雑感~20110930

ヘロンの公式                            20110930

 

 僕は理工学部卒業なのにヘロンの公式を知らなくて、つい最近福岡ハカセのコラムで知って驚いた。(三角形の高さがわからなくても、3辺の長さから面積を求められる)

 ピタゴラスの定理を筆頭に、公式はどうしていつもこんなに美しいのだろう。と感心している内、世界で最も美しいとされている「アインシュタイン方程式」の美しさがわかっていないのが、すごく残念に思えてきた。

 

 中学のときに初心者向けの本を買って投げ出し、30代でも買った本を投げ出したのだった。

 その時思ったのは、数学・物理学・その他を一から学ぶことは出来ないので、その意義を理解できるかどうかはほとんど解説者の表現力ではないかということだ。

 分子生物学に特に興味があった訳ではないのに、「世界は分けてもわからない」を興奮して読んだのは、福岡伸一の文章力が際立っていたからだ。(なかでもこの一冊は飛び抜けて素晴らしいと思う)

 

 光の速度に話題がしばらく集中しそうなので、そうした本が出てくる可能性も高いだろう。じっくり探してみようと思う。

 

 不確かな記憶だけれど、アインシュタインはアメリカの建築家F.L.ライトが設計した「落水荘」を訪れたとき、滝の上に建つ設計を楽しんで着衣のまま水に飛び込んだという逸話がある。

 有名なアッカンベーと合わせてとても親しみを感じるのだから、あとは解説者だ。

閉鎖・循環系                                                       20110928

 

 しばらく前にブックオフに立ち寄ったとき、「エコロジー的思考のすすめ」というタイトルが目に入った。著者は立花隆だ。

 本の様子がかなり古かったので、逆に興味が湧いて105円で買って読んでみる。

 

 巻末記載の出版年を、あえてチェックせずに読み進むと、新鮮な話の中にも時代を感じさせる場面が出てきて、堪えきれずに開いてみたら1971年でなんと40年前だった。

 

 緻密かつ多岐に渡るこの本で、常に意識されているのは「閉鎖・循環系」の話だ。

 例えば、北米中央部に存在する塩は、2/3が海の波しぶきから運ばれているらしい。

 また人間は、全ての生命活動に必須な燐が海からの還元では足りないため、岩石から掘り出して農薬として大量に散布していると知る。(40年後の現在も同じだろうか)

 

 地球環境がほぼ閉じている以上、燐の採取もエネルギー資源の掘削も、それは開発などではなくて、単に将来世代の富からの収奪に他ならないと読むと、なんとも言えない気分になる。

 地球にやさしい、という気味の悪いフレーズは当時まだ無かったと思うけれど、立花隆なら「配慮以前の、死活的倫理だ」とするだろう。

 

 この視点から見た原発事故は、地球には極く微量にしか存在しなかった生命殺傷物質を、わざわざ大量生産して、閉鎖・循環系に注ぎ込むということだ。そしてその物質は、半減期以外では変異せずに、循環に入って生物を乗り替えながら休みなく放射線を浴びせ続けるのだ。

太陽とたんぽぽ                          20110927

 季節外れのたんぽぽを見つけて写真に撮った。

ここに小さな太陽があるかと思うように、可憐で真剣だ。

 

 打ち合わせに向かう途中、時間調整に立ち寄った湘南国際村の路上で、遠くの海のきれいな景色に気が付いた。

 写真を撮ろうと車を停め、歩いている時足元に見つけたたんぽぽ。

 

 太陽が何の対価も求めずにエネルギーを地球にも放射し、生命はそれを糧に自らの命を紡いできたのだろう。

 

 たんぽぽが太陽の形を真似ているのは、そのことへの崇敬があるのだろうか。

声援                                  20110925

 

 今日は歩いてプールに行こうと決めていたので、ウィークディよりは遅いけれど、休みの日としては早い朝食を取って支度した。

 ごそごそしている内に9時を超えてしまったものの、快調に歩きだす。

 

 町田市は都心部とは違って緩やかに広がっているので、広い道路から小学校の校庭や市民のためのグラウンドを見ることができる。

 中央区ではこうはいかないだろうと、比較する訳でもないけれど自分の見知った環境に安心する。

 

 スポーツの秋だからだろうか、小学校の体育館ではバレーボールの大会、別の小学校の校庭では野球大会、また違ったグラウンドでは少年サッカーの大会で複数のチームが集まって試合が行われていた。

 それぞれの会場に響く子供たちの声援がさわやかだ。すごく熱心だし。

 

 特に、野球チームの守備の掛け声、「バッチこーい」の連呼はとても懐かしかった。バッター!オレのここに打ってこい!というメッセージもしくは野次だ。

 余程に力の差がない限り、緊迫した試合では減点評価に傾きがちな守備は楽しいものではない。それを、「ここに打て」と繰り返すのはとても大切な、いい意味での自己暗示なのだ。

 帰宅後の夕方、さえずり続ける鳥を見ていた。声を出しているひと、鳥は美しいと思う。

酒蔵見学                               20110923

 

 一升一万円余りの日本酒と、六千円強の同一酒蔵のものを試飲してみた。

 味覚に自信は無いけれど、妙に納得のいく価格差だと思った。

 

 高価な方が五つの和音だとすると、次のランクは三つの和音なのだ。本当はもっと数が多いのだろうけれど、比率として。

 十の楽器と六つの楽器でもよいかもしれない。

 

 ワインは、多くの人から聞いた経験と同じく冷やした白から好きになった。その頃、友人Jeriと終電で帰ってきた町田駅からの徒歩帰路で、きれいとは言えない地酒専門店に入った。(四半世紀後の今日も在ります)充分飲んでいたので、最後の一杯に僕たちが知らないようなお勧めはありませんか?と丁重に店主に訊ねると、しばらくこちらの顔を眺めた後、多満自慢の純米大吟醸を桐の箱から出してくれた。

 

 飲んでみて酔いが吹っ飛んだ。

 それを思い出した。

 

 澤乃井の「梵」は、僕の経験した日本酒の中では最高級だ。それでも、あまりに存在感のある味わいは負担もあって、たくさん飲むお酒じゃなくて一杯でいいね、と妻と言い合う。そして気が付いたことがあった。それは、大切なものを買って大切に消費するということだ。

 

 安い物を支持するけれど、それだけでは社会が痩せてしまう。そうしないために、まもるべきものがあると思った。ときどきちょっと飲んで幸せになるなら超高級酒は力強くて良いなと思う。(澤乃井の小澤酒造は、確かな文献だけでも操業三百有余年で、忠臣蔵のころらしい。)

台風の副産物                            20110921

 

 今日の台風、用心して早めに会社を出たはずが完全に裏目に出てしまった。 代々木上原駅では、一時止まっていた小田急線が運転再開していたものの、成城学園前駅で強風のため再び全線見合わせ。

 結局帰宅に6時間。

 

 成城学園前駅では、比較的新しい駅ビルの開放廊下に座り込んで本を読んだ。中にある三省堂で、宝島の原発関連の小冊子を見つけて思わず買って読み切る。最近情報収集したせいかほとんど既知のことで、小出助教の地下ダムの考え方の相違点が新しい視点。

 

 それは良いとして、デモを思い出しながら、風を見ながら受けながら考えた。

 

 僕は原発事故を収束に向かっていると思うような人は信用しないけれど、デモに参加して見たほとんどの人とも親しくなりたいとは思わなかった。

 だから独自の立ち位置を作ろう。

 さっぱりと、静かに断固原発反対。(全然新しくはないだろうけれど)

 

 イデオロギーや他人の思惑完全無視の、自己完結的原発反対。

 

 その理由は、捨てられないゴミを次世代に残すのをやめるため、のみ。

だから愚痴はご法度。

 

 よし、これだ!と思ったのが台風の副産物。被災地の被害軽減お祈りします!

意志表示                              20110919

 

 ダッ ダッ ダッ ゲンパー とAKB似の女子高生6人組が舞台で歌いながらよくそろった振り付けを披露する。

 とてもかわいらしいのだけれど、歌っているのは「脱、脱、脱、原発」 だから、聞けばメッセージソングだ。

 

 どうしても胡散臭い人が目立ってしまう脱原発のデモとしては、ちょっと清涼感があってホッとするところがあった。

 あまりに上手いので違和感もあったけれど、うまさと関係なくテレビには出してもらえないだろうから、少し不思議に思いながらマスメディアの腰砕けあるいは背信を悲しく思う。

 

 そのステージの手前に、「国民を守らない政府は いらない」 というプラカードがあって、それが今日ここに自分がいる理由だと確認した。

 そこで、その場でボードを書くことができたら、「身内を守るために他を捨てる政府には 万死を」 と書くのかなと思った。

 

 明治公園から渋谷駅まで練り歩くスケジュールを知っていたけれど、全部には参加できなかったので参加人数としては0.5人だったかも知れないところがちょっと。

 

9/20追記:読売新聞などは写真を載せていないのでここに。公園に入れない人が周辺の道に相当数溢れていた。

フランスのル・モンド紙のウェブサイトから
フランスのル・モンド紙のウェブサイトから

大飲み会                              20110919

 

 昨日は昼過ぎにみちくさ市という、古本の路上販売祭りに出かけた。前回5月と同じように雑司ヶ谷、鬼子母神で開催されて、高校時代の友人OK-kの出店を覗いて、中沢新一さんの「アースダイバー」を購入する。新品同様なのに1800円が400円。

 

 それとは別に、文芸春秋編の「思い出の作家たち」という本をプレゼントしてくれた。これは新しい文庫本だからまたもや赤字にさせてしまった。

 

 子母澤寛 江戸川乱歩 金子光晴 尾崎士郎 今東光・・・と26人の作家の日常を家族が語ったものらしい。本人の随想でないところがきっと面白いのだろうな。

 

 その後、巨大に膨れ上がった大飲み会に出席した。

 昨年暮れに25名くらいで集まった高校時代の友人の忘年会の続編で、それをうっかり忘れて来なかった某大手金融会社総務系役員が幹事長に指名されたものだから、90名になってしまったのだ。

 

 4年前くらいに同窓会はしていたけれど、やはり懐かしい顔が多くて最高に楽しかった。このページを見てるよ、と声をかけてもらったりしてすごくうれしい。

 

 みちくさ市のOK-kは二次会(70名!)からの参加だったし、この日が誕生日だったIT企業から高校数学教師に昨年転身したSI-sや、超さびしがり屋の小児科医EN-t、それになんでも楽しくしてしまうYK-hや何軒か店を持っていると言われても驚かないMR-y(hだっけ?)もいたので結局終電はるかに超過。

 

 ああ、でもほんとうに楽しかった。

 今日は反原発デモだ。急がなければ。

ヘンドリクス                             20110917

 

 このあいだブックオフに行った時、danchu のカレー特集を買った。昨年の8月号だからそんなに古くはない。

 少し忘れていて、今日開いたら驚くべきことにヘンドリクスのレピシが公開されていた。

 ヘンドリクスというのは、僕の一番(そうでなくても2番めに)好きなカレーで、どうしたって他では食べられないだろうと思っていたもので、超極秘秘伝だと想像していた。

 それをレシピ公開していたなんて。

 確かに店主さんは小さいことはどうでもよさそうだったけれど。

 

 という訳で、さっそくその通り作ってみた。まあヘンドリックスの従兄弟の知り合いくらいだろうか。でも、近づいたのは確かで、大変うれしい。

 スパイスの扱いがワイルドでしかし繊細なような気がして。

オーロラと波                             20110916

 

 フェイスブックで教えてもらった映像。とてもきれいです。

 

 リンクの仕方に不案内で、本編の前にコマーシャル的映像が入ったりすることもあるような。

 本来なら取り下げるべきですが、それでもきれいなので強引に。

 上の映像がノルウェイのオーロラで、下はサーフィンなど海の映像です。

 

http://www.youtube.com/watch?v=FcfWsj9OnsI&feature=youtu.be

 

http://www.youtube.com/watch?v=cFRHgk6niIc&feature=youtu.be

 

 今晩は雨が降る予想を聞いていたのに傘を持たなかった。駅からの道で水滴を感じてからあっという間に大雨になり、おさまったかに思った後、再びずぶぬれになった。

 いつ以来だろうこんな風に濡れるのは。

 

 長女長男ともに免許を取得したから、どこかで雨宿りをしながら迎えを待っても良いのに、こういう日に限って携帯電話がバッテリー切れでサドンデス。

 

 でも、雨が滴って何か解放された感もある。

記者クラブ                              20110915

 

 経産相を辞めさせられた鉢呂さんというひとが、どういう政治家なのか知らない。「死の街」という表現にはたくさん写真を見た結果か違和感がなかったけれど、「放射能を・・・」との新聞報道を読んだ時は、ああまたか、と思った。

 でも、その後いろいろな意見をインターネットで見ているうちに、ケビン メア氏を思い出した。

 

 放射能に関する鉢呂氏の発言が、新聞各社で違っているのはどういうことだろう。わずか一行なのに。その程度も記憶できない記者を信用できるだろうか。

(誰もボイスレコーダーを使っていないなんて考えられないという意見も多いし、第一報がその場に記者のいなかった新聞社というのもすごい)

 

 鉢呂さんは経産省の意向に対抗して、原発問題を検討する委員に原発反対派を推進派と同じ人数にするよう名簿を作成していたらしい。

 ことの真相はもちろん僕にはわからないし、評論しているひとも同じだろう。記者クラブの数名を除いて。

 

 民主党は記者クラブを廃止すると言っていたのではなかったか。

 

 増税路線の野田首相に好意的な新聞各社は、財務省に消費税増税時の新聞の例外措置を一丸で働きかけて、天下りポストも用意していると聞けば、いろいろ符号する。

 

 肝心なのは僕たちの読む力だということがよくわかって、そういう意味ではインターネットの時代、ひと昔前よりはるかに自分の問題になってきて、可能性を感じられもする。相変わらずインターネットは不確実だけれど。

 

 

 急にこんなことを続けて記すと、気持ち悪い、と読んでくださった方は思われるだろうけれど、僕自身相当に気持ち悪くなっているので、記さずにいられませんでした。ごめんなさい。

さようなら原発集会                         20110913

 

 今度の祝日に開かれる、原発反対集会に出かけようと思う。大江健三郎・鎌田慧・落合恵子・内橋克人その他の方々が呼びかけ人になって、いずれ1000万人の反対署名を集めようとしているようだ。

 若い名前がないのが不満だったのだけれど、二度目に記事を見たときは俳優の山本太郎さんが加わっていた。

 デモのようなものに参加したことはなく、強いて言えば薬害エイズ問題で、厚労省廻りで声を上げる人々を応援する気持ちで眺めていたことがあるくらいだ。

 70年安保が10才の時で、それ以降は学生運動が内ゲバに変わっていったのだから、僕たちの年代でデモを知らないのは少数派ではないだろう。

 安保の時は、山口県から大学のために上京して同居していた従姉が、青い顔で帰ってきたのを憶えている。

 

 東電が原発の過酷事故対応マニュアルを目次だけ、しかも50行のうち48行を黒塗りして衆議院の委員会に出したという記事を今日読んだ。

 まともな人間のすることではない。自分達が何者か、自分達でもわからないのだろう。

 

 反原発運動を公安が注視しているという話も聞こえてきて、一気呵成に流れができなければならないのだと思う。

タジン鍋                               20110912

 

 飲み会をやろうと決めたら、幹事長が熱い人物でなんと90名の会になってしまった。複数名いる幹事補のひとりとしてはついていくだけなのだけれど、会の途中に行われるゲームの賞品を調達するひとりとして役目が回ってきた。

 指令は3~4点総額1万円以内。

 自分がそんな役回りを楽しむとは思っていなかったのに、実際買いに出かけてみると思いのほか楽しかった。

 

 写真の左から、羊の貯金箱とクリップ付きの小さな招き猫、そしてタジン鍋。

 タジン鍋のレシピ本も買ったのだけれど、それを加えると一万円を超えてしまうので、自分の蔵書にすることにした。タジン鍋は砂漠のモロッコ人が水を使わないで調理するために考え出した鍋で、とてもヘルシーだし、しばらく前から注目されているらしい。

 

 揃ってからみると、かなりの確率で男に渡される状況にそぐわない気がしてきたけれど、奥さんか彼女、あるいは娘さんに評価されるかも知れない淡い期待を持つことにする。

落下する汗                             20110910

 

 今日はすごい暑さだった。

 地鎮祭があったのだけれど、広い敷地なので影もなくて容赦のない陽射しにさらされる。

 

 祭礼の儀の中で、低頭するとまつ毛から汗が落ちて行く。

 まつ毛を離れた水滴が、地球の中心に向かってスピードを上げていくのはちょっとコマーシャルのような映像で、その後乾ききった地面にあっという間に吸い込まれる。

 

 頭を下げて地面と正対しているためか、汗も地球に対するひとつの作用だなあと、とても飛躍したことを考えていた。

 

 川崎の琴平神社から来てくださった神主さんはとても気持ちの良い人で、一見普段通りの地鎮祭がとてもありがたいものに感じられた。

 

 ほとんどの神主さんは厳かに振る舞おうとするためか威張っているように見えるのだけれど、今日の方は「皆で神様に思いを届けましょう、僕が音頭を取りますから。」というような感じで、淡々と進行するものの却って神様の存在に思いを馳せることになったのだ。

 とても気持ちの良い時間だった。

読売新聞の社説                          20110909

 

 昨日の読売新聞の社説を読んで目を疑った。

 結論としては、原発が稼働しないと国力が衰えるので、総力を挙げて再稼働の準備をせよということらしい。

 それだけでも充分な驚きなのに、さらに目を疑うのは、保安院と安全委員会が重大な責任を自覚せよ、というくだりだ。僕の感覚からすれば、数々の危険を知らせるデータを握りつぶしたこの組織は、犯罪的な振る舞いをしたと糾弾されるべきだ。

 だからいつ解体されるかと思っていたのに、いまさら何を期待しようというのだろう。

 

 おそらく、僕は昔の言葉で言うノンポリだろうと思う。その自分がここまで落胆するのは、日本が新しい、そして望ましくない時代に突入した証左だと思われる。 なんとか盛り返さねば。

上下白黒の空                                                       20110906

 

 日曜日の夕方、昼食が遅かったので夕食を簡略化して外で過ごしていたら、台風の余波か大変賑やかな空だった。

 西の空を南から北へ低い雲が早いスピードで移動していく。その上部は秋の雲が散らされた青空で、こちらは少しも動かない。

 

 東でも西と同じように雲が移動していて、それは西の雲の影になっているらしくて濃いグレーの塊だ。何か汚染物質を含んでいるかのような色だけれど、影を脱するとだんだん白色が回復してくるので、そんな心配はいらないようだ。

 

 ここのところ爆音を轟かせていた米軍機が今日は来ない。成田を飛び立ったのか、高い空をつまめそうに小さな旅客機が西へ静かに移動していた。

  蝉の声は地表の虫に替わって、カナブンが元気なく光に寄ってくる。

 

 今回の自転車のスピードの台風は、夏がもはや終わっていることを知らしめたようだ。

 痩せた半月若しくは太った三日月が雲間に見え隠れし、いっそう賑やかさを増していた。

磯江毅展                               20110905

 

 練馬区立美術館で開催されている、「磯江毅 グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才」展に出かけた。

 1954年大阪生まれで、19才の時単身スペインに渡る。20代半ばには展覧会で受賞も果たし、以降30年スペインに留まって第一線の画家達と活動を共にしたらしい。しかし、2007年に53才で急逝した。

 

 スペインに渡った当初、画学校に通いながらプラド美術館で模写した絵も展示されている。

 そこには古典的ヨーロッパの技法が見事に再現されていて、僕と5才違いでしかない日本人が描いたという事実が、古典絵画をぐっと身近な存在に変えてくれた。手ほどきを受けずに模写を完成させられた点は、こちらの理解を超えているけれど。

 

 磯江の画風は徹底的な写実とされながら、少しも写真のようではない。光学的な再現性に磨きをかけるより、対象物の普遍性に迫ろうとする写実なのだろう。だから、本来的な意味で正統派絵画と評価されているのではないか。

 

 僕は、円熟味を増したとされるウェッティーな40代後半(写真上など)より、スペインらしく乾いた30才代後半の頃の作品 (玉蜀黍と葡萄を新聞紙で包んだり) が断然気に入った。美しく、若々しくて。

 紙にジェッソという下地材で平滑面を作り、鉛筆画に水彩を加えたものが、とても詩的で静謐な空気を感じさせた。

 

無音の音が聞こえるようだ。

野火                                                                   20110902

 

 大岡昇平のフィリピンでの戦争体験をもとにした、「野火」を読んだ。

 凄惨な内容なのに遠ざけずに読み終えたのは、作家の強靭な精神が読者をも支えているからだろう。

 戦争に関する著述で、似ている印象のものを僕は知らないけれど、なんとなくソルジェニツィンの「イワンデニーソヴィッチの一日」を思い出した。

 

 戦争に関係すると、多くの場合は政治や作戦、告発や憤怒や美談が織り込まれる気がするけれど、ここにはそのいずれも無いと思う。太平洋戦争でなくても良いし、日本かどうかもあまり関係なさそうだ。ひょっとすると、戦争でなくても良いのかも知れない。

 

 ヘミングウェイや開高健も多く戦争を観察しているけれど、大岡昇平を比べると、出かけて行った人と連れてこられた人という大きな違いがあって、だから大岡昇平の方が断然親近感が湧く。もちろん、類似した体験は一切ないけれど。

 

 少し前に読んだ手記のような「戦争」でも、大岡昇平はさかんに「わからない」ということを言っていた。自分のことを大変な調べ魔と言っていたのは、自分の感情や信念についてもあてはめられているようだ。

海を見ていたジョニー                       20110830

 

 五木寛之は、コピーライトや作詞でも活躍したらしくて、タイトルの付け方がとても上手いと思う。青年のナルシシズムをダイレクトに刺激して、気恥ずかしいくらいなのに後味がとてもよいのだ。

海をみていたジョニー

さらばモスクワ愚連隊

蒼ざめた馬を見よ

地図のない旅

深夜の自画像

風に吹かれて

青年は荒野をめざす

男だけの世界

デラシネの旗

戒厳令の夜

 

 高校時代、文庫のあるものは片端から読んでいたけれど、「水中花」 「四季 奈津子」、と順に出たときに違う人になったと思って読まなくなってしまった。

 先日、ブックオフで久し振りに五木寛之を探して、「ステッセルのピアノ」を読んだら、これはとても面白かった。

8月最後の日曜日                                                 20110828

 

 カレンダーを見ていたら、今日が8月最後の日曜日だとわかって、海に行こうかと思いながら、でももうすこし手軽にと考えて、ふだん車で行く市民プールに歩いて行くことにした。

 前にも少しふれたけれど、プールまでは6㎞強なので、一時間半をかけずに到着できる。

 いつ、夏が退くのかしらないけれど、海に注目するか、市街地に注目するか、あるいは田畑なのかでいろいろ時期は変わるかもしれない。

 3時間、気配を気にしながら歩いてみたら、町田は思っている以上に田舎で色々な景色があった。

 

 それにしても、今日の夕方は夏の豊かさに溢れていた。そして、しっかりとした足取りで夏がどこかに帰っていく気配があって、夏も、満足しているのだな、と感じられた。

 外で夕食を取りながら、僕は8月最後の日曜日を体に記憶させた。

コナ島のケイト                           20110824

 

 ある物販大手グループの、社員向け福利厚生サービスのページに、家作りに関するコラムを連載している。

 先方の担当者が 「自由に書いてください」 と言って下さったので、家を実際に造る過程を、物語形式で12話にまとめることにした。

 物語形式にしたのは、アドバイスを箇条書きにせずに読んでもらおうという意図で、小説たり得ないから、注意書きのように、サブタイトルに (建築士が書く・・・) と入れておいた。

 

 僕は、住宅はシンプルな箱が良いと思っているけれど、それは初めからシンプルに考えるのではなく、色々な可能性を考え抜いて「シンプル」に辿り着きたい、ということだ。

 だからこの12話のモデルに、ゼロから考えてシンプルに作る必要性を与えるために、無人島に漂着した夫婦が作る小屋を選んだ。

 

 この小屋に、東京で若い夫婦が建てる家を対比させることで、一度既成概念を洗い流したいと考えたのだ。

 タイトルは「南の島と東京」―建築士が書くふたつの家作り物語―で、先日掲出した第6話は、「山猫と読書(窓の作り方)」。

 

 オムニバスというのは、本当は難しいのだろうけれど、下手なストーリー立てをごまかす場合にも有効だと発見した。

 

 無人島をコナ島という名前にして、夫婦をロビンソンとケイトにした。これをなかなかのセンスだと自負していたら、英国王室の結婚式でケイトさんに気付き、コナは、先日妻に「ホノカアボーイ」に出てきた島ね、と指摘されてしまった。確かに少し前に読んでいた。

ケビン メア氏                                                        20110822

 

 「沖縄はゆすりの名人で怠惰だ」などと発言したとされて、職を解任されたメア氏がつい最近出した本「決断できない日本」を読む。

 解任につながった報道には当初から違和感があったし、この本を読んでいるとメア氏の主張に現実味があって本当に理不尽な思いがするけれど、もっと気になったのは別のことだ。

 

 この本の主題は、メア氏の潔白の証明ではなくて、沖縄米軍基地移転交渉と東北大災害支援に深く携わったメア氏が、それらをアメリカ側からどのように見たか、だ。

 まだ読み終わっていないけれど、読み進むにつれて悲しさが増してくる。

 

 軍隊の是非やイデオロギーなどの問題に至る前段、自分や家族を守るという意味での国防を、他人任せにした、そうでなければ、議論を棚上げしたことで起きてしまったこと。

 

 エピソードのひとつ・・・・・

 9.11を受けて、アメリカの原発施設のテロ対策が検討され(全電源停止も含む)、後にその検討は同盟国である日本にも及んだ。

 日本の原発防備が脆弱なため、高官会議で警備要員の銃携帯の必要性をアメリカ側が力説すると、日本政府担当官は 「日本では銃の携帯が法律で禁止されている」 と拒否した。

 

 アメリカ側担当官は通訳をしていたメア氏にそっとつぶやく、

「これってジョークだよね、笑った方がいいかな?」

 日本が長いメア氏は答えた。

「たぶんジョークじゃない、笑わない方がいい」

クラッシュ                              20110820

 

 21世紀になるころから、身の回りで起きることが異常に加速しているように思えて、逆のビッグバンになるのでは・・・例えるなら、ラッパの先が無限に広がるように透明な壁にぶち当たって弾け消える・・・そうした人類のクラッシュが起こるのではと勝手に危惧していた。

 

 今日、中沢新一さんの「日本の大転換」(集英社新書)という本を読んでいたら、原発の暴走と現代資本主義の暴走が同根だと指摘されていた。

(原発の危険性はわかりやすいけれど、グローバリズムの危険性は甘受しなければと思い込んでいたので興味を惹かれる。)

 この本は平明な文章に見えながら、難しいので要約するつもりはないけれど、人間が相互関係を維持できる領域を超えたものが生まれていて、それがこのふたつだと言っていると思う。

 

 もし、原発の即時停止が文明の後退だと考え逡巡するときには、読んでみることをお勧めしたい。

 氏によれば、大波を被った日本こそが、資質的にもこの地球規模の困難を乗り越える開拓者にふさわしいと言う。

 意見はさまざまにあるだろうけれど、こうした発信にこそ本当に勇気づけられる気がして、感激した。

 

 避難生活や就業困難に直面されている方を思うと申し訳ないけれど、今回の大災害で原発の安全神話が補強されなかったのは、不幸中の幸いだったと思いたい。

(既に世界に500余機存在していて、下手をすると爆発的増加の可能性があった。・・・今も有るけれど。)

戦争                                 20110817

 

 昨日から、友人Ok-Kが手渡してくれた大岡昇平の「戦争」を読んでいる。

 困難で、悲惨な情景が展開されるのかと思っていたら、拍子抜けするくらいあっさりとした当時の日常が、散文的に口述筆記で綴られている。

 戦争の悲惨と孤独を描いた、「野火」 の着想を得た場面にも触れていて、大岡作品を読んだことがない僕には手がかりが与えられた。

 

 いよいよフィリピンに送られることが決まったとき、それまで必死に考えてきたことが何の役にも立たないと冷静に観察できる度量のためか、あるいは作品に既に凄惨さが込められているからか、戦事下の日々もその語り口も淡々としている。

 

 考えてみると、その中を生きるとはそういうことかも知れない。フィリピンの島々で追い詰められ、血を流し、飢えに目を血走らせる日本兵から遠くない処で、米兵はきっとチョコレートを食べていたのだ。

 あるいは阪神淡路大震災の時、並行する2本の道路が劇的に違った光景を見せたように。

 

 僕たちは戦争の時代をカギ括弧で括って考えがちだけれど、カギ括弧は玉音放送という右側だけなのだとわかる。

 もちろん、今の時代が簡単に戦争に移行するとは思わないし、インターネットの時代に大政翼賛が成立するとも思えない。でも、しばらくして振り返った時、今という時代はどんなだろうと考える。

 

 「戦争」を読んでいると、性質は違うものの、戦時と同じかそれ以上に寛容から遠く、相互不信の社会なのではないかと、少し不安になる。個々人はみな頑張っているのに。

瀬戸内海                              20110815

 家にもどって10日が経つのにまだ瀬戸内海の気配を感じている。

 

 豊島美術館がとにかく楽しみで、直島ではゆったり過ごしたいという気持ちが強かったから、犬島についてはあまり関心が無かった。

 最終日の前日、家プロジェクトの「南寺:ジェームズ タレル作」に開場前に着いて、係員のおじいさんと話し込むうち、犬島に行ってごらんと勧められた。

 直島よりずっと小さい島で、展示も集中しているらしい。

 

 近くの総合事務所で船の時刻表をもらって検討した結果、帰りの飛行機の時間からわずかな滞在になることが判明して、結局もっと高松港に近い女木島に変更した。結果的には女木島もとても魅力的だったので満足だけれど、今度行くときは犬島にでかけてみたい。

 

 高松港と岡山の宇野港が、豊島・直島・犬島・女木島・男木島・小豆島などを20分から50分くらいで連絡しているので、周遊も楽しそうだ。船賃も高速艇はやや割高だけれど、それでも数百円からせいぜい千数百円だ。

 

 海と島と人、そしてアートを一体的に感じるのが素晴らしいので、駆け足はもったいないだろう。リーズナブルな宿を確保して、ゆったり過ごすのが良いと思う。

ブルガリアンヴォイス                                              20110814

 

 今日は午後に登山家栗城隊長を取材した番組を見て、その後なんとなくパソコンを開いて以前ブックマークしたブルガリアンヴォイスを聴いてみた。

 

 栗城隊長の応援会員になっているので、いくつかのチャレンジで途中撤退しているメールを受信していた。ギリギリの挑戦や判断でも、メールで受けると何となく不完全燃焼(自分は何もしていないのに)の感覚を持ってしまうけれど、リアルな映像を見ると無事の下山が本当によかったと思う。

 

 そしてブルガリアンヴォイスを聴いて、民族も文化もまったく違うのにどうしてこんなに心揺さぶられるのだろうとあらためて思う。

 

たくさんある中の、比較したわけではないひとつ。

http://www.youtube.com/watch?v=gdqjcW8u7Lw

 

 思いついたのは、合唱というスタイルが普段目に触れていないことだ。無私とか埋没という、自我からの距離と透明性。ひとによって差があると思うけれど、祭りが遠のいているということだろうか。

 もう一つは、年齢が混ざったまま同じ民族衣装をまとった女性性なのかと思った。他のサイトでより顕著だ。

海鳥                                                                   20110812

 

 瀬戸内海の島を巡る船で、並走する海鳥がいた。

 なんという鳥かわからないが、カモメではなさそうだ。客室に居る時に気が付いて目で追っていた。

 

 白い鳥で、小さな波がしらにまぎれてしまったから、もう一度見たいと外に出てみる。すると、何気なく飛んでいたように見えた飛行が大変な試みだったことに気付く。フェリーの進行速度以上に向かい風が吹いていて。

 

 高校時代に読んだ、「カモメのジョナサン」を思い出した。

 ジョナサンによれば、海面スレスレに飛べば、風圧を海面が受け止めてくれて省エネで飛べるのだそうだ。実際そのようにしていたけれど、それでも、何故逆風をついて飛ぶのかがわからない。

 

 目を転じると、高い空にも鳥がいる。餌があるとも思えないのになぜそんなに高い空を。

 また、思い出した。赤坂アークヒルズの最上階を飛んでいた蝶。ひらひらと。

 

 僕たちは、合理という概念を普通に使っているけれど、その理を考えることが大事に思えてきた。海鳥と蝶はダンスしていたのではないかと思う、餌を忘れて。

抜け殻                                20110808

 

 豊島(てしま)美術館はとても特殊な美術館だ。

 平たく大きな建築物で、床を水滴が走り細いリボンが風に戯れる。

 

http://www.benesse-artsite.jp/teshima-artmuseum/portfolio.html

 

 とても僕には説明できないので、鑑賞記を少し。

 笑ってしまうというのは適切ではないけれど、入れ替わりながら常時10人ほど居た訪問客が、例外なく声を失い、抜け殻もしくは木偶の坊になってしまうのがおかしい。

 立ちつくす人。膝を抱え座り込む人。係員が会話の自重を求めなくても結果は変わらないだろう。

 それほどにパワフルなパフォーマンス。

 

 途中から僕は、作品を見る一方で、そこに居る人を同じように観察した。みんな何に心奪われているのか。

 

 答えは見つからない。

 パンフレットなどを見ると、時間によって、季節によって、そして天候によってまったく違った貌を見せるとのこと。

 

 僕の訊ねた日は、蝉が大合唱する、日向と日陰がくっきり分かれる陽射しの夏だった。

 多分、見ることができたのはそのパフォーマンスの1000分の1くらいだろうと思う。

モネ                                                                   20110807

 

 モネと同じ空気を吸った気がした。

 瀬戸内海直島の地中美術館には、5点のモネの睡蓮が展示されている。その正面の、一番大きな作品を眺めているうちに、その絵が空を描いていることに気付いた。

 

 中央から左にかけて、淡いピンクに染められた部分があって、でもそれが何を映しているのかわからないでいた。

 特に気に留めずにいたのだけれど、ゆったりした島の時間が観察を促したのだろうか。安藤忠雄さんの設計も、絵と向かい合うことを後押ししてくれたのだと思う。

 

 手前の水面が鮮やかに青いことに気付き、その広がりからピンクは午後の空の色だと思い至った。 ひと目でわかる人が多いのかも知れない。でも、時間をかけて見つけることも快感だ。

 

 気付いた瞬間、急速に絵が近づいてきて、フランス語で誰かの帰宅を促す声と、モネが立っていた場所の空気を感じた。それは幸せな体験だった。

風                                   20110806

 

 夏休みは瀬戸内海の島に出かけた。環境問題や過疎の問題など、課題が山積していたところに、ベネッセコーポレーションが大きな仕掛けを試みて、大変な成功を収めたと見聞きしている。

禿鷹墳上:「20世紀の回想」
禿鷹墳上:「20世紀の回想」

 島々の人はとてもフレンドリーで、外国人も多くて静かな活気があった。

 

 この期間、東京は雨も多少降って過ごしやすい気候だったらしいけれど、瀬戸内海はよく陽が照っていた。

 でも、思い返してみるとハンカチやタオルを使った記憶が無い。それは、いつも風が汗を吹き飛ばしていてくれたからだ。

 28度、湿度88%でダメージを受けるのに、33度湿度50%で風があれば少しも暑さを感じないということだ。

 

 帰りの日に寄った女木島では、グランドピアノと帆船をかたどった野外彫刻を見た。

 女木島の港の周辺は、地形が強風を作り出すらしくて住宅はみんな背を低くしている。

 

 彫刻の帆が風にあおられ、その支持棒が鉄のマストに当たってカンコンと鳴り続けている。その音には帆船の行き先を想像させる力があって、座って眺める時間が楽しかった。

200㎞                                                                20110730

 

 明日から夏休みに入るので、今日は一日でドライブでもないのに200㎞を走った。

 

 普段、車を運転しているひとからすれば、どうという距離ではないのだろうけれど。

 

 湾岸という、首都高の昔ながらの名称に乗ってみると、だいぶ拡張や変更がなされているようで多少の違和感がある。見慣れた風景と、ここはどこだと言いたくなる風景が順繰りに現れてくるのだ。

 

 いくつかの地点で、夏休みらしい混雑に出くわしたけれど、基本的には走っていた。

 

 数十年も前に、外国の友人が訪ねてきたら首都高を周ってみたらいいね、という会話が成立していて、 今日、あらためてそう思った。

 首都高は、遠くない将来にメンテナンスが求められるだろうけれど、やはり大事な装備だと思う。 日本橋の上は青空にして欲しいけれど。

海                                   20110727

葉山の先、秋谷の海
葉山の先、秋谷の海

 海がふと目に入ったとき、ドキっとするのはなぜだろうと考える。

 こちらが見つけたのではなくて、海がこちらをずっと見ていたように感じるからではないかと思う。

 

 葉山在住の監督さんと親しいこともあって、鎌倉から横須賀方面に時々出かけるから海は珍しくなくなっているはずなのに、やはりふと視界に入ると小さく動揺する。

 

 「母なる海」という言葉は、陳腐な感じであまり好きではなかったけれど、こうした感情を言っているのなら反論はない。

 ただ僕の場合、それは母とはまた違ったなにかだ。

美しい惑星                              20110724

 

 ほぼ一年前に発売された映像作家中野裕之さんの作品に、「美しい惑星」というものがある。

 当時ラジオに生出演されていて、撮影の苦労話などを聴いていたのだけれど、世界中を歩いているらしい人特有の屈託のなさや、この作品に限らずに紹介されていた、彼の好む音楽がとても魅力的だったので、ハンドルを握ったまま名前を覚えた。

 明くる日検索したプロモーションビデオは、それだけでも充分に見応えある作品として完成されていた。

 音楽もとても美しい。

 

 

 3月11日を境に世界は別のものになってしまった、と京大の小出助教授は言い、僕もきっとそうだろうと思う。

 でも、汚されたのは事実だとしても、破壊された訳ではない。

 原子力発電を即時停止することが最善と考えるけれど、それを支持しない人達が引き起こすであろう社会的混乱をも考慮せざるを得ないなら、年限を定めた中期目標の策定が急務だと思う。

 

 このような映像を見てなお、制御不能な技術を手放せないと言い張るのなら、それはコミュニケーションの断絶以外の何物でもないけれど。

 二度の放射能禍で、世界に何も発信できない国があったら、その国民は不幸だ。 国際競争力という言葉は、メッセージを発信できるひとにこそ、使って欲しい。

 

 

 ここ数日、過ごしやすい気温だったけれど、今入ってくる南西の風もさわやかだ。本格的猛暑への骨休めか?

高2の夏                                                              20110722

 

 9月に、運動部を中心にした高校同期の集まりが計画された。

 楽しみに出席するけれど、僕は高校時代には運動部に所属していなかった。前にも少し触れたけれど、少年野球で膝を痛めていたからだ。

 

 結構な倍率のセレクションを通過したリトルリーグでは、最後のうさぎ跳び世代として根性優先の非科学的トレーニングをしていた。それも原因で、中2から中3にかけての一年弱、体育の授業を見学しながら毎週膝下の骨に注射を打つことになってしまった。早く治すなら手術をと言われ、平凡なバレー部にいた僕は通院を選んだ。

 

 3年の秋からは体育に復帰したけれど、高校入学時にはまだ自信がなくて、迷った末に運動部を敬遠したのだった。

 

 町田リトルは関東大会で3位になったし(全国制覇の調布に準決勝で、2-3)、チームメイトの突出した6人は桜美林と東海大相模で甲子園に出たから、我らがチームは強豪だったと言えるだろう。甲子園では桜美林が優勝し、東海大相模に引き抜かれた斉藤君は原辰徳の次のキャプテンになった。

 

 僕の通った高校は行事の大変盛んな学校で、夏休みもいろいろな活動で毎日のように登校していた。その行き帰りや合間に、デパートや電気屋さんで桜美林の快進撃を見ていたことを思い出す。

 

 彼らと違い、中学進学時に声が掛からなかったので、故障の有無に関係なく甲子園は遠いところだった。だから悔しさは無かったけれど、テレビのよく知っている顔が大変まぶしくて、ある瞬間は感傷的な夏だった。

原田芳雄さん                                                       20110720

 

 原田芳雄さんが亡くなった。

 特にファンだったということではないけれど、カッコ良いと常々思っていた。きっと、たくさんの人が落胆しているのだろう。

 

 10年以上前、代々木上原を歩いているとき、自分の視線が磁石に引きつけられるような不思議な感覚を覚えた。

 なぜ、そちらを見なければならないかわからないのに、どうしてもそこを見なければいけないような圧力を感じたのだ。

 それは100m以上先で、目を懲らすとジョギングする男性が居た。立ち止まってじっと見るうちにその男性は近付いてきて、原田芳雄だとわかった。

 

 今でも、その不思議な印象が鮮明に残っている。ただ走るだけなのに、どうして視線を引きつけることができるのか。

 

 オーラというものが何なのかよくわからないけれど、その存在を、身をもって体験した。

左右反転                                                            20110719

 

 先日の義父の一周忌で会食をしたのは、町田市の鶴川駅から西に向かったところの、霜月亭というローカルなレストランだった。民家を改築したような様子を見せているけれど、多分最初のコンセプトがそうしたもので、きっと演出なのだろうと思う。

 

 駐車の仕方から丁寧な案内があって、料理も専門的なことはわからないものの、とても家庭的な優しさがある味付けで好感を持った。

 

 少し食べ進んだ時に、妻が配膳について言ったので気付いた。僕は左手で箸などを持つのだけれど、お皿の配置が他のみなと裏返しになっているのだ。それは、僕にとっては正位置で、しかしそうした配慮をしてもらったことはあまり記憶に無い。

 

 ナイフやフォークの時はある意味深刻で、すべての配置を入れ替えなければならないし、例えばスープとサラダだって気持ちよく食べるためには配置し直したりする必要に迫られるのだ。

 もっと地味なところでは、カレーを食べるときにお皿を180度回転することは習慣になっている。

 

 盛り付けは反転されていなかったし、そんなことは望む気持ちもないけれど、大袈裟にいえばこんなに嬉しいサービスもないなあと感謝する。

 とても心地よい時間を過ごした。

16番目の月                                                         20110717

 

 昨日は義父の一周忌で、昼間からお腹いっぱい食べたのでプールに歩いて行くことにした。ゆっくりジョギングをしていると、ブカブカのサンダルが重荷になってきたので、思い付いて裸足で歩いてみる。

 

 新鮮な印象もあったけれど、あとでヒリヒリわずらわしいことになった。舗道の表面の仕上げの精度はマチマチで、発注単価にどのくらいの開きがあるのかちょっと気になったけれど、だからどうしたという話ではない。

 

 帰りは東に向かってほぼ直線で、16夜の月が正面上方30度にあったので、ずっと見つめて歩くことになった。

 

 男性的な蒼黒い夜空で、月も妙にクリアだ。

 お墓参りの昼間から、雲が見当たらなかった天気だけれど、その空気のクリアさが放射線に思いを至らせる。見えるものが無いから見えないものを意識するのだろうか。

 

 捨てられないゴミを作らない。というのは、次世代に対する誠意ではないかと思う。技術の進歩に天井が無いかのように感じられた時はいざ知らず、50年待って解決できないなら見直すべきだろう。それなのに、見方によっては瞬間的でしかない国際競争力だかなんだかを人質にとったように原発に固執する人がいて、不思議なことにマスメディアはその消極的支持者のようだ。

 

 月の側から見たら、麻薬依存の末期患者にしか映らないのではないかと思う。

 

 なかなか家に帰り着かないのであとで調べて見ると、6㎞強あった。消化できたかも知れない。

蝉                                                                      20110715

 

 藤原新也の会員サイトで、各地で蝉が鳴かないことが話題になっている。それでも、放射線との関係を気にしながら、まだ何かを推測するには情報が少ないとコメントがあった。

 

 福島原発から70㎞の距離の牛が、大量被曝していたことがニュースになっているけれど、南相馬市の例と同じで、ピンポイントの話としてテレビが取り上げることに違和感がある。

 政府やその他が、牛で発見されたから肉牛の全頭検査をしようと言っているところをみると、豚や鶏、野菜や魚介類も自主検査から発覚するまでは手を付けないという宣言のように聞こえる。

 

 賠償の責務を負う人たちが事実の隠ぺいに走るのは、許しがたいとしても想像はできる。しかし、責めを負わない自治体が、情報の隠匿に励むのが理解できない。(風評被害の構造を知らないはずはない。単に無能なのか?)

 

 一時期、勝ち組と負け組という言われ方がされていて、悲しい気分で眺めていたけれど、ひょっとすると、自治体職員は勝ち組に連座したいのではないかと疑心を抱いた。

 もしそうであるなら、日本もしくは日本の地域は深刻だと思う。

 

 他方で、僕は若者に期待するところが小さくなくて、だから若者の投票率アップに望みを託したいと思っているけれど、ちょっと時間に余裕が無くなってきたようなのが気がかりだ。

風景とのシンクロ                                                   20110713

 

 今日は藤沢・葉山・横須賀・横浜と、それぞれの目的を消化しながら130㎞を移動した。暑かったけれど酷暑とまではいかずに、夏らしい一日だった。

 

 道路は適度に空いていて、藤沢町田線も三浦半島の中も、遠くに先行車を見ながら時速50~60㎞で走り続けることができる。車に備えてあったCDでソロのピアノ曲を繰り返し聴いていることもあって、だんだん、外界との接点が溶けていくような感じがしていた。

 等速度で走り続けていると、スピードが感じられなくなってきて、自分と車は動かずに景色が動いているように思えてくるものだ。

 

 風に山の木々が少しざわついているのが、不思議とメロディーに対応していて、ますます浮遊感を補強していた。

 何かが左右から近づいてきて、真ん中でカチっと出会ったように、不思議な充足感に包まれている。

 

 とても長い距離を高速でくぐり抜けてきた一日の終わりの、車と自分の感じに似ていた。

フェイスブック02                                                    20110711

 

 最初にフェイスブックを知ったのは、高校時代の友人が頻繁にナイロビなどに出張を繰り返していることから写真を見せて欲しいと頼むと、じゃあフェイスブックで、と言われたからだった。Mdm

 それから一年余りが経って、何となく利用者が現れ増えてきて、開く頻度が増した。                                              

 どんどん友達が増えて行く友人と、ゆったり構えて変化の無いひと、まさにさまざまなのだけれど、最近発見した楽しみは友達の友達リストを見ることだ。

 

 自分の写真を無造作に貼れるひとがあるとしても、平均的には自意識という引っ掛かりを感じながらの掲出だろう。だから、直接本人を知らなくても、少なくとも僕の友人の友人だと多少の親近感を持ってながめると、こんなに狭い世界なのにそれでもとても把握できないほどに広いのだなあと思わせられるのだ。

 

 それぞれの友人の友人が僕と同じように自意識を抱えて存在していることが愉快に感じられる。

 

 ちょっと怖い側面もあるとは思うけれど、楽しさに比べたら何ほどのものでもないという気もする。

鼓動                                                                  20110709

 

 池澤夏樹のパレオマニアでは、13の国を巡って遺跡を訪ね、文明や美術を通して人間を観察する。

 そこでは、氏によって文明間のさまざまな対比が示されるのだけれど、文章として明示されなくても感じられたものがあって、そのひとつが心臓の鼓動に関するイメージだ。

 

 メソアメリカのアステカ文明と、オーストラリアのアボリジニ。

 

 アステカでは、支配者が都市という集積を完成させて巨大建築物である祭壇を作らせ、神々のために奴隷の心臓を、生け贄として極めて大量に頻繁に捧げた。

 アボリジニは採集のみにて暮らし、家畜も住居も持たずに移動の日々にあって、高度な絵画技法を磨いた。世界の始まりと自分は同じ空間に存在していると考えていたらしい。

 

 アステカでの鼓動は、不可避の終末へのカウントダウンだったように聞こえる。

 一方、アボリジニにとって鼓動は、世界に向けたセンサー(ソナー)だったように感じられる。

 

 どちらも生への執着とその表現・実践だと考えれば、おぞましいもの、文明の波に乗りそこねたものという通り一遍の解釈から、ずっと興味深いところに踏み出せる。

 

 それを、池澤夏樹は旅行記のように書いている。

パオ                                  20110707

 

 昨年の7月末、房総に出かけた。親子三人の円形劇場芝居が、砂浜に設営されて公演されたからだ。

 その日に到着して宿を探すと、「男一人の観光ならここが良い」と駅前案内所で言われ、(妻は用事があって行かれなかった)男一人の観光は敬遠されるのかと驚きながら、他に候補も無さそうなので決めた。

 その民宿は、数百メートル海から遠ざかっていたので、もっと近かったらと少し残念だった。

 

 今年は瀬戸内海の直島に出かけることにして、泊るところをネットで探していたら、パオを見つけた。モンゴルなど、遊牧民の住居である移動式テントを宿として常設しているらしい。

 最初に就いた設計事務所の親しい先輩が独立したとき、事務所の名前を「包」(パオ)にしたのを見て以来、親しみを感じていたので興味を惹かれた。

 そう言えば、伊東豊雄さんのプロジェクトにも「東京遊牧少女の包」というのがあった。

 

 申し込んだ後にグーグルアースで検索すると、砂浜のすぐ隣の様子だった。一年越しの希望が叶いそうだ。

 

 誰だったか房総で育った女性作家が、海が夏に変わるのはたった一日の出来事なのだと書いていて、その光景を経験していないものの描写が巧みなためか、目の前にしているかのように想像することができた。

 その日を大きく超えて出かけるけれど、夏の盛りの瀬戸内海を吸い込みたいと思う。

雷雨                                 20110705

 

 昨晩は風が強かった。寝ようとしたとき、窓を開けるかどうしようかと迷ったのは南西の風でとても湿度が高かったからだ。

 庇はあっても入り隅の窓に風が吹き付ければ容易に雨は入ってしまうから、電気を消した後になって念のためインターネットで確認することにした。

 

 郵便番号で調べると、明け方「弱雨」となっているものの、3時間の降雨予想量は2㎜だ。

 その程度ならと小さく開けたとき、空が光った。

 

 少ししてから降り出した雨は、屋根を叩くように強く大粒だ。驚いて電気を付け直し、他の窓も閉まっていることを確認して歩くあいだ、散発的に光る夜空と雨はリズムがばらばらで、子供の振る舞いのようだな、と思った。

 

 雨の降っていたのは5分か10分くらいだったけれど、見た感じでは2㎜などとっくに超していたから、最近の雨は用心しなければならないのだ。

不審者                                20110702

 

 ジェリで思い出した。高校生のとき、Jeriと深夜にちょっとお酒を飲もうかということになって、自動販売機の前で落ち合った。お酒と煙草を買っている時、遠くの方にパトカーの赤色灯が見えたので脇道に入って通過を待っていたら、なんとすぐそばで停まった。

 

 扉の開閉音に続く足音に、慌ててターンして背後の階段を駆け上る。二手に分かれて逃げたのだけれど、下駄に浴衣なのでスピードが出ない。お巡りさんが

 

 「止まれ、止まらないと射殺するぞ」

 

と大声を上げたとき、緊張しながらも心の中で吹き出して、結局追いつかれた。Jeriは証拠隠滅に持参したおつまみを投げ捨てたのに、僕は煙草を握りしめていた。

 

 Jeriと別のパトカーに乗せられてから冷や汗をかく。交番に戻る前にひと仕事あるとのことで、それは不審者がいるという通報らしく、困ったことに僕の家の道一本隣の小中学校同級生女子の家なのだ。

 良く知っているお母さんが出てきたとき、隣のお巡りさんが僕の頭をジャンパーで覆った。そんなやり方に腹が立つものの、放置されるのも困る。お母さんは犯人が捕まったと思ったに違いないけれど、声が聞こえなかったのでどんな説明をしたのかはわからなかった。

 

 結局のところ煙草とお酒を買っただけだから、交番でこってり絞られた後解放された。  

 不思議なのは、なぜ僕に不審者の容疑をかけなかったかだ。きっと人を見る目のあるお巡りさんだったのだと思う。

 その後、捕り物があったという話を近所で何度も聞かされて、その度に驚いたフリをした。

あだ名                                20110702

 

 7月20日の情景を思い出したら、つながって友達の顔を思い出した。

 名前を忘れた子も多いけれど、あだ名は忘れない。

 

 チョック、たわし、プー、サノケン、オンジ、はた、アッチ、チャー、ブオジ、タム、トンちゃん、ジェリ、コンチ、しも、クック、一休さん、キム・・・

 名前と無関係のものも多くて理由がわからないけれど、子供に子供の世界があったことはよくわかる。

 

 プーというのはひとつ年上でケンカがやたらと強かった。だから僕たちはプーさんと呼んでいたのだけれど、いつも睨み付けられてくまのプーさんとは対極のキャラクターだった。

 ジェリ君とは今でも親しくしていて、本人はJerryと綴っているけれど、由来は「ジェリコの戦い」だから(本当の意味での由来はわからない)ジェリーではなくてジェリが本家のはずだ。(Jeri)

 

 僕はあらみの「あ」のせいかアンコと呼ばれていた。

 

 家の近所ではタンタンと呼ばれていたのだけれど、それには明解な理由がある。

 ある日タンタンに感動した僕が「僕はタンタンになる」と宣言をしてそれ以外で呼ばれても返事をしなくなったからだ。(3~4才)  

 ただ、タンタンに感動したのは憶えているけれど、タンタンが何だったかは僕を含めて知る人が無い。