雑感

設計とは別に思ったこと

連休なのに日常              20250915

 

 一昨日、近所を散歩していたら可愛いものが落ちていた。

 そのまま歩道に放置できないしほっこりした気分になるので、一瞬持って帰ろうかと手に取った。

 しかし、買い物親子の落とし物だとすると明日も通るかも知れないので、目立つところに置いた。手に戻るとよいけれど。

 オムレツデビュー。(ほぼ)

 ぶさいくだけれど記念日として。

 そもそも野菜炒めだったはずが、ふと思いついて卵をフライパンで薄く焼こうとした。

 以前、ガレットを作ろうとして、クレープ屋さんはさすがだな、と思ったので、その後は薄く焼くものをなんとなく敬遠していた。

 フライパンの中を返してフィニッシュと思った時、何やら卵野菜炒めになる気配を感じたので妻の助けを借りた。だから、ほぼオムレツデビュー。

 オムライス専門店などをテレビで見かけたけれど、あまりに整い過ぎていて「食品サンプルのようだ」と思った。

 こっちの方がおいしそうだと言いたくなる僕に、誰も振り向いてくれないだろうことはわかっている。まあ、でも、自分で作るということはきっとそういうことだ。

大谷選手                 20250908

 

 僕はドジャースで活躍している大谷選手のコアなファンで、ニュースがあれば欠かさずに見ている。

 大谷選手が1000億にのぼる契約金を、当面は受け取らないという報道があって不思議な気分だった。

 そのうち、スポンサー収入が年150億に達すると聞いて、「ああ、そういう計算なのか」と思った。

 

 イーロンマスク氏が、テスラから140兆円を超える報酬を提示されたというニュースを見ると、「もはや紙幣は記号に過ぎないのだな」、、、と思わざるを得ない。

 

 お金遊びに狂奔する人々を笑っても少しもすっきりしないのは、回りまわって僕たち庶民が払わされていると気付くからか。

 そんな金額があれば何ができるだろう。

養老孟子氏                20250907

 

 この写真は仕事場に掛けているもので、モネの水蓮だ。確か8千円くらいで購入した。(額装は自作)

 画面中央で左右の色が変わっているのは、時間の経過によるものだとずっと思ってきた。それは、ここ最近の雑感で触れた「時間」と少し関係もあるかなと。

 そんな一連の流れで養老孟子氏を思い出してみると、テレビなどでよく知っている気がしていたのに、著作を読んていたなかったことに気付いた。

 検索すると、氏の講演がたくさん残されていて、単純に驚いた。

「なんてすごい人なんだろう」

 

 氏のたくさんの警告のなかで、一番印象に残ったのは「子供の目の輝き」だった。東南アジアを繰り返し訪れるなかで、学校帰りに素裸になって川で遊ぶ子供たちをたくさん見た目の躍動感。

 それは、僕がテレビを見ているだけでも、いわゆる発展途上国とされる、地域を問わずに感じられる光景だ。

 

 養老氏の言によれば、先進国は幼児死亡率が低いので、子供は大人になる前段階の待機期間とみなされているのではないか。

 生命体に昨日はあっても明日はどうなのかを熟慮しない弱さの裏返しではないか・・・と。

帰属意識2                20250904

 

 2回前に記した「帰属意識」で思い出したので重ねて。

 

 僕は40代前半で少しの期間、コンピューター集積ラック免振装置を作るメーカーに、週2回のペースで通ったことがある。免振と建築設計が結びついたらしくて、性能解説の機会も多く歓迎してもらえた。

 その会社は新木場の工場に入っていて、飲料を買いに行くにも車が一台入る、大きくて仕上のないエレベーターに乗るのが楽しかった。扉も大袈裟て映画のよう。(コストパフォーマンスの点では大いに疑問だけれど)

 

 スタッフには陽気なイタリア人もいて明るい環境だったけれど、僕が親しくなったのは10歳くらい年下の櫻井君で、かれはキャデラックで通勤する、半分ミュージシャンの個性ある若者だった。(そういえば、彼の彼女と3人で飲みに行ったりもした)

 

 二人で京都に出張したときは、櫻井君が葉巻専門店且つワインバーを予約してくれて、「おお、そんな世界があるのか」と思った。

ワリカンと言っていたなか、年上ぶって会計したらびっくりした。笑

 

 一方で栃木県小山市の工場を訪ねたとき。

 制服を着た人たちの流れに乗って門をくぐろうとすると、警備員に呼び止められた。

 「ここは社員玄関なので、部外者はあちらの門から」と言う。

 見ると、「業者口」という裏口のような門があった。

 (こそこそ入れ・・・ということ?)

 

 不愉快になった僕は、櫻井君に「帰ろう」と言った。すると彼は、「どっちでもいいです」と言う。であれば、一歩進めるか。

 

 結果的に、免振装置導入担当者は生真面目な人物で、工場のあちらこちらを案内してくれて、最後には社員食堂で皆が食べている定食だから、と頼んでくれた。もとより接待される立場では無いし、廻りを見ると社員さんたちは明るく談笑しているのが微笑ましい。

 

 この体験後も、僕はそれなりに会社や工場などを訪ねてきたけれど、「業者口」という門はこれが最初で最後だ。

 時間が経過したけれど、いまだに何が目的だったか、わかるようでいてわからない。社員に優越感・・・とは思えないし、出入館管理は無い時代。何だったのか~~?

海の家撤収                20250903

 

 左の写真は、由比ガ浜で海の家の撤収のために屋根解体を進める職人さん。

 今日は陽射しこそ強烈さがひどくなかったものの、気温は猛暑日で、湿度も相当なものだった。

 

 海岸には、多くなくしかし少なくない人が出ていたけれど、夏休みが終わっているせいか日本人はあまり見えなくて、水と戯れる外国人が目立った。

 長身の外国人青年が近寄って来て、何かつぶやきながらスマホを見せてきた。そこには、「更衣室」という日本語が。

 一緒にいた海の家オーナーが、「もう終わっていて多分見つからない」と返答すると、首を振りながら残念そうに去っていった。

 

 このオーナーは、午前中に平塚で打ち合わせをしていて一緒に移動してきたのだけれど、「いつか海の家オーナーグループを形成して、漂着ゴミ清掃活動などもビジネス化したい」という夢を語る。

 東北大震災でも北陸大震災プラス豪雨でも援助活動に奔走していたから、きっと仲間の賛同を得られるだろうと思う。

 左の写真は浜の中ほどに取り残された施設で、用途は聞き忘れた。

 右の写真は逗葉新道に続く長柄の交差点。学生時代、亀田君の車に乗せてもらって海を目指したとき、逗葉新道終点からこの交差点まで何時間かかったことか。せいぜい2キロなのに。それでも抜群に楽しい思い出。

 この信号の手前に森戸海岸への分かれ道があって、御用邸や長者ヶ先に向かうにはここを右折する。その先が秋谷・横須賀だ。

 

 今日もスラムダンクの聖地踏切はファンが大勢いた。信号で停まったので見上げてみると、10年余り前に崖上に設計した住宅が、青空の下に白い壁を誇っていた。うれしくなった。

 

 この家は扇子を広げたときの、先端の紙の貼られた一部分を取り出した平面形状をしている。だから、90度はほとんど存在しない。それをいかに大工さんに伝えるかが課題で僕もとても頑張ったけれど、そこに現れた大工さんはこともなげに組み上げたので驚いた。

 これまで、3D脳を持っている大工さんにたくさん出会ったなかで、きっとその頂点だ。床高さも4層構造なのだから。(あらためて深謝)

帰属意識                 20250830

 

 僕が言うのは唐突だと思うけれど、今夏の甲子園で話題となった広陵高校の暴力事件(らしきもの)に触れたい。

 

 マスコミが、マスコミという靄に隠れて物事を大げさに事件化することはたくさん見てきた。集団マッチポンプの様相で。

 だから、今回の広陵高校のことも限られた情報で判断するのは危険かも知れない。

 しかし、推量するところは山のようにある。

 

 少し前に優勝した慶応高校や、その他の例外はあるものの、甲子園出場校は多くの選手が「丸刈り」だ。なぜか?嫌ではないのか?

 

 僕には、それは一種の契約に見える。「従います」「逆らいません」。

 その球児たちに対する報酬は、ごく一部のエリート選手だけがステップアップできる機会提供に過ぎないのに、みな、それを夢見ている。夢見たことが大切な思い出になるかのように。

 暴力を看過しなければそれも青春の1ページなのだろうけれど。(我が地元の町田日大三校は、しごきのあるところとは練習試合も拒否するとネット記事で読んだ・・・信じたいし願う)

 

 自分が例外と思わないけれど、ひとは仲間を欲する。そして仲間を守りたいと思う。それは自然だと思うし、大切な心の働きだ。

 しかし、それを利用(悪用)する人々も多い。「何があっても他人に話すな」というように。

 加えて、自身の所属する組織の不正が話題になっても、それを擁護するひと(選手でも組織人でも)のなんと多いことか。

 

 僕はフリーランスという立場にいて、不適切な振る舞いが命取りになることを学んだ。誰も守ってくれないのが普通なのだ。

 

 会社員だった時期も思い出しながら、帰属意識が日本人の強みであり弱点でもあると感じる。強みに変えるには、政治家や官僚、報道人、そして僕たちの世代交代を待つしかないのか・・・悲

 

(会社員時代、交流のあった財閥系企業の社員さんたちがスーツに付ける社章を誇りにしていて、「これを付けると地下鉄で席が空いていても座れません」と言うから笑ったら睨まれた。つけなきゃいいんじゃないの?と思っただけなのに。ああ、特権なのか、一社員でも)

 

母の誕生日祝い旅行            20250827

 

 昨日今日と、母の94歳の誕生日旅行に妻と3人で出かけた。

 母にどんな場所が良いかと尋ねると、部屋から海がよく見えて、近くに感じられるところ・・・という答え。

 かなりの時間をかけて探すも、ヒットするのは伊豆の南や西の方か、あるいはとても高額なところ。

 体力もお金も無駄に使わずに、と考えていたので見つからないとあきらめかけていたところ、妻が示したのが熱海の東、真鶴道路に面したホテル。全室海が見えるとあるし、道路が隔てるだけで波音も聞こえそう。

 12帖と広縁というオーソドックスな構成で、間口一杯が大きな窓になっている。即決。

 

 出かけてみると、とても落ち着いた、ある意味では地味なホテルだったけれど、リニューアルしたらしくて仕上が新しいし、食事と屋上露天風呂も大変気に入った。

 何より、潮風を浴びているはずなのにガラスに少しの汚れも無いことに感心しながら嬉しくなる。

 

 その前の昼食はどうしようかと考えて、小田原港(早川港)のすぐそばの、「こじまわらべ」という店にした。

 しばらく前にその姉妹店で「アジフライ」を食べてその美味しさにとても驚いたことがあったのだ。口コミなどでもファンが多い。

 朝、小田原港に揚がった魚が出てくるので、刺身も新鮮美味この上ない。

 写真はホテルの夕食とあくる朝の日の出。

 食事はやはり地味だけれど、たくさんの種類が食べられるように小ぶりになっていて、しかし丁寧で温かい出来栄えに満足する。

 チェックアウトの時に、おいしいこと・露天風呂が心地よいこと・館内全体が清潔なこと・・・を褒めちぎった。

 

 さて、11時少し前にホテルを後にしてどうしよう。

 いろいろな候補が頭を過ったけれど、暑いことと長距離歩くことは避けなければならない。そこで、大涌谷を思いついた。河口湖はやはり遠いから。(中川一政美術館は休館中)

 ニュースで箱根の混雑は何度も聞いていたけれど、インターネットでは不安が感じられない。

 結果的にスイスイとスムーズに進むことができて、最後の1㎞だけ駐車場渋滞の後ろに着くことになった。

 それでも40分程度で停めることができたからストレスは無かった。気温は25度にも達せずに風も吹いていたから、観光客もみな楽しそうだったのが印象的だ。

本でつながる               20250824

 

 連日になるけれど、思いついたので記しておこう。

 左の本は福岡伸一氏の著作で、最近数回目の読み返しをしている。

 

 氏は多作だし、エンターテイナーとして振る舞う様子がうかがえるので、研究者などの感想を見かけると必ずしも好意的ではないようだ。

 

 しかし研究者でない僕は、その読者を楽しませようとする姿勢がありがたいので、いくつかを読んだ。

「生物と無生物のあいだ」や、「動的平衡」は相当の数が売れたらしいから、養老孟子の後輩になるのかも知れない。

 僕がその中でこの「世界は分けてもわからない」が一番気に入っているのは、文章がきれいだからだ。

 冒頭の、なかば趣味が高じた人々が集まる「世界トリプトファン学会」に参加する道程やその気配など、読んでいてとても心地よい。

 

 その流れのせいか、氏は須賀敦子さんの文章がたとえようもなく美しいと絶賛していて、だから僕も購入してファンになった。

 

 氏は一方で野口英世をこき下ろすなど、その過激さがいささか読者をも心配させたりもする。

 

 福岡ハカセをより有名にしたのは、「動的平衡」という著作だろう。これは後に「川の流れに・・・」という本も出されている通り、「川は同じに見えるけれど、その水は常に入れ替わっていて別物だ」という意味に聞こえる。

 ヘルマンヘッセの「シッダールタ」を、高校生のころ読んだ。「春の嵐」や「ガラス玉演戯」など、傾倒していた記憶がある。

 豪華な家柄から離脱して独自の道を探る若き仏陀「シッダールタ」の物語で、そのシッダールタは最後に川守りに行きついてひたすら川を眺める。そこに、生命と時間を見たのだろうか、僕にはわかっていないけれど。

 

 須賀敦子氏はほんとうに美しい文章だ。それはその通りなのだけれど、財閥系令嬢のようすがちょっと庶民感覚の僕からは距離を感じることがある。

 

 須賀敦子氏といえば、そのころの女性には魅力的な作家が多い。イタリアという点では塩野七生氏がいるし、それぞれ年齢差はきっとあると思うけれど、最近「青い壺」が誰の策略か注目されている有吉佐和子氏は、それも面白いけれど上に写真を上げた「女二人のニューギニア」は最高だ。

 そしてもう一方、曽野綾子氏のご自身の苦労も想像させる布教活動を描いた短編集もすごいと思う。

 タイトルを探そうとネットで検索したけれど、これか、というものは見つからなかった。

 

 でも思いがけない収穫が。

 曽野綾子氏は三浦朱門氏と結婚されていたのだけれど、その二人を引き合わせたのが臼井吉見氏らしくて、僕の記憶が間違っていなければ、臼井氏は僕の高校同級生かつ予備校に一緒に通ったバレー部島・S一君のおじいさんのはずだ。

 三浦朱門氏は都立立川高校の卒業生だし、僕たちもその後輩だから、は根拠にならないけれど。

 こんど機会があったら本人に聞いてみよう。間違っていたら大変ごめんなさい。でもとても名声のあるおじいさんだったことは間違いないのだ。

調理した                20250823

 

 ずいぶん久しぶりに、昨晩夕食調理をしてみた。

 はじめ、ビーフストロガノフ(もどき)やチリコンカンを考えたけれど、一昨日に濃厚なスパゲティを食べていたのでもう少し白いものがいいかと思い直した。

 それで、牛乳を使うことにした。

 こういう食べ方に名前はないかと検索しても見当たらない。

 単純かつ簡単なのでありきたりだと思うけれど、だからこそなのかレシピなどの検索ではヒットしないようだ。

 

 鶏ガラスープとか、クミンなどのスパイスを適当に加えると、僕のレベルでは満足の出来になった。

 上の牛乳料理ではエリンギが活躍したようで、というのも、きのこ類が欲しかったけれどしめじやマッシュルーム、ましてマイタケではないから食感が好きなエリンギを細切りにして加えたのだ。これが気に入ったので、続いての今晩のキーマカレーはエリンギと茄子のみじん切りを加えてみた。

 成功かどうかは別にして、おいしく食べた。スーパーで購入した「ナン」で。

 ついでに、写真に撮っておいたから朝食も記しておこう。

 これも僕は滅多に準備しなくて妻任せだ。だから卵が千切りキャベツの上にあぐらをかいている。

 普段は何色かの生野菜とウィンナーやベーコンがあるけれど、僕は半熟の卵から零れ落ちたものがキャベツに乗ることを期待したのだ。

 他には、酢を入れたトマトジュースと、青汁を溶かした豆乳が必須だ。ドレッシングをアマ二油にすれば高得点ではないか。(トーストや丸いパンはたまに加える程度)

偶然かどうか              20250821

 

 今日は外出した後、町田に15時ころ戻れそうだった。最近、土日の区切りを付けない生活だったので、前日に妻と遅い昼食もしくは早い夕食にしようかと相談していた。

 僕たちが好印象を持っているイタリア料理店は町田に4カ所ほどあって、そのうち久しく行っていなかったバス停そばに決める。

 

 ひとりだったら店内の様子やときには料理の写真など撮るのだけれど、こういう場合はそれを忘れる。

 そこで、インターネットで検索した。(写真はHPから借用)

 単品のパスタが1500円程度で、生ビールが748円。この生ビールは薄口の大きなグラスだから普通の居酒屋の中ジョッキの1.5倍はあるのではないか。得した気分になる。

 料理を「おいしい、おいしい」と楽しんだのだけれど、インターネットで検索したからこそ気付いたこと。

 この雑感で何度も記したとても好きな町田「西園」に出店している44apartmentの系列店だったのだ。

 味付けも店内の雰囲気もそれぞれ好みだろうから評価などもちろんしないけれど、僕たちはファンだ。

 44apartmentは、町田の商店街にも出店している。冬は寒いのでビニールカーテンで囲うようなお店。

 加えて、孫の発表会のお祝いに鶴川駅前のスイーツ店に立ち寄ったのも系列店だと妻が気付いた。

 HPによると、東林間が出生地で、町田から津久井まで展開しているらしい。地元にこうした店舗を見つけるのは嬉しいしありがたい。

(この気付きも偶然だけれど、行った店舗が昨日リニューアル日だったらしい)

防御機器                20250819

 

 一昨日の晩、夜8時半にチャイムが鳴ったので「この時間に誰だろう」と思いながら、しかし不自然な時間でもないので近くに居た僕が玄関を開けた。普段と違う違和感を覚えたのは、近くに住む長女は鍵を持っているし、ご近所さんであれば普通扉を開ける前に名乗ってくれるからだ。

 だから目の端で消火器の位置を確かめていた。

 

 開けてみると知らない人で、僕にすれば不信感があったので翌日警察に電話でヒアリングした。

 最近ニュースになる強盗の下見の一種ではないかと勘繰ったのだ。我が家がターゲットになるかは別判断として。

 

 声から察すると若い警察官相談係は、まったく事件性が感じられないと言った。あなたの思い過ごしでしょう・・・。と。

 そこで事件性はどこに見つかりますか?と尋ねると、「例えばこの家に現金がありますか」という質問など、という答え。

 それ以上は相談を続ける気力を失った。

 

訪問者とのやりとりは次のようなもの。

「この辺に・・・さんというお宅はありませんか?」

「知りません」

「そうですか、見つからないので」

「いつごろからお住まいの方ですか?」

「5年くらい前かと思います」

「それでしたらまずわかりません」

 

「住所とか知らないのですか?」

「3丁目と聞いています」

「ここは1丁目でまるで見当違いです、スマホは持っていないのですか?」

「持っています」

「でしたらマップで検索しないと。おそらく数百メートルは間違っているから辿り着けませんよ」

「そうですか」

 

あきれた僕は不気味さもあってその後の訪問者の行動を確認せずに鍵を閉めた。(思い返せばちょっと悔やまれる)

 

 その後僕がさらに不信感を募らせたのは、30代前半と見られるその男性が、

・いきなり見知らぬ家のチャイムを鳴らすことを弁解しなかったこと。

・少しも困っていたり慌てている様子がなかったこと。

・回答が得られなかったことに残念そうな様子を見せなかったこと。

 

 第一、ここにたどり着くには最寄り駅や最寄りバス停情報のあることが前提で、どちらも3丁目とは接点がない。

 

 警察官相談窓口の方は、「僕たちはいろいろな方と接触があるのであなたの言う常識が当てはまるか疑っています」、「でももし何かあればすぐに駆け付けるのであまり心配しないでください」と言われた。しかし、誰がどう言っても、僕たちは不審者(下見かは別として)と断定して防御器具を購入した。”さすまた”も思ったくらいだ。(過敏だろうか)

ここ数日                 20250811

 

 左の写真は、金曜日に金沢に向かう北陸新幹線の窓から。

 金沢隣接の能美市に建設していたスイーツ店の完了検査に出かけた。

 往きも帰りも新幹線は混雑で、空席はほとんと見つからなかった。

 写真はたまたま撮れたもので、北陸新幹線はやたらとトンネルが多いのが個人的な不満だ。

 建設地は金沢から20㎞あまりで、車で40分ほど。

 7月下旬はレンタカー代が6千円あまりだったのに、今回は9千円超え。そうだ、レンタカーは季節料金だった。沖縄では倍になったりするし。(検査は滞りなく終了して、ホッとする)

 翌日土曜日は、長男夫婦が来る予定があって、長女家族も合流して楽しい時間を持てた。

 町田の旧市役所跡地が「シバヒロ」という広場になっていて、夏にはビール祭りがある。そこに長男夫婦と僕たちで出かけた。

 風もあったし陽射しも強くなかったので楽しめた。

 昨日の日曜日は昨年から始まった八王子会で、八王子駅そばの「酒蔵一平」で11:30から乾杯。

 その後、カラオケ店も経由して結局7時間飲み続けるのだから6人のメンバーも大したものだ。僕は暗算で会計もしたからもっと大したものだけれど。

リュックに入れる物            20250804

 

 鄭大世というサッカー選手を覚えている人も少なくないだろう。日本で生まれて活躍して、北朝鮮代表選手になってその後もヨーロッパやJリーグでもいつも話題になっていた。

 その話題には活躍もあったけれど、唯我独尊でトラブルメーカーということも少なくなかった。

 

 先日、その鄭大世の独占インタビューをインターネット記事で読んだ。小さな独白によれば、周りとの同調に支障がある性向との指摘もあるらしい。

 

 長いインタビュー記事を読むと、鄭大世は率直そのものだ。

 その中では面白いエピソードがたくさん語られるのだけれど、一番印象的なのは結婚したひとが居なければ生きていけないだろうという重ねての思いだ。

 その奥さんは、大韓航空のスーパーCAで大統領専用機に搭乗できるトップ13に入る人だったらしい。

 出会って3か月でプロポーズして、事件もあるなか半年後には結婚式をしたらしい。

 

 そのあたりの面白さはインタビューやその他にしかないと思うけれど、この雑感で記したかったのは彼が子供を寝かしつけるときに話すことだ。

 

 子供の就寝時のベッドで、その日楽しかったことを言わせる習慣を大切にしているそうで、しかし当然、不愉快な出来事もでてくる。国籍的にもいろいろな葛藤があるのだろう。

 そのとき、彼は子供にこう話すのだそうだ。

 

 「山に登るリュックには必要で大事なものを詰めるだろう。いらないものは置いていこう」

我が家の夏                20250727

 いきなり浴室の写真で恐縮だけれど「我が家の夏」という意味では許されるかと。

 この家は、僕が30歳になるころ計画して父とともに建てた。

 当時、僕もそれなりに頑張ったけれど、その後40年近く維持してくれた妻には感謝しかない。

 

 当時、日本社会はバブルの最高点のようなもので、地価は狂乱状態だったし建設費も尋常ではなかった。図面を作って何社からか見積を受け取ったものの、想定の倍になっていた。

 そこに現れた救世主は地元の工務店で、「職人の手が空いたときに少しずつ進める」という極めて異例な約束のもと着工にこぎつけた。

 そんな状況だからこちらの意見は黙殺されがちだったけれど、もともと詳細に関心が低い僕は許容できた。

 ある朝、僕が開けたカーテンを妻が整えているのを見て、小さなショックを受けた。「カーテンって束ねるだけではいけないんだ」その時、自分はデザイナーとは違うことを思い知った。ずっと知っていたけれど改めて、という意味で。

 

 僕が憧れて建築設計に飛び込んだ建築家は、「廃墟の美」を語るひとで異端だったと思う。同じようにあこがれた世界的建築家「ルイス カーン」は、バングラデシュのダッカ大学の設計で、土とレンガを使って大地から湧きあがるかのような建物を実現して名を馳せていた。

 

 現代の「きれい きれい」には役立たずだけれど(そもそも興味が無い)、自分の居場所を再発見したい。今がK-POP指向だとすると、それはブルースやビ バップなのかも知れないけれど、端と端は意外とリング状にくっつくかもしれないし。

134号線                20250724

 

 海の写真が続いたので、金沢出張直前の湘南の風景も残しておこう。

 左の写真は江ノ電「鎌倉高校前」駅で、このまま進んだ次の信号がスラムダンクで有名な踏切だ。

 この日も20人くらいの熱心なファンが写真を撮っていた。

左から、鎌倉高校前駅そば、江の島よりやや西2景、町田から下道での途中。

2番目の写真、お店の階段のわきに小さく江の島灯台が写っている。(この店は江ノ島水族館の帰りに孫2も伴ってピザを食べた楽しい記憶のところ)

 僕に設計を依頼してくださった方は、かなりの割合で海のそば居住だった。

 きっと、海への眺めや風通し、サーファーだったりのライフスタイルで、特殊な解を欲しているからだろう。先に触れたスラムダンク踏切に面した崖上にも、海側全面を窓にした家を設計させてもらった。

 他に、鵠沼海岸というところで7棟の分譲住宅を企画したことがあったけれど、そのうちの2件もサーファーが購入された。(逗子の家もそうだったし)

 

 調べてみると、大磯から湘南をなぞって三浦半島を巡り、横須賀に至るのが134号線らしい。

日本海をのぞいた            20250723

 

 石川県能美市の現場から金沢市に戻る途中、日本海をのぞいてみようと北に進路を変えた。

 

 能登地震の爪痕を見たかったのではないので、内灘よりだいぶ南の方。

 僕の印象に残る日本海は、台風の影響が濃かった柿崎という小さな町と、家族で白山からの帰りに海水浴した直江津の砂浜だ。

 

 今回僕が車を走らせた区間は、北陸自動車道が海岸沿いを半ば占有しているので海に近づくことは難しそうだった。

 やっと見つけたのが海浜公園だったから、少し物足りない。

 暑すぎたのか行楽客もまばらで、歓声よりは階段を上る自分の息のほうが記憶に残るくらい。あとは「じりじり」と陽射しの音。

 

 能美市での打ち合わせが昼過ぎに終わっていたので、海ばかりでなく有名観光地の近江町市場にも寄ってみようと思った。車を返した後、駅からバスを使っての道中は炎天下かつ無風で早く帰りたくなってしまった。

 今回の出張の大きな誤算は、世の中の休日などを考慮しなかったことだ。

 打ち合わせは、単に工事スケジュールから7月19日の午前11時の約束をして、その時間だと朝早くて乗り換え時間もないから前の日に切符を買っておこうとJR町田駅にでかけた。すると、指定席のみの「かがやき」はもちろん、自由席のある「はくたか」も朝一番から満席で、ようやく買えるのが午後4時着だった。

 自由席がどうなのかわからないけれど、このようすだと3時間立ちっぱなしの恐れがある。

 

 そこで急きょ前泊することにして慌てて家に帰って支度をした。

 「そうか、この土曜日は学校の夏休み開始日で、お父さんお母さんにとっては3連休の初日なのだ。」

 

 上の写真は、何度か触れた金沢駅鼓門と、ホテルの窓からの空、バイキング朝食。

 これだけ普通に食べたのに、帰りの新幹線では暑気あたりか普段の不摂生か、忘れていた胃が痛む思いに当惑した。

 

 そうそう、近江町市場では、日本海鮨3カンと生ビール中ジョッキを注文したのだけれど、座ったカウンター席に隣接するレジにいたおばさんが、「お客さん、ビール飲むの早いね」と感心してくれた。3分くらいだったかな。脱出したい気分だったのだ。

 

青                   20250713

 

 先日、「今日はなんだか涼しめだね」などと妻と話していて、「ああ、30度だからか」と言った後に笑った。

 子供のころは30度なんて聞いたこともなくて、気温が体温を超えたら呼吸ができなくなるんじゃないか、と思っていた。30度を涼しいと言ったのは、気温順化力があるのか感知能力が下がっているのか。

 

 写真はその和らいだ気温の前に撮ったもので、空が青い。

 下の美しいポスターのそばに掲示するのがとても躊躇われるけれど。

 左のポスターは15年前に出かけた「瀬戸内ビエンナーレ」。

 僕が見聞きしたポスターでは最高に美しいと感じて、旅行から帰って来て検索して保存しておいたものだ。

 

 ポスターもきれいだったけれど、主会場の直島や豊島も素晴らしかった。

 

 ただ、強烈な陽射しの記憶も鮮明だ。両島とも小さな島だから坂だらけで、眼前の坂道アスファルトなどが目に刺さって焼けるような思いをした懐かしい記憶。

 

 モンゴルのゲル(パオ 包)を持ってきて海べりに10個くらい設営されているところに数日宿泊した。波音や風の音がすぐ近くにあってとても新鮮な体験だった。

 

 田沢湖の青や、鶴川「武相荘」で見た麻の青、いろいろな青がある。