鉄の繭
僕の知らなかった住まい「コンテナハウス」
潮来GAS様サイン
先々週、もう既に若い経営者とスタッフが元気に稼働している潮来のオフィスを訪ねた。
30代前半のメンバーに、最近女性スタッフが加わったばかりなのだけれど、オフィス内はとてもきれいに管理されていて、しかもインテリアに細やかな気配りがあることが好もしく嬉しい。
監督さんは、このような佇まいの会社はきっと大きく発展すると言っていて、この意見には僕も大賛成。
分離発注という総責任者が建て主ご自身というシステムで建設を開始、完了したのだけれど、集まった人々がまさに実直な職人集団、経営者だったので終わってみたらとても充実感と達成感を得られた現場だった。
竣工間際、僕はタッチしていなかった前面道路側看板計画に駆り出されて、鉄骨屋さんや電気屋さんと現場であれこれ相談して作ってもらったのが次の写真。
地方都市にありがちな大手企業の(ふんぞりかえったような)社名版に対抗したかったので、若々しく動きのある看板を考えようとした。
大きなトレーシングペーパーに書きなぐったものを持参し、現場にある材料で実寸検証を試みた結果、850㎜角の鉄板を9度、18度、27度に傾けることに決定。フォントについて、工場レーザー切断ソフトと社名ロゴタイプですり合わせに労力を費やしたものの、オーナーがとても満足している様子なので結果オーライ。(意外とうまくいったポイントは、看板そのものよりも床タイルの選定だったりする。色・ツヤ・大きさ)
途中、鉄骨屋さんから電話があって、「監督さんと荒美さんと、俺は違いがわかるけっど、みんな知らねえから10度、20度、30度でよかっぺ」と正々堂々と言われたの快く承諾していた。現場で確認して、自分でも比較対象が無ければわからないだろうと思う。
看板以外にも少しの相談をオーナーから投げかけられて協議を進める。
それもすぐに目途が立ち、お引渡しから2か月が経過して懐かしくもあったものだから、急きょ宴会を催すことになった。右の写真はそこへの移動中に撮った「あやめ祭り」(潮来名物)の夜景。
気持ちを持ち寄って、オーナーはじめスタッフや関係者全員が美酒を手にした嬉しいひととき。
外構工事 20170524
3日前に富津の別荘現場に出かけた。残工事があってそれを完成させるのを見届けるため。
ブラインドなどを担当してくれた仲間との7年振りの再開も期待できたから。
残工事とは別に、お客様が長年おつきあいされている外構工事の会社が、8割方工事を終えたタイミングだった。
素敵な衣装を纏わせてくれたようにも思えて(僕のためではないけれど)楽しい気分になった。
途中で何度か同時に作業する時があったけれど、お互い紳士的に振る舞うことができたようでそれも気分が良かった。
千葉富津市竣工 20170421
この間の日曜日、富津の別荘の完成最終検査があった。外構工事はお客様の直接発注になるので未了だけれど、建物はバッチリ。
お客様もとても喜んでくださった。
この別荘は海との間に公園とその駐車場を挟んだ立地で珍しい環境。海からすぐなので、シャワーコーナーや魚捌き外部シンクなどがある。
何十帖もあるウッドデッキの前にはプールも作った。スマートフォンの写真だけれどご覧ください。
分割案たとえば 20170405
前回記した20feetコンテナの分割例のひとつがこれ。
輸送用のコンテナは脆弱だから、少しでも切れ目を入れると構造的に破たんする。
でも、このコンテナは純粋な鉄骨造なのでこうした処理が可能になる。
これまでコンテナの弱点とされた厳密な規格サイズを乗り越える方法が見えた。
この提案は別の案で進みそうなので公開できるけれど、もっと違う案もあってそれは進行形なのでまた。
お客様の夢と可能性はますます広がると思う。
分割 20170402
前にも記したけれど、僕の関与しているコンテナハウスは完全フルオーダー(受注生産)なので、かなりの自由度がある。
コンテナは元来物品などを輸送する鉄の箱だから、船に積み込み、トラックに載せて道路を走り、あるいは汽車や電車に何十台何百台と繋いで動かすためだけのサイズ規格がある。
ここで紹介しているコンテナハウスはそうした物流で使われたコンテナではなくて、鉄骨造建築を、そのサイズ規格でプレファブリケーションすることで、例えば上海の工場で製作して小笠原母島に運び込もうというようなものだ。
だから、縦・横・高さの寸法と重量、そして釣り上げて運ぶための仕掛けさえ守ればあとは自由だ。
左図のように、縦横2分割はもちろん、任意の位置で分割が可能だ。分割するところにはそれぞれ柱を設けて緊結することが必要だから、割高になることはあるけれど、規格サイズと敷地などのすり合わせが必要な時には大きな力を発揮する。
今、鎌倉PJと河津PJで提案中。またご案内したい。
据付 20170218
16日は潮来で上棟だった。
建物は Ground Area Service という物流会社の配送センター事務所棟。全体で150㎡ほどの平屋で、20feetのひとつが垂直に立っているところが特徴。
地盤調査と構造計算を経た300㎜厚のコンクリート基礎に、4本一組のアンカーが埋め込まれている。(写真に写っている130㎜高さのもの)
アンカーの径は16㎜で、コンテナのアンカー用孔は22㎜。それが30組配置されている。20feetコンテナは約2.5m×6mで、長辺では数ミリの誤差は生じているから、アンカーセットに求められる精度も同程度が許容範囲だ。
釣り降ろされたコンテナがだんだんアンカーに近づき、4隅に陣取る職人さんが「良し!」と声を出すと、皆、胸を撫で下ろす。
何度も何度も測量を繰り返していた基礎屋さんと鉄骨屋さんの、表情の晴れがましいこと。うらやましいけれど代わりたくない。
制約と解放 20170122
前回コンテナの可能性について紹介したいと記した。
その一つが「制約と解放」だ。
タイトル的にするとわかりにくくなってしまうけれど、制約の無い思考は像を結びにくいという現実がある。そして、像が無いと突破口も見つけられない。
予算と期限に制約が示されず、「美味しいものを食べさせて」と言われた調理師は途方に暮れるのではないか。その場合、食べる人の年齢や出身地、職業や家族構成、その他さまざまな情報を収集しても、まだ不安だろう。(天才調理師のケースは不明)
一方で、「この魚を焼いて食べたい」と言われたら、頭の中にいくつももの信号が飛び交うのではないか。それが僕の考える制約。その時、定番の焼き魚定食にしても良いけれど、一期一会の焼き魚を食べさせてみたい、という欲求を獲得することができるかも知れない。それが解放。
今日のニュースで、アメリカのホワイトハウスには35のベッドルームがあると聞いた。僕の友人のインテリアデザイナーは、クルーザーのキャビンを担当していた時期があって、そこにある寝室はせいぜい2つか3つ。天井高も横幅も、導線も、すべてに厳しい制約があるのに、見事な調和を見せることがあるようだ。
コンテナは、コンテナ船に積み込むことも重要だけれど、道路や線路を移動するための制約と、それ故に獲得した自由がある。
幅2.4m、長さ6m(40feetは12m)、高さ2.8mと厳しく制約された鉄の繭に何が降臨(大袈裟!笑)するか・・・楽しみは無限大。
これが魅力かつ可能性と思うこのころです。
建築確認申請 20170114
昨日は潮来の事務所計画で、水戸の少し南にある茨城県鹿行県民センターに出かけた。
手続き上の問題があって、審査の担当者とは今回が初めての面談。コンテナハウスはまだ認知度不足なので、紹介された事例写真を雑誌で見てもらうと、「初めにこの写真を見たかったー」と嘆息された。
僕の参加するコンテナハウスは、規格サイズが運搬コンテナに準拠しているものの、作り方は全く違って新築鉄骨建築そのものだ。
でも、世の中には運搬コンテナの中古品を安く手に入れて、建築に流用している(違法だけれど)ケースが多くて混同されるのだ。
運搬コンテナには耐震とか耐久という概念がない(住むためのものではないので当たり前か)ので、意識の高い検査機関・行政は警戒するのだ。
沖縄の4階建てのスタジオ兼住居。埼玉の幼稚園、有田焼のインフォメーションセンター、六本木のショールームなどを見た担当者は、その前とすっかり視線の様子が変わった。
プロならすぐにわかる違い。
ああよかった。
次回はコンテナの可能性について紹介したいので、乞うご期待。
富津年の暮れ 20161227
昨日は潮来を訪れて、帰路の前に鹿島スタジアム見学に寄り道までしたから413㎞の出張だった。
今日は富津の年末最後の現場打合せ兼白昼納会だったのだけれど、暴風でアクアラインが閉鎖、久里浜金谷のフェリーも運休、だから湾岸線も大渋滞で大変な目にあった。
それでも各工事責任者を多くは待たせずに打合せ開始。
細かく、ひとつひとつ確認してくれることに感謝。感謝。
とてもハッピーなことに、関係した多くの方が立地も含めて今回の建物の出来栄えに満足している様子。
来年早々の竣工が待ち遠しい。
この写真は、L字型の建物配置の一部、リビングコーナーから海方面を眺めた様子。
写真の真ん中の木立に囲まれたようなトンネル部分から海が望める。
視線を遮る目的の木塀と、少し高く設定された床高、津波対策、防砂林の起伏があいまっての光景。やっぱりハッピー。
帰りに仲間の車に乗せてもらっていて立ち寄ったガソリンスタンド。
隣には時代を超えてきたような回送バスが給油していて、スタンドのおじさんも滅多に見られないと教えてくれる。
超不安定な空とスタンドのナトリウム光線、房総の気配の写真。
富津上棟 20161114
うっかりしている内に、前回からひと月近く経っていた。
10月13日に敷地を紹介した房総富津の別荘が、先月31日に上棟した。
木造住宅でも上棟時にはクレーンが用いられるけれど、コンテナの場合はクレーンが主役と言ってもよい。もう少し詳しく言えば、クレーンが6mとか12mの長さのコンテナを釣り上げて、数ミリの誤差で基礎のアンカーに降ろすことができなければもともと成立しないものだ。
どこかに精度の落ちる要素があれば、すんなりとはいかないのだけれど、それはコンテナの宿命でもある。
富津の別荘は、4台のコンテナがスッと納まった。ぱちぱち。
関係者の顔に安堵が浮かぶ。
これから超カッコよくなります。乞ご期待。
潮来帰りの海鮮丼 20161019
今日は潮来に出かけた。若い経営者たちが作る物流拠点とその本社建物の申請準備のため。
葉山の仲間を迎えに行って、湾岸・東関道・・・と500㎞。
潮来では効率的に動くことができて、お客様若者経営者、協力者である地元有力者、消防、現場などまわることができた。
少し安心して帰ってきた葉山でかなり遅い昼の海鮮丼(朝6時出発)。この写真のデッキの下には波が打ち寄せている。海辺という名の和食店。
いろいろなことが頭をよぎるから、久しぶりの晴れ間を見ても「モノクロームだね」と妙な相槌。でも進むのが楽しみ。
仙台 20161015
六本木MBから少し時間が経ったけれど、仙台で有名企業本社ビルの一部が竣工した。このコンテナからすると何十倍という規模の本社ビルが写真右手に完成したのだけれど、いろいろお考えもあってコンテナ事務所を建てられた。真っ赤。
木造の場合は、望ましくはないとしても削ったり足したりという修正がしやすい。
鉄骨は施工図チェックが最終で、ここで見落とすと挽回が難しい。
現在潮来の案件の調整をしていて、大変気疲れする。笑
富津の別荘 20161013
富津の別荘現場の遣り方に立ち会った。
昨日は少し面白がってフェリーで向かう。上海で製作されているコンテナは、やがてこのフェリー航路を横切って横浜港に揚げられ、その後陸送される。途中、内房線をくぐる時は高さ制限から積み替えをしなければならない。そんなことも含めてとても楽しみ。design:2040T.Tosaka 設計:A+
上海工場の製作中写真(全体の1/3)
鎌倉PJ 20160920
ここ二日、楽しい気分でいるのは鎌倉PJがあるからだ。
初めてお客様に提出する基本的資料だから、この先どうなるか未知で、普通に考えて前に進むというのは楽観というよりは願望でしかないけれど、実現の可能性とは別に考える時間をもらったことが嬉しい。
2020年の東京オリンピック、その前に勢いを増すであろう外国人観光客誘致。鎌倉も例外であり得ないから僕なりに考えた。
バックパッカーには若い節約派とゆとりのリタイア派がいる。その両者と日本が好きな日本の若者が会える接点の提供。
「なぜ、いま、あなたはここにいるのか」
共有したい。触れ合いたい。
第一案 design:A+.drawing:container2040 S Sugawara
テーマ:鶴岡八幡宮一の鳥居のそば、朱色と白、情報基地
古民家 20160820
最近、古民家再生を取材したTV番組を多く見かける。
荒れ果てたかと思われる住宅に、少しずつ手を入れて再生させる人たちの能力と熱意にひたすら敬服するばかりだ。
しばらく前に雑感で触れたトスカーナのペンションも、オーナーが何年もかけて手作りしたものが多く含まれていた。
憧れるし、その充実感はいかばかりかと思うけれど、実際に自分が手掛けときの困難が容易に想像できて、手が出せないというのが本音。だから、その分コンテナに魅力を感じているのかも知れない。
古民家とコンテナは、真反対の存在ではないかと思う人が多いだろう。そうした考えを否定しないけれど、これらには共通点もある。
それが、他者との対話、という視点だ。
言葉を変えれば、譲り渡すことを視野に入れた活動とも言えて、さらに大げさな言葉にすれば「交感」なのかも知れない。
自分のものと他人のものの接点、オリジナルという呪縛から離れた交感。バトンタッチ。
そしてもう一点。(こちらがより重要)
これはコンテナに限らない従来の僕の視点だけれど、「鉄」は自然素材で、近年のマンション開発やフィルム貼りハウスメーカーよりは、ずっと古民家に近い空気を醸し出しているのだ。
定着 20160807
「定着」という語は、礎、安心安定、共同体、ひいては子孫繁栄といったことを思い起こさせる。
一方、あえてマイナス点を探すとすれば、拘束、忍耐だろうか。
コンテナハウスはどこにあっても仮設のように見える。ある場所に据えられても、それは期限付きに見える。実際、二度と動かないのなら、コンテナにする必要はないだろう。
そうは言っても、コンテナを移動しようとすればそれなりの費用が発生する。だから、度々移動するなら幌馬車かキャンピングカーが便利だ。
という前提に立った場合、コンテナの長所は何なのか。
それは、少し反語的になるけれど、定着しないということだ。動かせるということは流通することを意味する。品質とサイズが一定のコンテナはレゴのようでもあるし、通貨のようなダイナミズムを持つかも知れない。
先月まで関東平野にあったコンテナが、今月は石垣島に移設される可能性があるのだ。
(移住なら賃貸を探す?それは大変合理的な選択だけれど、できれば庭のある住居にしたいし、自分好みに手を加えたい)
これまで、社会生活は定着が前提、あるいは目標だったと思う。でも、最初に書いたように、定着のメリットはデメリットと裏腹の関係にある。
田舎でパソコンを武器に仕事をする人が増えているように、あるいは在宅勤務が企業文化を変えていくだろうと思わせるように、ヤドカリは新しい生活を見い出すかもしれない。
もちろん、コンテナハウスは何十人、何百人に一人が選択するかどうかという方法で、実際そうでなければ異様だけれど。
数々の美しいコンテナハウスを早く見たい。
スタート(10年前) 20160805
そう、10年くらい前のある日、いくつもの苦楽を共にしたデザイナー・監督が、コンテナハウスの話を始めた。
何も知らない僕は、港のロマンチックなイメージと、経済活動の前線基地にあるコンテナ、それが海を渡る様子を思い描いて楽しそうだなと思った。
しばらくして、原宿にある事務所を訪ねて開発者に面会した。そこで、その構想が昭和中期の日本設計界が目の色を変えていたメタボリズム「増殖、あるいは発展、もしくは変転再生」そのものだと理解できた。
その着眼に興奮を覚えたものの、簡単に世の中に受け入れられると僕はイメージできなかったし、なにより自分が木造建築に関しての取組の最中だったので、いきなりの合流を望むことはしなかった。
最近、再び声をかけてもらって少しだけ手伝いをした。
それが、少し前にこのページの雑感に記したことがある商業施設だ。その体験を経て、次の参加も望むようになった。
まだわからないことの方が多いけれど、真剣に取り組んでみたいと思っている。その経緯や感想を記録するのが久しぶりの新コーナー。
今、ここでたくさん思いを記したいけれど、そうしたらノッキングしそうだし、加えて読んでみてくださる方にも長文は負担だと思うのでだんだんと。次回を乞うご期待。笑