宿 休息する龍

30代の自分が、無中になって取り組んだ計画。四半世紀を経過して訪ねてみると、その若かった思いは誰かが汲み取って保存し、現在に至っているようにも感じられた。

 出雲大社から天橋立へ、山陰には、あるいは山陰にも、龍を想起させる場面が数多ある。まして今回は、堂々たる円山川の河口にほど近い位置だ。

 はじめ、2頭の龍が重なり、寄り添うような姿を思い浮かべたけれど、ボリューム的に困難と思われたので、静かに寝入りそうな1頭にした。身を柔らかくまるめて。

 

 構成は、頭と、臓腑と、体に分節する。

 それは、フロント・管理~厨房・食事室・浴室~客室にあたる。

 立派な髭は、頭から体へのショートサーキットだ。

 訪ねた客は、門の前で車を預け、くぐり、境界塀に沿って建物に近づく。

 ヘアピンを振り返るころ、見えてくるのが龍の胴体だ。

 1階と2階は、胴と背のように違う姿を見せる。

 そして玄関、意外とこじんまりしている。なにしろ休息している龍の口なのだ。静かにしずかに。

 

 フロントと小さなロビー、ショップは所有者に敬意をはらって写真は撮らない。

 チェックインを済ませると、さまざまな揃えの中から気に入った浴衣を選ぶことになる。これは最近では珍しくないけれど、当時は評判を呼んだようだ。

 案内してくれるスタッフは、大浴場や食事処の説明もあるから、臓腑の部分を先導する。それは良いとして、髭にあたる渡り廊下も楽しんでほしい。直線を歩くことと、曲線を歩くことの違い。ちょっとしたこと。

 床は、一二三石。新婚旅行で訪ねた京都修学院離宮で体験した事が、違う形であれ実現できた。左官屋さんは石の配置決定に腰を引いたけれど、僕達は「あなたに任せる」と言い、女将は「あんた次第や」と言った。楽しい。

 胴体に入る。1階廊下は一二三石のままだったけれど、2階はタイルカーペットに変わっていた。音の問題だったのかな。

 小さな旅館なのに、階段は3カ所ある。そのメインが写真のもの。やや唐突にアールデコ風だけれど、デザインを超楽しませてもらった。階段手摺を見ると、その建物の善し悪しではないけれど、設計者の熱量は間違いなく測れる。

 客室扉のデザインが懐かしい。(錠の選定に苦労した)

 今回宿泊したのが2階だったこともあって、1階の廊下の写真が無い。アプローチのところで触れたように、1階はポツポツ窓で、2階はリボン風連続窓だ。その構造と分節に脳に汗をかかせてもらった。割付がようやく決まったころ、金物の選定にゼネコンがさじを投げたので、新橋の金物店など走り回ったのは楽しい思い出。

今も壊れずに活用されている。(^^)

 龍だから胴体はくねくねで、だから3度雁行する。その雁行幅を廊下幅に揃えたから、廊下は、1階2階とも三度壁にあたる。そこにリズムを。建設が内装の佳境に差し掛かるころ、1週間泊まり込みながらその一部屋で製図台に向かったのが、この突きあたり壁の工夫。いつかこの時間を持とうと、壁に奥行きを与えていたので思いつくままに。現場所長に急かされながらも至福の時間。

 客室を円山川に開いて、川の流れとの一体感を持ちたかった。試行錯誤を経て、辿り着いたのが浴室の和室との一体化。僕は、その効果が大きいと自負していて、ちょっと想像して欲しいのは、写真右側奥の浴室が普通に壁で仕切られていたときの景色。

 原設計では、広縁はタタミではなくて縁甲板だった。高さもやわらげられていて、確かにこの方が良い。拍手(^^)

 とても楽しくて、しかし苦労が尽きなかったのが客室浴室だ。ゼネコンはもとより、このような浴室施工のイメージがない人たちは、施工図を描こうとしてくれない。だから、浴槽の選定から、オーバーフローの対処まで、ひとりで考え続けた。

 問題はコンクリート躯体図から防水、配管、サッシ、換気、すべてがせめぎ合いになったこと。浴槽は槇で、健在だ。

蛇足だけれど、浴室内にブラインド完備。

 残念と言ったらとてもおこがましいけれど、当初力を入れたけれど変化している場所がふたつ。レストランに隣接した1.4mほどの、水盤を飛び石で超えてノミで刻んだ無垢板扉を開けるバー。四周が水に囲まれて、床から天井までがガラス張りで宙に浮くはずだった。現在は個室食事室になっている。

 もうひとつは、大量の塩を浴びるミストサウナが、個室浴室になっていたこと。

 2階廊下からのスナップを加えてみた。背後に円山川を感じながら、龍は暖かい芝に肌を馴染ませている。少し遠くには丸い山々。

 チェックアウトして、まずは敷地の対角から眺め、車を出してから2度、龍を写真に納めた。

余録

 今回スマートフォンで写真に撮らなかったのには、フロント・ロビー以外に、2つの食事室と厨房、大浴場がある。(とても美味しい食事と・・・)

 食事室はインテリアデザイナーのIMさんの担当で、今回朝食を取った食事室2では、彼が東南アジアで調達した1本200万円の無垢カウンターが、狂いもなく円山川にシンクロしていた。

 もう一つの食事室は、(食事室2と同様)中央を2本の列柱が場所を分節するレイアウトだ。食事室2が無垢の木材と竹を基調にしたデザインであるのに対して、食事室1は漆黒の空間で、窓も最小限にしか開けられていない。

 

 彼の意図にどこまであったか確認しなかったけれど、ふたつの食事室に共通する2本の列柱は、龍の背骨のようだと僕は思った。

 

 大浴場は男女シンメトリーで、小さな露天風呂が設けられている。僕達スタッフは、この露天風呂に浸かった時、川との境界を消そうと浴槽の縁を考えた。これはきっと当時から別の場所にあったと思うけれど、僕たちはIMさんのトルコ旅行経験を尊重して、ボスポラス風呂と勝手に命名した。そんな風呂がイスタンブールにあるらしいのだ。

 残念なことに、オープン前後に、露天風呂と川との間に低い生垣を設けることになった。保健所の強烈な指導だ。(400m先の対岸から、人家もないのに、望遠鏡で男性露天風呂を見ようとする人がいたら会ってみたい。笑)女性側は当初より入浴客の気持ちを想像して生垣にしていたけれど。

 

 個人のホームページとはいえ、そろそろ冗長になってきたのでおしまいにしよう。思い出すままに記せば、すごいことになるし。

 度量の深い女将に巡り合えたこと、そのアドバイザーのNY氏に多くを教わったこと、4人のスタッフがまるでクラブ活動のように自由に意見交換し、酒を酌み交わしたこと、そして完成したこと。(TS建設さん神戸支店にも大変助けられた)すべてに感謝。

 

 最初に記したように、このプロジェクトには紆余曲折があった。その渦中で、龍を下敷きにした原案を女将に見せたとき、大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。温泉掘削の成功万歳と、この涙が僕たちを最後まで突き動かしたのかもしれない。(女将の技か? いや、そうではなかった)

 MM女将、NY先輩、末永くお達者で。