雑感
設計とは別に思ったこと
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我が家の夏 20250727

いきなり浴室の写真で恐縮だけれど「我が家の夏」という意味では許されるかと。
この家は、僕が20代後半に計画して父とともに建てた。
当時、僕もそれなりに頑張ったけれど、その後40年近く維持してくれた妻には感謝しかない。
当時、日本社会はバブルの最高点のようなもので、地価は狂乱状態だったし建設費も尋常ではなかった。図面を作って何社からか見積を受け取ったものの、想定の倍になっていた。
そこに現れた救世主は地元の工務店で、「職人の手が空いたときに少しずつ進める」という極めて異例な約束のもと着工にこぎつけた。
そんな状況だからこちらの意見は黙殺されがちだったけれど、もともと詳細に関心が低い僕は許容できた。
ある朝、僕が開けたカーテンを妻が整えているのを見て、小さなショックを受けた。「カーテンって束ねるだけではいけないんだ」その時、自分はデザイナーとは違うことを思い知った。ずっと知っていたけれど改めて、という意味で。
僕が憧れて建築設計に飛び込んだ建築家は、「廃墟の美」を語るひとで異端だったと思う。同じようにあこがれた世界的建築家「ルイス カーン」は、バングラデシュのダッカ大学の設計で、土とレンガを使って大地から湧きあがるかのような設計を敢行して名を馳せていた。
現代の「きれい きれい」には役立たずだけれど(そもそも興味が無い)、自分の居場所を再発見したい。今がK-POP指向だとすると、それはブルースやビ バップなのかも知れないけれど、端と端は意外とリング状にくっつくかもしれないし。
134号線 20250724
海の写真が続いたので、金沢出張直前の湘南の風景も残しておこう。
左から、鎌倉高校前駅そば、江の島よりやや西2景、町田から下道での途中。
2番目の写真、お店の階段のわきに小さく江の島灯台が写っている。(この店は江ノ島水族館の帰りに孫2も伴ってピザを食べた楽しい記憶のところ)
僕に設計を依頼してくださった方は、かなりの割合で海のそば居住だった。
きっと、海への眺めや風通し、サーファーだったりのライフスタイルで、特殊な解を欲しているからだろう。先に触れたスラムダンク踏切に面した崖上にも、海側全面を窓にした家を設計させてもらった。
他に、鵠沼海岸というところで7棟の分譲住宅を企画したことがあったけれど、そのうちの2件もサーファーが購入された。(逗子の家もそうだったし)
調べてみると、大磯から湘南をなぞって三浦半島を巡り、横須賀に至るのが134号線らしい。
日本海をのぞいた 20250723

石川県能美市の現場から金沢市に戻る途中、日本海をのぞいてみようと北に進路を変えた。
能登地震の爪痕を見たかったのではないので、内灘よりだいぶ南の方。
僕の印象に残る日本海は、台風の影響が濃かった柿崎という小さな町と、家族で白山からの帰りに海水浴した直江津の砂浜だ。
今回僕が車を走らせた区間は、北陸自動車道が海岸沿いを半ば占有しているので海に近づくことは難しそうだった。

やっと見つけたのが海浜公園だったから、少し物足りない。
暑すぎたのか行楽客もまばらで、歓声よりは階段を上る自分の息のほうが記憶に残るくらい。あとは「じりじり」と陽射しの音。
能美市での打ち合わせが昼過ぎに終わっていたので、海ばかりでなく有名観光地の近江町市場にも寄ってみようと思った。車を返した後、駅からバスを使っての道中は炎天下かつ無風で早く帰りたくなってしまった。
今回の出張の大きな誤算は、世の中の休日などを考慮しなかったことだ。
打ち合わせは、単に工事スケジュールから7月19日の午前11時の約束をして、その時間だと朝早くて乗り換え時間もないから前の日に切符を買っておこうとJR町田駅にでかけた。すると、指定席のみの「かがやき」はもちろん、自由席のある「はくたか」も朝一番から満席で、ようやく買えるのが午後4時着だった。
自由席がどうなのかわからないけれど、このようすだと3時間立ちっぱなしの恐れがある。
そこで急きょ前泊することにして慌てて家に帰って支度をした。
「そうか、この土曜日は学校の夏休み開始日で、お父さんお母さんにとっては3連休の初日なのだ。」
上の写真は、何度か触れた金沢駅鼓門と、ホテルの窓からの空、バイキング朝食。
これだけ普通に食べたのに、帰りの新幹線では暑気あたりか普段の不摂生か、忘れていた胃が痛む思いに当惑した。
そうそう、近江町市場では、日本海鮨3カンと生ビール中ジョッキを注文したのだけれど、座ったカウンター席に隣接するレジにいたおばさんが、「お客さん、ビール飲むの早いね」と感心してくれた。3分くらいだったかな。脱出したい気分だったのだ。
青 20250713

先日、「今日はなんだか涼しめだね」などと妻と話していて、「ああ、30度だからか」と言った後に笑った。
子供のころは30度なんて聞いたこともなくて、気温が体温を超えたら呼吸ができなくなるんじゃないか、と思っていた。30度を涼しいと言ったのは、気温順化力があるのか感知能力が下がっているのか。
写真はその和らいだ気温の前に撮ったもので、空が青い。
下の美しいポスターのそばに掲示するのがとても躊躇われるけれど。

左のポスターは15年前に出かけた「瀬戸内ビエンナーレ」。
僕が見聞きしたポスターでは最高に美しいと感じて、旅行から帰って来て検索して保存しておいたものだ。
ポスターもきれいだったけれど、主会場の直島や豊島も素晴らしかった。
ただ、強烈な陽射しの記憶も鮮明だ。両島とも小さな島だから坂だらけで、眼前の坂道アスファルトなどが目に刺さって焼けるような思いをした懐かしい記憶。
モンゴルのゲル(パオ 包)を持ってきて海べりに10個くらい設営されているところに数日宿泊した。波音や風の音がすぐ近くにあってとても新鮮な体験だった。
田沢湖の青や、鶴川「武相荘」で見た麻の青、いろいろな青がある。