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サボテン 20150722
5月のなかごろ、雑司ヶ谷で買って来たサボテンが当初見込みとは違った姿を見せている。
どちらも週に一度日光浴させて、水は一か月に一度で良かったのだけれど、やはり植物だからと日の当たるところに置いていたら、片方が伸び伸び育ってしまった。もとは同じ高さだったのだけれど、バランスがおかしなものになった。植え替えるかどうかは今後次第。でも、時間の問題とも思える。その場合、分けるのはどうかとも思うので、美濃焼のぐい飲みは本来の役目に復帰するか。
昨晩の夜散歩は北斗七星がきれいだった。寒い季節はオリオン座が目立つけれど、夏の北斗七星は見つからないなあと思っていたら、昨日は鮮やかだった。その先には北極星があって、帰りはそれを目標にする気分。
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不満な人々との距離 20150718
僕は原発反対のデモがあったころ、国会議事堂前に3回出かけたことがある。
もちろん、原発反対の気持ちがあったためで、それは今も変わらない。自民党の言う中期的撤退も理解できるけれど、「全面停止」をテコにした新しいパラダイムへの転換という期待もあるからだ。
ただ、3度とも大勢の人々の中に入れなかったし、そそくさと帰って来た。不満パワーにはじき出された感じだった。
初めは共感できない自分に頼りなさを感じたけれど、そのうち思ったのは「不満な人々のそばにいるのは不快だ」ということだった。もちろん、不満が動機で集まってくるのだから自然なことかも知れないけれど、僕の目からすると、まず先に不満があって、そのターゲットとして乗り込んだ人も少なくないように思えた。(デモに限ります)
今回の安保改正法案の衆議院通過に関して、意見を披露するだけの知見が無いけれど、国会が不満な人々(プラカードの民主党議員)の自己顕示に使われるのは本当に見苦しい。自衛隊員と、日本国民が傷つくその瞬間を胸に描くということが発端でなければ、政治や運動を生業にする人々の闊歩を許すだけだ。
新国立競技場について、全面的見直しが表明された。
極めて政治臭が強い決定だけに、僕が期待するのは、これが「不満な人々」の勝利にならず、政治に興味が薄いスポーツ好きの人たちへの福音となることだ。神宮に相応しい、廻りを走りたくなるようなスタジアムが欲しい。
地面の水平垂直 20150715
ちょっと連日の書き込みでうるさいかなと心配ですが。
恒例の夜散歩に出ようとしたら、玄関前の路上にカブトムシがいた。
交通量は少ないものの、車が来たらつぶされるので避難させなければと思った。以前、相当前の雑感に記したけれど、青山の裏通りでカマキリをカバンにつかまらせて移動したことを思い出す。
今晩は意を決してつかんで植え込みに投げた。直後に車が入って来て一安心。
散歩から帰って来て「WIRED」を見たら仰天した。
http://wired.jp/2015/07/15/skylodge-adventure-suites-peru/
僕には最も遠いナンバーワンホテルがあった。
新国立競技場 20150714
新国立競技場の建設費と決定経緯を巡って、批判の声がとても大きくなってきた。
僕は仕事として建築設計に携わっているけれど、この問題は新聞からの情報が専らなので、新聞読者として考えるばかり。
それを前提とした印象では、当選者のザハさんは神宮外苑のことを知らないと思うし、知るだけの時間はあるはずもなかっただろうと推察する。氏のこれまでの作品は、むしろ「その場所」に普通の文脈でアプローチしないのが個性でもあるようだから、そのことを攻めてもあたらない。
この雑感で触れようと思ったのは、みんな他の案を知らないと思ったから。
コンペの報告があるのが次のサイト。
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/finalists.html
このサイトは最終選考案のもので、最後の3案は「最終結果」というボタンで移動する必要がある。
(個人的には当初案も好きになれないけれど、その後の縮小案は目も当てられないというのが正直なところ)
どの案が自分にとって好感が得られるか、今となっては遅いのかも知れないけれど、経緯を知ることは何か気持ちの中立性を保つうえで材料になるかも知れない。
個人的には作品NO26が好きで、『Tuyoshi Tane(france)』とあるから見落としがちだけれど、この人はジェフ市原のユースチームで将来を嘱望されたという異色の経歴の持ち主らしい。
http://www.cinra.net/interview/201501-tanetsuyoshi
そんなことに気が付くと、また違った気分になれるかと情報提供のつもりでした。まる
15日補足:「ひるおび」という昼のニュースバラエティ他に招かれている森山高至さんは大学研究室の同窓で、直接間接に情報を得ていました。森山さんが発信された時はこのような展開になると想像できなかったので、その活動に協力できなかったためあえて触れませんでしたが、考えてみると森山さんの熱意がここに結実しつつあるとも思え、敬意を表すために補足させていただきます。
カレーと草いきれ 20150713
一昨日、スパイシーポークカレーを作った。
ホールスパイスが4種類と、パウダースパイスが6種類の苦味が大切なカレーだ。豚肩ロースをパウダースパイスで2時間漬け込む(マリネ?)のが肝要らしくて、その通りにした。
以前からカレー専門店にある玉葱の付け合わせが気になっていたのだけれど、どうやって作ったらよいかわからずにいた。今の季節は新玉葱だから失敗は少ないと思って試したら、うまくいった。
本当の作り方は知らないけれど、ざっくり切って水にさらし、オリーブオイルとクミンとガラムマサラ、一味唐辛子とごく少量の梅干したたきで和える。専門店とは違ったけれど、ポークカレーとごはんに挟まれると、とても美味しかった。
昨日は13㎞弱歩いた。
日曜日の昼過ぎ、散歩に行こうと出かけたら太陽がきつかった。なんとかなると歩いていたとき、以前経験した熱中症初期段階を思い出す。妻は仲間と松本に出かけているので、救急連絡はしゃれにならないと思って家に引き返した。
そして午後4時。陽はそれなりに傾いて風もあるので、再びウォーキングシューズを履いた。
6月から通勤がなくなったので、傘をささない日は歩いたのだけれど、ただ歩くのは面白くないと思って自分なりのバリエーションを作った。川沿いなので数百メートルごとに橋があるから、ローテーションを組みやすいのだ。
いい気になって、デューク更家さんがテレビで披露していた捻りウォーキングや、その他の動きを取り入れたら、知らなかったような体の奥の筋肉が鈍痛に見舞われるようになった。
だから、日曜日は捻りを自重した。その分距離を伸ばそうかと考えている内、13㎞になった。17000歩。(東京駅を起点にすると、新宿御苑まで行って帰ってくる距離:実は意外なことに、東京-新宿間は7㎞少ししかない・・・とも言える)
梅雨の谷間の青空にしては力強くて、蔓や草のむんむんした熱気がこちらを打った。少年時代、ボール探しに分け入った草むらの匂い。
サンドイッチ 20150709
今日の昼は、妻が買いおいてくれたものを重ねてみた。
マフィンとレタス、トマトにハム、そしてスライスチーズとスクランブルエッグ。
やっぱり黄金比だなあと実感した。(今日はケチャップ&マスタード省略、マヨネーズのみ・・・!)
キャプテンシー 20150708
思い返してみると、もう10余年の歳月が経過していて驚いたりしてしまうけれど、そのころおっさんサッカーに熱中していた。
3~4歳年上のグループに混ざって始まり、後から合流した若いグループは一回り少し離れていた。
僕はそこでキャプテンだったのだけれど、それはキャプテンシーがあったからではなくて、少し年上のグループの人事的判断だったと思う。でも、楽しませてもらった。
話はだいぶそれるけれど、ここ数日、世界遺産登録と新国立競技場のことで多くの人が溜息をついた。
その溜息の元を探ると、決定者の顔が見えないことだと思う。思ったように進まないとき、中断する責任者が不在か、隠れているように思えるからだ。
安倍総理の果敢な経済的試みに賛辞を惜しまないけれど、常に一抹の不安を抱えるのがこの辺りにあるのだろうか。外相と文科相に任せたかどうかも見えてこない。
もう一度それて、なでしこジャパンには本当に感激した。ベスト4だって難しいと思われたのに、決勝進出。悪夢のような16分も跳ね返した姿はいままで見たことのない日本人だ。ああすごい。
キャプテンシーとは、キャプテンだけに求められるものではないのだろう。僕もなでしこを目標にしたい。
おから 20150706
久しぶりにおからを作った。なかなかおいしい。
ウィキペディアを見てみると、栄養素がとても多く含まれているのに、ほとんどが廃棄されているらしい。
おいしいのになあ・・・と思う。第一きれいな感じがするし。
海岸(浅井慎平)美術館 20150625
南房総に母二人と妻の四人で出かけた。
梅雨の最中だから、せめて豪雨だけは免れたいと思っていたけれど、行ってみると初夏のようだった。
久里浜から金谷へフェリーで渡り、あろうことか鋸山の断崖先端に立つことになった。それは後日(僕は筋金入りの高所恐怖症だ)
菱川師宣記念館も期待以上に楽しかったけれど、圧巻だったのはやはり浅井慎平さんの作品が展示されている『海岸美術館』
浅井さんの作品は、「俺が・・・自分が・・・」という気負いが皆無なのが心地よいけれど、3回目とあって前よりもたくさんのことが見えた。
今日の写真はみなパノラマ(初めてで繰り返し撮った)なので、そう思って見ていただければと思う。
アプローチも良く考えられていて、とても洗練されている。そして、小さな橋状の通路をわたって降りたメインスペースが上の写真。四角い建物にいろいろな楽しい仕掛けがある。
広い展示室の中央は大きなベンチで、これこそがこの美術館の真骨頂だ。
そこに座っていると、陽の光と空気の流れ、水音に鳥の鳴き声、葉のざわめきなどが肌を撫でていくようだ。
たまたま四人で貸切だったこともあって、母二人はすっかり気に入って動こうとしなかった。
館内と同じように庭も整えられていて、帰り際にそのことを館の人に話すと、「常に格闘です」という明瞭な返答があった。
季節や天候によるかもしれないけれど、超おすすめの「海岸美術館」だ。
初めてついでに動画も撮ったのだけれど、メールで送れる容量を超えたので、ちょっと工夫が必要らしい。できたら透き通ったウグイスの声を残したい。
日溜り郵便局 20150617
今日、ちょっとした用事があって、住宅街にある小さな郵便局に歩いて行った。妻が通った小学校のそばにあって、僕もほぼ半世紀その存在を知っているけれど、入るのは初めてのような気がする。
比較的大きな区画の住宅街にあるので、こぶりな平屋建ては四方からの光に包まれていた。カウンターを挟んで、客側と事務スペースを合わせて小学校の教室を二回り小さくした印象。
カウンターは設立当初のものが残されているらしくて、大工さんによる造作(家具工事は高額だ)で、素人工事のようにペンキが塗られていた。でもそれは少しも劣化していないので、ペンキは何度も塗り直されたのだろう。
最近アドバイスする機会を与えられた、開業内科医の受付カウンターと気配が酷似していたのでとても暖かい心持ちになった。(声をかけてくれた友人の父上の開業だから、昭和中期の建設)
そこの空気が優しくて、光がおだやか。きっと年中拭き掃除をしているのだろうと思った。
家に帰って、まだ片付かないアトリエでごそごそするうち、ペンキとモルタル、それにシナベニヤとラワンベニヤだけの内装も悪くないと再確認する。小物を置いて何枚か写真を撮った。
驚いたのは友人のブログ。彼は前にも何度か触れた小児科の開業医で、時々飲んで騒ぐのだけれど、今回僕が買った同じ椅子を、ずっと以前に購入していたのだ。ヒット商品なので不思議でないとも言えるけれど、やっぱり驚き。
室温 20150616
地下は、涼しいというより時に寒いと感じるので、温湿度計を買ってきて置いてみた。
地中温度は深さ3mを超えると安定すると聞いてきたけれど、実際いつ見ても20℃を指している。
店では25℃を指していたし、帰宅時には28℃だったから壊れているわけではないはずだ。
実際二つ買ったものが同調しているし。
だから、短パン(今は何と呼ぶのだろう。バミューダという名前を思い出して懐かしくなる)ではなくて通常のジーンズが良いのだけれど、気分的にもその方が落ち着く。
ネットで検索したら、東京の地下3mは年間14℃から20℃というデータだった。写真を撮った日は蒸し暑い日で、湿度75%くらいだった。湿度計が80%となっているのは、1階とある程度空気の行き来があるので、20℃の室温であれば相対湿度として妥当だろう。今朝は68%を示している。
外気温が夏至の2か月後にピークを迎えるように、太陽光の蓄積が影響する地中温度はさらに時間差が生じるらしくて、最も高くなるのは初冬だ。なんとなく得な気がする。
それにしても恐るべし100円ショップ。温湿度計も108円とは。これを郵便で送ると108円ではすまないと思われるのに。
月、水音 20150613
夜雨の降らないこともあって、散歩トレーニングが続いている。一昨日は仲間と夕食を一緒にして、それなりに遅くなったので行かれなかったけれど。
歩いているのは恩田川という小さな川で、両岸は散歩コースに整備されている。だから、信号はなく、横切るひともわずかなのでのびのびと歩くことができる。
他の魅力は水の音と月、それに虫の声。昨晩は夏の気配を感じた。
夜だと、一時間にすれ違うのは5人程度で、意外と少ない。それでも寂しさを感じないのは、途中で小田急線の小さなガードをくぐるからで、仮に上下線合わせて5分間隔だとすると、5つの車両編成を見上げるだろうか。
暗い背景に、四角くて明るい窓の連なりが流れていく。
遅い時間だから空いていて、つり革をつかむ人は不連続だ。
それが通り過ぎると水の音が蘇って、自分の息が聞こえる。
そんな毎夜。
5Km×5日 20150608
昨日はモニターとプリンターのダウンロードとセットアップの一日だった。何が嫌いと言って、セットアップを超えるものはそうないから(あと書類整理)、憂鬱な一日の始まり。
何とか無難に進むようだったのに、プリンターの無線接続で案の定躓いた。結局リモートサービスの人に、3時間近く時間を使ってもらうことになった。(地下の電波は頼りないため微調整が必要になった。この辺の波をターゲットにしましょうか、などと。)
あまり過剰にお礼を言うとかえって失礼に思えたから、それなりの感謝を伝えたけれど、彼らの存在が無ければプリンターなど買わないことは明白だ。なんともありがたいサービス。男性が天使に思えるのは他に記憶が無い。
そんな毎日が続いたけれど、通勤がなくなったぶん運動も必要だと思って、散歩している。
続くか自信が無かったし、続かなくてもそれは仕方が無いと思っていたけれど、昨日で5日になった。
一昨日の夜は雨だったので、翌朝歩くことにした。霧雨の中、午前6時ころ家を出て約1時間。途中で青山学院の文字の入ったシャツの集団とすれ違った。4~5人ずつ5~6グループ。
さすがに箱根を制した選手たちではないと想像するものの、そのスピードに驚かされる。
この日は前夜が雨だったので早朝歩いたけれど、他は夜遅く。その理由は騒がしいおばあちゃんたちが居ないことと、夜が好きなこと。そしてオリジナルな動きを加えていて見た目が滑稽であること。
歩いているとき、すれ違うランナーは怖くないものの、そうでない人は滅多にないから遭遇するといくらか緊張する。だから僕も人影を感じたらオリジナルな動きは封印している。
とても楽しい時間なので、案外習慣になるかも知れない。その結果体が軽くなったらいいなあ。
ひとつずつ 20150605
月曜日に年金と保険の手続きをして、キーボードを買った。
火曜日はフロアマットを買いにいったり、プリンターの比較をしながら、長く懸案としていた27インチモニターをネット購入した。
水曜日は竣工した物件の図面修正に追われて一日が経過する。木曜日は元の会社に立ち寄った後、ビックカメラでプリンターを決定購入する。ついでにパソコン上の照明器具を買って家に帰ると、モニターが届いた。
今日、金曜日はしばらく前に発注していた椅子が届く。ぎりぎりで螺旋階段を降ろすことができてほっとした。明日プリンターが届くとひと段落か。(パソコン上照明は笠が無い裸電球状態だけれど)
アトリエはそんな風にひとつずつ機器が揃いつつある。
モニターの重量で机の板がたわむのを避けたかったので、2×4材でT字型柱(つっかえ棒)を作ったのだけれど、塗装する余裕が無かった。そこで、トーテムポールにしようと思い付いてマジックで即興作成した。なかなか気に入った。(タトゥーを入れるサッカー選手の気持ちが少しだけわかった)
部屋の一角には結果的に昭和コーナーとでも呼ぶべきところができた。僕より年齢の高い本棚で、子供のころ山口県の祖父の家に夏休みの間おいてもらったときの想い出。この本棚そのものではないけれど、そこにはいくつか本棚が並んでいた。南向きの部屋だったから、カーテンを閉めても部屋は明るくて、子供なりにとても贅沢な時間だったのだ。
自分はモノに対して超淡白だと思っていたけれど、こうしていろいろ触ってみると意外と楽しい。
(写真の色合いがこれまでと違うのは、LEDの光源を電球色から白昼色に変えたため。電球色の方がしっとりするのはその通りだけれど、細かい字を読むためには白い灯りの方が負担が少ない。)
経過報告 20150601
雀が盛んに鳴いて外はすっかり明るい。
昨日中に会社貸与の携帯を返すために送らなければならなかったし、アトリエも5月中に完成させようという工務店さんの厚意もあったので、フル、の一日だった。だから写真一枚の報告。
おおもとの計画があって、そのように材料を準備してもらったのだけれど、現場でそれなりに変わっていった。
詳細は後日報告として、中央の箱が本棚。A4が楽に入る高さ。左に見える板(二台あるのだけれど)が、机です。本棚の柱など、大工さんと相談しながら楽しむことができた。嬉しい。
何はともあれ新しい船出。どうぞよろしくお願いします。
アトリエ準備 20150530
昨日今日と、大工さんが来てアトリエの床を張ってくれた。もう何現場か一緒にしているのだけれど、今日初めて同い年だと知った。若く見えるので、50歳くらいかと思っていた。(若いひとにはどうでもよい話なのは理解しているつもり:笑)
張りきったわけでもなかったのに、強い日差しのもとでテーブルの脚を組み立てていたら、また危うく熱中症初期におちいるところだった。やれやれ。(写真にあるテーブルの脚はひとつ1500円イケア、カラーボックスは3900円ニトリ、どちらも簡単に組み立てられた)
明日は同い年の大工さんが休みを返上して本棚を組んでくれる予定。
右下最後の写真は、俳優の瑛太さんがエチオピアの200人余りの村を訪ねた番組のワンカット。何百メートルかの垂直壁を登ったところに教会がある。命綱無し、おお。今日でみるのが3回目なのにまたドキドキ感動した。
太陽の輪 20150523
中学高校の同級生である、Kさんの家の竣工引き渡しがあった。
とても忙しそうななか、ご夫婦が引っ越しの采配をやりとりしながら必要手続きをこなしてくださって、設計建設のこちら側スタッフは、感謝の気持ちを込めて鍵をお渡しする。
朝早い設定だったから、終わってから駅前のベンチで朝食にした。
見上げると、太陽に輪があった。
検索すると虹の一種(かさというらしい)で、この日の午後は目黒で別件の竣工検査もあったから、丸の姿が縁起良いな、などと思う。
設計・建設現場に関わった皆の、Kさんご家族の幸せを願う気持ちが僕自身をも幸せに近づけることに気付いて、嬉しく思いながらまた感謝した。
とみきち屋さん 20150517
「みちくさ市」というとても有名になったらしい古本市に、高校時代の友人が奥さんと一緒にほぼ皆勤出店している。(奥さんは同じ高校の二年後輩)
とみきち屋さんはその屋号で、そういえば由来を聞いていなかったけれど、奥さんのブログに同じ名前が冠されていて、店主は奥さんということだ。友人の方は風太郎という名前を持っているけれど、とみきち屋としたのは売上を考えてもまったく正しい選択だと思う。
ほとんどの人は内容よりその気配で店を選ぶし、実際様子を見ているとめちゃくちゃ明るい奥さんとお客さんの会話からコミュニケーションが深まっていることがよくわかる。
そこに、風太郎さんの僕からすれば超絶的な本の知識が被さる。それだけでもインパクトがあるし、加えて、とみきちさんも負けていないのだからこれからもっと人気店になるのは間違いない。
今日は雑司ヶ谷の鬼子母神近辺の開催だったので出かけてみた。
本を物色するつもりが、鬼子母神の境内にある別の出店でサボテンを買った。美濃焼のぐい飲みに収まっていて、週に一回の日光浴と、月に一回の水やり・・・という点が気に入った。
ツインのサボテンなので、地下のよき友人になってくれたらと期待する。
風太郎さんが薦めてくれた文庫本の一冊に感激した。こんな豪華な編集もあるのだなあ。(実際はプレゼントしてくれたのだけれど、僕も清涼飲料水の差し入れをしたので、ただ期待しないように:笑)
愛だろっ、愛 20150515
今晩はBS放送の「美の壺」と「キッチンが走る」を続けて見た。
美の壺では作品というよりは実用が重視されるという急須に焦点を当てていて、キッチンが走るでは横須賀の農漁業を取材していた。
横須賀では最初にワカメ栽培が紹介されて、これは80歳を超える導入者とその息子。次にマコガレイの若い兄弟漁師。最後は春キャベツの隣に70種類の欧州野菜などの栽培に挑む若い畑人。
それぞれの人たちのプライドの高さと迫力に、イタリアンシェフと杉浦太陽さんはちょっとたじたじしていた。
共通していると思えたのはその熱意というかまっすぐな視線で、僕の頭のなかに度々去来する「愛だろっ、愛」というフレーズが再登場した。詳しくはわからないけれど、彼らの行動は何かしらそうした動機に裏打ちされていると思ったのだ。
愛だろ・・・は結構最近のコマーシャルだろうと思っていたのに、検索してみたら20年近く前なので少し動揺する。
でも、このフレーズは、きっとだれにとってもテーマであり続けるのだろうと思ったりもする。
さて、下の写真は近所の朝の散歩コース。以前毎日歩いた隅田川テラスのようにはいかないけれど、これはこれで十分満足だ。
最初の二日間は6時過ぎに起きて4~5キロ歩いたけれど、その後二日間は見送ってしまった。自分を追い込まずに(笑)、楽しんで歩けたらと思う。
右下の写真はポスターが届いた包みで、モネの睡蓮とコルビュジエのロンシャンの教会のドローイング。地下に飾るためのもの。
とても楽しみだけれど、地下が整う前に開けると痛みそうなので我慢。
アトリエ作り経過 20150507
4月初めには物のあふれる倉庫だったけれど、アトリエに改修しようとしたら思いのほかはかどった。
でも、6月の正規稼働を考えると時間的余裕はないとも思える。だから、ゴールデンウィークは専らこのことに時間を使うことにして、また一定の前進があった。
天井はコンクリートのままで、しかも、建設会社も倉庫だと思い込んでいたので、かなり粗々しい仕上がりだった。それを面白がって、水性ペンキをただ塗り付けた。
下地材を分けてくれる義母の知人もいて、ローコストが嬉しいのだけれど、刷毛でもローラーでもずっと見上げて作業していたから今でも首回りが重い。(笑)
壁は、同じペイントでもよかったけれど、少し白がきついと感じたので竹炭塗料を試したみた。途中では暗く感じて失敗かと思う瞬間もあったものの、終わってみると深みと落ち着きがあるようで大変満足した。(それぞれ塗料代は1万円程度:下塗り材別途)
上右の写真は、レイアウトと仕事環境をシミュレーションするための仮机で、脚立とボストンバッグで支えてみた。
地下にアトリエなんて大丈夫なのか?と心配してくれる友人もあるけれど、螺旋階段の穴があるから一階玄関の窓が見えるし、螺旋階段は屋上まで貫いているから直上を見れば空もある。シミュレーションの黄色い椅子から見上げた写真が上左で(ちょっとだけ空)、右は洗面所から出たところで見える満月(花鳥風月の家:笑)。
そうしたことを支えているのが上左写真の塔屋で、高度斜線制限に切り取られたガラスの箱になっている。(手前の棒は物干しで、計4本あるから、近々ターフを張って屋外オフィスにすることも検討したい)
こうした塔屋はまともな設計者や現場監督には論外なのだけれど、当時、若くて右も左もわからなかったから実現したようなもの。それが、26年後の今でも僕の生活に大きな影響がある。
地下と屋上を、チャレンジとリフレッシュのために行き来するのがマッコウクジラのようだと、ひとり悦に入っているこのころ。
ゴールデンウィーク 20150506
ゴールデンウィーク最終日の今日。疲れたり、明日からの日常が疎ましかったり、あるいはすっかりリフレッシュして希望に燃えていたり(僕はちょっと想像しにくいけれど)と、ひとそれぞれの今日なのだろう。
僕は、もっぱら地下のアトリエ作りに時間を使ったけれど、それは次回のメモとして、今日は3日の横浜の様子を残しておこうと思う。
妻の友人がタンザニアに関係していて、以前ティンガティンガという当地の村ぐるみのアート活動の展覧会を教えられた。
その時は水天宮前のホテルでが会場で、僕も見させてもらってこの雑感に写真と感想を記したことがある。
今回は横浜で開催だと教えてもらったので、3日に出かけてみた。
横浜は仕事でもたびたび立ち寄るので、何も意識していなかったけれど、GW真ん中に元町中華街の駅で降りてみると、ホームから改札階へのエスカレーターの行列が想像を絶するものだった。
地上に出てまたびっくり。店舗の100倍はいるのではないかという人ごみだった。それでもお腹が空いていたので、はずれへはずれへと足を伸ばして、ようやくテラス席で落ち着くことができた。
その後は展覧会のある日本大通りを山下公園経由で目指すのだけれど、何かのイベント会場でトルコのサバサンドを食べることになったり、(隣に座った二人はロシア人らしくて、とても愛らしい少女だった)大道芸に目を奪われたりしながら、なんとか展覧会に辿り着いて、手織りのストールなど買い求めた。
その後は大桟橋に戻って、客船の出港をバンドの演奏を聴きながら眺めた。
横浜の祝日は、イベントがたくさんあって、しかも空が広くて魅力的だとあらためて感心した。(生命力あふれる新緑を風が揺らすのが心地よかったし、乗換をする菊名駅に喜連川のポスターを見つけたのも嬉しかった。)
山桜と棲む 20150428
JR東日本が分譲する温泉付き別荘地に、びゅうフォレスト喜連川がある。そこに設計させていただいた別荘が、というよりもう少し正直に言えば、そこにある山桜がポスターになった。
お客様から撮影の話をうかがって、きっとそれは2015年の春だろうと予測していたら、度々見かけるようになった。最初に吉祥寺駅で発見して、中野駅、関内駅、町田駅などと、最近は探せばかなりの確率で見つけることができる。
お客様は、大手商社の重職にあるご主人と、とても行動的な奥様だ。旅行とゴルフ、それに音楽活動がご夫婦共通の趣味で、ゴルフの帰りに喜連川に立ち寄られて、この山桜に魅了された。そして、山桜の一区画と、それを眺める住居のための隣接一区画を求められた。
当初は10年後の移住を想定されたようだけれど、せっかくだから週末住宅として早くから活かしたい・・・というのが建設の理由。インターネットで僕を発見してくれて、お目にかかった最初の日に設計の依頼をいただいた。
ご要望は、そのときご夫婦で熱烈なファンだったUKのミュージシャンを、静かに聞きながら桜を眺めることだった。
敷地の勾配に合わせて、3段のスキップフロアに各室を配置した。ゴルフやその他のご友人が集まれるように、リビングから80㎝上がったところに広間も作った。最も上には連峰を望める4.5帖の温泉浴室。「森に棲むように」というのがテーマで、あふれる陽光と、広大な景色、そして土や植物との親和性を大切に考えた。
設計過程を説明しようとすれば、それは膨大になりそうなのでポイントをふたつほど。
桜見台
別荘地のルールとして、区画をまたいで建設しないということがあったので、住居は山桜の東側にある区画に建てることになる。それを受け入れるのは当然として、広い敷地を最大に活かすためには仕掛けが必要になった。
写真左端に見える白いキューブと、見えないけれどその背後にある駐車場擁壁を兼ねたバーベキューのできる東屋がそれ。どちらも大変気に入っていただいて僕が嬉しいのは当然だけれど、加えて、僕自身ちょっとしたチェックでご夫婦不在時に訪問したときは、ここで長い時間山桜とのんびりさせていただいている。
ご夫婦のお話では、「朝焼けのコーヒーと、夕焼けのワインが最高」とのこと。
自作
設計の開始時に、家庭菜園も作りたいし、庭全体をゆっくりじっくり作りこみたいということをうかがっていた。
大変な広さなので、果たしてそのようにできるか確信が無かったけれど、あっと言う間に芝生を敷き詰められて、通路は煉瓦で区画してきれいな石で整備された。本当はあっという間であるはずもなくて、大変なエネルギーを注がれたに違いない。それが、山桜を含めたその場所全体の空気を震わせているのかも知れないとも思う。
僕が教えられたのは、「より多くを望めばより多くが手に入る」という事実だった。ご夫婦に乗せられて頑張った報酬としては、望外だ。
長い自慢話 20150426
これまでにも自慢話は記してきたけれど、しかし本人としては多少なりとも抑制しているつもりではあった(笑)。
先日、退社を励ましてくれる会があって、その席で荒美さんの出身高校は優秀だったらしいですね・・・というやさしい言葉をかけてもらったので、それを受けて今、存分に自慢させてもらおうと思いいたった。
ただ、同窓生がとても優秀だという自慢は、記す前から自慢であるようでいて真逆かも知れないと思うくらいの自覚もあるし、加えて、もっと優秀だった高校はいくらでもあるだろうから、それも承知の範囲内で。
僕の通った都立立川高校は、歴史的には府立二中の後継で、だから創立はきっと100年を超している。
府立(東京府の時代)一中が日比谷高校であることを考えれば、二中の存在価値も認めてもらえるのではないか。西や戸山高校、小石川高校は後に続くのだから。
バンカラという言葉が生きている最後に入学してみると、そこは大変男子的な汗臭い高校だった。立川基地の騒音を配慮して、窓はスチールサッシの二重窓で、校内は土足のままだしそもそも制服がなかった。
限定解除が設けられる最後の世代だったから、ナナハンで通学する強者も少なからずいて、僕も多摩川の河川敷で無免許運転させてもらった経験がある。
喫煙や飲酒は公然の秘密で、なにしろ地域の模範校だったから、捕まってから無罪放免にされた友人もたくさんいたようだ。
何かのイベント後の夜、高校のそばの小料理屋さんで、10人近くがカウンターに並んで宴会をした様子は、今思い出しても面白い。
校舎の屋上は治外法権で、僕はそこに登校して阿蘭陀という喫茶店から下校する日が多かったのだけれど、新しく赴任した教頭先生などは、事情を知らずに屋上で喫煙生徒たちと遭遇して目のやり場に苦慮してくれたくらいだった。
伝統歌が継承されていて、ファイヤーストームの後など全校生徒で謡われた。そのひとつに古典の運用などもあるのだけれど、る・らる・ゆ・らゆ・す・さす・しむず・・・と今でも歌えても区切りもわからないしどこで使うのかまったく不明ということを気にしないような高校生活だった。
さて、やさしい同僚に高校時代は優秀だったそうですね、と話しかけてもらって、たまたま翌日同級生に会ったものだから、その話をして驚いた。国立大でも超有名なところの学長になっている同窓生がいるらしいし、他の大学でも副学長やその他教授陣が少なくないらしい。
芥川賞作家やジュリアード音楽院主席もいるし、超切れ者の医者もたくさんいる。(外科医など、10時間飲んでも少しも衰えなかった)
僕が思うのは、そうした同級生と接点を再構築することではなくて、もう一度出会いたいということだ。
アトリエ作り 20150422
少し前に触れた想いがあるけれど、6月から自宅で仕事をすることにした。そのために、地下室(倉庫になっていた)をアトリエにしようと自分なりに奮闘している。
書類などの紙類を含めずに、リサイクルセンターに持ち込んだのは600㎏に達したので、写真よりは相当苦労したのだと想像いただきたい。だから、ちょっと自分の写真も晴れがましく。(笑)
天井は水性ペンキを塗って、壁の半分は珪藻土を塗る心つもり。床は大工さんにお願いしようと考えていたけれど、自分でやってみようかと思い始めた。
僕は、支えてもらったことに感謝するのはもちろんとして、自分のことも全うできればと思う。
ドライブ 20150417
火曜日・水曜日と箱根に出かけてみた。妻と母二人の合計四人で。宿泊した「ホテルグリーンプラザ箱根」は、とてもリーズナブルなのに気持ちの良い宿だった。
見るたびに悪化する雨の予報に覚悟して出かけたけれど、傘をさすことはほとんどなくて、快適に過ごせたのは幸運だったと思う。
インターネットで探した食堂や、ホテルの食事も美味しかったので無制限に食べてみたら、木曜日の朝、体重が2.5㎏増えていて驚いた。その重さを食べていないのに、どうしてそんなに増えるのか不思議でならない。
水曜日には真鶴の中川一政美術館に行ったのに、予想外の定休日だったので小田原城に回った。タンポポがきれいだった。
サルサソース 20150410
荒美Bがそろそろ3週間になる。
前に荒美Bとネーミングしたとき、高校教師バレー部監督のS先生は面白いと言ってくれたし、先日は、小児科医師のE先生が「俺は週二日Bだ!」とメールをくれたので、これからは休酒などと変な言葉を使わずに『B』でいこうと思う。
さて、BはBで楽しいものでもあるけれど、今日は週末で、しかも夕方大量の書類を検査機関に提出してひと段落したところだったので、居酒屋の看板がやたらと目に入った。
それでも、来週箱根に出かけてAに復活する予定(日本酒にするかワインにするかが楽しい悩み)を変更したくなかったし、何よりひとりだったので素通りする。
何か物足りなさが残っていたとき、銀座線改札の手前にCALDIを見つけた。ワインを選んでいる高齢女性の隣でサルサソース(ホット)を買ってみたら、妙だけれど気分の辻褄が合った。
このソースは思ったより水分が多いので、チリドッグよりサラダに合いそうだ。
タイムスリップ 20150405
最近の週末は、地下を仕事場にしようと整理を続けている。
昨日の土曜日、棚の奥にあったプラスチックケースを開けると、建築雑誌と文庫本が出てきた。
仕舞ってから、おそらく30年余りの時間が経っているはずだ。
文庫本は五木寛之氏のものが多いのは当時の傾向の通りだけれど、片岡義男氏のものが一冊も入っていないのは、どういう選別をしたのだったか。
浸っている暇はないと、処分するために束ねているうちに、表紙の色合いやタイトルなどから当時(二十歳前後のころ)の匂いが突然蘇った。
それはリアリティーがあるのだけれど、なぜか風景は御茶ノ水である。何十回と出かけたから嘘ではないと思うものの、千回に近い数通った新大久保や戸山でないのが不思議だった。
きっと、学生生活に対する強い憧れは、御茶ノ水の風景こそ手応えがあったのだろう。ちゃっかりしているというか、いい加減というか。
でも、御茶ノ水には「檸檬画翠」というとても魅力的な画材店があって、その印象こそが飛びぬけて定着しているのか、とも思う。駅前店でない方の店の前には、高い木立があった。
ワシントンチェア 20150403
設計の仕事は、頭の中で対象をぐるぐる動かしたり入れ替えたりする時間が長い。その間、多くの場合手足はフリーズしている。
そればかりか、なるべく対象から離れた方が視野が広くなるので、いきおい椅子の背もたれを倒してモニターから遠ざかろうとする。
だから、きっと、傍目にはふてくされているかサボっているかに見えることだろう。
自宅で仕事をする場合、視線が無いからその傾向に拍車がかかるのは疑いようもなく、腰痛が時々顔を覗かせる僕としては、その姿勢を支えてくれる椅子を選ぶのは贅沢ではなくて死活問題だ。
そこで先日、赤坂の「ワーカホリック」というオフィスチェアを試座できるショップに出かけた。十数脚に座ってみて、第一の候補が見つかったけれどもう少し多くから選びたいと思う。
右上の写真の椅子は、とても高価で店には無いけれどインターネット記事で見つけたもの。アメリカの歴代大統領8人に選ばれたと紹介されていた、オールスティール社製「ワシントンチェア」。
ワーカホリックとは別のサイトに¥998,000とあったけれど、もちろん仕様によって大きく変わるだろうから大統領の椅子の値段はわからない。ただ、権威の象徴というよりは実用的にも見える気がして、ちょっと親近感を覚えた。値段を別として。
24℃ 20150331
昨日か一昨日か、東京近辺の桜は満開が観察されたらしい。
今日は日中24℃まで気温が上昇してとても暖かかった。
明日から天気は下り坂で、雨が降れば散るのも早まると聞いたから、南青山のショールームを訪ねる前に桜を見ようと思った。
表参道のひとつ手前、乃木坂で降りて青山墓地を通り抜ける。振り返ると、遠くに東京ミッドタウンが見えた。
リスタート 20150329
5月いっぱいで勤めている会社を離れて、自宅で活動することにした。暖めてきた考えで、詳しくはおいおい記すとして、簡単に理由を言えば、新しい環境で再出発したいと思ったからだ。60代も設計の活動をしたいとすれば、その前に活動の領域を再構築することが必要で、それには何年かがかかるだろうと思う。
当面確保しなければならないのはスペースで、以前この雑感にも記したけれど、それは自宅の地下室を充てようと思っている。
もともと、仕事に必要と思って設けた8帖ほどのユーティリティスペース。当面はいろいろな物の仮置き場にしようとする内、二世帯分の倉庫になっていた。
金曜日・土曜日と、町田市のゴミ焼却施設に車で通った。本や書類を含まないのに、処理した不要品は200㎏を超えた。それでもまだ結構残っているから、総量がどのくらいになるのかちょっと驚きだ。
とは言え思ったより処理は進んで充実した気分。そして、進んだのには二つの理由がある。
ひとつは今荒美Bであること(休酒状態を意味していて:笑:飲まないと僕の場合フットワークが軽くなる。注:飲んでも机上の仕事はする)。
もうひとつは不要物を捨てることが快感であること。(不要物を捨てることは、つまり必要物を拾い上げることだと気付いた)
25年以上引っ越しをしていないので、片づけていると本当に多くの物が出てくる。そしてそれらひとつひとつの行き先を判断しなければならない。
例えば、少年野球に熱中していたころのもの。
しばらく眺めて、グローブを残してサインボールは捨てることにする。サインボールは思い出で、グローブはそれ以外の物だからだ。
練習中、試合中、グローブに拳を叩き込んで念じたことは、きっと60代の僕にも必要なことだろう。
何かがひとつの線上に繋がるようでわくわくする。
発見 20150326
今日は昼をはさんで上野にある建築検査会社に出かけた。
それは北上野という住所で、上野恩賜公園とは線路をまたいだ反対側に位置する(アメ横との対角)。帰り道、少し遠回りしたくなって東京文化会館を眺めようと思った。
そういえばもうじき花見の季節だけれど、風が冷たくてそんな気配は感じられなかった。
文化会館のエントランスホールで、大小ホールのホワイエなど眺めながら小一時間を過ごした。
この建物の設計者は前川國男という巨匠で、コルビュジェ門下生のひとりだ。向かいにある西洋美術館はコルビュジェの設計だから、師弟競演の趣。
若いときは「巨匠の設計した、多少古くなった伝説的建物」という視点で見ていたから、そうかそういうものかという感想だった。これがすごいのだなと。
今日はとても多くの発見があって、今更のように驚き楽しんだ。これは見る目が向上したという訳ではなくて、年齢を重ねることで先入観が薄れて多少見ることができるようになったためだろうと思う。あるいは力みが取れて平らかな視点に戻れたのか・・・
もし、年齢を重ねたことによる発見があるのならば、それはとても励みになることだ。
うららかな日 20150322
薄曇りの日曜日は、春だと宣言しているようだった。買い物にカメラを持って出て、写真を二枚撮った。幸せな気分。
自制力 20150321
最近インターネットで興味深い記事を読んだ。
自制する力は能力のように思われているけれど、それは運動エネルギーのようにどんどん消費されている・・・という指摘。
ひとつの実験では、学生を二つのグループに分けて、中央に美味しそうなお菓子を置いて、一方には手を出すなと命じ、もう一方には何の指示もしなかった。
一定時間が経過したのち、難しいパズルの課題を出す。
自由にお菓子を食べていたグループは完成に粘り強く挑み、お菓子を我慢していたグループは早い時間で放棄したという。
その結果、自制(意志力と言ってもよいかも知れない)は個人差はあるものの、誰しも有限だと推察されるらしい。
そこまでは「そんなものかな」程度で読んだのだけれど、感心したのは次の指摘。
「自制が強いとみられている人物は、無駄な自制をせずに最も必要なところに自制を振り向ける生活スタイルを構築している。」
つまり、積極的に何事も楽しんでいる人ということだろう。うーん、考えなければいけない。
英気 20150319
今日、建築雑誌で読んだエピソード。
ある建築家が、余命4年を宣告された人から設計依頼を受ける。「終の棲家」という言葉があまりにも当てはまってしまう中、二人で相談を繰り返して、急ぎながら、1年後に完成した。
蔵書が山のようにあったから、壁一面が本棚になっていて、家の真ん中には薪をくべる暖炉がある。
庭には家庭菜園も作った。
完成一年後に訪ねた時、施主ははつらつとした笑顔で出迎えて「毎日が楽しくて仕方がない、死なないと思うようになった」
と、おっしゃったとか。
それを、建築家は住宅やまして設計の力とは思っていない。生活を楽しみ、大切にすることの素晴らしさを語っていた。
キーマカレー 20150315
今日はキーマカレー。大変よくできた。満足。
ロスト&ファウンド 20150314
今日の土曜日は打合せが無かったので、BSでロスト&ファウンドという番組を見た。
東日本大震災で流れ出たものが、カナダで拾い上げられて持ち主に帰るというドキュメンタリー番組。
内容もとても良かったけれど、揺れがちでフォーカスが移動する画面がとても新鮮だった。
昼食は冷蔵庫を開けて調達した食材で写真のように。
多いようでいて、食パンはスライスしたから一枚分。発見したのは、一度トースターで焼いてそのあとスライスして二度焼きすると、裏面ガサガサ表面さわさわで美味しいということ。
大した発見じゃないけれど。
生徒の気配 20150311
今日は現場2ヶ所と区役所、それに確認検査機関などを訪ねたので移動ばかりの1日だった。
それ自体は特段珍しいことではないけれど、春休みや新学年が近いせいか、中学生や高校生を電車で多く見かけた。
彼らの、教室やグラウンドを車内に持ち込む傾向は疎ましく感じるけれど、でも、そのおおらかさはやはり素晴らしい。
自分がそのころどうだったか・・・正確な記憶は見つからないまま、なぞってみたい衝動に駆られる。
いっそのこと、疲れというものを知らなかった(疲れたらその場で寝るだけ)幼児まで遡れたら良いのだけれど、それはあり得ないだろう。
昨日と明日、というものを考えた1日。世界はやはり美しい。
黄色ふたつ 20150308
パンジーとフレンチトースト。
珍しく金曜日土曜日と飲み会が続いた。昨晩は帰宅してから着替えるのが、妻によると、見ものだったらしい。右に左に傾いて、完了まで相当な時間がかかったのだとか。
今日は妻に会合があるので、ひとり昼食はのんびりと。夕食は久し振りにチキンカレーを作る予定。
もうすぐ春だなあ、という日曜日。
基礎代謝 20150304
植物のように淡く食べて慈しむか、暴君のように貪ってエネルギーを発散するか。
普通人の僕はその対極の真ん中あたりでうろうろしている。
もちろん、健康管理を無視はできず、油断すれば体重計に警告を受けるのだから、自然に前者に傾こうとする。
でも、最近、制限を設けずに食べることの大切さを感じるようになった。
体幹筋肉を刺激して、ときには暴君のように食べるようになろうか。なれるか。なりたい。
別府SA 20150228
別府に足を延ばして地獄巡りをした後、遅い昼食をどうしようかと考えているうち、高速道路に入った。
長男が、「そういえば、別府サービスエリアからの景色がきれいだと先輩に教わった」と言うので、そこで食べれば良いかと落ち着いた。
車を降りてみると、やけにこじんまりとしたサービスエリアに見える。妻がシラスのピザの看板を見つけて、それはSAの建物から100mあまり離れたところにあるということだった。
時間にはゆとりがあるので、その案内に従って歩く。
とても感じのよい建物に入ると、大きな釜があった。
日曜日なのに空いている店内で、海の見える席に通してもらってピザとスパゲティを選び、取り分け用の小皿を頼む。
サービスエリアの中の店と思えないレベルを超えて、少ない経験ではあるけれど、僕の知っているどこよりもおいしいと思う。
景色や気持ちがおいしさに大きな影響を与えるとしても、それにしてもびっくり。
若いころに妻とイタリアを歩いて、その食べ物の美味しさに驚嘆したのだけれど、もはやイタリア人が日本のサービスエリアで驚嘆することになったのか。
若い人が日本を出たがらないのもわかる気がした。
由布岳 20150224
長男が博多にいるので、しばらく前から訪ねてみたいと妻と話していた。それが今回実現した。
長男の職場を訪ねる予定は無かったけれど、長男の先輩のアドバイスもあって見学することになって少し緊張した。実際に訪問するととても暖かい気配を感じて、長男の世間話とも符号して大いに安心させてもらった。
その後長男にレンタカーのハンドルを任せて、湯布院や別府などを訪ねることができた。
湯布院は、多少の知識はあったけれどそれがくつがえる町でもあった。
なんといっても由布岳がいい。断然登ってみたくなる。
(写真正面です)
湯布院の成り立ちにはいろいろ苦労話があるようだけれど、それがわからなくても小さな町おこしからここに来たことだけですごいと思う。
大分では別府の地獄巡りも楽しんで、博多に帰ってからは屋台も満喫して、超新鮮なお刺身も格別だった。それは次のメモで。
極彩色の夢 20150220
切羽詰って目を覚ますと、午前5時だった。ああ夢かと思う。
極彩色の夢は、その色彩とは裏腹に、微妙なニュアンスを含んでいる。
まずは知っている街区から始まって、こっそり駐車したことが面識のない外国人から非難されたりする。それをカバーしようと思って家に入り込むのがすべての間違いのもと。
何をしても好転せずに、やけっぱちの気持ちになる。
それでも逃げる良い方法が見つからずに、結局詰問される時間の多いこと。ああ。
どうやら、外国人はどこのひととも限定できないから、人種葛藤などといった高尚な話ではなさそうだ。
しかしながら、何であれ、今日も日本人同士でいろいろと協議しなければならないのだから、それはそれでリアルな夢なのだ。
唯一の救いは、極彩色だったこと。白黒とはずいぶん違う。
ウォラー 20150215
ウォラーさん、とは、「マディソン郡の橋」の著者のことだ。たまたま本屋でそのエッセイ集を見つけて購入した。
だいぶ前だけれど、マディソン郡の橋という映画は予想に反してとても楽しく見たことを覚えている。
その映画にしても、今回のエッセイ集「一本の道さえあれば・・・」であっても、感想を表明するには時間が足りないけれど、その中で紹介されたタゴールの詩が印象的だった。ウォラーさんは机の前にこの詩をずっと貼っていたらしい。
それをうたうために生まれてきた歌を、わたしはまだうたっていない。
ただ楽器の弦を締めたり緩めたりしてきただけだ。
いまだそのときは来たらず、いまだ歌詞は定まらない。
ただ胸のなかに狂おしい願望があるだけだ。
いきなりこんな詩を引用しても何の表明にもならないし、そのエッセイの文脈に沿ってこの詩を読んでこその想いだろうけれど、だからこそ引用したくなった。この本に流れる気持ちを想像するのにぴったりだから。
話は飛んで昨日は中高からの友人、Chloë家の上棟だった。超美味しい懐石弁当をいただいて、家族や僕自身も購入したチョコレートも加えてカロリー青天井の一日だった。
常夏への憧れ 20150211
今日はよく晴れ渡っていたけれど、かなり寒かった。
そこで、アロハシャツの本を開いてみる。
左側の写真が表紙で、右側が二つのページを比べたもの。現地の本に「Made in Japan」という章があるほど、日本の絹とレイヨン、そして縫製の技術は好まれたようだ。
片岡義男のセミドキュメントの小説でも、そのことが描かれていた。
左側のシャツには富士山や鳥居が描かれていて、右側はハワイの島々と花で埋められている。
アロハシャツを自分で着ることは想像できないけれど、いつかさり気なく着られたら良いなあと思う。
壁画の人 20150208
バスケットのことはよく知らなくて、他に丁度良い番組が無かったので見ていたら、とても美しい選手を見つけた。
ペリカンズのディヴィス選手。この写真ではちょっとわからないのだけれど、エジプトの壁画から出てきたような感じ。やけに長い手足もぎりぎり美しいバランスと僕には思えて、動いているだけで見ているのが楽しかった。彼の眼には世界がどんな風に映っているのかと、想像しない訳にいかなかった。もちろん少しもわからないけれど。
大山 20150201
天気の良さにひかれてどこかに出かけたくなった。それでも風が寒そうなので温室植物園はどうかと思う。
検索してみると、以前草サッカーで通ったグラウンドのそば、相模原市の麻溝に見つかったので迷わずに決めた。
目的地に近づいた時、富士山がクリアに見えて、もう少し遠くまで行ってみたくなる。目的地を大山に変更してナビの通り進むと、新しい圏央道を経由して、小一時間で大山の車進入最終点に着いた。
いつも家から眺めている大山なので、反対に見返してみたかったのだけれど、阿夫利神社は大山の南東面だから町田は見えない。
それでも、平塚らしい市街地から江の島、三浦半島を超えて、房総半島までが見通せた。南に目を転ずれば大島も見える。
よく澄んだ空気の日曜日だった。大山は豆腐が美味い。
町工場デザイン 20150131
「WIRED」というサイトに、鈴木啓太さんという、元日本代表サッカー選手と同名の、若いプロダクトデザイナーのインタビューがあった。
プロダクトデザインとは何だったかと調べてみると、いろいろな解釈があるようだったけれど、おそらく、工業製品そのものとそれが存在する環境とをまとめてデザインすることのようだ。
(そう言えば、モノだけでなくコトをデザインする・・・という言葉があったし、デザイン界のリーダーと言われる深沢直人さんは、例えばトースターをデザインするとき、焼けるのを待って食べるところまでデザインするのだと言っていた)
そして鈴木さんの発言の中に「最近のプロダクトデザイナーは原点に戻ろうという傾向があって、町工場の再生などにも積極的だ」というものがあった。
グローバリーゼーションという流れの中で、大量の投資でNo1を競うのも大切だと思うものの、その地域の風土、文化に沿ったものこそ手に取った時に慈しむ気持ちがあるのだと思うから、日本の町工場に若者が積極的に関与するのは素晴らしいと思う。
手に入れる時代から差別化する時代を経て、使う喜びを発見する時代に進むのであれば、とても未来は明るいだろう。
拡張のベクトルを深化に向けるのは、江戸時代の再現のようでもあるけれど、それは螺旋を一回りしたひとつ上の時代であるはずだ。
工芸、金型、研磨、塗装・・・江戸の遺産の枯渇の前に、その時代が訪れるとすれば、それは幸運か人間の能力か。
家庭科実習 20150125
子供のころ、ほうれん草は興味のわかない食べ物で、ポパイが好んで食べているのがただ不思議だった。
小学校に入って中学年になったころか、家庭科の授業に実習があって、ほうれん草のバター炒めを理科室のようなところで作った。
これが大変美味しくて、以来ずっと好きでいる。
ケチャップ味のナポリタンとハンバーグも作ると、お子様ランチのようではあるけれど、とても美味しくできた。よしよし。
食べる 20150125
スーパーマーケットで「カルパッチョ」と「えびちり」のソースを見つけて買った。簡単に美味しくできればそれにこしたことはないと。
サーモンとタコ、ベビーリーフのカルパッチョと、無頭殻付きエビからのえびちりを作ってみた。
とても簡単だったのだから不満を言うのは筋違いだけれど、満足とは違う。
僕は、タイのインスタントラーメンが好きで、ときどき買うことがある。(5袋で150円くらい!)
だから、インスタントに何の抵抗もないけれど、ソースは自分で作ったほうが、仮に失敗しても良いのでは、と思った。
テレビで見たイタリア人シェフの言葉が頭をよぎる。
「私たちイタリア人は生きるために食べるのではなくて、食べるために生きているのです」
「おお」。
僕は少しも美食家ではないから、シェフの話は遠いけれど、なんだか共感した。食べることを端折ると、人生も端折るのかも知れないと思った。
冬の雨の道で 20150121
昨日送る約束だった図面が今日に延びてしまって、振替休暇なのに朝7:30から描き始めた。
なかなか充実した時間が過ぎて、夕方寒いから妻を車で迎えに行くことにした。
町田市のサッカーグラウンドがある、多摩市との境あたり、雑木林に囲まれた田舎道をゆっくりゆっくり走っていた。
聞いているのはこのあいだ蔦屋で買ったスプリングスティーンの「TUNNEL OF LOVE」
フロントガラスに水滴が落ちては消えて・・・というリズムと、ゆっくりしたスピードも影響してか、普段とは違った世界の音が聞こえるように感じて、何か大切なことを教えられたのだと確信を持った。
「ネブラスカ」という、僕はあまり馴染めなかったアルバムの次にリリースされていたので、聞き落していたのだろう。もったいないと思うのと同時に、今日初めて聞いたことが幸運ではないかとも思った。1987年のアルバム。
日曜日 20150118
正月休みはゆったりしていたけれど、普段の日曜日としては久し振りの静かさ。
朝8時過ぎに起きて、昼過ぎまで図面を描いたあと、屋上で昼食にした。ダイエットを気にしながらのもの。量は少なくないし、ベーコンなどあるから効果は期待できないけれど、糖質は少ないはずだ。彩りと盛り付けは、良し悪しより好み優先とする。
一番好きなスーパーマーケット「OKストア」にある、超リーズナブルなワインのパッケージの絵を描いてみた。
ああ、静かだ。
雲の影 20150116
最近、梨木果歩さんの「ピスタチオ」という本を読んだ。
とても挑戦的な小説のようで、特に前半は途中で本を伏せることができずに読み進んだ。アフリカに到着してからの後半は、ガイドブックのような説明が多すぎる傾向があると思ったけれど、それは読む人それぞれだろう。
それを別として、気圧の前線の通過に体が反応する主人公の観察眼は鋭くて、とても新鮮に感じる。
頭上を通り過ぎる雲に、その影が地表すべてを等しく撫ぜていくことに言及するところには、大変共感を覚えた。
人が草原や海を好むのは、広い景色が楽しく美しいからということが一番だとしても、空が動いていることを感じたいからなのではないか。空は眺めるほどに近しくなるように思う。
富士山、竜 20150112
長谷寺から由比ヶ浜に出て、134号線の渋滞をとろとろと西に向かっていたら、七里ヶ浜のあたりで富士山が正面に現れた。
遠くから見るせいか、雪は柔らかそうに見えて、温かい日差しもあって穏やかで満ちた気分になる。
初めに訪ねた建長寺の天井画の竜を思い出して、両方にある何かの気配が清々しい気分に導いてくれる。いつのころからか、寺社が歴史遺産ではなくて現在進行形に見えてきて、何か力を得られるようになったような気がするのだ。
遅い昼になって適当なレストランを探すうちに茅ヶ崎に着いた。たまたま見つけたところは団体貸し切りで、いよいよファミリーレストラも除外できないかと思い始めたとき、住宅地の中にインド料理の店を見つけた。急きょUターンして駐車場へ。
インドの調理師が作るカレーよりは、日本人向けのカレーが好きなのだけれど、ここはすこぶるつきに美味しかった。
辻堂隣接の茅ヶ崎松浪小学校近辺。店の名前を忘れたけれどまた行ってみたい。
お粥 20150111
今日は「鶏だんごと青菜のお粥」と、「グリルドベジタブル」を作ってみた。お粥はタイ風で紹介されていたけれど、ナンプラーが無かったので味玉(中華料理の素)で代用したから、東南アジアから東アジアに味がシフトした。
とても美味しくできた。ポイントは鶏団子に生姜をきかせることと、小松菜を多めに投入することのように思う。
正月明けらしい、おとなしい味にほっとする。
損益分岐点 20150108
経済オンチを告白するまでもないので、表題は本当の意味とはもちろん無関係だ。
ただ、その言葉の意味するところが、数やコストの二つの直線が交わるところだろう、というくらいはイメージできる。
そんなことを前提に、今言いたくなったのは、Tシャツの経年変化。
X軸が時間で、Y軸が当該Tシャツの価値。
多くの女性は(少なくとも妻は)、とりたてての物でない限り、時間の経過とともにその価値は低減するようだ。ところが、ことTシャツやスニーカーに関しては、僕の場合、それは増大する。すり減って、身に着けていないようなところまで到達すれば最高なのだ。
しかし、右肩下がりと右肩上がりの価値観が交錯しないわけには行かず、あるとき損益分岐点が訪れる。確かに、貧乏くさいおっさんになりたいわけではないから、工夫しなければならないとは思う。
そんなとき、NHKの番組で、自転車で視聴者の思い出の場所を走り回る火野正平さんを見て、「あれは参考になる」と思った。しかしながらそれもつかの間、これはかなり気を使ったコーディネートらしい・・・と聞いてもう一度挫折する。
新年そうそう、道は遠いと思った。きっと、そもそも確かな物を買えば良いような気もするけれど、それはちょっと違う・・・というところが難しい。(笑)
鳥 20150103
「おおたからしき鳥を見た」と、長女夫婦が言った。
元日、菊名に住む二人が玉川学園の新郎の実家を訪ねた時のこと。そのあたりは、町を作ったころからの数百坪の家が残っていて、たぬきなども歩き回っていたりするから、不思議ではない。
長女夫婦とそのご両親、妹さんが食事をした後、みんなで我が家に遊びに来てくれた時の話。
その近所で大規模マンション開発があったとき、「大鷹を守るために断固反対」という声も上がったから、きっとそうなのだろうと皆で納得する。
昨日二日は、妻とかわせみを見た。
暖かいうちに散歩をしようと、小さな川沿いを歩いているときのこと。自分たちでは到底見つけられないけれど、望遠レンズを持った人が数人いたからわかった。
以前にもその近くで見たことがあって、かわせみは本当に可愛いくてきれいだと思う。
箱根駅伝では、選手紹介のなかで「努力は夢中に勝てない」という選手の言葉が聞こえてきて、その通りなのだろうと思った。
きっと努力は、自分が何かに夢中になれる環境を整えるためになされるべきなのだろう。努力を目的にしがちな僕たち世代と、今の若い人たちの豊かさの違いを見た思い。
みなさま良い一年を。僕も良い一年にしたい。
ふたつ良いこと 20141231
昨日はテレビを通してふたつ嬉しいことがあった。
暮だから、車の掃除や古くなったカーテンレールの付け替えなどもしながら、それでも結構テレビを見る。
初めのひとつは昼時だったので、番組の全体像はわからないのだけれど、日本の田舎らしきところに住んでいる外国人女性の取材番組。風景や生物の美しさが詩のように紡がれるのだけれど、そこに次の言葉が引用されていた。
「美は、それを見る人の目の中にある」
「画家は見ることができるけれど、なかなか普通の人はその時間を作れない」とも聞いたことがあって、きっと同じことを言っているのだろうなあ、と思った。とても優しくて力強い示唆ではないか。
ふたつめは、夜のBS放送で「はっぴいえんど」を振り返る番組。
出演者に鈴木茂さんがいて、それがきっかけで大好きだった「BAND WAGON」というアルバムをインターネット購入できた。
インターネット検索を覚えたころ、何度か試していたのだけれど、下手なのか情報が少なかったのかヒットできずにいたのだ。
アマゾンの特別お急ぎ便の無料お試し期間だから、今日着くはずでかなり嬉しい。当時を穏やかに振り返る、細野晴臣さんや松本隆さんの想い出話もとても魅力的だった。
空と買い物と鯨 20141229
昨日、買い物に向かった車で見た空に、超まっすぐの飛行機雲を引く飛行機があった。あんまりまっすぐなので、もっとよく見ようとして危うく前の車に追突するところだった。
スーパーマーケットの屋上で確認すると、9本のまっすぐな飛行機雲があった。それなり時間が経過しているはずだから、よほど上空に風が無いのだろう。初めての風景なので、感激してしまった。
今日は休みで、妻を勤め先に送った後「つたや+ブックオフ」に寄った。このあいだラジオで聴いた新しい感じのレゲエなど欲しかったのだけれど、見当がつかなかったのでBスプリングスティーンとアースWFと、なんとビリージョエルを買った。ついでに、モネの展覧会画集とポンペイの展覧会資料本も買った。「つたや+ブックオフ」はありがたい。
家に帰って昨年末の特集番組の再放送を見た。堤真一さんが案内するカナダの白い熊を探しに行く話。
「鯨のいる海、熊のいる森」というフレーズを思いついて、なんだか得をした気分になった。