雑感~20101231

オリオン座                                                            20101230

 

 冬の遅い時間に帰宅するとき、丘を登ると坂道の上にオリオン座が見える。それが天頂に近づくほど夜は更けている。

 

 僕が自分の住む玉川学園というところが好きなのは、坂があるからだ。一般的には坂は嫌われて、だからひと昔前にいくらか人気のあった住宅街である玉川学園は、高齢者に厳しい街として評判が落ちたようだ。

 でも、坂は遠くを見せてくれる効果を持っている。最初に書いたように星が目に入るし、家から南西を眺めるといつも丹沢の山並みがそこにある。

 道は等高線を辿ろうとするから曲がりくねることにもなるけれど、それは風景に変化を与えて親近感が醸成されることにもなるのだ。

 

 オリオン座が目に入った後に、カシオペアと北斗七星を探して、その交点に北極星を見つけて小さく安心する住民がきっと何人もいるだろうと思う。

行列                                                                   20101227

 

 先週、新国立美術館に全日書芸の展覧会に出かけた。ゴッホの展覧会が終わりに近いから混んでいるだろうと思いながら着いてみると、やはりホールに長蛇の列があって、一緒に観られるかも知れないという淡い期待は簡単に打ち砕かれた。

 

 最後尾の係員が掲げるボードには40分待ちと書いてあって、見た目よりも短いとは思ったものの待つ時間はなかったし、ぞろぞろと立ち止まれもせずに観る気になれなかったのであきらめた。

 

 いつだったかフェルメールの展覧会に上野に出かけたときは、平日だったから空いていると期待したのに高齢者の入館料を割り引きする日に当たってしまって、最後尾には2時間待ちと書いてあった。

 この時は待った後で快適に見られるのならいくらでも待つことができたけれど、行列は声高なおしゃべりで賑わっていたのであきらめた。

 

 結果的にフェルメールに酔うはずがアルコールに酔うはめになってしまったのは、アメ横には昼間から開いている店がたくさんあるからだ。

ハートロッカー                                                       20101225

 

 長男が借りてきた映画「ハートロッカー」を見た。とても面白かった。

 固定されないカメラで撮られているのでとても臨場感があるものの、あまりに揺れるのでぶつぶつ文句を言っていたのだけれど、途中からは完全に引き込まれて心底楽しんだ。監督が女性だと聞いて、あらためてカッコ良いなと驚いた。

 

 この日と前の日、友人En-tに借りた浅田次郎の短編を読んでいて、それはピスケンという呼び名のヤクザの話で終盤にロシアンルーレットの場面がある。

 爆発物処理班とヤクザの駆け引き、かつドキュメンタリーとエンターテインメントという二つを一緒にするのは変だけれど、生死どちらに転ぶかわからない状況という点は共通している。

 

 江戸時代までは刀という凶器が町のここそこにあった訳だし、夜盗は珍しくもなかっただろう。南アのW杯では治安の悪さが喧伝されて、殺人事件の数は驚くものだった。

 

 戦争を含めた暴力による死の気配を、微塵も感じることのない僕たちはひょっとしたら人類史上際立って特殊な人生を歩んでいるのかもしれないと思った。そして、それは本当のことなのか少し不安にも思えてきた。

壁紙                                                                   20101219

 

 今日は何となくテレビを長く見た日だった。

 夕方、再放送らしい報道番組で中国の反日教育の様子や、日本の老人の孤独死や放置される遺骨の話などを見て、重たい気分になっていた。

 その後もテレビを見続けると、世界遺産の2010年特集が始まって、いろいろ美しい景色を見ることができた。気持ちが晴れた自分を発見して簡単に影響を受けることが滑稽にも思えたけれど、いつもそんな風であったような気もする。

 

 気分というのは不思議だと考えていると、パソコンの壁紙や携帯電話の待ち受け画面のように、特に意識していない状態で貼り付けられた気分のベースというようなものがあるような気がしてきた。そしてそれは、自分の選択の結果ではないかと思い至った。

 

 きっとその壁紙を自由に取り換える技術は持ち得ないのだろうけれど、自分の選択だと思うと、意外と人間は自由なのではないかと思われてきたのだった。

双子座流星群                           20101216

 

 一昨日の晩、帰宅するとき月は見えているものの雲が多く、流星を見るのは難しいかと思っていた。

 この日は長女の誕生日で友達も遊びに来てくれ、加えて翌日が妻の誕生日なので何となく活気があった。夜11時過ぎには月も見えないほどに曇っていたのに、午前1時を過ぎるといつの間にか真っ黒に晴れていた。

 小さな屋上に段ボールをマット代わりにして寝そべると、流星が10個くらい観察できた。流星はいつもアッという間で、初めと終わりが似ている。光が強いと、流れているというよりは小さく裂いているようにも感じられる。

歩き続ける                              20101214

 

 日曜日の昼下がり、ガラガラの電車でジョニーウォーカーのポスターを見た。株価チャートのような線で、ジョニーさんが山と谷を越えてきたことが示されている。

 「Keep Walking」と書かれているのを見て、わかりやすいメッセージだなと思う。

 

 隅田川テラスを歩くようになって、ちょっとした移動では地下鉄を使わずに歩くことが増えた。

 ときどき出かける東京建築士会は、勝ち鬨橋を挟んで築地市場の反対側にあって、会社からは4㎞くらいの距離だ。帰りの時間が昼休みにかかれば、佃や新川を横目で見ながら隅田川テラスを歩いて帰ることがある。

 そうした長い距離を見通しの良い川縁で歩くと、歩き続けることの意味を実感させられる。

 近くを歩いている人を追い越して、その後ちょっと立ち止まって芭蕉の句碑など見ていると、追い越されてあっという間に姿が点になるのだ。まさにウサギとカメそのものだ。

 遠くに行けば良いという事ではないかも知れないし、休まないことが良いとは思わないけれど、その距離を見るたびにびっくりする。

紀行作家

 

 稲葉さんの出演した番組を聴いた。知らなかったけれど今回は3回目の出演ということで、葉加瀬太郎さんがそのことを強調していたから、きっと多い履歴なのだろう。

 そのせいか友人のような雰囲気で進行していって、リラックスした様子が楽しい。

 

 シンガポールのお勧めホテルが話題の中心で、行ったことがないのでわからないところもあったけれど、ANAがスポンサーらしいリッチな感じが出ていた。

 

 葉加瀬太郎さんが何度かホテル取材という仕事を羨ましがっていて、僕もそう思っていたことを思い出した。

 きっと取材や撮影は大変なのだろうと思うけれど、(稲葉さんの小説「ゼロ マイル」を読むと想像できる) でも誰だって「それはいいね」 と思うに違いない。

海の釣り堀                              20101211

 

 僕の住んでいる町田は、会社のある東方向箱崎への通勤時間を西に進むと、熱海に着く。

 伊豆に出かけてみて、降りたことのなかった網代で漁港を見てみようと思った。何となく、網代というと漁船がたくさん集まっているように思うけれど、行ってみると案外静かなところだった。新鮮な海水が注がれるケースがあって、覗いてみると野球のホームベースくらいある大きなヒラメが温和しくしていた。

 動いているものは、カモメとウミネコと、港の中ほどにある大きな筏の釣り堀だけだ。

 

 太公望という店が一番大きい看板だったのだけれど、熱海に寄ったあとの帰りのロマンスカーで、斜め前の乗客の網棚に太公望のシールの貼られた発泡スチロールケースがあって、点景のような人影の一人を間近で見ることになった。

 

 一碧湖、伊東、網代、熱海と、海や水をたくさん見る晴れた週末だった。

稲葉なおと氏 J-WAVE に出演

 

今度は、J-WAVE です。12月11日(土)19:00~

 

http://www.j-wave.co.jp/original/worldaircurrent/contents.htm

 

葉加瀬太郎さんの番組で、ゲストの履歴・予定を見るとすごいメンバーだ。

手渡す                                                                20101209

 

 会社近くで、ビルのガレージに仮設のカレー屋さんを見つけたとき、スパイスの香りに誘われて買ってみた。

 小さくレゲエがかけられている店内で、ミュージシャンのような店主からテイクアウトのカレーを受け取るとき、さり気ない態度なのに何か大事なものを渡されたような気がした。

 それは多分、紙か木のように見える容器が頼りなくて、大切に扱わねばならないと思ったからだ。店主がそうしているのが伝染したのかも知れない。

 それが良い印象で、美味しかったから数日後にまた行ってみたら、ただのガレージに戻っていた。

 

 プラスチック容器は便利だからとても手放す気にはなれない。でも、その便利さが何かを奪っているということもあるようだ。

 現実的ではないけれど、プラスチック容器が無い社会を想像すると楽しそうに思える。

 

 実際むかしは、肉屋さんで 「ロース薄切り200グラムください」 と言うと、竹皮のような紙に載せたあと紙で包装して渡してくれた。それは手にしとっと馴染んで、紛れもなく豚肉だった。

 

 プラスチック容器の次にくるものはなんだろう。

IKEAの枕                                                            20101207

 

 何週間か前、確かくりいむしちゅうが出ている番組で、枕の専門家という女性が体に合った枕の選び方を解説していた。

 自分の枕が合っていないように思っていたので熱心に聞いたのだけれど、二つに畳んだタオルを乗せるかどうかでフィット感が違うという話があって、とてもそんなデリケートな体ではないと思い、忘れてしまっていた。

 

 土曜日、珍しく手持ち無沙汰な顔をした家族がそろったのでIKEAに出かけたとき、僕は特に買いたいものがあった訳ではないので、思ったほど混んでいない店内を歩いて94円の電動ミルク泡立て機などをかごに入れていた。

 枕があって、それを見て専門家の話を思い出した。その番組で推奨されていた枕によく似ているようだったので買ってみることにした。

 

 何の変哲もない枕のようでいて、大変快適に目覚める。僕にとっては、1990円の何倍もの価値があって良い買い物だった。

天気雨                                                               20101205

 

 目が覚めたとき、大きな雨の音が聞こえていて、とても暗いから相当厚い雲なのだろうとぼんやり考える。

 雨音が塊のように感じられるのは、風がなくて均質に降っているからだろう。

 布団の中に居るように、家ごと音にくるまれているようでもあったし、終了後のテレビ音が大きくなっているようでもあった。そこに遠くの雷の音が交ざって、特別な天気だと思わされる。

 

 テレビを見ると渋谷のスクランブル交差点が映っていて、渡る人のくるぶしまでが水に浸かっていた。

 

 大雨の影響で、駅間に停まった通勤電車でふと目を開けると、雨は降っているのに目の前の建物に強い陽射しがあってとても明るい。

 倉庫らしい建物は、スチールの波板で全面が錆びている。足元には雑草が茂っていて、蔓の一本がやはり錆びた給水管を頼りに伸びたあと、1メートルほど横に這ってサッシと波板のすき間に潜り込んでいた。

 錆と、ひっきりなしに落ちる水滴と、蔓の葉の緑が光りを浴びてきれいだ。

 

 夜、ガラスが破損した連絡を受けてお客様を訪ねると、それは突風による飛来物のせいらしかった。江ノ島近くのそこには、確かに黒い空がまだ鳴っているような不穏な気配があった。家に帰ってニュースを見て、思いがけず暴風被害の大きかったことを知った。

高杉晋作                               20101204

 

 下北沢の平屋に住む、フリーライター兼エディターの友人を訪ねた。そばまで行ってみて、灯りが無いので留守かなと思う。前回もそうで、お土産のお酒をドアノブにかけて帰ったのだった。五円玉くらいのボタンを押すと、ジーっと鳴って友人が出てきた。

 

 近くの魚自慢の居酒屋と、特徴のないショットバーでツィッターと龍馬伝の話をした。「一番印象に残った役者は?」と聞かれて、後藤象二郎と答えるとそうだねと言う。でも友人が言いたかったのは広末涼子だ。

 「これまで、人気のわりに自分は魅力がわかっていなかった」と言うけれど、僕は友人がいつも広末涼子のようなタイプの女性が好きだったことを知っている。

 そして、高杉晋作(役の俳優)に女性がきゃあきゃあ言うのはどこの家も同じらしいと確認した。

 

 龍馬伝は一年を通じて楽しんだ。武市半平太、容堂公、弥太郎、近藤正臣、それに魅力的な女優達が惜しみない演技を見せていたのは、きっと主役を筆頭に現場が良い雰囲気だったからだろう。

 

 同じように感心するのは、番組初めのタイトル曲とその映像だ。一年間繰り返し聴いたのに新鮮さが褪せることがなかった。変化に富んでいて、音と映像が絶妙に同調していて、華やかだったと思う。終わったのが残念だ。

ペリー公園                                                           20101202

 

 以前、逗子の JJ MONKSという美味しいお店で飲んでいて上りの終電を逃したとき、逗子駅近辺で簡易旅館を探した。色々土地勘も出来た今なら、そんな無駄なことはせずに京急の横須賀中央駅に向かうところだけれど、その頃はわかっていなかった。

 

 終夜営業の店さえみつからなくて途方に暮れて、横須賀線の終点まで行けば何かあるかも知れないと思い、下りの最終電車に乗った。

 久里浜駅に降りるとほとんど真っ暗だった。多くない乗客はまっしぐらに家を目指して、あっという間にひとり取り残される。屋外で夜を明かすことを決めて海を目指したのだけれど、これが思いの外遠い。

 

 潮の香りと、まばらな街灯すらなくなったことで海に出たと知るものの、新月で何も見えない。「ちゃぷん」と波が鳴るので、砂浜ではなくて堤があるのだろうと思う。それ以上海に近付く気にもなれず、少し戻った道沿いにあった特徴のあるベンチで、途中に一軒だけあったコンビニエンスストアで買ったサンドイッチとワインを開いた。

 

 今年の夏、車で走っていてその特徴のあるベンチに気がついた。真夏の陽射しのもと、溢れる情報の中に、数点の闇の中の記憶が重なる。なるほどここだったのか。

 それは久里浜港の端部ではあるものの、ペリー公園の正面という晴れがましい場所だった。

ケンタロウ氏                                                        20101130

 

 僕の家では、親がクリームソース好きなのに対して子供たちはペペロンチーノなどを好む傾向があって、それは昭和の事情の残滓なのかなどと思うのだけれど、いずれにしてもカルボナーラは作るのが難しい。と思っていた。

 それを、先日の東京12チャンネルの番組「男子ごはん」で、帽子を被った料理人のケンタロウ氏が見事に解決してくれた。

 詳しくはウェブで見るのが一番良いとしても、ポイントをあげればそれはパルメザンチーズと生卵を混ぜたソースを、火を止めたあとに加えて和えることにある。

 これを聞いたあと、そうすればできるだろうと思うのは、まさに『ケンタロウの卵』だ。

 

 子供達も喜ぶ中、カルボナーラを食べながらひとつのことを思い出した。

 それは、松原さんというおばあちゃんインテリアデザイナーが連れて行ってくれたイタリアンレストランで、そのお店の看板料理という黄金のリゾットだ。素晴らしく美味しかったのだけれど、今はもう松原さんと連絡が取れないし、お店もどこにあったかはっきりしない。黄金のチャーハンというのもテレビで見たけれど、黄金のリゾットはファラオの棺のようだった。

深夜特急                                                            20101128

 

 沢木耕太郎の深夜特急で、印象に残っている窓からの風景がふたつある。

 ひとつはイスタンブールのホテルで、すぐそばに見つけたブルーモスク。もうひとつは長い放浪の終わりを決意する、ポルトガルのホテルの部屋だ。夜更けに辿りついて親切なオーナーに迎えられ、翌朝糊のきいたシーツから目覚めたとき、眼下に広がる大西洋を見るのだ。

 

 そうした窓に比べるべくもないけれど、僕は今自宅で窓に向き合っている。今日は天気が良くて掃き出し窓を半分開けているのだけれど、微風に木の葉が揺れて、それはプランターの葉に伝わった後レースのカーテンを揺らす。レースの淡い影が立てかけられたアイロン台に波を作って、同時にカーペットが小さくはためく。

 

 窓を見て思い出したのか、ポルトガルの沢木耕太郎を想像するのが楽しくて、こういう日は散歩に出ずに家にいるのも良いなと思う。

平凡な弁当                                                          20101125

 

 ここのところ天気が良くて、昼の散歩が快適だ。

 今日は弁当を買って隅田川テラスで食べることを思いついたので、コンビニエンスストアに立ち寄った。選んでいるときに、室内で食べる時とは違うタイプのものを探していることに気付く。

 基準はなるべく平凡な様子をしていること。目立つ品目が無くてとにかくありふれた感じが良いと思ったのだ。そういう弁当は多分鮭とウインナーが入っている。

 

 別に、運動会や何かを思い出しているという訳でもないのに、なぜそんなことを思うのか自分でもよくわからない。何かに似ているなと思ったら、それは、陽当たりの良い和室二間続きのアパートを見るときのような、安らぎ感があるからだと気付いた。

 

 無名性は、現代ではとても遠いところにあるものだとあらためて思う。

天文部                                                                20101124

 

 先週末、川崎市の生田にある、明治大学生田校舎の秋の祭り「生明祭」を覗いてみた。理工学部と農学部があるから、建築学科関連の展示を見てみたいと思ったのだ。

 中庭の賑わいに比べると展示室は静かだったけれど、待機して説明してくれる学生はとてもゆったりしていて、最近の学生に幼さを感じていなかった訳ではない僕は、意外な感じを受けると同時に大いに見直さなければと思った。 自分の学生時代よりよほど落ち着きがある。

 そして、目的ではなかった天文部の賑やかな展示室に誘われて入ってみると、一対一対応で丁寧に説明してくれた。例年のことなのか進行がスムーズだし要領を得ている。

 

 惑星班、太陽班、流星班、変光星班と、延べ一時間半かけて解説を受け、しかもそれが楽しいことに驚いた。

 木星の姿や太陽の黒点が増加に転じたこと、光の性質の特性など質問すると楽しそうに答えてくれる。

 その中で得た情報。

 来月12月14日にふたご座流星群がピークを迎え、観測の期待が高まっているとのこと。天文部が今夏に合宿したペルセウス流星群に比べても7割増の流星が期待できるらしい。

 ピークは14日の午後8時だけれど、周囲の明るさを加味すると15日午前2時ころがお勧めと授かった。しかもその時刻なら天頂から降るらしい。

 

関連した検索情報:http://www.astroarts.co.jp/special/geminids2010/index-j.shtml

体重3㎏                                                             20101121

 

 少し遅めに帰宅すると、長女が吉田都さんの最後の公演になる『ロメオとジュリエット』をテレビで見ていた。比較的最近、引退に向けて準備している様子の特集番組を見ていたので、親近感もあって一緒に見た。イギリスの権威あるバレエ団の主役に抜擢されたとき、それは20年近く前と聞いて少し驚いたけれど、やはり特集番組があって見たことを憶えている。

 

 そのときも今回も、インタビューでは鹿のようなプロポーションの欧米人バレリーナに対して、コンプレックスを持ち続けたことを普通に話していた。

 午前2時前の最後まで見て、吉田都さんは体重が3㎏だろうという結論に達した。ジャンプから着地するとき、丁寧に降りているという余分な動きが無いのに衝突が感じられない。他の人がドスンと降りたりするのに、綿の上に着地したようだ。

 

 フィギュアスケートで、アジアの人が席巻することを20年前に予想した人は多くないだろう。浅田真央さんが、キムヨナさんが氷の上の景色を変えたそのことを、吉田都さんはずいぶん前に達成していたのだろうと想像する。

 

 バレエに知識が無いけれど、吉田都さんのバレエはたったひとり吉田都さんのバレエだということはわかった。

看板                                  20101120

 

 昼の散歩エリアに面白い看板がある。

 初めて見たとき、水面に水滴が落ちた高速度写真かと思ったけれど、よく見ると違うようだ。青空に雲があって太陽が透けているのだろうか。

 いずれにしても、遊び心というには巨大で正体を知りたくなるのは、向こうの手に落ちたということだろうか。 ビルの外壁に A-net とあった。

 もう一枚はわかりやすい、中古車販売のガリバーの看板。首都高速のドライバーに向けたようだけれど、運転中にこの文章は読み切れるだろうか。

 きっと、箱崎のあたりはしょっちゅう渋滞しているからそれを織り込んだ広告なのだろう。読みながら足し算すると僕ならおつりがきそうで、若い女性とは違うんだと知らされる。

 この看板で新車から中古車に変更する人が多いかどうかは別としても、中古車を買う動機付けとしては優れていると思う。

 

 最初の看板は女性のファッションブランドを展開する企業のものだった。

http://www.a-net.com/ 

ナベサダ                                                              20101118

 

 渡辺貞夫の「PASTRAL」が好きだ。

 69年レコーディングだから、買った時も発売からは時間が経過していたはずだけれど、『東京Sunrise』 『東京Sunset』という組曲をどこかで聴いて気に入って探したのだと思う。

 LPレコードで時々聴いているうち、CDに代わってプレーヤーが部屋から消えたときから聴くことがなくなっていた。

 

 それでも時々曲を思い出して楽しんでいた。この曲は僕の場合、中央線都心部の《ある雰囲気》と一体になっていて、そうした気配を感じた時にふと思い出すのだ。

 ジャケットの写真では若い渡辺貞夫が豪華な部屋で気取っているけれど、僕のイメージは、四谷近辺で坂道のあるビル街の一部屋で、ハイサイドライトから微かな光の入る、小さな埃か煙草の煙の漂う古びたオフィスだ。

 数週間前、BOOK OFFで偶然懐かしい、でも小さくなったジャケットを発見して買ってきた。

 イメージは変わっていなかった。でも、以前は上手い演奏だと思っていたのに、今聴くと若々しいというよりは少し拙い感じさえする。それが自分も含めた社会全体のジャズの消化量によるものなのか、ジャズと日本的感性の融合を目指したナベサダの模索の過程なのかはよくわからない。

 

 ただ、内省的な感じと成長に対する自信が奇妙に共存した、ある時期の東京の空気を写しているのは確かだ。その空気が何よりも好きなのだと思う。

副交感神経                             20101116

 

 あるときテレビを見ていたら、リラックスするための方法を解説していた。

 何も知らないと、リラックスというのは緊張状態を解いて、波立った神経が静まるのを待つのかと思うけれど、そうではないらしい。

 活発だった(焦ったりいらいらしたりという)交感神経に対して、副交感神経を積極的に働かせて攻守交代を行うというから、なんだかサッカーのようだ。

 具体的な方法はいつも話に出てくる呼吸法のようで、姿勢を正して腹式呼吸をゆったり繰り返すのが良いというものだ。

 

 僕は電車でチャレンジしてみた。

 体重を支えるために一番筋肉を使わないですむ姿勢をとって、多分それは後頭部で吊されて少し足を開いたような状態になるはずだけれど、転ばないようにつり革か手摺を利用して、目を柔らかく閉じてお腹で息をする。

 腹式呼吸とは思わずに、いつもは太く見せたくない胴周り(ウェスト)をゲリラ的に開放するような感じ。あとは余計なことを考えずに、例えば猫や犬の歩く姿を想像する。

 

 場合によっては、耳の後ろから首肩肘指先が、微細にほどかれていくことを感じるかも知れない。そうでなくても、肩こりか腰痛のある人なら、目を開けたときに世界が少し軽くなっていることを発見するのは充分に期待できると思う。頻繁に、さまざまな場面でトライするのが良いとテレビが言っていた。

川                                                                       20101113

 

 数年前にデジカメで撮ったはずの写真を探していたら、多摩川の冬のスナップに行きあたった。そのころ、大田区の多摩川沿いで鉄骨共同住宅の現場に通っていたのだった。

 

 最近親しんでいる川は隅田川で、多摩川とは全然違う雰囲気なことに気づく。考えてみると、隅田川は僕の概念からすれば川と言うよりは運河だし、海との距離がとても近く感じられる場所だ。

 それに比べて、生活環境に近かった多摩川や境川、むかし汚染度日本一だった鶴見川は海の生命力とは遠い存在だった。

 そしてそういう川を見ていると、広々とした解放感を感じると同時にいつも所在無い不安な心持ちがあったことを思い出す。

 

 多くの川で、水辺の憩いの場としての整備が進められている。隅田川テラスもその一環だろう。でも、それ以前は皆が川に背を向けて暮らしていたと容易に想像できるところがある。

 きっと川は自然の場所であると同時に、不都合なものを水に流す処理施設の役目を負わされていたのだろう。そうでなければこの寂寥感は説明が難しい。

 

 明るく影のない世界は居心地が良さそうだけれど、川を眺めるときの、この寂しさと向き合わなければいけないこともあるのだと思う。

銀河2                                                                 20101111

 

岐阜県で修行僧が座禅を終え、

上海郊外で老人が太極拳のポーズを決め、

まだ暗いガンジス河に沐浴の音が聞こえ、

 

ドバイのお金持ちが地上450メートルでいびきをかき、

リバプールでシングルマザーが絵本を閉じ、

熱狂した観客がマラカナンスタジアムの床を踏み、

 

ニューヨークのレストランが灯りを点け、

メキシコシティーで商店主がシエスタから目覚め、

ラハイナで子供がケチャップをこぼし、

 

僕がいつもの通勤電車に体半分乗りかけた時、

遠くの宇宙で銀河がひとつ誕生したとしても、

人類がその姿を見ることは、きっと無い。

銀河                                                                  20101107

 

 太陽の写真を見ていて思い出した。

 学校に上がる前に、宇宙には果てがないということを聞いてびっくりした。イメージできないので食い下がると、頭では想像できないんだと教えられてそうなのかと思った。

 

 少し経ったあと、きっとちびっこ光線だったと思うのだけれど、伸び縮みの漫画を見ていて、大人の言葉で言うところの物の大きさの相対性を子供なりに発見した。

 ひょっとすると部屋の隅に銀河があるかもしれない。

 

 草はらで遊んでいて膝をすりむいたとき、そこにあった銀河をつぶさなかったか心配して、じっと眺めた傷を憶えている。

 その後、大して理解が進んでいないのが問題だと思いながら、でもきっと難しいことなんだと思う。

 

 インターネットを見ていたら、ハッブル宇宙望遠鏡が106億光年先の銀河の誕生を撮影したと書いてあった。確か光は一秒で地球を7.5回周るスピードだ。

 

 

追記:下の写真を赤血球だと言われて、信じる人は少なくないはずだ。

Photo : Alan Freidman
Photo : Alan Freidman

グーグルニュースで見た映像。

ニューヨーク在住のアマチュア天体写真家、Alan Freidman 氏が撮影した太陽の写真。オレンジ色は人工的な着色らしいけれど、こんな写真初めて見た。

すごい。

 

http://wiredvision.jp/news/201011/2010110123.html

稲葉さんチェック                                                   20101104

 

 数日前ちょこっと紹介した稲葉なおとさんの出演したFM東京の番組。

 前日夜更かししてしまって、起きたら開始時刻をいくらか過ぎていた。慌ててラジオのスイッチを入れたのに、しばらく使っていなかったからうまくいかないようなので、それではと車に乗り込んでスイッチを入れた。

 

 聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 なかなか渋いいい声じゃん。

 思ったよりずっとテンポ良く進んでいる。お、自然な感じで笑った。

 いや、それは一般聴取者にはすぐにはわかんないだろう。

 

 などとひとり突っ込みを入れながら楽しく聞いた。 勝手な結論を述べれば、大変良かった。

 

 公共の電波に乗った友人の声に、こんなにリアリティーを感じるとは思わなかったけれど、それが稲葉さんのパフォーマンスというものなのだろう。

 あり得ないけれど自分が出演していたら・・・と想像しようとして、すぐ止めた。いい気分のままいたかったので。

頬寄せてホノルル                                                 20101102

 

 ハワイ大学に通った友人に会ったら、片岡義男の本を手渡してくれた。

 「最近、見つけにくくなったでしょ?」 見るとそれは、『 階段を駆け上がる 』 というタイトルで、少し前に出された短編集らしい。確かに、平積みどころか新刊コーナーでもなかなか見かけなくなった。

 

 この友人とは、『 頬寄せてホノルル 』 が片岡義男の最高傑作のひとつだということで意見が一致している。

 初めて読んだ時、映画を見る以上に映像-というより空間-が定着していくのに驚いた。

 

 女性が図書館で本を選んでいる様子:襟の角度まで:や、駐車場で車が偶然隣り合っているところ。窓台に並べたクラッカーを順番に打ち落としている様子。友達の家の気配と、そのラナイでの親密な会話。振り返る女性。虫眼鏡の中の人物。ストーリーは消えかけているけれど映像は褪せない。でも、そろそろ読み返してみるのも良いかも知れない。

 

 片岡義男が最前線から退いているのも無理はない。僕が最初に片岡義男を読んだのは高校生のときだったのだから。それは手のひら位の大きさの、雑紙を使った月刊「宝島」で、「ビリー ザ キッド」が巻末に連載されていた。

 

 先週のカンブリア宮殿で、その頃の月刊宝島は発行部数が7000部だったと社長が話していて、片岡義男も若かったんだなあと思った。

 ふと、高校の屋上床に勝手に絵を描いたとき、宝島の表紙を参考にしたことを思い出した。

FM東京 稲葉なおと氏出演                  20101101

 

先日、新刊の感想を書いた稲葉なおとさんが、出版に関連してFM東京に出演すると聞きました。

11月3日(祝:水)8:30~9:15の番組の中とのこと。

 

http://www.tfm.co.jp/bo/

 

楽しみだ。

ハロウィン                                                           20101031

 

 どうやら10月31日はハロウィンとのことで、きっとあちこちで楽しい催しがあるのだろう。僕はハロウィンにイベントが行われるのが当たり前になったより前の世代だから、身近には感じられずに何となく遠くから眺めてきた。

 

 スヌーピーの出てくる漫画「ピーナッツブックス」にハロウィンの話題が多くあっても、どうも何をしているのかわからなかった。昨晩、娘に聞いてみたら、ケルト人のお祭りが形だけ世界に広まったような感じらしいと言う。もしそれが正しいのなら、今までの違和感が一挙に霧消する。

 要するにただのお祭りだったわけだ。(ケルト人以外にとっては)

 

 一方、明治神宮では鎮座90年のお祝いがあるらしくて、東北新幹線のイベントもからんでねぶたが登場していた。

 鎮座とは聞きなれない言葉のようで、鎮座ましまして・・・というような使い方があったなあと思う。調べてみたら、「神霊が一定の場所にしずまっていること」とあった。

 

 最近本屋で、一年365日お祭りのある楽しい日本、というようなタイトルの本を見かけて、それはいいなあと思ったのだった。お祭りはいろいろな形態があるにしても、きっと肯定する気持ちがなければできないことだろうから、前のめりで体温が感じられるものなのだ。

子供                                  20101029

 

 友人が、黒岩比佐子さんの「パンとペン」の出版記念講演に出席した様子をブログに書いていた。読売新聞にも書いてあったけれど、がんに負けずに執筆を続けられることを遠くからでも祈りたい。

 

 黒岩さんのデビュー作の、写真家を取材した本を読み返して、そこに収められた子供の写真にあらためて驚く。

 井上孝治さんというアマチュアカメラマンの記録で、井上さんが1950年代に撮影したスナップ写真にたくさんの子供達が写っているのだ。それは懐かしい日本のようでいて、でも現在の日本との連続性を見いだすことは難しい。

 映画「泥の河」を思い出すけれど、井上さんの写真では子供達の視線がまっすぐで、その日の朝生まれたような顔をしているから陰が見えない。

 

 一瞬、貧しさを感じるのだけれど、でもよく見てみると少しも貧しくはなくて、ただ物が無いだけだと気付く。

 本の全体から、ノーベル賞を生んだ社会の力が感じられて、幸せとはなんだろうと問い直さずにいられなくなる。

夕闇                                                                   20101027

 

 猛暑の記憶はまだどこかに残っているのに、気付いてみると10月下旬の夕方は暗い。秋分が9月22日ころだから、ひと月余り前に昼の方が短くなっていた訳だ。

 

 夏至は6月下旬で梅雨の真っ盛りなので、太陽熱がピークにあるとはとても思えないけれど、ゆっくり暖められ、ゆっくり冷やされるから太陽高度と気温にひと月半くらいのずれがあるのだろう。

 そう思うと、地球の大きさが少し感じられるようで楽しい。

 

 でも、暑い日から寒い日に切り替わるのは突然で、心地よい秋というのはほんの少ししかない。気温ではなくて植物で感じるのが秋というものなのだろうか。

 何故か猛暑でも食欲が落ちない質なので、食欲の秋という変化をあまり感じないのが残念だ。なんか鈍感なようでもあるし。

清水靖章                                                           20101024

 

 清水靖章さんはサックス奏者で、若い時は細野晴臣とかと活動していたらしい。バッハの演奏が僕は好きで、今も聴いている。

 

 音楽は好みのままに聴き散らかすばかりで、体系的な知識がないのだけれど、バッハの不思議さが気になり続けている。バッハはバッハだけ特別で、どこにも属していないように思えるのは何故だろう。音楽ではなくて、経典やあるいは方程式のように思えて、過去でも未来でもなく、いつもたった今の存在に聞こえる。

 

 清水靖章さんをユーチューブで見ていたら、東京国際フォーラムの空中廊下で演奏しているものがあった。またあるのならぜひその現場に立ち会いたいと思う。

 清水さんは地底深い鉱山採掘跡や、イタリアの中世の邸宅など、反響をハンティングしながらレコーディングしているらしいけれど、東京国際フォーラムのどでかい吹き抜けが楽器になるとき、その振動を味わいたいと思うのだ。そしてそれを待っているのは相当な人数のはずで、ガラスと鉄の乱反射の中で、適当な吸音材として楽器の一部になりたいという気持ちもある。

家                                                                     20101022

 

 稲葉なおとさんの新刊 「ドクターサンタの住宅研究所」 を読んだ。児童書と紹介されているけれど、大人が読んでも楽しい本だ。

 ドクターサンタという博士が子供の悩みを解決する話で、住宅研究所とあるようにそれは家に関係している。でも、ハウジングとしての家ではなくて、作者が書いているのはハウジングの先にある 「暮らし」 ではないかと思う。

 ずいぶん前から指摘されてきたように、住宅は商品として扱われるようになっている。

 家電製品と同じような商品として見ることで、色々な角度から検討され批判され、提案がなされたことは住宅の発展のために良かったことも多いと思う。

 

 残念なのは、客観視することで住まう人と対置されるようになってしまったことだ。

 ほんとうは、住まう人と一緒になって、初めて形をなすのが家ではないかと思うのだけれど。

 ドクターサンタは家にまつわる 「想い」 を語っていて、それはちょっと古風なようでいて、とても新鮮だ。

ランチ                                                                 20101021

 

 昼の散歩を復活させた。しかも、今回はウォーキングシューズも買ったから決意が一段グレードアップしている。

 水天宮を起点に、新川、佃、月島、深川、清澄、両国などを歩く。ちょうど昼休みの時間だから、弁当の仕出し屋さんをたくさん見かけて、それぞれ工夫している様子が楽しい。移動パン屋や移動惣菜店もあって、充実した点数に驚き、それらはとても仮設店舗に見えない。

 

 牛丼店の270円から、イタリアンレストランの1400円が歩道から見える相場だ。そしてその中間にいろいろな選択肢があって、みんなどのように使い分けているのか興味深いけれど実態はわからない。

 カレーを物差しにすると、コンビニが300円で牛丼店も同じくらい、会社の直近のスタンド店が600円で、美味しい新川の有名店が900円。ちょっとこだわりの専門店が800円で少しゆったりした構えの店が1050円といった感じだ。

 

 一昨日食べた清澄白河の店はとても小さくて見過ごしそうになったところ、歩道の看板の上に鍋が置かれていて立ち止まった。

 Meshiagare という店名に迷ったものの、見えた店主に好感が持ててカウンターだけの店に入った。

 ランチカレーが380円で、「チキンのせ」 が500円だ。鶏肉をとても丁寧に焼いてくれて嬉しくなったものの、大量仕入れであるはずもないのに採算はどうなっているのか不思議な気持ちだった。ランチに10人も来ていないように見えたから。

麻雀                                                               20101019

 

 伊坂幸太郎さんの小説を読んでいたら、大学生の主人公に友達が麻雀を教える場面があって、おおよそ次のように言っていた。

「14個の牌で、ひとつの頭と4つの胴体を作って竜に仕上げるんだ。

だから出来たときにロン(龍)と言う。」

 

 そうだったのか、と思う。

 自分の手の中で竜を生まれさせ、その美しさ・稀少さを競い合うのが麻雀だったのか。

 初めに麻雀に触れたときこんな風に教わっていたら、きっと僕の麻雀のイメージは今とは違って、ずっと楽しいものになっていただろう。

 

 僕が麻雀をしたのは2回だけで、加わったのは、どちらも僕を含めて丁度4人だったからだ。最初の時は何をしているのかわからず、口調も変わった友人達の中で疎外感ばかりがあった。

 2回目は出張の時で、たまたま上がったらそれはすごい役だったらしくてちょっと儲かった。意図も作戦もなかったから、繁華街で落ちているお金を拾ったのと変わらないようでもあったけれど、でも払うひとは目の前にいるからあまり居心地は良くなかった。

 

 そんな経験で麻雀の印象が良くなる訳もなく、僕は麻雀をポーカーのような賭け事だと勝手に決めて、近付こうとはしなかった。

 それが、竜を生んでいたなんて。

 

 「初めが肝心」 という言葉が意味するひとつは、このことだったのか、と思う。

 

 親として僕も例外ではなく、自分の子の 「初め」 にたくさん立ち会ってきた。思い返してみると、そこに居たことが子供のためになったのか甚だ心許ない。でも、遅かったとはいえ気付いたのだから、せめてそのことを教えてやろうと思う。

隣にあるもの                                                      20101015

 

 打ち合わせが早く終わった夜、帰宅する電車で日ごろの運動不足を少し解消しようと、ひとつ手前の駅で降りた。以前にも同じことをしたことがあって、ふたつの駅を結ぶ道は大きく迂回して遠いから、直線の道を開拓しようと思った。

 車で近道を探したことはあったけれど、ことごとく跳ね返されていた。迂回する理由は、大学と放送局の所有する雑木林だとはわかっていたから、徒歩なら何か見つかりそうな気がする。

 

 歩いていると、子供のころ身近にあった森が消えたことに改めて気づく。怖かったあの場面で、右を選んだのはなぜだったろうかと思い、そこがどこだったか思い出せない。 

 そして、そんな場所がたくさんあったと気づくのだ。

 

 思うように進めぬうち、住宅地の限界のようなところで、この丘を超えられればと思いながらも期待はせずに進んでみたら、やっとひとりが通れる通路を見つける。人家の見えない暗がりの中を心細く進んでいたとき、背後に足音を聞いた。緊張する間もなくそれはすごい勢いで近付いてきて、振りかえっても何も見えず、足音はすぐそこだ。

 

 荒い息遣いが聞こえ、山羊が鳴いた。

 

 知らずに玉川大学の敷地に入って、農学部の施設のそばで運動部の学生のランニングにせきたてられていたとわかってからも、足が落ち着くまでにタイムラグがあった。

 

 その後、構内の手がかりを見つけて先に行くと、学園祭が近いのか記念グランウンドにナイタ―照明があった。未知との遭遇か地獄の黙示録のような気がした。

月島                                                                20101013

 

 涼しくなってくると、昼休みに散歩に出たくなる。月島の建設会社に出かけた日、帰りは歩くことにした。メトロでは、水天宮前・清澄白河・門前仲町・月島、と、3駅先なのだけれど、距離は2㎞くらいではないかと思う。

 今の会社に入るまでは、山手線の東側はほとんど未知の領域だった。それどころか、多摩の人間は新宿か渋谷に出れば大抵の用が足りるので、山手線ですら東北側は疎いくらいだ。銀座で食事をしようという発想など、僕の場合初めから無いし。

 

 散歩を始めた頃は、地味なサイディングばかりの住宅に違和感を持ったけれど、もう長くなったから狭い路地にも愛着が湧くようになった。

 路地と隅田川の風景を同時に見ていると、多摩はやっぱり雑木林のエリアだなあと思う。

 

 中央大橋では、パリ市長だったシラクさんから贈られた像が、スカイツリーの建設を眺めていた。

 隅田川はセーヌ河と友好河川ということなので、もうちょっと水質改善を急ぎたいものだ。一時期より相当きれいになったらしいから、まだまだ期待したい。

 

月島慕情

 

 吉本ばななをあまり読んだことがない、と友人に言ったら、たくさん送ってくれた。他の作家の本も入れてくれていて、浅田次郎の短編集 「月島慕情」 があった。月島は、先日歩いたばかりだったので、出勤するとき鞄に入れた。

 電車で開いてみると、とても面白くて引き込まれてしまう。たまたま前の席が空いて、目を閉じて休もうかと思うものの、次が気になって本を閉じることができない。

 結局、50ページくらいだから片道で読み終えた。

 

 「切ない」という言葉を声に出したことが多分一度もなくて、文字で書いたこともないと思うのだけれど、「月島慕情」は切ない物語だ。

 

 切なくて美しい。そして、力強い。

 

 内容を書きたくなるけれど、これから読むひとだってあるだろうから止めておこう。

ドガ                                                                  20101011

 

 ドガと言えば踊り子。踊り子と言えばドガ。

 と思っていた。でも、今回のドガ展ではそれだけじゃないドガの作品を見ることができて、幸福な一日になった。

 横浜美術館は前回の印象派展でも楽しめたし今回も良い感じで、言う相手がいなくても感謝したくなる。

 

 展示された中での初期の作品は、先入観とは違って少年少女文学全集の扉絵を思い出させるような優しさに満ちていた。一瞬、子供の手でページを繰っていた時間がよみがえる。

 出かける前に心配していた混雑は、それほどではなかったものの行列はできていて、でも、だからこその面白い発見があった。

 それは、一番の目玉「エトアール」(バレエの舞台でポスターになっている絵)の前で、みんながフリーズすることだ。

 僕はのんびり見たくて後ろに下っていたから気づいたのだけれど、何割もの人がこの絵の正面で固まってしまうのだ。後ろ姿に、頭が真っ白になっていることが感じ取れる。

 

 ドガが自ら発表したということでは唯ひとつの彫刻があって、それは、離れられない磁力を持っていた。陳腐だけれど、生きているとか動き出しそうだとか思った。もっと言えば、娘の友達がそこに立っているような感じ。思春期の、めまぐるしく移りゆく感情が 固定されずに表現されていると思う。

 

 ドガの時代にドガの才能で生まれたかったと、まるで意味のないことを考えた。

自家焙煎                              20101010

 

 今日は学生アパートの事情が知りたくて八王子に出かけた。アポイントを取らずに不動産屋さんを訪ねたのに、忙しいなか親身に対応してくれて感激する。3軒でヒアリングを終え、多少イメージも掴めたので現地に向かってみることにした。

 

 そこは、高校時代の友人が米穀店を継いで頑張っている町だ。店舗併用住宅は僕が設計担当させてもらったので、多少は勝手がわかっている。おもむろに入っていくと、しばらくぶりだし、連絡していなかったから僕だと気づくまでに数秒かかった。(半年前に会っているけど)

 ひとしきり世間話をしたあと、調査に来たことを知って町の案内を買って出てくれた。

 友人は今年で創立130周年になる小学校 (小学校が制定されたときの創立とのこと) に通った地域に住み、地元の様々な要職についているから隅々まで実によく知っている。1時間余りの間に軽トラックの助手席で町のうねりを体験し、彼の地域活動や生活の片鱗まで体感できた気がしてとても楽しかった。

 

 帰り際に、僕も何度も行ったことのある、友人がバイトもしていた喫茶店に寄った。マスターが初めて行ったときと少しも変わらないのにびっくりして、でもそれ以上に目を瞠ったのはその店の静かな美しさだった。若いときにもカッコ良いと思っていたけれど、30年の月日に燻された店内は、配置はそのままで鈍いアメ色に熟成していた。チリひとつなく、厨房の壁タイルも指紋ひとつなく磨かれているのに、光を吸収していた。

 

 隣接する焙煎室の鋳鉄の機械は、最後の一機を銀座のランブルが予備に買ったそうだ、とマスターが話してくれたので、壊れないように祈るばかりだ。

田口ランディさん                                                  20101007

 

 田口ランディさんという名前を本屋で見かけていたものの、手に取ったことはなかった。ブックオフでベトナムの旅行記を拾い読みしたら、とても面白そうだったので購入した。その後、メキシコの旅行記と、日本でいろいろな人と巡り会ったエッセイを読んで、今までこういう形でパワーを発揮するひとを知らなかったなあ、と感心した。

 とても正直な人だと思う。

 

 ときに余りに正直すぎて辟易することもあるし、気持ちの動き方が女性的なのか、そうでなくても自分とはずいぶん違うものに思われて、違和感を持つことも少なくない。でも、田口ランディさんのひたむきさと誠実さはきちんと伝わってくる。

 

 わからないことを、わからないと言うことの大切さにあらためて気付かされた。

ボブ ディラン                                                       20101006

 

 プールに行くときJ-WAVEを聞いていたら、マックのCMに続いてとても良い曲がかかった。ラジオで聞いた曲を買おうと思うことはあまりなかったけれど、これは帰りにTSUTAYAに行かねばと、かろうじて女性シンガーの名字、「さかもと」を記憶した。だが残念なことに、リリースは10日後とパーソナリティが言う。

 それでも何となく、帰りにはTSUTAYAに寄った。会員証を持っていなくて、新しく作るかどうしようかと迷っている内、レンタル用CDの中古販売コーナーにボブ ディランの「グレイテスト ヒッツ」を見つけた。

 

 僕たちの年代が音楽を聴き始めたのはボブ ディランの全盛の後で、僕の場合、ボブ ディランで持っていたのは後期のもの何枚かだ。前期のヒット曲をあらためて聴いてみるのも良いなと思って、ちょうど会員証も必要ないのがタイムリーに思えて買うことにした。

 

 帰って聴いて、びっくりした。

なんて明るくてなんて突き抜けるように自由なんだろう。ヒーローだったことに心の底から同意した。

栗城隊長                             20101003

 

 エベレストの無酸素単独登頂にチャレンジした、われらが栗城隊長が登頂を断念した。9月の初旬から楽しみにしていたのでちょっと残念だ。

 数か月前の他の山での挑戦も、凍傷などを負って不成功に終わっていたから、きっと登りたかったに違いない。というか、自身が企業を回ったり、サポーターを集めての挑戦だから、相当なプレッシャーと戦っていたであろうことは容易に想像がつく。

 

 ベースキャンプでの、「世界一上から目線の人生相談」(標高5000m)など、ユーモアたっぷりに社会に自分をアピールするところがとても好きだ。

 

 登山の世界になにもチャンネルが無いので確認できないのだけれど、きっと一部では相当なバッシングがあるのではないかと思う。目立っているし、他では想像できない支援を獲得しているから。

 

 飄々と、陰りを見せない栗城隊長を応援します。

京浜クルーズ                                                    20100929

 

 先日、赤レンガ倉庫の脇から出る 『京浜工業地帯夜景クルーズ』(90分4500円) に出かけた。

 プラスチックコップの「カクテル?」一杯が付いているけれど、他には用意されていないので飲みものを持ち込む人もいた。(僕達)

 

 離岸時にキャビンに入ってみたものの、ほとんどのお客さんは初めから後部の甲板に居た。遅れて出たので掴まるところがないまま甲板に立つと、初めのポイントまでスピードを出すのでちょっと冷や冷やする。乗り降り口部分は仕切りのロープ1本しかないのだ。

 

 映画 「ブレードランナー」 に着想を与えたという京浜工場の夜景は、写真でいくつか見たことがあった。鉄、コンクリート、ナトリウムランプ、水銀灯。それらが、不規則に繰り返されて積み上げられた光景は、無機物の有機的結合のようですごい迫力に満ちていた。

 しかし京浜クルーズでは、その期待は裏切られる。

 考えて見れば、記憶にある写真は動く船から観ることのできるようなものではなかった。

 

 でも、冷静になってもう一度見回すと、とても面白いクルーズだ。ここで見るべきものは、「眩い光のめくるめく展開!」ではなくて、むしろ都市の陰ではないかと思う。

 途中で形容しがたい匂いに包まれたとき、光よりも暗い水面と黒い堤の方がよほど似つかわしい気がした。

 

 『東京漂流』(藤原新也著)の 「豚は夜運べ」 という一章を思い出したのは、ひと気の無い世界でありながら何か生々しい気配があったからだ。

 それは無視できない引力みたいに感じられて、きっとまた来るだろうと思った。

(船が揺れて写真が難しかった。視ることに集中した方が楽しそうだ)

考古学者                                                          20100926

 

 残暑と冷え込みのワンツーパンチのダメージを振り払うため、スカッと晴れた日近所に散歩に出た。

 

 写真の遊具は、遊び場が貝殻公園と呼ばれるようになった人気の滑り台で、じきに築50年だ。近頃このようなものを作ろうと思えば高額になるし、使い方によっては危険だから実現は難しいだろう。

 この遊具ひとつからどれだけ沢山の冒険と遊びが派生するか、僕は身に染みて知っているのだけれど。(写真だとウルトラQに見える)

 

 秋になると、カマキリが道にはみ出してくる。

 以前、青山の骨董通りから一本入ったところで、今にも車につぶされそうなカマキリを見つけて、掴みたくないから鞄にくっつけようとしているところを、商店主に訝しがられたことがあった。

 説明したら理解してくれたものの、変なものを見る目は変わらずに、居心地の悪い想いをしたのだった。

 

 不定期で、なかなか開いていない 『アッチャの店』 が営業していた。

 二回目なのだけれど、入るとアッチャさんが「今日はどちらから?」と、尋ねてきた。近所に住んでいると答えると、「十数年前に、一日だけ仕事を一緒にした、考古学者にそっくりで、確か鎌倉在住だったから」と言った。

 良い気分になる。照れたり謙遜したりする必要がないところが絶妙だ。

 特に僕は子供のときの作文で、将来は考古学者か水道工事の人になりたい、と書いた考古学ファンなので効果が大きい。

 

 ただ、その後出してきてくれた考古学者の本に著者の写真があって、パキスタン人から見ると似ているのかな?という程度だった。

 アッチャさんは、店内に黒澤明監督とのツーショット写真があるくらいだから、営業センスは侮れない。他のパターンも知りたくなるところがミソかも知れない。

アンリ ルソー                          20100923

 

 ポーラ美術館にルソー展を見に行ったら、ちょっとイメージと違っていた。 『ルソー展』 なら、「女の肖像」、「蛇使いの女」、「眠れるジプシー女」、「夢」 などの、どれかはあるだろうと期待してしまう。リストは公表されていたけれど、1800円は安くないと思うので。

 加えて、解説文が冗長で重複しているのも親切ではないように思える。

 初めて見学した建物は、地中に埋めたその見識は素晴らしいと思うものの、中央ホールがエスカレーターというのはデパートじゃないんだし、と言いたくなってしまう。

 言いがかりみたいで見苦しいかも知れないけれど、ポーラは五反田のビルなど、設計の分野では注目されてきたので言っても良いはずなのだ。

 

 箱根新道と西湘バイパスが無料なのは嬉しかった。民主党の実験措置というものらしいけれど、テレビなどで冷ややかに見ていたのに、実際に無料だと現金と言われても嬉しいのが本当だ。 (そこで終わって良いかは別として)

 

 豪雨のためか、川が流れ込んでいる海が土色になっていた。

 

 コンテナを積んでいるトラックがあって、最近コンテナハウスのことを考えているのでいろいろ想像を楽しんで、最後はハッピーな休日だった。

仲秋の・・・

 

 夜更けに顔を洗おうとしたら、外で虫が鳴いていた。でも秋の気配というよりは、虫が 「聞こえるか?、聞こえているか?」 と迫ってくるようで、情緒はあまり感じられない。

 テレビの前に戻ると、さかんに仲秋の名月などというので、期待して外に出てみたのに一面曇っていた。秋というよりは、まだ少し亜熱帯だ。

9月23日未明。

ネコまんま                                                        20100922

 

 先日の雑感を読んでくれた高校時代の友人En.Tが、ネコまんまを出していた店が、「ぐわらん堂」 だと教えてくれた。そして、ネコまんまは鰹節だけでなくて、もっとリッチ(?)な食材も添えられたメニューだったと言う。

 僕は数回行っただけで、通っていた彼に分があるのは明らかだから、ちょっと訂正。

 

 一緒に場所も教えてくれたのだけれど、これにはびっくりした。

 寂れた場所だったはずなのに、今では賑やかな商店街だ。最近もそのすぐそばまで行っていたのにまったく気付かなかった。

 ぐわらん堂を検索すると色々な記事があって、その多くが枕詞に 「伝説の」 を付けている。ああそういう店だったんだと思いながら、高田渡が頻繁に出没していれば当然かと思う。

 

 僕は、吉祥寺ではサンロードから近鉄に抜けるところにあった 「赤毛とそばかす」 に行くことが圧倒的に多かった。向いにはアウトバックもあったし。

 

 大学時代の友人に都立西高出身が何人かいて、吉祥寺は彼らのテリトリーだからちょっと譲るところがあるのだけれど、彼らの根城は 「SOMETIME」 だったらしい。これは明らかに彼女連れだ。

 

 すれ違ったかも知れないけれど、遠く立川から出向いていた僕たちは、男同士のぐわらん堂や、タバコとコーヒー代だけ握りしめた赤毛とそばかすだったから、隣り合うことは無かった訳だ。ずいぶんな違いだけれど、でも最高に楽しかった。

 

 僕の長男が、高校時代にラグビー部で指導をいただいた監督は、なんと南口にある 「曼荼羅」 のオーナーだった。伝説の店のオーナーに、30年後にお目にかかれてびっくりした。

明治神宮                             20100920

 

 原宿で次の予定まで少し時間があったので、明治神宮に行ってみた。

 普通だったらコーヒーを飲んだりして調整するところだけれど、まだ残暑の厳しいこの日、明治神宮の杜がどのくらいの避暑になっているか興味が湧いたのだ。鳥居をくぐってすぐにその効果があって、予想をはるかに超える快適さに感心した。

 

 楽に戻れるようにと、原宿駅の構内放送がよく聞こえる範囲にいるのに、真夏の八ヶ岳の麓よりも涼しい感じだ。体感では、気温が30度としてここは26度くらいではないかと思う。少なくとも、28度設定の役所などより、一万倍は快適だ。

 

 立ち寄っている人には、高齢の方に混ざって外国人が多く見受けられる。旅行者ではなさそうだから、近くに住んでいて散歩しているのだろう。ある意味で、異邦人のほうがその場所の特性に敏感なのではないかと思う。

 

 やっぱり原宿だな、と思わせるカップルも居た。

 

 明治神宮は、木のない荒地に自然林を創ろうとした試みとして、世界的にも有名だ。百年後の自然林化を計算して計画が立てられ、国民の寄付で造営されたらしい。

 その百年後はおおよそ2020年頃で、もうすぐだ。

 感謝せずにはいられない。

武蔵野                               20100919

 

 宮崎駿監督の映画は、常にディテールが詰められていてその完成度の高さに誰もが感心している。映画で触れる前にも、「未来少年コナン」 など痛快な作品が清涼感をもたらしていた。

 ただ一方で、登場する少女の描き方に独特な執着があるようで、個人的にはちょっと違和感を覚えることもない訳ではない。

 

 武蔵野と言ったとき、宮崎監督と同じようなイメージが思い浮かぶのは、ジブリの施設が井の頭公園にあるからばかりではないと思う。

 文化人と呼ばれる人が多く、自由で闊達な精神が受け継がれているというイメージと、マンション建設反対運動に先鋭化するような、意固地な側面があると思ってきた。

 今日、井の頭公園入り口にある、あの煙もくもくの 「いせや」 で飲んでいて、武蔵野のイメージが増幅した。

 

 バラックなのに建設を大いに楽しんでいて、ユーモアたっぷりなことに感心する。三角窓や手摺の幾何学模様の遊びは結構手間のかかることで、何となくでは作れないだろうと思う。

 

 考えてみると、もう場所も名前も忘れたけれど、井の頭公園そばにあったブルース系の店のメニュー、「ネコまんま」 の、油断させながらの攻撃性が、武蔵野の真骨頂なのかも知れないと思う。いずれにしても、一筋縄でいかないのは間違っていないだろう。そんなところが好きだし好きではない。

※ネコまんま:ごはんに、かつお節としょう油をかけた、激安メニュー。

沖縄民謡                              20100918

 

 町田には小田急線とJR線を結ぶペデストリアンデッキがあって、日曜日の夕方小田急線の改札を出ると、大きな音で沖縄民謡が聞こえてきた。

 

 JRの改札に向かうとき、デッキの端にひとだかりがあるのが目に入って、質の良いスピーカーの音に惹かれて覗いてみると、広い道を占有して披露されるエイサーに、観客が熱気を放っていた。

 近くの立て看板を見ると町田のフェスティバルと書いてあって、その催しを初めて知り、同時に沖縄民謡に郷愁をかきたてられる自分に少し驚く。

 

 高校時代、「久保田真琴と夕焼け楽団」 の出した 『ハワイ チャンプルー』 というアルバムが気に入って、しばらくの間毎日聴いていた。

 その中に、喜納昌吉の 「ハイサイおじさん」 がカバーされていて、大袈裟だけれど僕は衝撃を受けた。

 歌詞はわからないものの、平凡な生活の中にある、暖かさとたくましさ、そしておかしみや悲しみのようなものが溢れ出ていると思ったからだ。でも、それを発見のように思って友達に勧めても、あまり受けは良くなかったような記憶がある。まだ、沖縄は遠かった。 

 

 その後、沖縄から数々のミュージシャンが東京や各地に新鮮な風を運んで、今はすっかり定着している。僕が郷愁を感じたのは、沖縄民謡がこうした間に少しずつ心に降りて、積もっていったからだろう。

 

 ハワイ チャンプルーがいつ発売だったか探してみるうち、沖縄返還がそのわずか4年前だったことに行き当たった。

 それは僕が中学一年の時でもちろん覚えているけれど、 「返還」 が行われたのがそんな直近であったことに驚き、沖縄について大切なことは知らないという思いをあらたにした。

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58号線

 

 先に、沖縄を知らないと思ったのは、知りかける端緒についたからだとも言えなくはない。

 

 沖縄が世界有数の美しい海を持つリゾートとして人気のあること、戦争末期に悲惨な地上戦のあったこと、そして今も米軍の基地によって大きな負担を強いられていることは、知っていた。でも、それはマスコミなどから伝わることであって、どちらかというと、リゾートとしては東南アジアよりも高級な南の島という印象に変わりはなく、一度も行ったことがないのも無知に拍車をかけている。

 

 大学時代の沖縄出身の友人が故郷に帰り、仕事で親しくなった人が奄美大島の出身と聞き、大学の別の友人や草サッカーの先輩が長期間沖縄で仕事をすることになって、沖縄の気配は増した。それでも匂いまでを感じるということではなかった。

 

 僕が沖縄の印象をずっと身近に感じるようになったのは、駒沢敏器さんというフリーライターの沖縄ルポルタージュを知ったからだ。

 

http://web.soshisha.com/archives/58/index.php

 

 「58号線の裏へ」 と題された紀行ルポルタージュは、50回近くに達して読み応えは充分。

 東京がひとつではないように、沖縄もひとつではないだろうと思う。

 それを前提として、このルポルタージュに登場する名前を知らない人が、さまざまに残していく人間臭い印象が、僕の沖縄疑似体験となって一気に距離を縮めてくれた。

 

 第一回のアップルパイに関する記述で、ルポルタージュの魅力が十分に伝わってくる。