もう一つの時間              20160513

 

 昨晩、NHKで「旅をする本」という番組を見た。

 写真家・エッセイストである、星野道夫さんのベストセラーに「旅をする木」というエッセイがある。その文庫本のタイトルに、線を一本付け足して本という字にした人がいた。ミッションを得たその本は、スペインを起点に、旅をするべく人から人へ手渡されて北極や南極にも行ったらしい。

 番組の終わりころ最初に始めた人にたどり着いて、その人も兄弟から聞いてその仕掛けを真似たと話したから、旅をする本は一冊ではなかったと判明する。それでも少しも残念でないのは、出演者みながその本を好きだからで、ストーリーのドラマ性が関心の中心ではなくなっていたからだろう。

 

 星野さんの写真は完成度がとても高くて、加えてまさに品行方正だから、僕などは斜めに見るようなところがあった。

 ある時、写真集売り場ではない一般書籍の棚で「旅をする木」を見つけて、気まぐれに購入した。読んでみると、一行一行が気持ちよく体に入ってきて夢中になった。そして、読み終わったときはその豊かさに圧倒されて、それまでの自分をこっそりと恥じたことを憶えている。

 

 星野さんは40代半ばで熊に遭遇して帰らぬひととなる。

 

 番組最後に、星野さんの奥様が思い出に触れた中に、もうひとつの時間という言葉があった。

 誰しもが、些細なことに忙殺されがちな毎日だけれど、そうした日常のすぐそばに、もう一つの時間が流れていることを心のどこかにとめておけば、暮らし、人生はより豊かになるのではないか・・という星野さんのお話し。

 

 このことが意識のどこかに残っていたのか、散歩の途中で撮った写真は虫の視点。誰に見られなくとも青は漲っていた。

(ページのアイテム数が上限に達したので、次は新しいページです。気が向いた時に開いていただけると嬉しいです。因みに、チェック機能を設定していないので、読んでくださる方が0人か5人かわかっていません。だからこそ続けられるのですが。)

夕暮れ散歩                20160511

 

 昨日は昼食に外出したけれど、今日はずっと家(事務所)で仕事だったので、夕方散歩に出た。

 

 一度坂を下ってから、「埴の丘」というタウンハウスの階段を上り始める。

 これは、2軒~4軒で一棟を形作る木造住宅を、急な斜面に馴染ませて20棟あまり配置した集合住宅だ。付近より大ぶりの建物と、よく育った樹木が開発者の期待に応えるようにしっとりとした雰囲気を醸し出している。

 

 2mほどの幅の階段路地が、庭や建物を迂回しながら思わぬカーブを描いて楽しい。標高差20mあまりを上り切るとそこが尾根で、着いたときは遠近感が薄まる静かな時間帯だった。

 

 遠くに丹沢を眺めて、それが伊豆の衝突による隆起だと想像しようとしたけれど、何百万年という推移はただ不思議なばかり。

 太陽系の全質量の99%以上を太陽が占めていると聞いた時、やっぱり頼もしいなあと安心したことを思い出したりもして、トワイライトとはこんな時刻かと思った。

和のGW                 20160506

 

 ゴールデンウィーク後半は和の感じが強かった。

 

 中華街で何か食べようと思い立ち、混んでいるだろうから時間をずらそうと三渓園に立ち寄ったら、ちょうど白雲邸が公開されていた。浅草寺に続いての遭遇。(GWも出てみるものだ)

 

 5日は孫の節句祝い。長女がさくらんぼを好きなので、フェンスに登って採取した。

 最近読んでいるのも、「雪国」や「夢十夜」など。なんだか優雅な気分。

伝法院庭園                20160501

 

 江戸東京博物館に出かけてみた。楽しかったけれど、昨晩も若冲の番組で圧倒されていたので、物足りなかったのは仕方がないことだ。

 その後、スカイツリーと浅草寺を回った。スカイツリーでは、当日券売り場に14時半ころ行ってみると、係の人が17時か17時半なら上れそうだというので、そそくさと退散した。

 

 代わりに浅草寺が浮上して歩いていたとき、最近壇蜜さんが庭園を紹介していたことを思い出して探すと、いや探すまでもなかったのだけれど、五重塔の足元の伝法院の庭園が公開されていた。

 

 小堀遠州によるとされている庭園はとても魅力的で、しかもあの浅草周辺の雰囲気からは想像できない静寂に包まれている。

3月18日からの公開は5月9日まで。(16:30の閉園間際がより落ち着いているように思った)

江戸 TOKYO                                           20160429

 

 今日、日本橋にある建材ショールームにお客様を案内した帰りがけ、目の端に鮮やかな色を感じたので目を向けると、屋根がベンチになった観光バスがいた。

 咄嗟に写真を撮ったけれど、お客さんは後部に集中していたので、楽しそうな様子は残念ながら写っていない。

(慌てたので縦パノラマ)

 でも、こうして写真を見返してみると、かなりカッコ良いバスだと思う。ひょっとすると屋上だけが客席なのだろうか?

 

 家では「美の壺」の再放送「扇子」と、若冲特集の豪華版を見た。

 少しは知っていたつもりなのに、その完成度や斬新さに驚嘆する。江戸すごい。

 

 東京五輪のエンブレムは、最後に残った4作品とも魅力を感じられず、なかでも決定案は地味な気がしていた。作者の人柄がインタビューで伝わってきて好感度が上がるうち、その背景に置いた江戸と東京の文化と、つながる、というキーワードに強さを感じるようになってきていた。

 さらに、今日のいくつかのささやかな体験で、エンブレムがかなり魅力的に見えるようにもなった。

 若冲展はウィークディにするとして、せっかくのGW中に江戸東京博物館に行ってみたい。

五行                   20160424

 

 日曜日と月曜日以外の木火土金水は、中国で五行思想を元に惑星に割り振られたらしい。だから、ローマ神話から名づけられた西洋の呼び名と結びつけるのは適当でないそうだ。

 

 五行とは、人がはるか昔に感じた世界を構成する要素と思ってみると、そこに金が入っているのが面白い。

 

 戸田幸四郎美術館で購入した本は「漢字えほん」で、象形文字の成り立ちを解説している。僕は漢字の元に興味があって、ずいぶん前に「辞統」という分厚い辞書を買ったのだけれど、あまりに学問的過ぎて難しかった。戸田幸四郎さんのものは、なにしろ絵本だから僕のニーズにぴったり合致した。

 自分でも手を動かしてみたくなったのだけれど、そのまま写しても仕方ないので、いったん閉じて      から絵を描いてみた。  

 ちょっとわかりにくいのは金で、今という字と土に埋まった鉱物を意味しているらしい。(今という字がキンという音らしいけれどどうして必要なのか・・・字統を読んだらますますわからなくて)

戸田幸四郎                20160423

 

 絵本作家の、戸田幸四郎という人の名前は知らなかった。たまたま出かけた先の近くにあったので立ち寄ったのだけれど、とても充実した美術館で、作品はあちらこちらで見ていたものだった。

 MOMA(ニューヨーク近代美術館)のショップで売り上げNO1を記録した作品もあるらしい。

 

 傾斜地にある美術館なので、エントランスからひとつ階を下りたところに絵本の読み聞かせをビデオで見られるコーナーがある。

 席に座ったときはある作品の終盤で、そのうち「走れメロス」が始まった。他は10分弱が多いのに、メロスは37分と表示されていたから、「最初だけ少し見ようか」と言っていたのだけれど、結局最後まで見てしまった。

 メロスの物語の記憶があいまいだったことも大きいけれど、キャンバスに油絵で描いたメロスに惹きこまれたからだ。

 

 戸田幸四郎さんは作品の幅がとても広くて、大人でも存分に楽しめる作家なのだと知った。

(下の絵の写真はホームページから拝借したもので、メロスは残念ながらそこに無かった。美術館は熱海から南下した上多賀にある)

観光地                  20160421

 

 週のはじめ、嵐の日曜日と晴天の月曜日に伊豆に行ってきた。

 昔ながらの観光地は、東西南北の老若男女に楽しんでもらうため、少し緩んだ雰囲気で作るのが常套手段だ。それが易きに流れるとだんだん居心地が悪くなる。

 でも最近は、クラゲだけで世界に誇れる水族館が出来てきたように、さまざまな工夫と知恵が投入されて、しばらく前とは隔世の感がある。

 

 ラリック美術館と間違えて行ったガラスの森美術館では、吹き抜けで15分のバイオリン演奏会に行き当たった。イタリア人の演奏家は、3大テノールと同じステージに上がったり、ヒラリークリントン氏に招かれたりしているという紹介で、とても楽しい演奏だった。高音と速弾きが得意なパフォーマーでもある。

 ヨーロッパの田舎で、村長の屋敷の庭で宴会をやるような雰囲気で、「楽しいことが一番!」というメッセージが徹底されていた。

 観客のおじいさんから小さな子供までが楽しんでいる様子が新鮮で、ビバルディがこんな風に素朴な愉快さに溢れているんだ、などと発見したような心持になった。演奏後、サインをしてもらってCDを購入する。

 その場を離れて車で聴いても、いろいろな表情があって楽しい。

 

 その後嵐をおして行った田舎風蕎麦屋が美味しくて、宿は清潔と泉質が自慢という普通のところだったけれど、丁寧な料理と接客がこころ温まる。

 

 戸田幸四郎という絵本作家の美術館では、自分用の絵本を一冊購入した。

 帰りの海老名サービスエリアのラーメンも美味しくて、嵐以外外れのない小旅行だった。こんなこともあるのだ。

4/13                  20160414

 

 昨日の13日は僕の誕生日だった。

 誕生日を意識し始める小学校低学年のころ、自分の誕生日は洋の東西の好かれざる数字が並んだものだと思った。(まあ、仕方ないか)その後、ずっとそう思っていた。

 

 いつだったか、妻が、「あなたの誕生日は可愛い数字ね」と言った。その時、自然にそのイメージが入ってきた。

 4/13は、映像としてすみれのようだ。理由が見つからないので、もっとすみれのような日付を探してみたけれど、今のところ見つかっていない。笑(この表明を却下する自由を担保します)

 

 その誕生日、僕は仕事を放棄して本を読んでみたりしようと思った。このために仕込んだ訳ではないけれど、ブックオフで買ってきた夏目漱石。

 本を開くと「この本によせて」という文章があって、半世紀以上経っても出版する意義のある講演録なので、と解説されている。その記事が40年弱前なので、いったいいつの本やら・・・などと。

 カバーには280円と印刷されていて、ブックオフ価格は310円。

 まだ半分だけ読んだところだけれど、少しも違和感がない。

 講演のタイトルは5つあって、その内の、「道楽と職業」、「現代日本の開化」、「中身と形式」を読んだ。

 

 

 僕が最大感心したのは、まだ資本主義が浸みわたっていない時期の冷静さのようなもの。

 タイトルにあるように、「個人」が出発点であることを忘れるな、という戒めに溢れている。超スッキリした誕生日になった。

囀り(さえずり)              20160411

 

 孫が生まれてはや3か月。

 最初の1か月は妻の助力が必要だったので、一緒に暮らした。その後は長女が孫の顔を見せに来たり、こちらから見に行ったりをしていた。

 抱いたりあやしたりというところでは戦力とみなされていないけれど、それでも居ないよりはましというところか。

 

 昨日、少し久しぶりにやってきた。よく眠る子らしく、看護師さんも感心するくらい体重が増えたらしい。抱えてみるとずっしり重い。降ろそうとして背中が床につくと泣き出したりするけれど、抱いている人を選ばないところは感心だ。入れ替わりで、まるでリレーのよう。

 

 立ったまま抱いていると腕が辛いので、孫の隙を見て着席する。眩しいだろうと思って背中のカーテンを閉めて揺らしているうちに、自分が寝そうになった瞬間、近くで小鳥のさえずりが聞こえた。それは少し夢のようだった。ここ数日忙しくしていた昼夜のエアポケット。

桜                    20160401

 

 僕の住んでいる町田は通勤には負担があるけれど、密度は都心とは全然違うからあちらこちらに桜が咲いている。

 近所に買い物に行った時と夜の散歩でスマートフォンを向けた。

 今年は卒業生新入社員も、新入生も何とか桜が祝えそうでいい感じ。

 ここのところ薄曇りで少し寒そうなのが残念。静かな桜。

絵本作家                 20160330

 

 中学生のころ、将来どんな職業に就こうかと思ったとき(それはきっと学校の授業などで触発されたものだったと思うけれど)、ひとつ頭に浮かんだのは絵本作家だった。

 描けるかどうか別にして絵が好きだったのと、何か表現をしたいという欲求があったのだろう。

 それでも、それがとても難しいことに感じられたのだから、目標というよりは漠然とした憧れだったのだと思う。実際問題として、そうした考えや想像より、目前の楽しみに心奪われていた。

 最近、孫が生まれたこともあって絵本に目が向くことが増えた。

 

 おおかみに星、石ころ・・

 そうした身の回りに神経を少し振り分けると、ゆったり過ごす時間が増やせるだろうか?より生活を楽しむことができるだろうか?この先、それを考える時間ができてきたようで、楽しみだ。

(写真はムーミンの画集の一頁)

舟歌(ショパン)             20160322

 

 昨日は元代々木の家の竣工祝いの会に出席した。

 建て主は従姉なので、工務店さん以外は親戚の集まりのようだった。従姉とその娘さんはバイオリニストで、娘さんの夫は(ついこの間結婚したばかりなのだけれど)作曲家・ピアニストだ。

 

 お祝いの夕食の前に、地下の音楽室で小さな演奏会が催された。

 間近で聴くトリオは迫力満点で、音楽で生きている人たちの気配に圧倒されながらも楽しい時間を過ごすことができた。

 

 女性二人が食事の支度に階上に移動したのち、新郎がショパンのノクターンと舟歌を弾いてくれた。(彼は先週まで10日間、船の上のピアニストだったから、というのが一つの選曲理由らしい)

 

 舟歌は、絵画のような曲で、大変に好きになった。僕の少ないクラシック体験のほとんどを占めていたバッハにショパンが加わった。音と色彩が頭の中でどのように関連付けられるのかわからないけれど、一枚の動く絵として眼前に現れるのはすごいことだと思う。

  仕事場にベネチアで買った写真集が置いてある。その表紙の運河には、白・ベージュ・ピンク・グリーン・赤・青・・・さまざまなベネチアの建物の色が小さな波間に映りこんでいて、印象派の絵画のようだ。

 それが音で再現されるなんて。

春                    20160317

 

 久しぶりのお日様に誘われて、早い時間にスーパーマーケットに寄ってみた。

 思った通り、まだ空いている駐車場でわざわざ屋上まで上る人は無いようで、僕だけ状態。遠くに丹沢が見える。

 広い空は海の記憶に繋がっている。

 ある時期、湘南の建設会社さんと一緒に行動することが多かったので、海の記憶はそれなりにあるのだ。

 

 春が来たかな、という日に夏にまで思いを伸ばすのは少しせっかちだけれど、だんだん楽しみになってきた。

 

 寒いときに、「この国に夏なんてあっただろうか」と思った自分が信じられない。夏よ遠慮するな早く来い!

僕の船                   20160314

 

 今日、青色申告と確定申告を税務署に郵送した。ほとんどが妻の整えによるものなので自慢はできないけれど、それでも達成感はあるので近所の店で乾杯した。(玉川学園の山海賊は美味しい:超ローカル情報)

 

 生活と収入がどのようになっているか突きつけられるところもあって、だから安穏ともできないけれど、頑張っていると内輪では評価したい。

 

 今回、税務署という外の視線で自分を眺めてみると、なにやら池の波に翻弄される木の葉の舟のようだと思った。

 でも、盤石な生活を築いている人の方が少ないだろうから、徒に反省する必要もないだろう・・・と考えることにする。

 

 しばらく前に、たまには普段と違う本を読んでみようと、楡周平の「羅針」を購入した。そこにあったのは、大型船の航海士という男子の憧れる職業が、世界経済と所属船会社、人間関係などに影響を受ける様子だった。少し退屈でもあったけれど、教えられることが多かった。

 その主人公の乗り組む船は、南極に近い海域で推進力を失って遭難する。

 

 遭難する前にも小さな危機はあって、荒れ狂う海にも、高い波がしらにも、船をコントロールして直角に立ち向かばなんとかやり過ごせるという説明があった。

 危機は、スクリューに巻き付いたロープから始まる。推進力を失ったことで連鎖があって、主人公たちの絶望が伝わる。

 

 

 そうか、巨大船団であっても、池の小舟であっても推進力こそがレゾンデートルなのだ。(レゾンデートル:存在価値・・・懐かしく思い出したカタカナなので使ってみました)

 

 サッカー解説で聞く、「攻撃こそが最大の防御」。楽しく攻められるように早くならなければ。 

ゴジラ                    20160309

 一昨日、引っ越し日時が確定している住宅の、建築基準法関連の完了検査を受けた。

 法的にはもちろん不安が無いものの、完成度については多々心配があったので、無事終了したことに安堵した。

 

 その晩気分転換にゴジラの絵を描いた。

 

 今日、プロファイラーという番組を途中から見たら、ゴジラがテーマだったので、描いたことを思い出してちょっと工夫した写真にした。

 奇しくも、原発再稼働に地方裁判所が停止命令を出した日でもある。

 

 写真の意図は単純な構図の遊びだけれど、はからずも向き合っていることにゴジラの暗示があるようだと思ったりするのは、こじつけかな。

 

 原発推進派の怒声の含みと、原発反対派の嬌声の含み。どちらにも共感できないのが厄介なところだ。もっと知るべきなのだろうな、と思った晩。

立ち会う喜び                 20160303

 

 今日はほぼ完成を迎えた音楽家の家に、グラウンドピアノの搬入があった。

 地下にスタジオが2つあって、もっぱらバイオリンルームとピアノルームになる。

 問題は、その地下にどのようにグラウンドピアノを搬入するかだ。もちろん、設計段階から最大関心事だったから、そのことが頭を離れることはなかった。(専門運送会社に聞いてみると、入れようとして入らなかった事件は枚挙にいとまがないらしい・・・)

 

 何度も平面図や断面図にピアノを描き込み、「ここで少し左に回転、持ち上げたまま階段の2段を越して後ろの扉を開けてスペースを借りて、壁際に寄せながら角度を調節して・・などと図面上ではシミュレーションを繰り返したものの、280㎏もあるものだから半分以上は想像がつかない。

 最大の不安点は階段からどのくらい上のクリアランスでピアノが移動していくのかだった。(100㎜OK?、200㎜必要?)

 

 通路の養生から立ち合い、7人の屈強そうな人たちの作戦会議に耳をそばだてる。始まるのかなと思いながら、実際は意思の疎通にしばらくの時間を要したようだけれど、「よし!」という合意のあとは見事なものだった。

 希望の位置に落ち着いた時には思わず拍手をしてしまって、こちらの体裁は悪かったけれど、迷惑ではなかったはずだ。なぜなら僕にはうかがい知れないような達成感をたたえた表情が彼らにはあったから。

 

 感謝をして「5年後のオーバーホールの搬出もよろしくお願いします」と頼むと、50代から20代までの全員が「そのころは退職しています」と笑っていた。(職人さんはやっぱり職人さんだ)

 

 立ち合いのクライマックスはピアノ演奏者の様子だ。

 作業中は控えめに希望を伝えるばかりだったけれど、静かになったときは違う気配があった。彼はこれから始まるのだな、と思った。

誰のため                   20160301

 わざわざ自分の仕事を難しくする人は多いのだろうか、少ないのだろうか。

 設計の仕事をしていて、たまたま他の提案書など見させてもらうと、驚くことがある。

 

ある時はその高い専門性。       

別のある時はあまりの安易 さ。

(圧倒的に後者が多いのは身贔屓な判断ではないと思う 笑)

 

 困るのは、その難しさをクライアントに説明し難いところだ。例えば、職人さんがその技にどんなにエネルギーを費やすのかを語りだしたら聞き手が鼻白むように、やはり僕たちもそれはできない。

だから、時間ばかりが過ぎているようで消化不良気味になってしまう。

 

 上の絵は、法的規制を満たしながら少しでも豊かな家にしようと、プレカット工場と一緒にもがいているもの。そこには自己満足もあるかも知れないけれど、住まわれる人の利益に直結するはずだ、しないはずがない、しているに決まっている(友人小児科医風語調)、と自分に言い聞かせているところもあるのだ。

 

 そんなこんなで、またひっそりと難題を抱え込む。

 

 さらに加えて困るのは、大工さんが難しいことを強いられる(強いているのは僕だけれど)ことだ。もっともっと感謝しなければ。

Kへ(1)                 20160219

 

 Gはこのあいだグレートバリアリーフを特集したBS番組を見た。そうしたら、透明な珊瑚の海の底にいる、「チンアナゴ」という魚が紹介されていた。

 チンアナゴはビニールチューブのような形態(長さは新しい鉛筆くらいか?)で、珊瑚砂にもぐりながら上半身?を垂直に立てて潮に乗ってくるプランクトンを捕食しているらしい。特に他にすることはなさそうだ。

 海は広くてもっと他にも珍しい魚がいる。深い海には暗闇で暮らす魚も多いらしい。

 

 Gは小学生のころ、玉川学園駅の改札を通り抜けるとき、ふと「人は何のために生きているのか」ということが頭に浮かんで面食らったことがあった。まだ答えはないので、いつかそんな時がきたら話し合いたい。

 ただちょっと思うのは、生命には昨日も明日もないのだろうということだ。目的や目標を持つことに異論はないけれど、それは多分本当に大事なことの次のことなのだろうと思う。

 

 自らの鼓動を聞くこと、加えて空気を感じること、息をすること。それが生命の豊かさなのかと思う。ああごめん、これは君を見ていて発見したのかもしれないね。

JJJ                                                        20160216

 

 ここ半月ほど苦しい状態が続いていて、気分転換が必須だったりする。もうすぐ良くも悪くも目鼻がつくので少しだけ余裕ができた。

 上のジャケットはジャズトロンボーン奏者「JJJohnson」のもの。僕が持っていたアルバムはインターネットで見つからなかった。

 トロンボーンはとても肉声に近いので、好きだ。

 

 そして、1960年代だったと思うけれど、この時代のデザインはなんとも言いようのない魅力がある。それも息遣いかなと思う。

ローレンス!!               20160212

インターネットから無断借用

 ほれぼれする顔だなあ、と思ってインターネットから借用してしまった。

 北野武さんがいつ世界のスターになったのか知らないけれど、バイク事故の前はかなりのハンサムだったのだと気付く。

 ああいや、バイク事故の後だって他の人が代わることのできない顔だけれど、少し影ができたように思うのだ。歳もとられたし。

 

 「戦場のメリークリスマス」は、僕の設計事務所勤務デビューのはじめころだった。今では信じられないような話だけれど、若い所員がBGMとしてターンテーブルにLPレコードをセットしては針を落としていた。

 

 モルヒネを打たれたことは幸いにしてまだないからそれがどんなものか知らないけれど、この曲を聴いているとちょっと想像するところがある。まあつまり、そのくらい好きだ。

  

 だから、当時、日に何度もこの曲をかけていて、最後には複数の先輩女性所員から是正勧告(繰り返さないで!)を受けてしまった。

 そもそもこの曲自体が延々との繰り返しなのだから当然ではあったけれど、僕はもっと聴いていたいのにと思った記憶がある。

 

 この曲をいたずらに懐かしみたくはない。でも新しい形でこの曲を聴きたい。難しいかな、デビッドボウィが二度と生まれないように。

999                   20160208

 

 僕はひねくれたところが少なからずあるので、松本零士さんの作品に知識が無いのだけれど、銀河鉄道999はもちろん知っている。

 

 それを少し思い出すような物が東京ミッドタウンそばに出現した。僕の関わり方は限定的だし、不用意に話すとどこからか叱られそうなので明記しないけれど、見かけたらちょっと思い出してもらえると嬉しい。

 

 都心の高度集積地で、しかも時間を限られた事業だから、監督さんには創造を絶するプレッシャーがかかっていた。

 今はディープに煩悶した人に気軽にはねぎらいのような言葉をかけられないけれど、いつか讃えたい。

 僕は、可愛い孫とこのやや非常識な物体のはざまで漂ってしまった。でもいい経験で学ぶこと盛りだくさんだった。

母船・着陸船               20160130

 

 孫を抱いていて、その表情を見つめていて思った。

 

 ずいぶん前、長女長男が子供からもう一段成長するころ、妻と、子供と自分の距離やこれからのことを話した記憶。

 僕は、娘息子がどこに向かうかわからないまま、それでも不思議と心配のようなものは感じていなかった。それを説明しようと思いを巡らせたとき、頭に浮かんだ映像はアポロだった。

 真黒な宇宙を等速度で進行するアポロ。そこから切り離されて月面に向かう着陸船。

 

 それはかつてどこかで見た映像だったけれど、そんなアングルはリアルにはあり得ないから、きっと映画やドキュメンタリーで作られたものだったのだろう。

 静かに、だんだんと母船から離れていく着陸船。

 

 僕がその映像に感激したのは、それが徹底的に等速度だったことだ。物理的には当然のことで、進行方向への速度はいついかなるときも変わらない。垂直方向には着陸のために微小な加速がなされていて、だからだんだんと母船から距離を作っていく。それでも、行先を異にしても、等速度であることに変わりはない。

 

 距離は開いていくけれど、探すまでもなくそこにいて見失わない。だんだん小さくなるかもしれないけれど、見失わない。僕は娘息子をそのように感じていた。

 

 それがその通りなのかどうか今現在確信がないけれど、孫を抱いているとそんなに間違っていないとも思われる。等速度であれば他になにか必要だろうか。何もいらないことが今日の幸せ。

 

 Gの思いをよそに、K(けいいちくんという)は泣いたり笑ったり。母親は睡眠不足で大変だ。 

多面的アイデンティティー         20160118

 

 昨日、ふと思い立ってセンター試験の国語問題を読んでみた。

 その読解問題の文章は、現代とその前の時代のアイデンティティーの持ちようについてのものだった。

 

 とても要約はできないけれど、自分なりに読んだのは、

「以前は社会に共通性が見られたので、アイデンティティーを獲得していく過程が共有される傾向もしくは期待があったのに対し、現代は価値観の多様化からそれが難しくなり、だから筋の通ったアイデンティティーというよりは、場面や相手に応じた自身の多面的キャラクターを駆使する傾向がある。」

というものだった。

 

 僕が注目したのは、それを書いている人が「外キャラや内キャラの使い分けは、相手を思いやる誠実さからも生まれている。」と、肯定的に解釈している点だ。

 

 我々の年代だと、世の中には正邪があってそれが行動指針になるという暗黙の了解があるように思う。だから友人Aと友人Bに同じことを言うのが正しいことだと。

 しかし最近、僕は正しいことが自分の中で揺らいでいることを感じていて、むしろそれを疑う傾向が強まっている。

 

 面と向かった人から受ける大小の影響が僕のアイデンティティーではないかと思うのだ。大きな骨格は幻想に過ぎなくて。

 

 そう思うことは福岡伸一ハカセのマップヘイターと細胞分裂の仕組み、IPS細胞の現実など聞こえてくる情報とあいまって、何か新しい可能性を感じたりするのだけれど、どうなのだろう。今度少しまとめて考えてみたいと思った。

王様が来た                20160110

 

 彼は徹底的に唯我独尊。周りの気配など一向にお構いなしなのだけれど、その姿だけで女性を虜にし、男の気持ちまで鷲掴みにする。

 大声を上げるかと思えば次の瞬間ほほえみのようなものを浮かべる謎に、誰も目を離すことができない。赤ちゃんはまさに王様だ。

 

 1月6日未明、長女夫婦は近所に住んでいるから産院も近いので、長女の夫から連絡を受けて午前3時に待合室に着いた。妻は少しでも近づきたいと待合室から階上に行ったので、産声が聴けたらしい。僕はそのまま待合室にいたから聴き逃した。こういうときは冷静ぶらない方が得だ。

 

 今日、母子ともに産院を離れて我が家に到着した。さきほど風呂に入れていたけれど、初めてだから大騒ぎ。居場所が見つからずにうろうろしていたら、「写真、写真」などと。

 

 これから一か月、そして近所だからきっとずっと、彼の背後にまわらなければならないと悟った。それを幸せと思わせるところなど、やはり王様以外に考えられない。

 新パパ命名の「景一」君は、当面「けいちゃん」になりそうな気がする。僕は「おGちゃん」と呼ばせたい。

新年                   20160103

 

 ページを開いてくださったみなさま、新年おめでとうございます。今年も皆さまのご多幸をお祈り申し上げます。

 

 昨年6月に個人事務所を開いてから、幸いにも忙しい日が続いて気が付いたら前回の雑感から10日あまりが経っていた。プロジェクトの途中から参加した六本木の商業施設は信じられないようなスケジュールで、30日に打ち合わせをして本日3日は図面作製に忙殺されてちょっと悲鳴。でもありがたいこと。

 そんな正月だったけれど、昨日は長女とその夫君が訪ねてくれた。

 妻は美味しいものを食べさせようと孤軍奮闘だった。もともとあまり手伝えないけれど、先に書いたようなスケジュールだったので大掃除の大部分も含めてすっかりお任せになってしまった。

 長女が着いた時の写真が上のもので、楽しい正月になった。午前中は博多から帰省した長男が墓参りに行くというので同行したのだけれど、30日から、とても暖かくて優しい日差しが続くのが何より嬉しかった。今年も頑張ろうー。

猫の目                  20151222

 

 個人事務所の自由度から、先に睡眠をとって夜更けに仕事を始めた。途中、表に出てみると空気が驚くくらい澄んでいた。小笠原の海の取材番組を見て、遠くのクジラとダイバーがまるで宙に浮いているかと見えたように。

 その割にオリオン座は目立たないなあ、などと思いながら歩いていたら、角を曲がったとき、2㎞先の雑木林の上に猫の目があった。

 

 月は10日あまりで上弦。薄黄色のきれいな猫の瞳はこちらを監視するような、しかしどうでもよいようなやさしさをたたえていた。(時折、小さな鼻息が聞こえそう)

 地下事務所はここのところ15°Cで安定している。もちろん寒いけれど、ヒートテックと赤外線暖房でそれなりに快適だ。冬。

青焼き                  20151216

 

 僕たちの20代~30第前半は、CADなどなくて薄いトレーシングペーパーに鉛筆で図面を描いていた。

 それは、子供のころ理科の時間に行った、何か薬品のついた紙に日光で複写をする実験と同じ原理の、いわゆる青写真が日常的に使われていたからだ。語源として、何か見通しを立てる時など「青写真」と言うのは、きっとここから来ているのだろう。

 この青写真を取る作業を、青焼きと呼んだ。

 

 設計事務所では太陽に頼る訳に行かないから(そうだったら良かったのに・・・)、蛍光管とローラーが仕込まれた大きな箱に、設計図であるトレーシングペーパーと液(ジアゾなんとか)が塗られた紙を重ねて送り込むのだった。

 出口からトレーシングペーパーと完成青焼き図が出てくる仕組み。 独特の、小さくツンとした匂いが特徴。

 

 最初に所属した設計事務所ではもっぱら先輩所員の雑用が多かったから、もちろん青焼きは僕の担当。

 

 そのころ、ある電気会社の研究所増築プロジェクトに参加していたのだけれど、土曜日の会議は小さな研究室に分かれた担当責任者がそれぞれ出席するので、20名を超えていた。

 少しずつとはいえ変更が間断無く加えられるから、一人当たり10枚を超える図面になることも珍しくなかった。大きさは841㎜×594㎜(新聞紙を開いたものより少し大きいA1サイズ)

 

 だいたい先輩は終電まで粘って図面を仕上げるから、その後僕は一人で200枚超の青焼きを作って人数分に整える。数時間は必ずかかる作業。

 

 でも、僕はなぜかその作業が好きだった。知恵やアイデアで貢献できない分、体力で取り戻していると思っていたのだろうか。確実に積みあがる紙の束が、充足に繋がっていた牧歌的な時代。

乗り換え                 20151210


 しばらく前だけれど、小田急線の下北沢駅前後の地下化で、井の頭線への乗り換えや、地上に出ることが大変になった。

 横浜駅や池袋駅、北千住駅などはもともと面倒で苦手だったけれど、それに増して嫌になるのが渋谷駅だ。例えばJRからの東横線への乗り換えが、きっと自分だけが遠回りしているのだと確信するほど遠い。井の頭線に至っては隣町だ。


 そして最近でかけることが多くなった大江戸線での六本木や大門など。駅にたどり着くのでは待ち合わせ時間が読めない。ああ。


 高層と地下を避けて、なるべく地表近辺で活動したいと考えるのは贅沢なのか衰えなのか。単独行動が多いので、ひとり悩むこのころ。(東横線から新宿紀伊国屋書店には行きやすくなった)

スッとする                 20121206


 金沢に出かけた印象をもう少し。

 しばらく前に開業した北陸新幹線に乗って、終点の金沢でレンタカーを借りる小旅行だったのだけれど、金沢の町の一部と、遠くは輪島の漆器店や千枚田を訪ねることができた。


 金沢では近くの深谷温泉というところにある、石屋さんという山あいに佇む旅館に宿泊した。詳しくは聞いていないけれど、大正6年に建てた能楽堂が保存されている歴史のある建物らしい。

 能楽は招くのにそれなりに経費がかかるらしくて、今では年に一度のイベントのとこと。(確か10月だと聞いた)


 そうした何代か前の気持ちを受け継ぐ経営者たちだから、小さな旅館だったけれどとても心地よく時間を過ごすことができた。

 次回は3~4日滞在したいね、というように。

 豪華かどうかは別として、隅々まで目が行き届いていることがこんなにも安心感や心地よさに直結するのだなあ。


 日々ため込んだ(?)毒素がスッと抜けるような気分だった。

 いろいろなパッケージなど探すと、とてもリーズナブルなのでちょっとお勧めしたい気分になった。

 ホテルなら高層階がいいと思うけれど、小さな宿は1階がいいなと思う。

写真展「給水塔」              20151130

 

 今月初め、比留間幹という差出人名でかわいらしい封書が届いた。開いてみるとそれは写真展の案内で、同封されたポストカードの写真は、ずっと前から知っていた気持になる、静かな匂いを放っていた。

 比留間さんという苗字は、高校時代の同級生でよく覚えていたけれど、突然手紙をくれる付き合いではなかったから、どうなのかと思いながら少し時間が経過した。

 一週間も経ったある日、やはり同級生のM女史からメールがあって、同じように写真展の案内だったから、それが同級生の比留間さんだったことを確認した。

 

 一昨日の土曜日、代々木での上棟式の後、幸せな気分で新宿の三井ビル1階にギャラリーを訪ねると、そこに比留間さんがいた。実際は、高校時代以来の再会なので確認に多少の時間を必要としたけれど、僕の声に振り向いた彼は当時の比留間さんだった。

 

 幸運にも在廊だったため、少しの時間話をすることができた。

 撮影の様子など、楽しく聞いているうちに、「どこでこの個展を見つけてくれた?」という質問から、先の封書の発送者が同級生の吉岡さんだったことが判明した。

 

 吉岡さんはギタリストで、時々ライブなどに出かけていたから僕にも案内を出してくれたのだろう。

 「しかし差出人名が自分になっていたんだ。吉岡らしいなあ」

という比留間さんの発言に共感。(2~3歩回り道した 笑)

 給水塔の写真について、その作品が生まれる過程は僕の想像を超えるので触れないこととして、感じたのは作品に共通している息遣いだった。

 上の写真でも感じられるけれど、撮影者がそこに足を運んだ道程での呼吸と、シャッターを押す瞬間の空気の音が聞こえてくるように思った。

 上の写真集に掲載された作品も素晴らしいけれど、やはり実物の写真は圧倒的な存在感で、見ていると引き込まれるよう。

 

 まだ会期が10日余りあるようだ。比留間さんの在廊予定は次のアドレスから。

 

http://hiruma-s.com/watertower/exhibition.html

見入る                   20151126


 金沢21世紀美術館での写真。

 たくさんの楽しい展示を見て回ったなかの一場面。

 5~6人掛けのベンチが4列ほど置かれた暗い部屋で、ビデオが繰り返し映し出されていた。長方形室内の壁一面全部をスクリーンにして、砂漠を空から撮影した映像が、飛行機の速度で移動しながらレンズの作用で近づいたり離れたり、刻々と変化していく。

 僕は相当に加工された映像だと思ってみていたけれど、解説を読むとほとんど手を加えていないものらしい。

 人や文明の痕跡と、砂に刻まれた風紋などが雑音のようなBGMとともに迫ってくる。


 5分か10分程度の映像で、イラク出身のアーティスト「ジャナーン・アル=アーニ」という女性の作品とのこと。


 僕たちより後から入ってきた母(ご高齢か?)娘らしい二人が前に座り、熱心に見入っていた。

新しいカメラ                20151124


 前回記したカメラの購入は、実は17日から金沢に出かける予定だったので少し急いだところがあった。

 往きの新幹線でマニュアルを拾い読みしたけれど、何もわからずに結局オートモードだけで撮ってきた。

 帰ってからは見切るように出かけてしまった仕事の対応もあったけれど、どうやったらパソコンに取り込めるのかわからず手を出せなかったのが、この雑感に間が開いた理由だった。


 今日、触ってるうちに思いがけないところに取り込むことができたのでまずは記録。

 カメラ店に通って素晴らしい写真をたくさん見せられたので、開いてみてがっかりしたけれど、いくらか冷静になってみるとカメラの性能分はしっかりよくなっている。この先は勉強と工夫をしなければ。

 上の写真は金沢の東茶屋街で保存・公開されているお茶屋さんの2階。

 解説によれば、客と芸奴が、うた・おどり・ユーモア・知識・あそびなど、猛勉強して楽しみつくそうとしたとのこと。想像できるようで実はまったくわからない。ただ、そういう時代があって、それがそんなに昔でないことが心に響いた。


 金沢21世紀美術館や兼六園、輪島なども訪ねられたし、明治からの宿にも泊まれたので、写真が整理できるようになったらまとめてみたい。


 石川県や富山県(福井県も)が裕福で、幸福度調査でも上位を占めていることは聞いていたけれど、これほど魅力的だとは想像できていなかった。

こすれた跡                 20151115


 カメラを買ったのでとても良い気分だ。

 長年使ったものが調子が悪くなってきたのもあるけれど、妻や長女のスマートフォンの写真がよりきれいだと気付いた時のショックは、共感してもらえる人も少なくないはず。

 実際、今回何度もヨドバシカメラ他に足を向けた結果、僕のような嘆きは普通のことだと教えられた。

 でも購入したのはセンサーが1.5だから・・・だからきれいに撮れるはず。


 でも、画質に関して多少の不満は隠せないけれど、少し前まで使っていたカメラは大のお気に入りだった。コンパクトで広角。


 どこに行くにもポケットに入れられる大きさと重量で、だから携帯電話と同じようにそばにあった。

 写真は底の面がすり減ったための塗装の剥れかな。

 時々、常にカメラを持っているのは危険ではないかと、たとえば元クラスメートの今は校長先生に心配してもらったりしたけれど、離せなくなるということもあるのだ。

 でもやはりカメラである以上画質は重大問題。

 自分の技量は棚に上げて、新しいものが欲しくなった。

 使い方は千差万別なわけで、店員さんにいくら尋ねてもそれは自分に返ってきてしまう。

 何をどのように撮りたいのか・・・ああ、そうだよな。

 

 決め手は、一眼レフで頑張っている人が時には少し手軽に撮りたいと思って選ぶ機種・・・という説明だった。

 僕は一眼レフを求める発想は無かったけれど、「ああ、そんな感じが嬉しい」と思った。

 

 友人の刺激もあって、このホームページにも写真コーナーを作ろうと思う。長い目での乞うご期待。 

空へ                    201151111


 今日、三菱の旅客機が試験飛行したというニュースを読んだ。

 上がそのMRJで、百人弱が搭乗する旅客機らしい。下はHONDAのプライベートジェットでもうすぐ購入者に届けられるのだったか。

 写真はそれぞれのホームページからの転載だけれど、なにも制限がかけられている様子がなかったのでコピーライト省略。


 日本が・・・と言いたい訳ではなくて、美しい飛行機が新しい技術で空に舞うことにただ胸躍る。

船底掃除                  20151108

 

 僕は試験というものが大嫌いで、たぶんほとんどの人も同じだと思うけれど、僕はその傾向が強いようで未だに卒業単位が足りないとか明日試験なのに教科書を買っていなかった(実話)というような夢(後悔?)を見たりする。

 そんな自分を百も承知していたのに、設計という仕事に就いてしまった。

 

 設計が、クライアントの希望を具現化することが主たる目的なのは当然としても、副産物というか必ず着いてくるのが確認申請という言わば試験だ。これは、計画した建物が法に適合しているかどうかという審査を受け、建設の途中と終わりに立ち入り検査も受けなければならない面倒なものだ。目の前で答案用紙の採点を見つめるような居心地の悪さがあって当たり前の儀式とも言える。

(今般世間を賑わしているデータのねつ造は言語道断で、あれはVW同様ミスではなくて詐欺なのだから廃業すべきという前提)

 

 世の中にはいろいろな人がいて、僕にはポンコツにしか見えない建築基準法を読み解くことに快感を覚えることもあるらしいけれど、個人的にはそんな人は間違っていると指弾したい。建築基準法を書き直すべきなのだ。

 もう少し具体的に記せば、世田谷区で認められることが目黒区では却下されるというような、マニアックな世界では裏技さえも駆使せざるを得ない(すべてはクライアントの利益のため)情緒的な側面を有していたりする。

 

 その微妙な建築基準法に関する「のどのつかえ」のようなものが、先週あるプロジェクトで協議の末に取り除かれた。とても幸福感に包まれる。

 

 興奮もあって前置きがとても長くなったけれど、その幸福感は明日を照らすと記したかった。

 

 左の写真は貝などが付着した船底のもの。

http://www.xylocopal.com/mv2/Joka9910/index.html

 よく走らないのは一目瞭然だ。

 

 さて、先の幸福感(つまり推進力を減じていたブレーキの除去清掃)がどのように表れたかというと、スケッチの再開あるいは取り組みたい気持ち。俄然楽しみたくなった。

 

 今週作る模型の材料調達に、町田の世界堂に足取り軽く出かけたのだけれど、足は別の階に向かってスケッチブック・小さなクロッキー帳と鉛筆、練消しゴムやシャープナー、加えてデッサンの解説書を購入した。

 

 鉛筆ではドイツのステッドラー社製のものとユニが幅をきかせていたけれど、5割の割高でいかがわし気な様子にもかかわらず、グレーの姿がきれいだと思った右上のものを買った。

 

 家に帰ってよく見たら、スイス製なので少しほっとした。

 上達したらフルセットを買おう。そしてスイスにスケッチに行きたい。

絵本描き                  20151106


 今月一日に大学での恩師をお祝いする会があった。以前この雑感に記した「それでも数学は美しいか」というような特集を薦めてくださる傘寿の青年だ。(内緒の発言)


 そのことには軽々に触れられないけれど、そこで同席した同期がホームページを作ったというので開いてみたら、そのブログコーナーにいしいしんじの「ぶらんこ乗り」のことが書いてあった。


 僕もファンなので嬉しかった。

 東京夜話を手に取ってから始まって、ポーの話のあとで遠ざかったのだけれど。

 好きな順番では1・2を決めがたいトリツカレ男という童話は、大切な仕事仲間のお子さんにプレゼントしたこともある。


 今日、夕食後に散歩に出て、ある角を曲がったとき小学生低学年のころのことを思い出した。

 小学校方面かつ遊び友達方面から夕方帰宅するとき、尾根道から最後に家に向かって下る階段道の角。

 正面のはるか遠くに丹沢が夕日の赤を黒く切り取っていて、夕食の支度の匂いがどこからか漂っていた。(その角はややおとなしい大島くんの家だった)


 僕はある時代のひととき、絵本作家になれないかと思ったことがあった。それは具体的なイメージに発展することもなくて消えてしまったけれど、特殊な才能ということを忘れて絵本作家の心もちに近づきたい、という気持ちは途絶えていないようにも思う。


 あまり声高には言えない。なぜかな。


http://www.likeamiracle.me/(その同期のサイトの無断紹介)

昭和記念公園                20151104


 先週のウィークデイに昭和記念公園に出かけてみた。

 ボートを見つけて、井の頭公園では恥ずかしくて乗ることができないけれど、人がとても少ないので1時間ゆらゆらしてみた。


 餌をやる人が多いのか、鯉や鴨がボートに寄って来る。何もかもがのんびりしていて、うららかな秋の日だった。

 昭和記念公園は、木が広い間隔で植えられているのでその形がシンメトリーに伸びやかだ。それも気持ちを晴れ晴れとしてくれたのだろう。小山田緑地や子供の国とはまた違った印象だ。

笛を吹く少年                20151026


 笛を吹く少年はマネのあの絵画のことだ。

 昨日、打ち合わせで丸ビルのコーヒーショップに出かけて、帰りに5階からエスカレーターで降りていたら、吹き抜けで「GEIDAI ARTS in MARUNOUCHI」というイベントに行きかかった。


 そこに、笛を吹く少年を立像にしたものが展示されていた。

 少年とはいえ、少し小柄にされているようだけれど、とてもよくできていて驚いた。

 絵を見て立体をスケッチして、粘土や石膏で立体化した後着彩するらしい。

 そうした試みでデフォルメやバランスなどの技法や意図が観察できると解説されていた。


 写真で紹介したかったけれど、検索してもうまくヒットできなかった。イベントも昨日が最終日だったから不親切な情報だけれど、そのような作品に触れて大変うれしい日曜日の午後だった。

辛い辛い                  20151022


 ふとレトルトカレーが食べたくなって、スーパーマーケットに行ってみたら、エチオピアカレーがあった。

 エチオピアカレーというのは、御茶ノ水・神保町近辺の人なら大抵知っているようだし、カレーが好きな人ならまずわかるというお店。最初コーヒーが中心のお店だったのが、カレー店として有名になったらしい。

 僕が行ってみたのは3回で、昼休みの時間帯だと行列が結構ある。狭いカウンターに着いてからも待たされたりするから、忙しい人は結構イライラするだろう。

 辛さは何倍という風にオーダーするのだけれど、微妙な階層なのか20倍でもさほど辛くない。

 僕は辛いのが好きだけれど常識的な範囲内で、だから20倍と言ってもカレー専門店の辛口レベルで、激辛ではないと思う。


 この日、レトルトカレーを食べたかったのは唐辛子が食べたかったようなものなので、エチオピアカレーと一緒にカイエンヌペッパーを買って帰った。

 どのくらい辛いのかなあと一口食べてみたら、それほどでもなかった。

 少しペッパーを振りかけても大きな変化が無くて、カイエンヌペッパーなのにチリパウダーのようだなと思って、(ハバネロは辛いけれど味と香りが苦手だ)調子づいて富士山が冠雪するように赤い粉雪でカレーをコーティングした。


 そうしたら大変な辛さになってしまって、一口ごとに一定時間休まなければならなくなった。それでも、妙にしあわせ。香辛料の謎の力に感嘆した。(デリーのカシミールカレーより一段強者になった感じ、ああ辛かった)

見えぬ戦争                 20151015

 

 二日ほど前、BSで五木寛之さんの意見を聞く番組を見た。

 元は「嫌老社会」に関するものだったようだけれど、途中で触れられた戦争に関する指摘が興味深かった。

 

 安保法制と反対デモに関しての意見と、戦争体験を語り継ぐことの意味を問われて氏が指摘したのは、概略次のようなことだった。

(安保法制とデモに対する直接的な表明はなかった。また、記録した訳ではないので、氏の意見に触発されて、自分が考えたことが混ざっているかも知れない)

 

 『戦争を含めた歴史を伝えることの大切さはあらためて触れるまでもないことだ。しかし、第二次世界大戦のような戦争がこれからの未来に起こるとは考えられず、その当時に現在を重ねて反応するのはピントがずれている。

 傭兵を別として、国民を兵隊に招集して戦うローテクかつ高コストな戦争は過去のもので、これから局地戦が起こったとしてもそれは無人機などの兵器が多用されるであろうし、何より大量破壊兵器以外の殺傷がその国にダメージを与えられると考えている指導者はいないのではないか。

 だから、経済や外交、あるいは文化こそが戦争の舞台になると考えるべきで、そうした意味では現在そのものが見えにくい戦争の渦中かもしれない。

 古い戦争にとらわれることが現在の状況を見落とすことになるなら、それは却って対応を誤らせる原因になるとも考えられる。』

 

 80歳超なのにすごいなあ。

 

 安保法制VS子供を殺させない・・・という意味の分からない二極化は、もともと2流3流の政治家の職業病だろうと思う。

 昔の日本や、現在のアフリカなどに見られる子供の目の煌めきを思うとき、僕たちが包まれている状況こそ働きかけるべきものなのだろう。・・・と考えた。さて何ができるか。 

 

 今思いつく唯一のこと。「笑顔を増やすこと」

蚊取線香                 20151012


 仕事場は玄関の階段から降りたところの地下なので、玄関から近い。

 そして、玄関の先にはプランターに花や観葉植物が植えられているので虫がいる。時折玄関扉を開け放しにしたりすると、たまにその蜘蛛や蚊が迷い込む。

 蜘蛛は目立たない限り放置するけれど、蚊は挑んでくるので当然排除したくなる。だから蚊取線香の登場。(もう10月だけれど)


 室温はやはり23度程度に安定していて、湿度はめまぐるしく変わってこの日は50%だった。

 ラグビーワールドカップのアメリカ戦が2:50開始だと勘違いして待っていたのに4:00だったから、時差ボケになってしまった今日。

 かつて早明戦などは手を握り締めてテレビ観戦していたけれど、日本代表の海外戦はあまり見たことがなかった。(辛くなるから)

 それがこんなにワクワクさせられるなんて超うれしい。


 先日小田急線で東海大のラグビー部員10名あまりと乗り合わせることがあった。みんなスマートフォンに夢中で寡黙だったけれど、パンパンの体躯がとてもカッコよかった。強くなるってすごいことだと感心する。美意識まで簡単に変えられてしまうのだから。

44階                   20151006

 

 先週土曜日、天気がよかったので江の島に出かけてみることにした。何度目かなのでパターンが決まりつつあって、エスカーを使わずに岩場を目指し、途中の富士見亭でビールと軽食をとり、その後岩場に降りて生き物など観察する。

 この日は満ち潮だったし、隣の若いお母さんのスマートフォンがとんびに狙われたりしたので早々に引き上げたけれど。

 

 アプリを見ると、44階分上ったらしい。歩数は1.5万歩。

 

 その前の週、町田ゼルビアの応援に行くつもりがキックオフ前の最終バスに乗り遅れたとき、目的を切り替えて2万歩15㎞を歩いたのに次ぐ運動。

 

 季節外れの日焼けをしたけれど、焼き蛤が美味しかった。

(左写真の左下の白っぽいのが富士見亭で、その右が魚見亭)

近所で                   2150924

 

 9月に入ってから打ち合わせや検査などが多かったので、連休は家のまわりでゆっくり過ごした。

 天気が良かったから車でどこかにとも思ったけれど、高速道路などの混雑をニュースで目にしていたので、それはまた別の機会にと考え直す。

 

 自宅から少し歩いた先の市民球場に行ってみたり、カメラや気になるものを眺めに行ったり、その途中で道草をしたりなどと鎖の切れた犬のように。写真左下はある企業の玄関脇にある足裏マッサージコースだ。以前、これを全国で広めようとしていた資生堂の方に会う機会があったけれど、手のマッサージたこがすごかったのをよく覚えている。

 

 おおむね空の下に居ようと思ったのは、仕事場が地下にある反動かもしれないと思った。

上野                    20150916


 上野駅・・・昭和の時代の上野駅は東北の玄関口として認識されていたように思う。

「上野発の夜行列車降りたときから・・」という歌はあまりにも有名だけれど、昭和の終わりごろだったのにもかかわらず、そこには東北の哀愁が込められていた。


 若いときの設計事務所時代の先輩によると、ヨーロッパのように主要鉄道が終着駅を持つのは、首都圏では上野駅だろうということだった。

 確かに、東京駅はいつのころからか通過駅として認識されているようだ。


 その上野駅が、僕は若いころに苦手だった。アメ横が苦手だったのと同じ理由だと思う。何か人いきれに包まれたような、息苦しく、洗練とは遠い町に思えていたのだ。


 もちろん、多摩の人間としては上野や浅草方面の文化を見下すことはなかったけれど、敬遠していた。



 最近、仕事の申請関係もあって上野に出かけることが多い。たいてい昼前に終わるように仕向けるから、昼は上野恩賜公園のベンチで昼を食べたりする。(駅との間にある店の冷麺も楽しみ 笑)


 昨日今日も広場の真ん中で、噴水を見ながらサンドイッチなど食べた。すっかり馴染めるようになって、今は上野のファンだ。

ひぐらし                  20150913


 このところ出かけることが多くて、今日の日曜日は午前午後とそれぞれお客様を訪問した。

 帰りは早くて、家の近所にたどり着いたのは午後6時過ぎだった。


 薄い暗がりが忍び寄る夕方。ミンミンゼミがどこかで鳴いている9月の中旬。あと10日ほどで秋分だというのは少し意外だけれど、確かにその気配は迫っていた。


 ミンミンゼミももちろん悪くないけれど、ひぐらしの波のような強弱の音色を遠くに、静かなところで聴きたいと思う。

雨の日に                  20150908

 

 先週、今週と、完成一年点検が続いた。まさに我田引水だけれど、どちらのお客様も晴れ晴れと、誇らしげなお顔で迎えてくださるのがありがたい。(ほんとうに、幸せが伝染してくるのだ 感謝)

 

 先週の点検では、写真を撮らずに近々の撮影のお願いをした。今日は、雨が降っていたことがいずれ撮影をお願いする条件と違うと思ったので、スマートフォンで無造作に撮らせていただいた。

 帰ってから見ると、写真としてははなはだ不十分だけれど、集めると面白いのではないかと思った。

 

 ちょっと意味が違うかも知れないけれど、住宅はキュービズムのように視点の移動と時間のズレで見えてくるのだろう・・などと思った。(別のことかな 笑)

 いつか、切れ切れの8㎜フィルムのように、静止した写真の連続で家の様子を観察してみたいと思った。

買い物の道                 20150905

 

 今日中に送りたい図面があって、妻が朝早く出かけたから7時半には着手した。

 それなりに順調で、土曜日だし午後はのんびり進められたら良いと、気晴らしに近所のスーパーマーケットに向かったら、鳥がいた。鳩と尾長(?)らしいから珍しくもないけれど、なんとなく観察しながら鳩の写真を撮った。(白鷺はいたけれど、カワセミは見つからなかった)

 

 先日、お客様と話していて9月の連休の話題になった。「9月に連休なんかあるのですか?」と質問したら、ご夫婦の反応に少し時間がかかった。

 

 楽しく仕事ができているのはありがたいことだけれど、曜日の感覚はもっと大事にしないと、と思った。

26:30                  20150903

 

 明日必要なことを終わらせようと思いながら、少したまってしまったメールの返信をしている内に時間がたっていた。午前2時を過ぎることは多くないし、加えて明日は早朝から活動しても夕方には帰宅できるはずなので、気持ちの上での負担感は少ない。

 回りくどくなったけれど、フリーランスで仕事する自由さを言いたかった(笑)

 

 忙しい仲間や知人を見てきたし、あかずに気配を感じるから自分が忙しいと言い難いけれど、小さな興奮は張りにもつながるようだ。

 

 時間は相対的だ、というのは誰かの受け売りに違いないけれど、やはりそうだと思う深夜。

 僕とは違う息遣いで、この時間目覚めている人に思いをはせる。

 

 ラーメン店、居酒屋、清掃者、ガードマン、トレーダー、警察官、自衛官、消防局員、やくざ、不眠症の人、心配な子供、つらい大人、こうもり、宇宙ステーション、そして地球の裏側の人。

もう一つの世界               20150825


 絵本ではなく、漫画でもない本で最初に触れて楽しかったのは「奇岩城」(ルパン)と「シャーロックホームズの冒険」だった。

 どちらも『少年少女世界文学全集』に収められていて、小学校低学年でも楽しめるような文章になっていた。


 その次は両親に買ってもらった考古学の発掘をテーマにした本で、少年が地中の遺産を探り当てていく様子、炎天下、刷毛で砂を掃いていく様子にワクワクした。

 そのころは、大人になっても建物の中には居たくないと考えていたから、この時点で僕の将来は考古学者に決まった。(その後、考古学者は掘るだけではだめ、というよりはあまり掘らないと聞いて挫折したけれど)


 ある年齢以上になると、読書の目的は知識を得たり、自分を振り返ったり、ほかの人の考えに触れたりと、目的が現れてくる。

 それでも、ときどきそうした自分の位置を忘れて没入できる本に出合うこともあって、それは何よりも嬉しいことだ。自分の日常などどこかに飛んで行って、ただ著者や主人公の物語の展開に心が躍る。それは、知らないもう一つの世界を旅するようなものだと思う。


 そんなことを考えながら思い出した本を並べてみた。

 

 最近、「老人と海」を読み返したのがきっかけだったけれど、こんな風にしてみると、かなり幸せな気分になるのでお勧めだ。

増上寺・カレー              20150821


 今日は移動の多い日だった。

 まず最初に前勤務先の神谷町のオフィスを訪ね、徒歩で港区役所に向かった。次は白金台の敷地調査だったのだけれど、増上寺の前を通ったら「薪能」のポスターがあったので立ち寄ることにした。


 港区役所には何十回も通っていた時期があったのに、増上寺の本殿は今日初めて近寄った。

 親族らしい3人のご高齢の方が見守る中、大きな空間に和尚さんのろうろうとした声が響き渡っていた。

 読経と関係なく、涼みに来たらしい人が居眠りしているのも愛嬌だろう。

 その後白金台に向かうはずが、ちょうど昼時間にあたったので看板の影響を受ける。

 大通りに面した路地に、この看板があった。初めは素通りしようと思ったものの、何となく気になるから店くらい確認しておこうと思ったのが大間違い。

 この看板には店のありかが記されていない。それでもその辺りにあるだろうと思ってから、見つからないとますます食べたくなって、結局10分余りを費やして探し当てた。


 美味しかったので文句は言わないけれどちょっと疲れた。


 その後白金台に向かって、渋谷区役所で調べものをして、現場が始まる元代々木まで歩いた。今日は1万8千歩だ。

 でも、福岡で新築病院の現場にいる長男は一日3~4万歩というから自慢はできない。


 ネパールカレーはいつでも良いとして、薪能に行けるかな。

上野警察署                20150820

 

 今日、上野での仕事の帰り、歩道でキャッシュカードを拾った。

 小雨のなか、踏まれた様子もなかったからポケットか財布から零れ落ちて時間は経ってなさそうだった。

 はじめは近くのコンビニに任せようと思ったけれど、第一発見者(笑)の責務を少し感じて交番を探すことにした。

 

 上野駅のそばには必ずあるだろうという見込みで歩くうち、パトカーが傍らに停車した。昼時だったので弁当店で購入するためらしい。(二人なのに8個買っていた)

 清算を終えるのを待ってから相談すると、近くの上野警察署を教えてくれた。恐縮しながら。僕は、ひょっとしたらパトカーに乗れるとまでは思わないものの、落胆しながらその人の好さそうな対応にホットする。

 

 はたして上野駅のそばにある上野警察署に到達すると、善意の市民らしい厚遇を受けた。(窓口を回されたけれど)

 

 感激したのはエレベーターで、乗っている人は変わるものの、誰かがほかの人に対して「3階です」「5階です」・・・と当たり前のように知らせるのだ。

 

 気分が良かったし、昨年警視庁に勤務する方の設計を担当させていただいたので、警察のポイントがますます、飛躍的に上がった。

夏休みの日差し              20150817


 先日、上野恩賜公園を少し歩いてみた。本当は美術館などいくつか回ってみたかったのだけれど、あんまり暑いので、しかも立ち寄りだったので結局冷麺を食べて帰ってきてしまった。


 上野に着く前は新横浜にいて、時間を調整する都合もあったから涼しいコンコースでしばらく人間観察をしてみた。

 夏休みに入ったころだったから、新幹線の改札に向かう人は多くの割合で楽しげで、女性はしばらく前から選んでいた洋服なのだろうと想像させる人が少なくなかった。


 そのような視点で上野の東京文化会館前にたたずんでみると、強い日差しがくっきりとした影を地面に作っていて、夏休みの気配を増幅していた。みんな元気そうでこちらも嬉しくなる。

 たたずんでいるだけで暑さにやられそうだったから駅に向かおうとすると、文化会館の風除室の自動ドアが開いて冷気がこぼれてきて、思わず避暑に立ち寄ることにした。


 日差しが強いと、トップライトやガラスウォールが活き活きとしてくるようで、これもまたいい。

きぼう                  20150808

 

 一週間ほどまえ、友人のブログに宇宙ステーション「きぼう」の写真を見た。(おそらくi-phoneで撮影・ブログはこちらhttp://blog.goo.ne.jp/kodomocendo)

 地上から肉眼で見える(移動する星のように)なんて知らなかったから、さっそく検索してみたら、その日は19:33に北西で観測しやすいとのこと。

 見えた。約5分をかけて、星のような飛行機のような航路を描いた。感激だ。(次の写真はJAXAのHPから)

 お盆のころには21時が観測時間らしいので、夜の散歩で探してみよう。

 最近、夜の散歩の最中にたくさんのコウモリが飛び交っていることに気付いたので、きぼうの点をコウモリが横切ることなど期待しながら。ついでに月もかぶると最高だけれど、月はその時間他所にいるような気がする。(mediajaneより転載)

匂い立つ文体                20150805


 前回記した「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は、期待を裏切らない示唆に富んだ本だった。

 目が見えない人の日常的な言葉が伝わってきて、彼らを弱者ととらえがちな自分の誤解を解きほぐしてくれた。なかでも、『視点」のない世界観という指摘には驚かされる。透視図など、日常的に視点にとらわれた仕事に従事しているため、全盲の人が月を球体としてイメージすることにはドキッとさせられた。

(念の為註:僕は比較的少なくなった模型検証派を自負している)


 いったんこの本から離れて、僕が引っかかっているのは福岡伸一さんの推薦文だ。そんなことをあげつらわなくても良いようだけれど、やはり気になる。

 福岡さんは「文体がすばらしい。驚くべき書き手が登場した」と評されたけれど、僕個人はそんな風には感じられなかった。それは好みの影響が大きいのだと思うから、客観的な意見になりえないけれど、福岡伸一さんならその影響をもう少し配慮してほしい。


 最初に読んだ福岡さんの「世界は分けてもわからない」の冒頭は、文字通り匂い立つような文体で、僕はくらくらしたのだから。

(同じ興奮を求めて何冊も読んだ結果、再現が難しいのは何か若い時の体験を思い出すけれど)

失明の先に扉               20150731

 

 同じ日に続いてしまったけれど、忘れないうちに記したかったので。

 前に記した「永続敗戦論」に加えて読んでみたい本を読売新聞の書評で見つけた。「歴史認識とは何か」細谷雄一著。

 おぼろげな記憶に、新潮新書というキーワードがあったので、本屋さんで探したけれど見つからなかった。(帰って確認したら新潮選書だった)

 

 その時、目に飛び込んできたのが「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜紗著 光文社新書 という本。


 この雑感でもたびたび触れたように(子供のころ草原で転んでひざ小僧の宇宙を破壊しなかったか・・・と想像した時以来)最近の知識で言えば「世界を認識する脳と感情」が少なからず気になっているので、恰好のタイトルだ。(斬新さがないのが誠実な感じでもあるし)

 

 そこで、お目当ての本が無かったことはむしろ感謝すべきだと思う気持ちで帰ってきた。

 今現在、帯やはじめにを読んだ程度で、読了してしまえば何か感想を表明しなければならなくなるのが負担だから、即紹介。

 

 唯一の情報は扉にある福岡伸一さんの文章。


(見えない)ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること。テーマと展開も見事だが、なんといっても、やわらかで温度のある文体がすばらしい。驚くべき書き手が登場した。 福岡伸一

 

 

 この雑感の見出しを「失明の先に扉」としたとき、なかなか良いセンスだと自負したけれど、なんのことはない、福岡さんのそのままコピーだった。(笑)

ドガ                  20150731

 

 この雑感は新しいパソコンで記している。前のものは時々フリーズすることが出てきて、以前、雑感の更新に失敗して1年分の記録を失った僕としては、ちょっと怖くて触われなかった。

 

 先週、ヨドバシカメラのパソコン売り場で比較しているとき、何人かが声をかけてくれたけれど、何となく噛み合わないでいた。東芝製品のそばに来た時、とても気持ちよく現れた人が居たので、少し希望商品の説明をすると、東芝の一台を勧められた。

 「今話題の東芝からわざわざ選ばなくてもなあ」と軽い気持ちで言うと、「申し訳ありません」と、深々と詫びられてしまった。

 「ああごめんなさい」と言ってから希望するスペックの話に移行する。結局、違うコーナーの『東芝ダイレクト』というところで購入した。選んだ機種が、サテンゴールド一色というところも気に入ったけれど、このシステムだと6割弱の値段で手に入れられることが何より嬉しい。

 

 この日は横浜で打ち合わせがあって、ヨドバシに立ち寄る前はそごうでハインデル展を観ていた。

 日曜美術館で紹介されたのを憶えていたからで、天井の低いことが気になりながらも、デパートだしそれはわかっていたはずだと、気を取り直して楽しんだ。

 ハインデルはイラストレーションで初めに成功を収めたらしくて、タイム誌やほか名だたる出版物の表紙を飾る時代の寵児だったらしい。実際、展覧会のはじめにあるホロヴィッツやカラヤンの木炭画は息を飲むような緊張感を湛えていた。

 バレエを描き始めたのは偶然もあって、たまたまもらったチケットに、面倒くさがりながら出かけたのが発端とのこと。

 衝撃を受けたハインデルはバレエにのめり込むのだけれど、初めの試行錯誤から次第に筆の運びが正確無比になっていく変遷が興味深い。

 貼り付けた作品は展覧会のポスターで、僕も一番好きなものだけれど、どちらかというとハインデルはもっと鮮烈な印象のものに特徴があるような気もする。

 

 少し的外れな感想になるけれど、展覧会を見ているあいだずっと思っていたのは「ドガってなんてすごいんだろう」ということだった。

 良いものに光を当てることは、良いものにしかできない・・・という摂理にあらためて思いが至る。少しずつでも、良いものを身の回りに増やしたいと願った一日だった。