欲しいという。

 さわやかな声に釣られて気分よく「通りかかっただけの連絡だから」と答えた。

 

 散歩を続けていると、070から着信あり。「さきほどは大変ありがとうございました。それで1丁目で見つからないのですが・・・」「8丁目ですよー、目標はこれこれあれこれ」「ああ、そうでしたかありがとうございます」とまたさわやかな声。

 

 ささやかであろう謝辞を2度辞退することもなかろうかと思ったけれど、その後は今に至る。笑

 「まあ、破れ損ねたレトルトカレーと同じ銘柄を10個持ってこられてもなあ」

 

 楽しく長く書いたのは、何か良いことをしたというのではなくて片づけが気持ち良かったから。次は身の回りだ。笑

リスタート               20190413

 

 今日、僕は60回目の誕生日を迎えた。還暦だ。(^^)

 不摂生がたたってむやみに体重が増えてしまったので、どげんかせんといかん・・・と思いながら、どげんにしたら良いのですか?などと開き直るところを行き来している。

 更にまずいことには、実際の体重は77㎏程度なのに(充分過剰だけれど)もっとずっと多くみられているようなのだ。

 どげんか、などと言っている場合ではない。

 

 父と義父の還暦のとき、僕は30歳程度で「ああ、父たちは引退を迎えるのだなあ」と眺めていた。実際は再就職などして仕事を続けていたけれど、それは生活の為というよりはそれまでのキャリアを少しお返ししようというような、プラスアルファの世界に見えた。

 

 長男は建設会社に就職して九州に配属されて、だいぶ仕事を憶えてきた様子。僕の知らない事もたくさん話すようになった。その長男が、「自分の職場周りにいる60才はどこか卒業した人のようだけれど、父さんは違うね」と言う。

 若々しいという意味ではなくて、現場の苦労や臨場感がにじみ出ているということのようだ。そうなのだ、苦労しているんだから。徹夜だって珍しくないし。

 

 仕事で出会ういくらか年齢が先輩と思える方の中に、僕の知らない空気をまとった人が時々いらっしゃる。何となく聞いてみると、前職では部下が300名いましたなどと言われ、はあ、そういうもんかなどと思う。「終わりころは部下の失敗に頭を下げに行くのが仕事でした」はあ、そうですか、なるほどね。僕に上司はいないのか。あ、還暦だった。

 

 今日、横須賀に依頼事があって訪ねたのは社長兼職人の70歳。

 この長身のじいさんは、昼休みに奥様手作りの弁当を食べ、その後読書に耽る。重機の脇の、軽トラックの荷台に腰を預けて文庫本のページを繰る様はなかなかカッコ良い。

 

 人生それぞれ、が少しわかったのが僕の還暦の収穫かな。

冬夜の冷や汗              20190223

 

 昨年の春から、これでもかというほど苦しませてもらった。

 簡単に絶望はしないけれど、前回の雑感の後、何度寒い夜中に緊張と冷や汗で目を覚ましたことだろう。

 

 仕事仲間などは心配というより、「こいつ大丈夫か」というレベルにいっていたように思う。・・・僕はうつ病にはなりにくい体質らしい、という変な自信だけは得られたけれど。

 

 そうした苦痛の原因で最も明確なものはオーバーワークで、これはもともとこなせる量に個人差があるから客観的な判断は難しい。

ただ、結果的に仕事がほとんど進まない日は度々あったとしても、朝起きて「今日はオフだ」と思った日は一年を通して妻と鹿児島旅行に出かけたときだけだった。

 6月からは毎週月曜日に定例会議が始まったので、日曜日の徹夜も増えて他のPJへのしわ寄せは本当に申し訳ない状況を招いてしまった。

 

 オーバーワーク以外の原因は現在携わっているコンテナ建築が依然黎明期で骨格が常に変化してきたからだと思っている。

 

 そんな状況で今夜雑感を記しているのは、中国工場出張で感じるところがあったからだ。僕が身近に接している日本人とは違う気配を感じさせた。大連はPM2.5なのかどうか、靄っていたし何しろ埃の量が尋常ではない。環境が少しも優しくない中で自分だけを頼りにしている様子を垣間見た。ひたすら前を向き、人を押しのけてでも前に出る。

 

 帰りの飛行機窓から、青く美しい海を見た。目を凝らすと、タンカーやコンテナ船、ほかの船が道なき海に白波を曳いていた。

 一人きりである冷徹さを自覚して、だからこそ自分の位置を確認し続ける様子を見て、還暦目前にこうした機会と気分を得たことに恨みがましくも少しは、いや大いに感謝する。

アンストッパブル            20181208

 

 10日ほど前、僕は、最近の恒例のように図面アップの時間と就寝時間を計算し続けていた。(いくら計算してもそのようにならないところが僕なのだけれど)

 その日、妻は用事があって出かけていた。

 夕食をとってからだったか、少しだけ気分転換にとテレビをつけた。コマーシャルの後、映画が始まるようだった。いつもなら他の番組に移るところだけれど、そのときはボーっとしていて、やがて映画が始まった。

 

 導入部に少しも派手なところが無い映画で、大きな声が嫌いな僕としては心地よく眺めることになる。それが運の尽き。

 映画タイトルは「Unstoppable」で、ちょっとしたミスから、危険物を載せた列車が無人のまま暴走を始める、というもの。

 

 それを停めるのにとても苦労するということなのだけれど、やがて作業に戻ろうとしていた僕は、「あと5分」、「あと5分」と、アンストッパブルになってしまった。列車は最後に惨事の前に危機一髪で止められるけれど、僕は最後までいってしまった。

 

 2時間弱、きっちり睡眠が減った。

 

 映画をあまり観ないので、他の映画との比較はできないけれど、そして、どこかにサプライズや個性あふれる表現があるようでもなかったけれど、とても面白い映画だった。

 奇をてらうことなく、無駄に騒がず、的確に進行するということがこんなに心地よいとは。

高架水槽                20181118

 

 若い人が建設に携わろうとしたとき、「ほーっと」感心することの一つに、高架水槽がある。

 水道は一定の圧力で供給されるけれど、その圧力が活きるのには限りがある。だから、平らなところでは蛇口をひねると水が出るのは当然として、でも丘の上や山の上に水を押し上げるのはそれなりに工夫が必要だ。

 

 ビルでは、1階や2階までは水道菅に加わった圧力で水が押し出されるとしても、3階や7階では圧力が届かない。

 そこで高架水槽が必要になる。

 ちょろちょろと高いところに水をポンプアップしておいて、誰かが蛇口をひねったときはその高低差で水を押し出すのだ。

 

 写真は近所で馴染み深い高架水槽、というより給水塔だ。勝手な推測で、500世帯かもう少し多い家に水を供給している。

 全ての家が一斉にお風呂に湯をはろうとしたら、とても間に合わないはずだ。まあ、でも全ての家が一斉に風呂を沸かさないのが統計というもの。

 僕は5才のころからこの給水塔を見ている。

 何度か点検と再塗装のための足場組を見た記憶もあるけれど、どうやって一番上まで登るのかを知らない。小さな螺旋階段と想像するけれどなんだか窒息しそうだ。

 

 乾いた11月の夕方の空気、写真には入れなかったけれど、ひょろ長いお父さんと4才くらいの男の子がずっと楽しそうに遊んでいた。静かで、清潔で、正直な風景だと思った。

時間がなくて              20181103

 

 いつも、明日までの時間を考えて、どこまで出来るかと計算している。そんな日々が長く続いている。

 夜更けまで仕事しても、朝ゆっくり始動したりするので、どれだけ忙しいのかは客観的に判断できないけれど。

 補足しておくと、これは稼ぎたいという欲求から生じていない。ただ単に、乗りかかったプロジェクトが複雑すぎて、しかし関係者が多いから「どげんかせんといかん」状態に落ち入るのだ。

 

 まあ兎にも角にも、個人的には結構しんどい。

 冷静に考えてみると、一番しんどいと感じる理由は仲間が横を向くことだ。

 その仲間もしんどいし、僕としては甘える訳にはいかないのを承知しているけれど、横を向かれるのはやはりしんどい。

 しんどい、の行列。笑

 

 二人の孫が時々訪ねてくる。というか、長女が連れて立ち寄る。

 甘えたりすねたりの長男。顔を覗き込むと笑顔を作る次男。という孫ふたり。

 彼らを見ていると、時間の針がきちんと動いていることを感じる。一歩一歩当たり前のように過ごしている。進んでいる。

 

 さて、振り返って反省してもどうにもならないことはわかっている。この雑感に何度も記したように、今こそ世界を自身でまとめるべきだ。そうありたい。

 

 孫たちの吸っている空気が神々しく見える昨今。

通り雨                 20181021

 

 昨日一昨日と、宮城の鉄骨工場で打ち合わせをしていた。

 良いことかあるいはそうでないのか、ここ数年の建設業界はあらゆる分野で需要が高く、人手不足が深刻化している。

 宮城の工場で泊りがけの打ち合わせになるのも、先方も当方もそうした環境下で人員不足のために切迫しているからだ。

 

 いろいろなことがあって、昨日土曜日に工場事務所から帰路に着くべき時間が迫ったのに、課題がまだ残っていた。

 出立限界の1時間前から、激しい雨が工場事務所の屋根を叩いて、それはちょっと会話の音量を増す必要があるくらいだった。

 レンタカー店舗と駅との間を傘なしでは到底行きつかないと一瞬考えたけれど、当面の課題にすぐ忘れる。

 

 あと5分、あと3分と面白がって急かされる中、鞄に資料を詰め込んで発車した。

 

 雨の匂いが車の床から立ち上るなかを走らせると、ところどころで霧か靄の塊がぶつかってくる。

「ああ、昔ひとりで街道を旅していれば、こんな靄の奥に現実から離れた世界を見ただろうなあ」、などと思う。

 

 小一時間で古川駅に着いたのだけれど、途中から路面は乾いていて、局所的な集中雨だったと知る。

 きれいに刈り取られた田圃を突っ切るばかりの時間。雨と霞にたぶらかされずにすんでよかったと思う、、とても懐の深い東北のいなか。

負けず嫌い               20181006

 

 今日は孫K君の保育園運動会だった。憎まれ口などもきくようになったので、ずいぶん大きくなったと感じていたけれど、保育園児童に混ざってみるとまだ2歳9か月だから小さい方だった。

 離れて眺める孫の姿にうっとりとしながらも、少し不安げな様子にこれからの人生での試練を思って何とかできないものかと考えたり、いや正々堂々と立ち向かってほしいなどとあらためたりする。

 活発になっている年長さんの走る姿を見て、わずかな期間に大変な変わりようだと感心しながら、幼いころの自分の運動会を思い出した。

 

 僕は4月13日生まれだから、幼稚園では何でもかんでも圧倒的ななアドバンテージをもらっていた。母校相模女子大は、幼稚園から大学まであるところだったので、運動会はそれなりの広さで行われていた。

 僕は、年中のリレー選手として年長のアンカーにバトンを渡すポジションだった。何度かの予行演習で、そのアンカー女子と同走競争相手のひとりに相当なスピード差があることが判明した。

 アンカーに渡す前にどれだけ相手を離しておけば良いか、勝ち負けを繰り返すうち、風景として会得していた。

 

 さて、本番で僕は前走からバトンを受け取ると、二人をかわしても猛然と走った。少しでも離さなければならない。

 園児だから、選手とは言え棒立ちで片手を水平に後ろに伸ばして待っているようなリレーだ。そこに一人だけ勝負に夢中の園児がいて、必死の形相で走るのだから、後からの父母の話では会場がどよめいたらしい。

 アンカー女子は距離はみるみる詰められるも、テープを切って、僕は「勝った」ではなくて、「よし」と思った。

 

 

 親交の長い友人には僕の負けず嫌いがとっくに見破られているかも知れないけれど、普通には僕は勝ち負けにこだわらない・・・と思われている気がする。

 それは、「孤独な金持ちとにぎやかな長屋住まいではどちらが幸せか」という問いに答えが複数あるように、(あるいは無いように)勝ち負けは簡単に決められない(あるいは意味が無い)と思うし、そもそも価値観の多様性や幅こそが大人の獲得すべきものだと考えてきたからだ。

 しかし、それと並行して一遍の事実がある。

 あんまり負けず嫌いなので、勝負の設定をぼやかしたいという欲求。負けを認めたくないから勝負の存在を否定する意思の働きがあるということ。

 

 まあでも、あんまり自分を追いつめることは止めておこう。「勝ちたがり」でないことは自分でも自信があるし、おそらく友人も認めてくれるだろうから。

オリオン座               20181001

 

 さっき缶チューハイをファミリーマートに買いに出てみたら、星がたくさんにぎやかだった。なかでも、オリオン座は昔からの友達のようにこちらを眺めている様子。

 

 昨晩は、記録的にもなろうかという台風の直撃で、南西に傾斜している地勢にある我が家は暴力的な風に窓がたたかれ続けた。

 窓ガラスは面白いようにたわんで、レースと遮光のカーテンをしっかり重ね合わせた。バルコニーに補修工事が進行していることもあって、中途半端に止められた防水紙が「はためく」の3乗くらいのうなりを上げ続ける。

 それでも寝てしまうのは、仕事を頑張っている証だろうか。笑

 

 今朝は、水道橋での打ち合わせに50分の余裕を持って家を出たけれど、小田急線が60分の遅延なので遅刻するのは不可抗力というもの。新宿駅ではホームになかなか降りられなかった。

 

 水道橋関連に少しの区切りがついて、今晩はとても楽しい茅ヶ崎でのカフェ計画(盆栽展示あり)だから、就寝時間など気にもならない。

 

 オリオン座が頭の上をゆっくり移動していると感じられるのは、良い酔い方だ。きっと。

アンチ自由               20180923

 

 前回は、「自由」ということを記した。

 今回は、「自由が難しい」という雑感。

 

 書店の文庫本コーナーで、「北氷洋」というタイトルの本に出くわして、最近直感的に買った本が楽しかったこともあってその延長気分で購入した。

 19世紀後半の、イギリス船籍の捕鯨船の物語だ。文庫カバーの帯にあった惹句と、古風な装丁画が興味深くて買った。

 

 これまでの普段の生活を振り返ると、長女長男は独立して時間が経過しているけれど、僕たち家族の共通項に殺人事件を好まないということがある。もちろん、潔癖的に問題にするつもりは無いとしても、殺人事件を夕食団らんの時間帯ニュースに告げる世の中に懐疑があるし、フィクションの小説などに移ってみれば、殺人事件を想定しないと展開できない作者にあさましさなども感じたりするのだ。もちろんこれは好みの問題としても。

 

 今回読了した「北氷洋」に戻ると、この物語は殺人のオンパレードだ。殺人の場面や絶命する人々が無数に描写される。

 あまりの痛ましさに何度か本を置こうかと考えたのに、結局最後まで読んだのは、物語に魅力を感じたことと翻訳者のリズムに僕が合っていたからだろうと思う。

 

 ここに記そうとしたのは、物語に登場する荒くれもののふるまいではなくて、それよりははるかに小さな、取るに足りない、気にもする必要が無いかのようなやりとりが現在の日常にある、ということだ。主導権確保の付き合い・・・と言う意味で。

 僕は、これまでもそうだったし、これからもナイフを突きつけられる状況があると思っていない。

 そうした意味で、この物語は明快にフィクションであり続けるのだけれど、考えようによっては「相手を貶める、圧倒する」という観点ではフィクションとも言い切れない。

 

 きっとそれは僕だけではないだろう。覚悟も準備も求められるという意味で、最後まで読んだような気がする。

 これはハウツーではありえない。もちろん。でも気になった物語だし楽しんだ。

自由                  20180916

 

 最近のいつかは特定できない、ひょっとすると結構前だったかも知れないある瞬間に「自由であること」という思いが起こった。

 

 自由という言葉は食事と同じくらい人々の頭に浮かぶもので、これはわかりやすそうでもあって、一方ではやっかいだとも思われた。

 平易には、「束縛されない状態」や、「好きなことを行なえること」などと認識されているように思う。けれど、それは相対的な判断ではないかとふと思うのだ。

 

 「命令されない」、「監視されない」、「評価されない」、もう少し川下に来て「期待されない」、「観察されない」、「説明を求められない」・・・などがあるだろうか。

 そんな時、僕の頭に反語的に浮かんだのは「自ずから欲する」と言う概念。誰にも遠慮なく行える、「愛する」という行為だった。

 これは先に自由という言葉からイメージした、受け身の評価・判断とは違う、極めて自己本位な在り様だ。

 

 つまり、前後の説明や客観視とは違うところにある気持ち。生命力の発露。

 

 

 我が家の壁の一部に、妻が長年師匠と仰ぎ続けている先生の小さな一筆が飾られている。ほぼ月替わりのようで、今は達磨の絵と並んだ「いま ここ」という文字。

 いま ここ・・・が全てなのか、  全てだろうと思う。

ソナチネ                20180915

 

 子供のころの話。

 小学校2年だったか3年だったか、横浜のそれなりのホールで僕はソナチネを弾いた。

 こぶりなオーディトリアムであったことはもちろんとしても、おごそかな緞帳が開くとステージの中央にあるグランドピアノに照明があてられていた。リハーサルと違うのは、花のスタンドと司会者テーブルが設けられていることで、それらは子供ピアノ発表会を告げていた。

 

 アナウンスで名前と曲目を紹介されて、普段は着たことのないようなシャツとズボンと靴を履いて、スポットライトの中をピアノに歩む。その一連の所作を事前に何度繰り返し練習したことだろう。あるいは、ピアノ曲を弾く回数よりも多かったかも知れない。

 どうやったら逃げ出せるか考えようとしていた数日だったけれど、子供なので妙案など浮かびようもない。

 気付いたら当日の朝になっていた。

「左足と左手を同時に出してはいけない」と確認しながらピアノに向かうと、スポットライトのせいで客席は全く見ることができずに少しホッとした。

 

 鍵盤に手を乗せて一呼吸おいて弾き始める。緊張という状態を知らない年齢なので、どのように振る舞っていたかはわからない。長くはない曲が佳境に入ろうとしたとき、右手のどれかが道に迷った。不思議と慌てることはなくて、ゆっくり2つ3つの音を探したら、知っている音が出てきて演奏は無事に完了した。

 

 椅子を降りて客席を向き、急がずお辞儀をして袖に戻る。楽屋を抜けてホワイエに出てその緩やかな傾斜を上っている時、心に光が射した。「世の中は動いている!!」「発表会は過去だ!!」

 

「明けない夜は無い」と後から見聞きするようになったとき、僕はいつもこのホワイエを思い出す。

バイエル                20180829

 

 自分の生活とこれまでの過ごし方を思えば、僕は音楽好きだとは公言できないけれど、そういうレベルで僕は音楽好きだ。

 生の音に、あるいは音楽そのものに反応する力は薄いのだと考えざるを得ないとしても、「古代ギリシャ人は音楽と天文学で世界を理解していた」などと聞こうものならわが身を忘れてにんまりしたりする。

 

 最近、二人目の孫の誕生をきっかけに二人の孫が身近に居たこともあって、童謡の「ぞうさん」や「ぶんぶんぶん・はちが・・・」などの歌詞と旋律にひとり雷に打たれることもあった。

 

 そういったことの延長なのか始まりなのか、僕はバイエルが好きだ。

 

 たくさんありそうなのに、数えるほどしか遭遇した記憶がないのは、住宅街を歩いていて覚束ない指と思われるバイエルが聞こえてきたという瞬間。上手いかどうかは関係なくて、その拍子に力さえ感じれば、僕は祝福された気分になる。そう、バイエルそのもの、またそれが指し示す世界が好きなのだ。

 

 先週の夕刻、妻と落ち合う前に時間があったのでデパートの書籍売り場に立ち寄った。僕の本好きは、先に記した音楽好きと同レベルかも知れなくて、建築関連を除けばしばらく本屋さんを歩き回ってもなかなか購入に結実しないことが多い。ところが、この日は「見て」「手に取って」「レジに向かった」、それが「羊と鋼の森」。

 

 理由は簡単で、「羊」「鋼」「森」それぞれが好きで、このタイトルの組み合わせの相乗効果が、ためらいなく僕をレジに向かわせたのだ。なにしろ「羊と鋼の森」である。

 

 読み終わっての感想。(あまり記したことがない・笑)

 

 物語としては、その展開の仕方に読み手の嗜好が沿わなければ、評価を異にするかもしれないと思った。けれど、「美はこの世界にあふれていて、手を伸ばせばすくいとることができる」ということを、こんなにわかりやすく紹介あるいは導いてくれる文章は初めて、と思った。

 

「羊と鋼の森」とは何か?

 主人公が心酔して恐らく誰しも感嘆する名言とは何か?

 それをここで記すのは適切ではないと思うので、興味が湧いたら実際に確認されることをお勧めしたい。

 

 ただ、こうしてここに記すまで、とっくに大ヒットしていて映画化まで完了していることを知らなかった、そんな紹介者を信用できればの話だけれど。

蝉の音                 20180825

 

 小学校三年生の夏の思い出。

 僕の両親は山口県徳山市(現周南市)の出身で、子供のころ何度か夏休みを祖父母の家で過ごした。

 

 最初に一人で祖母の家に残ったのは小三の夏だったように思う。徳山駅からタクシーで30分余り山に分け入るようなところで、バスは一日何便かが運航されていたけれど、常に乗客は数人程度という地域だった。

 

 父の生家と母の生家は一里ほどの距離で、子供の足でも行き来できた。不用心のようであっても、その道中で出会うのはみな顔見知りらしくて警戒は必要なかったのだ。

 

 さて、思い出の詳細は今度ゆっくり記すとして、今日残しておきたいのはふたつのこと。

 

 ひとつは叔父の声。

 「信ちゃん、よう来たの」・・太平洋戦争に従軍して、敵と間近にまみえることはなくとも、危険なワニに発砲したというその叔父は、僕たち家族の到着よりも数時間遅れて帰宅したはずだったけれど、なぜか浴衣の帯を直しながら現れて、僕にそう話しかけたのだった。「信ちゃん、よう来たの」

 その声は、こころの奥深くから発せられたようでもあって、子供の鼓膜に何かを焼き付けるだけの力があった。

 

 もうひとつは祖母の日傘

 「信ちゃん、今日はお寺さんに行こう」・・母方の祖母がそう宣言した。うん、もいいえもなく、付いていくばかりなのだけれど、後から思い出すに、その歩く様子が忘れられない。

 祖母は普段とは違った着物を着て、新しい真っ白な日傘をさして時速2㎞くらいで進む。持て余す僕は、橋があれば欄干に上り、両側を制覇しながら、渓流があれば水をすくって飲み、100m先まで駆けだしてあたりをうかがう。そんな僕をにこにこ眺めながら祖母はマイペース。

 あるとき、相当に離れて振り返った祖母の姿。

 小川沿いの道に周囲を圧倒する高さの木々が覆い被さっている。それでも真上にある真夏正午の日差しは、樹木をものともせずに祖母の日傘を浮き立たせて、ただそれが少しづつ揺れている。

 蝉の音と眩い日差しが空間を埋め尽くした、その中にある小さくて白い日傘。

 

 この記憶映像に僕は意味を探したことが無いのだけれど、それは先の叔父の声と同じように、ただ子供としての僕に定着しているからだ。どこか不可侵のように思えてとても大切な記憶。

フェイク                20180816

 

 昨日は朝から横浜に出かける用事があった。遅刻を心配して、お盆休みだから空いているのではないかと想像しながらも早めに出かけたら、超空きすきで1時間近く前に着いてしまった。

 下の写真は保土ヶ谷バイパスに入ったときと、ベイブリッジを下の一般道で渡っているところと、町田まで帰ってきたところ。どれも、空を撮りたかった。

 午前中に仕事が終わって、大桟橋に寄り道しようと考えて、昼になったから中華街に切り替えて昼食にした。豚まん5個セットがおみやげ。

 標題の「フェイク」は、昨日と今日のテレビ番組などを見ての感想。

 

最初:スマートフォンでのネット記事で台湾元総統の李登輝氏の語    録に触れる。

親日家そのものの、日本への思いが感じられて、戦後教育の渦中にあった僕としては、ある意味驚きもあった。

 

ノモンハン事件のNHK特集:2万人の戦死者を出したソ連との戦いが、どのように進められたかの検証。基本的に意思決定者の不在を告発するもので、戦後に収監されたであろう状態で収録された、参謀や中将大将の証言テープの軽い声音が痛い。(収録の状況は不明)

 

幻解 超常ファイル:NHK番組の、アメリカ軍の機密保護と政府によるUFO隠しという疑念への歴史をレポートしたもの。(たぶん再放送)

最初にUFOの存在を直感的に支持した人が、それを証明しようと検証の無い情報へ依存、捏造していく様子を活写。(番組としてどちらかへの軍配は示さないけれど)

 

これらの情報を考え合わせると混乱を来す。

なぜなら、こうしたケースの外に自分が居ると自信を持てないからだ。

「信じる」という行為は主体的なものと考えられがちだけれど、大いに怪しい。「信じさせたい人」の存在を感じなければならないと思う。

「大きな声や、多くの声が必ずしも正しいとは限らない、に加え、信頼する人の意見が正しいとも限らない」という単純な原則をかみしめたい終戦記念日。

祭りの音                20180804

 

 僕の住んでいる東京町田市には、大まかにみて3つの川が流れている。

 東京都と神奈川県の境に位置づけられるその名の通りの境川は、藤沢市・江の島駅近辺で再会することができる。

 もう一つの鶴見川は、一時期公害汚染で全国に名を馳せたこともあったようだけれど、今は鴨がすいすいと静かに航跡を描いたりする。川崎で東京湾に注いでいるはずだ。

 これらのなかで一番地味なのが僕達の住まいにほど近い恩田川だ。川幅は広い所でも10メートルほど。

 

 僕の幼年時代、自転車に乗るようになったころ、この恩田川をはさんで公団住宅20棟余りが建設された。恩田川の東側をイ号棟1~と呼び、西側をロ号棟1~と呼ぶ。

 多摩ニュータウン着工の7,8年ほど前の完成で、こじんまりとしながらも川沿い遊歩道には象やキノコをかたどったテーブルやいすが設えらていて、きらきらと新しい生活の匂いを放っていた。

 その中でも僕が特に気に入ったのは外周路。公団住宅の外側は未舗装だらけでバス通りでさえ悪路だったけれど、中はきれいに舗装されていた。その周回800メートルくらいを自転車で何回回ったことだろう。きっとその時、そこに引っ越してきた当時小学生の妻や家族と何度もすれ違っていたはずだけれど今確認する方法はない。

 

 その公団住宅の自治会夏祭りがいつ盛況になったかは確かな記憶がないけれど、一定の盛り上がりをみせている。それなりの音量で「炭坑節」と「東京音頭」を繰り返すようすは、時にうるさいと思った記憶と同時に、耳の底にしっかり定着している。川があるという地形から、その周りは取り囲む状況だから極めて内部的な印象なのだ。

 

 夏になると、日本橋水天宮前に勤めていたオフィスで、同僚数人が残る夜更け残業の時に、ふとそれが聞こえるような錯覚に何度も陥って不思議な思いをした。

 

 今晩、長女夫婦と孫K君はそこに出かける様子だ。

K君新居                 20180728

 

 僕の孫Kの両親は住宅を取得しようとしている。

 一応、そうした仕事のそばにいるし、かつての仲間が不動産取得について協力すると言ってくれたので、感謝と共に同席したりしている。

 

 今日は内覧会のようなもの。幼児が居ると親(長女夫婦)の集中が散漫になるとアドバイスしてもらっていたけれど、やっぱり見せたくもあったし、KとRという孫二人の面倒を見る妻も負担が大きくなるのでKを連れて一緒に出掛けた。

 

 Kはとても良い子にしていた。

 誰かを撮るというのではなくて、コンセントなどがどこにあるかと漠然とした写真を撮るなかに、Kが入り込んできた。

 

 写り込んだことを期待しながら、帰宅して確認すると頭のてっぺんのほんの一部だった。

 記念撮影する状況ではなかったので、他の写真は写っていても関係者の背中ばかり。だから、なんとなく大事な写真に思えてきた。

荒美を知ってるか!            20180721

 

 発端は20数年前で、「荒美を知ってるか!」はその数年後。

 もう時効。

 

 ある晩秋、大学の恩師を囲む集まりが散開して数人で3次会らしきものに寄っていたとき。

 同じグループで卒業設計に勤しんだNさんが、「荒美、お前関西で何かやったか?」と突然訊いてきた。初め意味が呑み込めなかったけれど、関西での仕事は他に経験が無いので、「あれかな?」とは思う。

 聞くと、早大建築学科80年過ぎ卒の人間に許せない者がいて、その名を荒美という・・・と複数情報があったらしい。Nさんは全国区なのだ。「何か迷惑かけた?」と聞いても「それはないけどなんで関西(の一部ゼネコン)でお前が話題?」ということだった。

 

 潔白かどうかは別として、経緯を残そう。

 

ある日突然、大学時代の親友が「旅館設計のアドバイスはできるか?」という電話をくれた。

 

意味を尋ねると、関西で新しい小ぶりの旅館建設を望んでいるかたが行き詰ったとのこと。

 

 行き詰った理由。

初めに依頼した高名な建築家は、設計も相当進んだ後に破綻した。(お客様によると商売よりも自身の美学を主張したらしい)

 

次に旅館の顧問が紹介した大手建設会社は、女将を素人扱いして一向に建設的提案がなされなかった。

(建設会社によると、思い付きのオンパレードで付き合いきれないとみなが感じていたという説明)

 

展望も開けないまま、敷地を調査させていただくと、広い川のほとりに立地し、周囲も建物が少しあるばかりで幽谷という言葉さえ浮かぶようすで俄然興味が増した。

 

 提案

現場に立ったイメージから、「骨休めに舞い降りた龍」を骨格に決めた。

しばらく時間をいただいてプレゼンに再訪すると、途中で女将は落涙された。それは、提案の善し悪しではなくて共通言語への巡り会いだったと想像している。

 

顧問は設計者を我々にと考え始めるが、何しろ紹介した本人なので仕切りに悩んだらしい。

 

 決裂

その後、顧問と女将に連れられて、建設会社を訪問した。

僕は穏やかにやりたかったけれど、いきなり10名を大きく超えたスタッフに待ちかまえられ、重たい会議が始まった。

女将がため込んだストレスはこれかと直感する。

そもそも匿名の公民館のような設計は看過できない。

1時間の質疑応答を繰り返して、「女将もおそらく同じだと推察するが、何より僕が納得できない」と宣言した。誰も声を出さなかった。

 

 決着

顧問が休会を宣言して別室に僕を連れて行った。

そこには建設会社の営業取締役が同席して、設計は荒美に移行すると約束された。何のことはない、僕は主人公気取りだったけれどわき役だったのだ。でも、龍の設計に心弾んだ。

 

 転回

このままだったらさほど大きな問題ではなかったのに、設計を完了して最後の見積時に、女将はあろうことか大手ゼネコンに鞍替えしたのだ。

 

 結論

僕も途中からわかってきてはいたので驚きはしなかったけれど、そりゃあまあ、さっきまでのゼネコンは怒るだろう。

 

僕は善意の設計者か、かきまわすだけの自己本位者か・・・?

ただ残しておきたいのは、涙はなくても良いけれど、こころに肉薄したのは僕だという思い、その時間。

気宇壮大                 20180718

 

 先月末のこと。仲間に呼び出されて、桜木町駅隣のビルに向かった。待っていたのはその仲間と、仲間と事務所を共有しているKさん。以前にもお会いしたことがある。

 

 そこで展開されたのは、東アジアの天然ガスに関係した、まさに気宇壮大と言っていいプロジェクトの話。ご本人もスケールの異常さに時折失笑めいたものが混ざるのだけれど、話を聞く僕の役割はそのプロジェクトに必要になりそうなコンテナ資料の作成だから、まあ詐欺の疑いはない。

 というか、以前から存じ上げているし、その真摯な仕事ぶりには共感してきた。

 

 心配するとすれば、そのプロジェクトが失敗したときのKさんのダメージだけれど、それはご本人が一番冷静に見えたのであまり気に掛けることもなさそうだ。

 成功率について質問したくても、それは部外者として失礼だろう。ただ、Kさんの最大成功イメージを100とした場合、5くらいの関与は冷静に望めるという気配に、それでも気宇壮大だなあと思った。なにしろ、ここ何年かそこに全てを投入しているのだから。「玉砕したら?・・・隠居です 笑」とのこと。

 

 Kさんが次の約束に向かわれた後、仲間と美味しい料理とお酒を楽しんだ。仲間が電話で長いこと離席したので自撮りをしてみたら、とても気に入ったので記録する。(禁嘲笑)

Eテレ                  20180712

 

 Eテレに必ず見る番組があるのではないけれど、ときどき、酸素補給するようにEテレを見ることがある。

 視聴率を目標にするのとは違った製作者の工夫が、こころに染みることが多いからだ。それは幼児番組であったり、2355のようなスポット番組であったりする。

 例えば「剣山」の紹介。

 子供がこれは何だろう?と思うように、わかりやすくしかもちょっと不思議に紹介するのは定番だとしても、その背景となる台紙を艶消し黒の梨地にして、スポットライトを当てるという効果はとても大きなものがある。画面が豊かで華やいで、しかも落ち着きがあるのだ。

 翻ってワイドショーの風景。各局、説明ボードとそのシール剥がしで期待を繋ぐことに明け暮れるばかり。

 僕も満載しているので非難はできないけれど、妬みや隠れた嘲り、浅薄な良心の確認など、自分の嫌なところを見せつけられるようでストレスフル。

 

 またまた話は飛んで、ブラジルVSベルギー戦。

 不運なオウンゴールを献上したフェルナンジーニョが家族まで攻撃にさらされる中、彼がプロデビューしたアトレチコが声明を出したらしい。「僕たちは君の味方で、その活躍を誇りに思っている」と。「攻撃しているのはほんの一部でブラジル国民のほとんどは君を愛している」とも。少し厳しいのは「こうした風潮を根絶するため君は先頭に立って声を上げて欲しい」というところだったけれど。

 フランスは準決勝ベルギー戦で、後半5分に先制点を奪うと、残りの40分余りを超守備的な陣形で試合を終わらせた。記事によれば、デシャン監督は勝つためならなんでもすると言ったらしい。

 

 その覚悟を僕は尊重するけれど、同時に思い出した番組がある。

 局は忘れたけれど、園長が園児に柔道を教える場面。

 

 きちんとした礼儀と、襟と袖を使ってしっかり組むことを徹底していた。前かがみで手を振り払ってばかりの、国際大会とは違った風景だった。

 

 「スポーツ」「体育」「武道」が混在する、恐らく世界でも希少な日本という国。Eテレは武道系か。

ムバッペ                20180708

 

 ここのところ、床に就いた時に読むのは、北杜夫の「船乗りクプクプの冒険」と、カズオ イシグロの「夜想曲集」が交互だった。

 変な取り合わせのようでもあるけれど、睡眠との関係を言えば共通点も少なくない。

 それでも、ワールドカップの試合もそれなりに見ながらだったから、数行で寝てしまうことも多かったので、経済的だった。

 

 クプクプは、数年前に友人のお子さんにプレゼントしたときに同時購入したのだったか。夜想曲集は妻が購入したもの。 

 

 話は大転換してフランス代表の若き旗手。

 初めのころはいくつかの読み方がテレビから聞こえたけれど、何試合かを終えて「エムバぺ」に落ち着いてきたようだ。でも、僕は何の根拠も無しに、「ムパッペ」だと思っている。そう、根拠なしに。

希望として。 

 

 それは、クプクプと夜想曲集の延長線に彼がいるように思えたから。

 詳しくないけれど、メッシのドリブルやCロナウドの嗅覚、ネイマールの自在さやイニエスタの構成力にはただ感嘆する。一番好きなのはウルグアイのスアレス。でも、今回は今一つの結果だった。

 そうした中で、僕のアイドル(もちろん多くの人共通だ)はベルギーのルカクとフランスのムバッペ。

 

「美しき雄牛が人の姿を借りたルカク」

「ピーターパンのようなムバッペ」

 

 日本代表の想像を超えた活躍が、彼らを観戦する機会に繋がった。柴崎を先頭に、堂安や中島大島が活躍して欲しいカタール大会に期待が高まる。INUIも残っているように。

FIFAワールドカップはおとぎ話のようだ。

おおと驚き、拍手して悔しがる      20180703

 

 勝負の世界には未知が多いので、「戦う」ということをもっと考えようと思った。

ああびっくり ためいき         20180629

 

 恨み言を言わないセネガル監督に感激。それのみ。

敵に塩を送る              20180628

 

 ワールドカップのアイスランド初戦を見て、そこにサムライがいると思った。

 なぜサムライを連想したのかというと、自己顕示の抑制と仲間への献身、そして相手への敬意を感じたからだ。

 そんなことをサッカーの試合で感じたことは全く無かったので、単純に驚いた。姿は違うけれど親戚に会ったように。

 

 その後、ネット記事で多分オシムさんだったと思うけれど、勝敗を超えて献身できるのは日本とアイスランドくらいではないか・・・という指摘を読んで、なるほどそういうことなのかと思った。

 

 マリーシアと呼ばれる、少しでも有利な環境を引き寄せる、あるいは欺いてでもそれを獲得する、というのが世界的なサッカーの潮流だと何度も聞かされてきた。でも違うひとがいた。

 僕はその後、どこか移動中の電車で「敵に塩を送る」と検索した。

 それは、多くの人がが思っている美談とは限らないようだけれど、少なくとも闘う以前の悪い状況を利用するという発想からは遠いようだ。

 はっきりとしたことは言えないけれど、現時点で僕が思うのは「何を欲するか」という問いがあること。

「勝利」なのか、「戦うこと」なのか。

 

 それは、とても大袈裟に言えばなぜ生きるのか、に等しくも思える。もちろん、どちらが良いという既成概念から離れて。

沖縄                  20180624

 

 沖縄でいくつか提案をしていたプロジェクトがあって、現地でお客様と打合せすることになった。

 ひとつは古宇利島の中腹から海を臨む住宅で、これは民泊を想定している。

 もうひとつもインバウンド激増の背景から同じような条件で、こちらは丁度良い感じにひなびた百名。

(途中、名護市役所に立ち寄って建築のすばらしさに感激した)

 

 北海道のニセコにも興が乗ってきた提案があって、日本は長いなあなどと思ったのだった。

雨雲のはからい             20180610

 

 僕たちの大事な孫Kの弟が今月末にやってくるはずだった。それが、何を思ったか昨晩遅くというか今朝と言うか、誰しも想像しない日にデビューした。

 考えてみると、Kの誕生日は0106だから、弟くんは0610が気持ち良い、というかカッコ良い。

 

 産院に出かける夫君のかわりにKを見る必要があって、妻は先に長女家族の家に出かけていた。

 生まれそうだ、から生まれたへの移行はこちらの準備が整わないスピードだった。

 「まあなんと幸せなことか」と思うまま仕事を続けるのも就寝するのも違和感があって、近くに行ってみることにした。

 

 予想していなかったから荒美Bではない訳で、歩いて行った。僕の場合、かみさまという存在は像を結ばないのだけれど、途中、何か見えないものに感謝した。

 対面できるとも思わなかったし、そのためではなかったけれど、いくつかのラインのやりとりを僕は運よく誤解して産院の扉を開けてもらえた。「やあ」

 

 彼のデビューについて何かタイトルじみたものは考えたくないので、今日の雑感は「雨雲のはからい」。

 産院に歩いていく前後はそれなりに雨が降っていたのだけれど、うっかり傘無しで出て、その後も僕は気にもとめずに1時間歩けたのだから。

 

 Kくんと同じく、自分の人生を楽しんで歩くことを陰ながら応援する。

鳥の鳴き声               20180604

 

 昨晩は製図に少々疲れて23時半ころ床に就いた。疲労を感じていたから、先方が10人近い打ち合わせに遅れるのが心配で、珍しくスマートフォンの目覚ましを7時にセットした。それで万全だったはずなのに、4時過ぎに目が覚めた。

 早く起きることは特段珍しくはないかもしれないけれど、その時間はあまり知らない。

 夕べ、この季節にしては暑いので窓を開けたままにした。夏至に向けて勢力を増している太陽ではあるけれど、未明には文字が見える程度。

 そのうち、原因が判明した。鳥がにぎやかなのだ。窓を東西開けていたこともあって。

 

 数年前から近所で増えだしたうぐいす。その彼らに負けじと名前を知らない鳥が闘うように歌っている。きっと戦っているのだろう。

 戦っているのに姿や声が美しいのは羨ましいことではないか、などと本当はうつらうつらして考えたいところなのに、思わず明瞭に考えている自分に7時までの時間を思う。

 3時間のあいだ、3度キッチンに行ってトマトジュースを飲んだ。こんな日もある。こんな朝か。そうしたら、あと何回朝があるのだろうかなどと考えたりして。もう、眠れる訳がない。

松山追記                20180601

 

 先月末に松山を再訪した。

 国内出張は不思議なからくりに包まれていて、日帰りよりも一泊の方が廉価になっている。羽田を7時20分に出て、21時ころ帰るのであれば日帰りもできるけれど、よほどスケジュールが混んでいない限り一泊の方が有難いので、ほとんどそのようにしている。

 今回は二日目にすべきことが少なかったので、宇和島を訪ねることができた。(施主と監督が宇和島の方で、とても興味があった。)

 宇和島に着いて、宇和島鯛めしを食べた。とても美味しい。意外だったのは、ジャコ天がこれまでのどこより新鮮な感じで美味しかったのと、おからを使った丸寿司が楽しかったこと。

 施主のお知り合いが下灘という中国人観光客も訪れる、無人駅の前にカフェを出されているのだけれど、こちらは定休日だった。

 うぐいすが声を争って鳴く一日だった。

スタジオ完成              20180519

 

 何度か途中で触れてきた愛媛松山のスタジオが完成した。

 水野謙治さんとおっしゃる海外からも注目されて受賞の多いフォトグラファーのスタジオだ。ご覧ください。

 上の写真の左は僕が造った模型。少し前だったけれど、水野さんは喜んでくださってご自身のHPに写真を掲載された。右は最近撮られた竣工時の写真。

 計画段階では、多くのスタジオがビルの中にあることからもわかるように、外界との接触は期待の中に無かった。

 それでも、愛媛松山の郊外という立地や、カメラマンのワークショップが多く開催されそうなお話から、ある意味無機質なスタジオと人が語らう場所の共存を考えたいと思った。

 

 結果はこれから判明することになる。

 僕の意図は、自然光を取り入れ反射させ、ときに遮断して暗闇にすること。さあどうだろうか。

足手まとい              20180514

 

 先月末から心が少し軽くなった僕は、休酒(荒美Bという)したり遠出の散歩(8㎞くらい)をしたりなどと健康的に過ごそうとしている。

 そんな気分のせいか、自宅兼事務所の螺旋階段にぶら下がってみた。これは専ら背筋を伸ばそうと思ってのことだったけれど、自分の重さに驚く。正確に言えば、わかっていたことを確認したはずだったのに衝撃があった。

 懸垂など夢のまた夢。しかしながら、ぶら下がり方がボルダリストのように指先をかけただけなので、鉄棒を逆手に持ったら少しは違うのではないかと思った。

 

 翌日、長女と孫Kが訪ねてきて妻と4人で近くの公園に出かけた。さりげなく低いウンテイに足を地面に着けたままぶら下がってみる。あがくまでもなく状況に変化のないことが理解できた。おっさんサッカーをそれなりに楽しんでいたはずなのにと思って、それから十数年が経過したことに気付き、毎日昼休みに隅田川テラスを4㎞歩いていたはずなのにと思ってこれも4年前だと判明する。

 

 

 何か災害などがあったとき、家族や孫Kを守り導くために多少は鍛えなくてはいけないのではないか・・・と思ったことが何度となくある。ところが残念なことに助けられる側に回ってしまっているようだ。足手まとい、という言葉が浮かぶ。

 しかし、無責任かも知れないけれどスッキリした。鍛える、という努力目標ではなくて最低限の義務だと明らかになったのだから。気負うことなく粛々と実行せねばなるまい。

GW                 20180509

 

 久しぶりにゴールデンウィークらしい時間を過ごした。

 最後の検査で追加書類などを求められていた松山の現場が、4月25日に終了してホッとした。

 27日に間に合わないとお客様にも申し訳ないし、こころに引っかかったままゴールデンウィークに突入しなければならないところだった。

 

 検査済証を取得した25日の翌日は、藤が見ごろピークだという足利フラワーパークに出かけることになっていた。これは妻の発案で、母二人を案内するというもの。ひょっとしたら延期をお願いするかも知れない、と話していたけれど気持ちよく出発できた。

 足利フラワーパークは大変人気のあるところらしくて賑わっていたけれど、朝6時出発だったから駐車場も食事も混雑の前に滑り込めて、とても気持ちの良い一日になった。

 

 藤が大変見事なのに驚き、園内隅々に管理者の目が行き届いている様子に好感を持って、そうしたら花の美しさ愛らしさに素直な共感ができるようだった。

 

 その後も休みらしい日が続いて、長女・孫Kと食事にでかけたり、水族館に行ったりして、5日には妻と川越の小江戸を2万歩歩き回った。

 個人で仕事をしていると、曜日の感覚が薄れてきてしまうけれど、オンオフをしっかり作らないといけない、というよりそのことの楽しさを思い出すゴールデンウィークになった。