雑感

設計とは別に思ったこと

印象派                 20210505

 

 他人と美術の話をすることは滅多にない中でも、こころのどこかで「印象派が好きだ」と表明することを避け続けてきた。

 それは、あまりに平易で誰だって好きなものに対して、ねじくれた自負心が同調することを避けさせたからだと思う。

 例えば、名作とされる童謡に心動かされたと今さらながら言ってしまう違和感に近かったのか。

 

 原田マハ氏の「モネのあしあと」を読んだら、そうしたとてもつまらないレベルに拘泥している僕は解放された思いがした。

 

 氏の小説は好きだけれど、この本は個人的感想として読み応えという点ではかなり物足りない。

 でも、「印象派」とは何だったのだろうという視点は僕などには「そうか!!」ということが多かった。

 

 産業革命や交通、移動手段の発達、新しい富の誕生と一部労働からの解放など、社会構造の変化と期を一にしていたということ。それらは断片的に知っていたつもりだけれど、相関としては何も知らなかったのだなあと思う。

 

 加えて、日本人がことさら印象派を好む背景や浮世絵との関連など、教えられてとてもスッキリした。

糖質0ラーメン             20210425

 

 4月はほぼ毎日4.8㎞の恩田川散歩をすることができている。しばらくサボっていたので、初めは負担感があったけれどじきに体が思い出した。

 

 少し調べてみると、普通のウォーキングは熱量消費が微々たるもので、減量効果がないことを知らされる。でも、いま歩いているのは減量ではなくて、体を動かすことが目的だ。

 

 隅田川テラスで昼休みウォーキングを始めたときも、体重が気になってはいたものの、減量目的というよりは何か体の循環促進のようなものが必要だと感じたからだった。

そして、最近の動機は

機敏になりたい、だったけれどそのうち

何かの危機で孫を助けたい

何かの危機で適宜動きたい

何かの危機で足手まといになりたくない

何かの危機で誰をも道連れにしてはならない

 

と、相当弱含みに変化してきた。

 炭水化物を多少減らして歩いてみても、体重に目立った変化が生じないことは学習済みなので、どうしようかと思っている。まあ、炭水化物以前にお酒を減らすべきなのだけれど。

 

 写真のこんにゃくラーメンはスープが美味しくて、もう10回近く食べた。麺はこんにゃくそのものでも、満足するのだ。調べていないけれど、塩分は多いかも知れない。

 

 アメリカ発の食事制限の本を、町田の久美堂で取り寄せてもらって入手したので試してみたい。

 

 関心は外観ではなくて内側の欲求(危機感?)に移って来たのでこれを好機としたい。 62歳とほぼ2週間の今日。 笑

無名魚                 20210415

 

クイズです。

左の写真には3つの生き物が大きく写っています。

「鯉」は見るからに、として他2つはなんでしょう?

 

 昨日はコロナで一か月遅れになった確定申告だった。

 個人事業ということで、青色申告を続けてきていて、よくはわからないけれど、個人事務所に査察が入るとは考えられないので、そこそこにまとめれば良いような気がする。

 しかしながら、決して几帳面ではない僕でも、「お天道様が見ている」と思うのか、これは経費に算入してよいだろうか・・・などとそれなりに悩んだりする。

 

 まあその小さな悩みとは別に、前年度からの繰り越し関連でわからないことがあったので、締め切り前日の町田税務署に質問に出かけた。

 相当な混雑や他会場への移動など、それなりに覚悟していたのだけれど、整理券入手に10分あまり、30分後に並び直してじきに対応してもらえた。

 ベルトコンベヤーに載せられたように、数人の方の問診を経てあっけなく処理してもらえた。質問に答えてもらうというよりは、ここにこの数値を記入すべし、という連続で、言葉通り処理されたのだ。

 ホッとしながらも、考えてみれば膨大な人数の申告者があるのだから、オートマチックなのは当然だと考える。そのとき、僕などは雑魚のようなものだからな・・・という考えが浮かんだ。

 

 監督機関としての税務署は、危険魚のうつぼや高級魚の鯛、イルカなどの気配があれば注目するとしても、無害そうな小魚に関わることはないのだろう。

 でもそこで、自分を雑魚とする自虐的な発想はあんまりよくないなあと考えた。

 

 NHKのBSに「駅ピアノ」「ノーナレ」「地球タクシー」「街ロク」など、不作為に出会った人々を取材した番組がある。

 もちろん、ある程度のアタックから選ばれたのだとは推察するとして、それでもドラマがあって、何よりその人の生きるための懸命な息吹が感じられる。

 根拠のない自信家の僕は、それらを見るたびに自信が虚構であることを思い知らされる。

 

 きっと、そこに取材された人々も税務署でピックアップされることはないだろう。

 だから、僕も混ぜてもらってこのグループは、雑魚ではなくて無名魚なのだ、と思った。しなやかな肢体の。笑

 

*写真の生物クイズの答えは、すっぽん(たぶん)と鴨です。

芽キャベツ               20210410

 

 最近、すっかり春らしい陽射しが多くなったものの、けっこう風の吹く日もあってのんびりではなかったように思う。

 今日は、予報によれば朝晩の冷え込みに厳しさがあるとしても、日中はうららかだった。

 

 夜は春らしいものを食べようとスーパーを覗くと、ふきのとうとかぜんまいなど、いかにもそれらしいものがあるけれど、調理の仕方もわからないので芽キャベツをかごに入れた。

 雑穀入りサンドイッチ用薄切りパンを買って、妻が作って少し余っていたキーマカレーやポテトサラダを活用して、その他もろもろを投入してにぎやかなお皿にしようと思った。

 思惑通りにはいかなかったけれど、まあこんなものか。笑

 最近、違う傾向の本を併走して読んでいて、同じ日本にいても

世間は広いなあ・・・などと感心した。

 中村先生の本は、「希望の一滴」を先に読んでいて、これは凶弾に倒れた後にそれまでに遺されていたものを編集するスタイルだった。それに対して、用水路を拓くは、中村医師の日記をベースにした長編記録だ。極めて実直な筆致であり、事実関係は先の本で学習済みなので、寝る前に3ページ読む、という感じになっていた。

 

 「ことり」は社会に適合することがやや難しい兄弟の物語で、「1%の努力」は切り口が個性的だと思うけれど、お金を手にすることを目的にしたガイドブックだ。

 

 なにも整理できないまま、すごい人たちだと感心して、真似ようと思わないし出来ないけれど、なにか吸収したいと思った。

展覧会と石垣島             20210328

 

 先週末は、その前に記した書道展に行って、次の日羽田に前泊しながら石垣島に打合せに出かけた。

 書道展は、日曜日に天気が崩れる予報だったので来訪者も減るだろうと予測して、その日曜日に行ってみるとなかなかの盛況だった。

 会場が市民ホールの一角で、左上の写真のようにとても開放的なことが心地よく、作品も写真のようなものから扇型の連作、A4くらいの繊細なかな、畳大の迫力もの、巻物状の万葉集や優しい色使いの季節の絵など、加えて先生の般若心経など迫力満点、と変化に富んでいて、あっというまに1時間が経過するような楽しさだった。

 

 翌る月曜日は茅ヶ崎・横浜を訪ねて羽田空港に向かった。

 石垣島の打ち合わせは火曜日15:00~なのだけれど、それに間に合うためには羽田6:35発で、町田からでは間に合わないので、前泊が必要になるのだ。

 ホテルは第三ターミナル隣接で、第三は国際線だからまったく人が見られなかった。照明は点いていても、目に入る人はあの広いロビーで数人なのだ。コロナの影響が端的に現れている場所だと感じた。

 

 石垣島行き飛行機は、非常事態が解除されたとは言えガラガラで、一列6席に一人か二人だった。富士山がきれいだった。

 前回ソーキラーメンに苦しんだのに、入った定食屋メニューではどうしても八重山そばとソーキという文字が気になって、ソーキそばを注文してまたもやその量に圧倒された。西永福の大勝軒ラーメンくらい。笑 夜食べた島らっきょうと海ぶどうはやっぱり美味しかった。

 島と東京都心、どちらも魅力的だけれどそのどちらにものめり込めそうにない僕は、やはり町田人なのかな。湘南箱根伊豆、奥多摩勝沼・房総が日帰り距離なのは嬉しいし。

桜井先生門下生             20210313

 

 妻は小学校入学のころから、当時は「習字」に通い始めてそれが現在に至っている。結婚して仕事も忙しかった何年間かは離れたものの、およそ50年師事している。

 桜井先生は僕などにも気さくに話しかけてくださるけれど、かなりの実力者なのかと思わされる。

 

 毎年の新国立美術館での所属団体の展覧会でも、皆が多く受賞するし、定期展以外でも妻は神奈川でのコンクールで神奈川新聞社賞をいただいた。

 そんな先生門下の人々が展覧会を企画した。

 僕は、「仕事が趣味だ」などとうそぶいていたけれど、実際に手元に趣味と言えるものがないことにいくらかの寂しい思いがある。

 

 考えてみると、趣味を持てるかどうかというのはその人の生活体力によるようだ。

 僕個人はそうしたことを見直さなければならない。

 

 門下生は趣味という領域はとっくに卒業していて、人生と一体になっている様子だ。それが大変羨ましい。

活発な花                 20210308

 

 先日、BS番組で里山に居を構えたカメラマンの特集を見た。

 高齢の方で、杖をカメラの、あるいは絵筆の固定ガイドのように使っていたのが印象的だった。苦労を共にされた奥様の、野菜を素材にした彫刻的アートも魅力的で、もしできるなら身近に見たいと思った。

 

 その番組の中ではいくつもの花が紹介されたけれど、「オオイヌノフグリ」という我々も日常的に目にする花が、たった一日で散るという話にはびっくりした。

 カメラマンの解説では、たくさんあるからずっと咲いているように見えても、毎日入れ替わっているから輝きがあるんだよ、とのことで、ああ、そうだったのかと。

 

 暖かく、陽ざしの心地よい日が多かったここしばらく。久しぶりにしっとりした気配の中、表に出ると品種はわからないけれど桜が静かに誇っていた。

 話は少し飛んで、アメリカの火星探査のニュースに関連したなかで、火星の研究を長年続けているという学者が、30~40年先には火星移住もあるかも知れない、と言っていた。

 

 すぐさま信じられるものでもないけれど、疑う根拠もない。

 孫が、あるいは孫の友達が「火星に行くよ」という日が?

 

 たった一日の花の煌めきと何万光年の銀河、脳に納まらないながらひょっとして等価でないか・と思うのは年齢が与えてくれた知恵かも知れない。どうかな。

神楽坂                  20210227

 

 神楽坂に久しぶりに出かけた。

 前回は、東京ドーム敷地内の店舗現場の帰りに妻と待ち合わせて寄ったのだったから、2年前くらい。

 考えてみると、そうたびたび行ったことはないのだから、久しぶりというのは適当でないかも知れない。

 

 中心街から100m余り離れたところに、ヨーロッパを感じさせる一角があって、そこにシャンパンとワイン、フランス人パティシェのつくる洋菓子(なんと言うのか:笑)を提供する店舗・テラスを造る、という構想。

 初めてお目にかかったオーナーなので、実現性はまったくの未知数だけれど、考えるだけでも楽しい。

 

 オーナーに促されて近くを少し回ってみると、銭湯があって桶がタイル床に当る音が路地に響いていた。路地を変えると稽古の三味線も聞こえるらしい。

 いまはコロナでフランス人は訪れないけれど、この辺りはとてもフランス人が多いらしい。パリに長くいらしたこともあって、大勢の友達がコロナ終息後に帰ってくることを心待ちにしている、という話だった。

 

 敷地と道路の関係が不明瞭だったので、帰りのついでに新宿区役所に寄る。区役所はずいぶん前から変わらずにあって、区役所としてはとても小さく見える。

 分所があるとしても、新宿区の規模がこのくらいで頑張っているのだから、町田市役所など豪華贅沢の極みではないかと意地悪に思う。

 

 靖国通りに「DUG」が変わらずあることを見つけて寄ってみた。昔の、大学生の自分を思い出すような若者がちらほらいた。

楽苦日々                 20210221

 

 今日の恩田川散歩では、9羽のカワセミを見た。これまでは5羽程度が最高だったので新記録。久しぶりの春陽気に活動が活発になったのか、妻との4つの目が収穫を多くしたのかも知れない。

 

 最近の苦楽、日付からすると楽苦の写真。 

 左は薬師池西公園で食べたデザートの写真。手を付ける前に撮ることを思いつかなくて、美味しかったので途中に。(本人にはこの方が記憶がよみがえっておいしそうに見える。笑)

 

 右は建築士定期講習会(義務)で、途中休憩で机から撮った。右側の丸っぽいものは扇風機のような空気循環装置。

 講習会は、5時間の受講とその後の1時間のテストからなる。椅子に縛り付けられる長時間という意味で、大学の講義などを思い出しながら、何か決定的に違うのは講師が録画再生なこと。眠くなる。

 

 コロナで受講生が3分の1程度(10人あまり)なのが幸いか。

 

 写真を並べて気付くのは、サイケデリックになってしまっては問題かも知れないけれど、オフィスにあまりにも色が無いこと。これは結構重要ではないか・・・などと思った。

風通る                  20210214

 

 今日の南関東、町田は、暖かい空気に包まれた。

 窓を開けて換気する。

 いつもそっとしているカーテンや、妻の書がうごめく。

「静かなものが静かなものに反応して存在をあらためて知らせる。」ということに気付かされた日。

 

 問題はキッチンのトップライト(左写真の右側にキッチンがある)で、もう長いこと油圧ダンパーの不調で開けようとしても降りてきてしまうのだ。

 修理すれば良いものの、多分交換になるからそれなりの出費だ。おそらく、屋根工事にまで発展するからあんまり考えたくもない。

 

 まあでも何時か・・・。そんなことにも年齢が忍び寄っているか!笑

屋上で昼に                20210213

 

 地元町田の薬師池公園に接続する形で、西園という芝生と農園を丘陵地で歩けるような公園ができた。

 オリンピック聖火トーチの展示などもされるような小さな建物と、やはり小さなレストランが設けられている。これが美味しい。

 

 検索するとランチコースが用意されていて、ワイン飲み放題などもあるようだ。そこで車を避けてバスで訪ねたのだけれど、店員さんに話が通じなかった。調べ直してみると、そのコースは町田本店のメニューらしかったので、11日の祝日に出かけた。

 小さな店で、人気があるのか客で賑わっていたので、屋上に行くことにする。寒いかなと心配もあったけれど、テントがあってストーブもあったので楽しめた。やっぱり美味しい。(^^)

 

 44アパートメントというお店。(屋上は掘っ立て小屋風)

皮膚感 過去未来             20210210

 

 少し前にネット記事で「日本の農薬使用量は世界トップクラス」と見て、正直驚いた。

 漠然と、スーパーマーケットで中国産のものを戻したり、米国産豚肉を買うとしてもためらったりしていた。ところが、日本の農産物が中国の残留検査でカットされることもある、と聞くと「おやまあ」だ。

 

 少しだけネット検索してみたら、いろいろな情報が、しかも誰を信頼して良いかわからない状況でたくさん並んでいる。

 

 日本の高度成長期と自分の成長期がシンクロした僕達20世紀中盤生まれは、日本が「捕鯨で世界一になった!」というニュースを誇らしく思うところからスタートしたのに、バブルの絶頂では「日本全土を売ればアメリカが3度買える」という(まあそのころには陰りがあって自嘲気味な気配もあったけれど)話まで聞かされた。

 だから、バブル後に勢いは削がれたものの、世界第3位のGDPだよね、などと僕は思っていた。

 

 もちろん、就職氷河期の厳しさやいっこうに世帯収入が上がらない生活苦の報道を無視していなかったし、自分だっていろいろ苦労したけれど、やはり3位、という感じだった。

 それが、労働生産性では先進国最下位で、社会革新性でも同じように最下位圏、その結果所得の伸びが目を覆うほど、と聞かされると「おやおや」となる。

 

 僕は逃避癖があるのか、佐藤琢磨レーサー、室屋義秀エアレース、大谷翔平二刀流、イチロー、五十嵐カノアサーファー、葛飾北斎・笑、という方々の活躍(偉業)に心躍らせていた。(そのことに反省はないけれど)

 

 そうした生温かな皮膚感について自らまずいかも、と思ったのがここ一週間の五輪森会長発言関連だ。

 この報道に触れたとき、「また森会長の失言癖が出た」くらいに思ったし、テレビやメディアのあちらこちらで騒いでも、かれらが一様に興奮していることに生理的嫌悪感すら覚えていた。

 しかし、僕でも信頼を寄せる複数の多国籍的人々が「人格は否定しなくても、五輪組織委会長としては単純にアウトだ!」と冷静に発言しているのを聞いて、少し気持ちが変わった。

 僕の皮膚感は、日本の現在位置への感覚と同様、深刻に古いらしいと。

 

 あげつらう人々には近寄りたくないけれど、もし僕の皮膚が老化の傾向にあるならば、いまこそ洗いこすってみなければ、と思った。

セーヌ・隅田・夢             20210206

 

 埼玉県でイタリアンレストラン出店の計画があるらしくて、お客様を訪ねた。江東区に本社があると聞いていて、東京駅でコンテナ代表に拾ってもらったのだけれど、降りてみるとそこは以前勤めていた会社の隅田川対岸だった。

 写真の許可は得たものの、HPへの記載まで話していないので社名などは伏せることにして、左下に写っているのが社長だ。

 

 隅田川対岸に見えるのが読売新聞本社で、写真には入っていないけれど中央大橋を挟んで東京湾側にIBM本社がある。

 僕は勝鬨橋から両国橋の範囲の橋を選んで、昼休みに隅田川岸(隅田川テラス)を4㎞ほど歩くことを日課にしていた。

 

 毎日このビルの外観を見ていて、あんまりカッコ良いのでいつかピンポンしてみようと考えたけれど、実現には至らなかった。それがいきなり内部に入ることになったのだ。

 カメラマン・実業家の社長は言う。

「セーヌ川のほとりで、むき出しのトラス形状の柱梁はエッフェル塔、屋上の四角垂トップライトはルーブル美術館なんだ」

 

 いったい幾らの資金を投じたかわからないけれど、これほどに贅沢で緻密な遊びがあるだろうか。50歳代前半に見えるのに僕より1つ年上の男性の顔をまじまじと見るよりなかった。

 

 なんとか受注して何度も訪ねたいと思った。

しもやけ                 20210127

 

 最近リップクリームを使うようになった。

 長いこと、冬には唇がバリバリになって度々血の味を覚えていたけれど、対処するということを思いついていなかった。

 ひげを剃った後も放置していたら、白くなっているから何かつけるべきだと妻に指摘されて、その助言を思い出せばアフターシェーブローションなどに手を伸ばすようにはなった。快適である。痛まないし気にしなくて良い。

 

 数日前から右手小指の第二関節甲側が固くなってなんだろうと思っていた。今日観察すると、ハンドクリームかなにかのコマーシャルのように皮膚が小さく裂けて出血し、アルコール消毒液がやたらに沁みる。

 

 これはしもやけではないか。

 

 この冬はずっと地下で仕事していて、出張や打合せも激減したからなおさらずっと地下にいるのだ。

 地下の仕事部屋はらせん階段で降りるので、天井にはぽっかり丸穴が開いていて、塞ぐ方法はないから暖房が極めてききにくい。

 赤外線ヒーターやデロンギなど持ち込んでみるものの、快適にはほど遠い。

 それが、電熱線仕込みの毛布を体に巻くと大変に温まる。数年前に長女が差し入れてくれたのだけれど、その時は膝にかけるだけで腿がスース―していたのだ。気付いた。巻けば良い。

 

 左手は冷えると毛布の上に置けるけれど、右手はマウスを放せない。

 

 きっとしもやけだ。子供のころ、冬でも土に触れていたころ以来の気がする。半世紀ぶりにようこそ。嬉しくはないよ。

 

 今日は茅ヶ崎消防に出かける必要があった。道が空いているとは感じなかったもののいつもより20~30分は早く着いた。保土ヶ谷バイパス、横浜新道、東海道、ずっと流れていた。

 やはりコロナなのだ。

新年カワセミ               20210122

 

 昨日、長らくサボっていた恩田川散歩に出かけた。

 草木が葉を落としたからカワセミを見つけやすかった。

 

 往復4.5㎞の往きに4羽見つけて、帰りには多分同じカワセミを3羽眺めた。

 眺めたと言っても、珍しく連れ立って飛んでいたので一瞬だったけれど。

 相変わらずかわいい。

ベニスのホテル              20210115

 

 仕事場の前の壁に、インターネットで検索したホテル客室の写真を貼った。目的は、馬の前に吊るす人参効果だ。

 

 この雑感に付属するように記している IE の通り、夫婦二人の時、転職のタイミングを利用して欧州旅行をした。それは「地球の歩き方」を大いに参考にしたもので、バックパッカーというには不徹底だったけれど、宿代を節約する必要があった。

 でもそのことは自然な振る舞いに思えたし、そこの地にいること自体が幸福で、なんら不足を感じるものではなかった。

 

 ただ一点、ベネチアの運河からアプローチできるホテルを見たときは、今度訪ねることがあれば、あのようなホテルに泊まりたいものだと思った。

 

 コロナ禍はこの一年としても、ヨーロッパのテロ事件を度々見せられると、単なる旅行なら他の地域をと考えていたけれど、やはりベネチアは特別でまた出かけてみたい。

 

 インターネットで「ベネチア高級ホテル」と検索すると、意外にも一室3万円とかがヒットするので、コロナの影響かと訝しんでさらに調べると、豪華なものは一室100万円とかで、ああそうなのかと思わざるを得なかった。

 100万円と言わず、その十分の一でも熟考が必要だと思いながらヒットしたのが上の写真。

 どうやら、カナルグランデの上流は建て替えが進んでいないため、サンマルコ広場に近いあたりが充実しているらしい。

 

 サンジョルジョマッジョーレ教会を望めるバルコニーがあれば、申し分がない。まだ実現性は高くはないものの、人参として眺めるのも楽しい。

良い一年を                20210112

 

 遅ればせながら新年のご挨拶をします。

 

 このページを開いてくださったみなさまにいつにも増してよい一年でありますように。

 

 僕は4月生まれなので、じきに62才となりますが、仕事に追いかけられています。

 それは嘱望されているというより必要に駆られてなのですが、よく言えば楽天的、多少自己批判的に言えば好きなことを優先的に選んだ結果なのかも知れません。

 

 コロナウィルス感染症という困難に誰もが直面する新年ですが、「そんな正月もあったよね」と振り返る日を心待ちに。

領土                   20210107

 

 先日記した中村哲さんの業績に便乗するのは良くないと知りつつ、生活、という場面で境界線は避けて通れないと思って記したい。

 アフガニスタンでは、水を引くことが即・生命維持だったようだ。勉強不足だけれど、利水には領土の概念がつきまとう。その葛藤についてはまだ読んでいないけれど、根深いものがあると想像できる。

 

 先に表明しておくなら、僕は日本という国を大切に思っているけれど、いわゆる愛国主義者ではないし、政治的な発言をしたこともない。ただ、子孫に負い目を負いたくないという程度。

 

 そこで二つの希望。

 

1 天気予報の地図を、沖縄・小笠原を同じ画面に納めて欲しい。

 

 図面を描く仕事をしていると容易にわかるのだけれど、縮尺を半

 分にしても情報量はほとんど落ちない。そうするだけで、日本と

 いう国の海洋の広がりを感じられるし、一体感が生まれるのは間

 違いない。

 

2 太平洋戦争で、アメリカ軍が日本の都市を無差別爆撃したこと

 が不正義だと感じること。

 

 抗議行動をしようというのではない。

 しかし、武器を持たない一般人を空の高みから殺戮したことは

 許されるものではない。忘れてはならない。まして原爆。

 (日本が戦争を選択したこととは全くの別問題だ)

 

 コロナ禍の対応で、法的拘束力のない要請に身を寄せる人々を、

「日本人は相変わらず羊だ」と指摘するネット記事を目にした。

そうではない、と声高に言いたいのは僕だけのはずもない。

中村哲さん                20210103

 

 昨年暮れに、大みそかには今年の思いを記したいとしたのは、アフガニスタンで活躍された中村医師のことを念頭に置いてだった。

 それは数年前に見た氏のドキュメンタリー番組の感想のつもりだったけれど、著作もあるのだからもう少し触れてからと思い直した。

 2019年の12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた中村医師は、内戦で砂漠化した地に、運河の建設によって緑と生活の糧、そして何より安全な飲料水をもたらした人物だ。

 僕は、氏の、ときに激情に駆られたに違いない生活が、しかし坦々と進行した様子をテレビを介して見て、ただ感激したのだった。

 

 他の何人も成し得なかったような業績は、普通に考えて一般人の参考にはなりにくい。ただ、ポスターがあるのなら、僕のアイドルとして壁に貼りたいと思った。

 

 ドキュメンタリー番組の印象と、数冊購入した著作を大切に、氏の欲しかったものを垣間見たい。

 

 

 2021年、新年おめでとうございます。

 コロナという厄介で凶暴なウィルスに怯えずに、大切な一年を過ごしたいと思います。

 

 個人的には古宇利島の別荘とバーはほぼ確定していて、石垣島の住宅と父島の住宅はお客様検討中ですが、とても楽しみです。青い空の真下に少しでも多く立ちたいとワクワク。

ISHIGAKI GO-KART           20201230

 

 石垣島で、ゴーカートに乗る機会を得た。

 そのショップを設計したので、完了検査のころのちょっとした時間にショップオーナーが誘ってくれたのだ。

 上の写真は彼のホームページのもので、社名ロゴの下に

「そこは地上30cmの特等席」 とある。

 

 敷地内で5~10分ほどの軽い練習をしてから、すぐにスタートする。操作は簡単と言われるものの、オーナー兼ガイド(今のところ)の津田さんが判断している様子。

 

 通常1~2時間のツアーコースを、その通り案内してくれた。彼は細身逆三角形ラガーマンのような体形で、南国の陽射しに焼かれて褐色なのだけれど、繊細で丁寧なのだ。

(すごいイケメンなので、そばに来た女性は落ち着かない様子なのが観察すると興味深い)

 ホームページ通り、道路のすぐ上に足も腰も頭もある。ヘルメットは義務ではないとはいえ着用する。ゴーグルは必須だ。特に前走者があれば砂埃は浴びるしかない。それがまた刺激。

 

 スピードは、渋谷のマリオカートのイメージとは違って、下り坂なら60㎞以上、70㎞近くまで出るから迫力満点だ。その代わり上り坂では30㎞になったりするけれど、それは体重次第。笑

(あ、法定速度遵守しなかったので津田さんにきつく注意された)

 

 ツアーコースは車の走る県道が3分の1で、他は農道のようなところ。たぶん、ほとんどだれかとすれ違うことはないだろう。

 ところどころにカートを停めて、島の魅力を紹介してくれる。それが上手くて気持ちに染み入ってくる。

 

 石垣島は、小さくはなさそうだけれど、飛行機の時間に余裕があったとき、なんとなく車で島の北端まで行ったから、大きな島ではない。そして島のいたるところが魅力的だと思う。

(父島と石垣島計画は来年持ち越し、明日は年末の思い)

ISHIGAKI GO-KARTは、島の西側くびれのあたり。空港はその反対東側。牛に引かれて海を渡るスポットがある竹富島は、石垣島の南西隣。(西側の石垣島より大きいのは西表島)東に離れた多良間島は飛行機から認識しやすい。

草原コンテナ               20201229

 

 僕はしばらく前から、側面非対称の2人宿泊用(居住用)のコンテナ住居を構想していて、個人的に「草原コンテナ」と名付けている。

 いずれは特許も取りたいと話しているので、この雑感と言えど詳細は持ち越したいけれど、なぜ草原コンテナかと言えば、それはキリンと象の中間、あるいはバッファローのような形をしていて、草原にそれらの動物が散らばるように、あちらこちらを向いた群として展開したいからだ。

 高いところで6.5mで、面積は40㎡強。

 

 でも、これが群をなすには相当な敷地が必要なので、具体的な計画がある訳ではない。

 草原でなくても、林の中や、海岸沿いでもグッドだけれど。

 

 先週訪ねた古宇利島バー計画は、敷地が広いので、カフェが成功すれば2~3頭、もとい2~3棟の建設を提案できるかも知れない。

 

 そんなことを夢想(残念ながら構想ではない)する中で、古宇利島の位置を再確認しようと思った。

 旅行ガイドブックなどに必ず出てくる橋、(この橋を渡っていると、5~10色の海の色の絶妙な混ざり合いが見られる)を降りた少し先が敷地。写真に隣地建造物があるように、橋を見るためには2階床を高くする必要がある。でも、オーシャンビューが全てではないので、強い内部も確保したい。

 

 古宇利島へは、那覇空港から直線で65Km、道なりで90Km。

 那覇空港までは、羽田から1550Km。フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界を飛んでいるのだと気付いた。

 航空券はコロナ格安で往復5.5万円。那覇のビジネスホテルは0.7万円程度。(格安旅行サイトで1泊往復を一週間以上前に予約すれば安くなるはずだけれど、時間がなかなか思うようにならない。)

 明日は父島プロジェクトを記そう。

匂い                   20201223

 

 今日、なぜか「運転手さんそのバスに、僕も乗っけてくれないか・・・」というブルーハーツの歌詞が耳についたのでYOU TUBEで見てみた。一昨日昨日と、那覇で物静かなのに野心的な若い経営者と会っていたからかな。

 

 その若い経営者は福島出身の人で、僕達の長女と2才しか違わない。そうした意味では、仕事の仲間というには無理があるけれど、それでもなんだか仲間なのだ。

 来年の海開きのころには、古宇利島で小ぶりでも楽しいバーができるはずだ。

 シャワーコーナーやトイレを整備しようという話もあるから、きっと女性にも人気を呼ぶだろうと期待する。

 

 ブルーハーツは、1980年代に現れて、一部かも知れないけれど熱狂的なファンがいたロックバンドだ。主要メンバーの甲本ヒロト氏が、下北沢の老舗人気中華料理店「珉亭」でバイトしていたという話は、真紅のチャーシュー炒飯を食べに行っていた僕をとても嬉しい気分にしてくれた。

 

 冒頭の歌詞は、甲本さんをメンバーに引き入れた真島さんのものだとウィキペディアで読んだばかり。そんな程度の知識なので、ブルーハーツを語ることはできないけれど、その映像にはびっくり。

 

 最近のコマーシャルなどに出てくる男性は、よく言えば清潔で、多少否定的には無害かと思っていて、まあそれは若い女性が選択することだから意見を差し挟むのは見苦しいかと感じてはいた。

 映像のブルーハーツには「匂い」がある。好きかどうかは見る人次第。

 NHKの「クールジャパン」という番組では、「体臭は個性なのになぜ日本人は消すことに必死なのか、セクシーではない」という、普遍的かどうか判断がつかない発言を聞いたことがある。

 自分を顧みれば、還暦を超えての体臭は除去に努めたいけれど、若い人には体臭という魅力を感じる機会があれば、と思った。

 

 明治大学ラグビー部の、「前へ」という言葉こそ男子の矜持ではないか。「仲良く」、では生きていることにならない。笑

ハッスルパンチ              20201216

 

 前回「宇宙少年ソラン」を思い出して、懐かしくなって1960年代のアニメーションを少し探してみた。

 「狼少年ケン」や、「スーパージェッタ―」「ガボテン島」、「マッハGO!GO!GO」は同い年ならみんな覚えているのに、少しあやしくなるのが「ハッスルパンチ」。笑

 

 解体業の廃材置き場に住み着いたクマのハッスルたちの痛快物語。

 

 忘れていたけれど、さきほど主題歌を聞いてみたら「屋根はないけど宿題もないよ、やなやつぁどんどんやっつけろ」「あ、ハッスルハッスルハッスルパンチ、パンチタッチブン、パンチタッチブン

パーンチターッチブン ゴーゴーゴー」だった。

 

 すこぶる景気がいい。

 特に意識して確かめた訳ではないけれど、主題歌は小林亜星さんの作曲で、主人公パンチの声は大山のぶ代さんだったらしい。

 

 少しの時間とはいえ、孫と接していると、興味を開放してくすぐるのがとても生き生きした時間になることを感じる。ハッスルパンチとかどうかなあ。

元気になった記事             20201213

 

 先日のはやぶさ2のカプセル帰還はとても嬉しいニュースだった。同じように読んで元気になった記事がTOYOTAに関するもの。

 少し前に、自動車の近未来というような記事を読んで、そこにはガソリン車が近い将来に衰退するのは規定路線で、その場合、裾野産業が広大なので、日本でも30万人の雇用に影響が出るというものだった。

 世の中の雇用情勢にも、自動車の未来にも憂慮などする立場でもないし余裕もないけれど、読んで楽しい記事ではない。

 

 それが、冒頭の記事は、TOYOTAに近しいジャーナリストの執筆によるものとしても、楽しい気持ちにしてくれる。

 

 僕が知ることができて一番うれしかったのは、織機で始まったTOYOTAは、人々によりよい生活を届けようとして自動車生産を始めたのであって、自動車はツールに過ぎない・・・というところ。

 だから、スマートシティ構想は自然に出てきたものだし、自動車産業の衰退と歩調を合わせることはないだろう、という指摘。

 

 このあいだ、横浜では高層ビルをロープウェイで繋ごうという構想が現実味を帯びてきたという話を聞いたし、成田や羽田から都心のTOYOTA販売店屋上などに、一人1万円程度で移動できるとしたらちょっと夢のようだ。

 

 僕が幼かった1960年代は、アニメーションの草創期で、鉄腕アトムの周辺にも力作がたくさんあった。

 その中に、高層ビル街を透明チューブが走り回っていてカプセルのような車両が飛び交っているものがあった。そのアニメだったと思うけれど、高層ビルの家の中に、ボタンを押すと料理が出てくる機械があって、確かカレーもラインアップされていたから、ときめいたものだった。

 

 宇宙少年ソランがそうだったか記憶が定かではないけれど、これは1960年代を象徴するアニメの代表格だろう。 

注:下をクリックすると主題歌が始まります。

 

『宇宙少年ソラン』 主題歌フルバージョン 1965~1967 - Bing video

 ただでさえ人口減で停滞が続くと言われる日本で、昔のような成長が必要なのかどうか、望ましいかどうか、僕にはわからないけれど、明るい明日は、生物にとって必須だと思う。

 

 それは、政府や企業トップに委ねるものではなくて、生活者ひとりひとりの想像力なのではないか・・・などと思わされた記事だった。

はやぶさ2 カプセル帰還          20201205

 

 はやぶさ2が切り離したカプセルは、明日未明にオーストラリアの砂漠に帰還するらしい。

 さきほど、大気圏突入後は表面温度が3000度になると読んだから、少しだけ心配だけれど、その何倍か想像つかない難しさをくぐり抜けてきたのだから、きっと無事発見されるだろう。

 

 本体はやぶさ2君は、JAXAのプロジェクトリーダーによれば、最大ミッションを果たしたのだから今後は自由に新たな挑戦をするとのこと。

 長い時間をかけて地球のすぐそばまで帰って来たのに、成果だけ渡して次の10年探査に向かうはやぶさ2。

 日本人は擬人化が好きだから、そのような振る舞い(ミッション)にどんな感想を抱くだろう。

 

 僕が言えるのはせいぜい、「おーい お疲れさま、達者でなー」

くらいか。

 

 刻々とカプセルが近づいている。明日のニュースが楽しみだ。

成功万歳 20201206

SankeiBizより写真拝借。

発熱外来診療所              20201130

 

 今日、消防検査を受けてほぼ工事が完了した。

 建物は、横浜にある医師会の「発熱外来診療所」で、コロナとインフルエンザ襲来に対応する臨時診療所だ。

 

 10月初旬に依頼に近い相談がコンテナメーカーにあって、そのまま一気に進んできた。医師会と行政と建設の協議から、仮設建築物になって、異例のスピードが実現できた。

 プレファブ事務所やテント、物置などはもっとスピーディーだと思うけれど、業務機関終了後に、車に積んで移動しての再利用などを考えるなら、とても良い試みだと思う。契約業務などを含めると、スピードの違いはきっと2週間程度なのだから。

 設計担当は僕なのだけれど、「箱を並べただけで設計もないものだろう」と思われる方があったら、半分は同意する。もう半分についてはここではアピールしないけれど、それなりに考えることもあるのだ。笑

 

 新型コロナウィルス禍と、インフルエンザが早く収束に向かって、このコンテナが遠くでカフェに生まれ変わる姿を見たい。

城崎2後お知らせ             20201125

 

 今月初旬訪ねた、四半世紀前の設計担当旅館の印象を記しました。

 別ページの「宿(休息する龍)」です。

 お手すきの時、開いてみてください。

樹々花々                20201120

 

 今週は町田の公園を2度訪ねた。

 ひとつは薬師池公園が拡張されたもので、もうひとつは自分の子供たちを遊ばせた馴染み深い公園。

 

 行政が、市民生活に潤いを与えようと頑張ってくれていることを感じる。

 あとは、市中にベンチを作って、ちょっとした休息の時間を持ちたいということ。

 いつの間にか、座りたいという欲求が芽生えていることに多少の焦りはあるけれど、それよりもなにより、高齢者が佇むところが望まれると思うのだ。

円山川(城崎2)            20201111

 

 大学時代の親友がある日、「あらみー、温泉旅館の設計できるか?」という電話をくれた。「やったことないけどできるよ!」と返事してプロジェクトがスタートした。

 最初はアドバイザーという役割だったけれど、いくつかの曲折もありながら主設計者になった。

 

 その親友isがプロデューサーで、僕の事務所共同主催者kaと、ヨットのインテリアデザインをしていたimの4名がスタッフ。

 皆で作り上げたものだけれど、基本計画は僕の担当だったので、コンセプトワークについては発言してよいかと思う。

 

 この旅館の設計ではオーナー夫人女将とケンカも交えながら、はらはらどきどきと進んだ。

 でも最初に、偶然に近いけれど温泉掘削の成功場面に立ち会うことができて、女将と一緒に万歳をしたから絆は確かだった。

 オープン後女将の奮闘を遠くに聞きながら、連絡が途切れがちになったとき、旅館を売却されたことが伝わってきた。

 オーナーご夫婦が高齢になっていたし、社長は病に倒れたそうだから、決断をされたのだろう。

 

 そのような経緯で、現オーナーは企業となっていて、だから余計な関与は慎むべきだという前提で、それでも触れたい。

 オーナーが代わって相当な改修があっただろうと予想したのに、まるで竣工時のように(少しは加齢していても)息づいていたことに驚き、とても嬉しかったのだ。

 

 まだ線の無い製図用紙に向かって、考えたのは二つ。

 円山川の中州のような立地条件をいかして、川と客室をくっつけること。

 広い川と背に抱く山々の気配から、物語を紡ぐこと。それは休息に降りてきた龍であるべきだった。

 

 いくらでも書きたくなるので、それは別コーナーに設けよう。スナップをご覧ください。

 平行定規で描いていたころ。青山一丁目、外苑東通りに頑張って事務所を借りていたころで若かった。その後住宅設計に傾いて、最近また複合施設に関わり始めた。楽しい、楽しみ。(^^)

城崎                  20201109

 

 僕は、25年ほど前に、兵庫県山陰の城崎で旅館の設計に携わる機会を得た。志賀直哉「城崎にて」の城崎だ。

 着手から竣工まで2年の時間に、たびたび城崎を訪ねた。

 

 旅館の開業後、妻は訪ねることを望んでいたけれど、幼い子供二人を伴うには城崎は遠い。新幹線で京都に行き、福知山線経由で単線の山陰線で行くには半日を要す。

 飛行機なら鳥取空港に降りてやはり山陰線に頼るのだけれど、ダイヤが連動していないのでこれも半日。

 そのようなわけで延び延びになっていたけれど、子供達も独立したし、そろそろだね、と言っていた。

 

 城崎に行って1泊で帰るのはあまりにもったいないので、2泊か3泊と思っていたら、Go to travel という制度が始まった。

 仕事上、3泊は負担があるので2泊と決め、目的の旅館以外にもうひとつと考えて、迷いなく「西村屋旅館」に決めた。

 

 設計も素晴らしいけれど、大工さんたちの技巧に感嘆するばかりだった。たぶん、もう一度同じ建物を建てることは不可能だろう。

 

 支障が無さそうなレベルで写真を付ける。

 ロビーも廊下も、風呂も客室も最高と思ったけれど、洗面室のスッとした空気感が忘れられない。幸せになる。

 広縁でずっと鯉を眺める時間が持てた。

 次の日は、同じく広縁から円山川を眺める一日。次回記したい。

石垣島2                20201107

 

 石垣島出張の飛行機は、往きも帰りも満席だった。そもそもチケット予約をした時、1週間後に迫って来たからと思って予約サイトを開くと、残りわずかと表示されて焦りまくったのだった。

 

 レンタカーは安かったから「プレミアムレンタカー」というところに予約していて、その会社の気風か石垣島の気風か、サイン以外は天気の話しかしないのが嬉しい。キズの点検もなし。

 ホテルで車種を聞かれたとき、「キーには色しか書いてないな、アクアブルー」と答えると、「トヨタアクアのブルーですね」と。

 アクアブルーが良かったな。笑

 

 那覇から移動してきた仲間2人と合流して、建設会社で打合せ。

まだ若い会社らしくて、澱んだところが無くて良い感じ。

 

 建設予定地はストリートビューでさんざん見ていたから、イメージは持っていたけれど、バルコニーの位置と水廻りの位置が重要で、(水廻りは、1階2階で同じ位置にあることが、無駄が少なく断然有利)あえて設備配管に不利な配置を選択していたから、その正しかったことが実感できて安心した。

 

 写真では草木しか映っていないけれど、周りには工夫を凝らしたカフェなどが何軒もある。

 

 この現場とは別に、沖縄県で作物被害の大きいウリミバエ撲滅センターの増築計画の打合せもした。これはまた今度ゆっくりと。

 往きの飛行機で見た雲の水平線は、とても静かで美しかった。

 合流した2人は身長188㎝と180㎝弱?なので、ダイエットという言葉が出ながらも、しっかり食べる。

 つられまいと念じていても、「カツ重」「海鮮盛り合わせとかきフライ」「ソーキラーメン」「餃子とから揚げ少しもらいます」などと。妻からは「いつも膨らんで帰って来る」と指摘される。

 

 帰りの飛行機はB787らしくて、羽田着陸の前にライティングショーがあった。苦境にあると言われるANAだけれど、接した係の人々はとても涼やかだった。すごい。

石垣島                 20201028

 

 明後日は石垣島で打合せだ。遠出は久しぶりで、楽しみ。

 打合せのタイムスケジュールから、羽田空港6:35便になったので、前泊が必要だ。それも久しぶり。

 

 この季節、石垣島はどんな様子だろう。天気予報では28°らしい。前回のレンタルカート店舗竣工では、オーナーに案内してもらってとても楽しい2時間を得た。

 その再現は難しそうだけれど、石垣の屈託のない人々との再会が楽しみ。

 この雑感に写真を掲載できるよう、心掛けよう。

大学受験                 20201020

 

 僕の通った都立高校はなかなか優秀な生徒の集まりで、中にはHi君のように野球部で地区大会まで真っ黒になってショートを守り、その後すんなり東大理一に行っちゃった強者もいた。

 

 いつも一緒に登戸駅で立ち食いうどんを食べていたYa(山本)君は、理系志望だったのに、お父さんと意地の張り合いがあったのか、夏頃文系に転向してそのまま慶応ボーイになって、僕を失望と羨望の部屋に置き去りにしてくれたりした。

 

 他の僕が一緒に過ごしていた仲間は、現役合格など夢見たこともなくて、受験予備校の試験に受かるかどうかを真剣に心配していた。

 そんな状況下で編み出したのが、落ちても体裁のある受験で、2次試験制度ではない京都大学がターゲットになった。

 4人で出かけた。

 4人とも落ちた。

 でもここが大事なところで、3人は翌年違う受験をしたのだけれど、一人Ha君は一年浪人後、京都大学建築学科に入学を果たした。おお、すごい。

 他の二人は、Mo君が家業を継いで地域の役職を歴任したり、Ma君は、早稲田経由・アメリカで修士を取得して、ケニアや東南アジアで行政官向けの講師を務めるなど、活躍してきた。

 ちょっと落ち込む。

 

 前段がとても長くなった。僕の大学受験だ。

 僕は、中学生時代に思いついた絵本作家になるというイメージを捨てきれずにいたから、大学受験では代ゼミの「美大コース」に通った。それは、建築学科に進みたいという気持ちとも矛盾がなかった。

 この雑感で記した記憶もあるけれど、そこで出会ったのは小学生と高校生のような実力差だった。転倒した発想としても、その時、僕の武器は数学かも知れない、と思った。それは美大から一般に移行することを意味する。(退却とは言いたくない 笑)

 

 さて、早稲田大学受験である。

 親からは何も意見が無かったけれど、浪人した以上志望した早稲田建築に行くか、それが無理なら公立大学と思っていた。

 だから、願書は早大と地方国立大の二つを整えた。

 

(まだまだ続きます、シャットダウンもしくは覚悟ください)

 

 1959年・1960年生まれは、浪人すると共通一次試験という新制度が導入される分岐点だった。

 国としても初めての試みで、多くの障害があったようだけれど、それは少なからず僕の順風になった。(以前記したか、また今度:主に社会科の問題難易度で、僕は砂漠でオアシスに出会った 笑)

 問題は化学。

 

 僕は化学が苦手で、というか天敵のようなもので、参考書すら持っていなかった。

 数学なら、それが中学高校レベルの数学としても、ピタゴラスの定理のように腑に落ちるところがある。しかし化学は、AとBを混ぜたらZになったと言われているようで、なぜ?が遠い。

 本来、科学はそうした無限とも思われる試行錯誤による、と今では多少感じることができるけれど、当時はその点に馴染めなかった。

 で、化学はオミット。それが大学受験まで続いてしまった。

 

 自己責任とはいえ、受験でひとつの教科を白紙提出するのはそれなりの勇気がいる。だからよく覚えている。

 

 家に帰ってしばらく考えた。次にどうするかと。

 二つしか願書を出していないのだから、私大で敗退したのなら国公立に全力を傾けるべきでは・・・

 

 早大建築学科受験には、「デッサン」という科目がある。

 もう、化学の白紙提出で落ちたのは違いないから、デッサンなど行かずに国公立の受験に照準を合わせるべきだと考え始めていた。

 

 でも、国公立試験の範囲は膨大なのに、デッサンは射程距離にある。「終わらせよう」と思った。

 家を出た。試験会場に着くと、人はまばらで、僕よりも会場担当の方が走ってくれた。遅刻にも資格剥奪の制限があったのだ。

 試験教室に入ると、20人ほどが塑像を囲んで描いているようだけれど、どう見ても僕の方がうまい。

 なにしろこちらは芸大受験者たちにさらされてきたのだから。

 

 僕は、落ちることを前提にして、デッサンの時間を楽しんだ。これで帰ろうと思った。

 

 後日、本城君(Ho)が万歳してくれたように、合格していた。

 これも以前記した記憶があるけれど、化学の採点が18点で、デッサンの配点も18点で、難しい評価を避けるためにデッサンは0点か18点だったのだ。

 

 捨て身の気迫、あるいは開き直りの図々しさ。よしよし。」

中三自慢話                 20201019

 

 中学時代の写真を見ていてあらためて生々しく思い出した「快感話」。妻には何度も話したらしくて飽きられているのでここに記述。

 

 中学3年の4月の放課後、校庭を走り回って汗だらだらで鞄を取りに教室に戻ったとき、涼しい顔をした秀才たちが7~8人たむろしていた。

 普段会話もしないので、話に交ざろうとは思わなかったけれど、一言も声を出さずに立ち去るのもどうかと、「何かあったのか」と質問してみた。

 すると、その中にいた同じ小学校出身の友達が、

「いやあ、この間の実力テストの番付なんだけど、10番までほぼわかっているのに、どうしても3番が見つからないんだ。誰だと思う?」みなが、たいした話じゃないけど気になって、などと言う。

 

僕である。

 自分だけが知っている、という快感。

「そりゃわかんねーな」と答えて教室を出た。

 

 当時、僕の友人選びは「イイ奴」が基本で、相手の承認も必要だから選別した訳ではないけれど、運動が得意で楽しそうな奴ばかりで、僕と同じように教室の机に教科書を詰め込んだまま、というようなふうだった。

 ところが、中2の3学期、何の本の刺激だったか授業はきちんと聞こう、とやる気スイッチが入ったのだった。

 だから、教科書ベースの問題であれば解答できたのだろう。

 

 10日ほどの夏期講習に、親の無言の圧力で行ったときは、窓の外ばかり見ていたから、最後の試験で1000人余りの中で900番台だった。親は何も言わず、ただがっかりしていたようだ。

 

 都立高校は地域で難関と呼ばれるところを志望して、いわゆる内申点(通信簿)がその高校対象では番外だったので、担任の馬場先生からは当日試験で「満点を取りなさい」と言われた。

 そして、「早稲田高等学院も受けておけば?」と聞かされたとき、この先生の勇気づけはすごい!と感心しながら光が差した思いだった。本人は受かると思っていないのに。

 結果的に、都立高校は300余名の定員で不合格は数人だったとも聞いたので、願書を出す時点で相当に厳しい選別があったのだ。それを無視した馬場先生(当時40代の女性教師)の勝利かも知れない。笑

 

 受験って真剣になるから記憶が鮮明だ。次回は大学受験を記したい。

若いって                  20201018

 

 同居する母が、「片づけをしていたら古い写真が出てきたので渡しておくわね」と言って、数回にわたって僕の若い時の記念写真を手渡してくれた。

 それぞれ確かな記憶になかったので、感慨深いものがある。

 

 他人事のように率直に言わせてもらうと、「自分にも幼い時、若い時があったんだ」ということがあって、「若いっていいなあ」という気持ち。

 

 世の多くの祖父母が、孫を無条件に愛するのは自分の孫という事実と同時に、若い生命を身近に感じることに喜びがあるからだと気付かされる。

 そういえば、孫が生まれてからだけれど、保育園児が手を繋いで集団で歩いていたりすると、立ち止まらない訳にはいかない。

 

 還暦は、人生の折り返し点というにはかなり後ろよりなので、やり直し点と言ったらよいだろうか。

 やり直しとしても、らせんを一回りして60年の高さに来ているのだから、スタート地点とはまるで違う。

 ただ、新しい、と考えても無理がないのではないか。そうであるなら期待感も生まれてくる。

 

 写真を見ているうちに、若い時もあったんだよと、他の人に見せたくなった。還暦で羞恥心が薄れたか。それも新しい世界。

会う人の多くに、フランキー堺に似ていると言われていたらしい。

ピアノは2年だけだったので、その後ぜんぜん弾けないのが残念と言っても、残念がる根拠がない。笑

若い女の先生が、アメリカ人と結婚して居なくなってしまって、僕は大喜び。解放記念日。

高校受験の願書写真のはず、と二十歳のころの写真。我ながら初々しいではないか。笑 思い出させてくれた母に感謝。

かいがら公園                 20201012

 

 今なら神奈川中央交通バスが10分で到着する「団地南口」は、当時どのくらいの時間距離だっただろう。

 もう記憶が薄れているけれど、バス道路はまだ舗装されていなかったから、バスは右に左にかしげながら、運航していたのだと思う。。

 そこに、忽然と(それなりの建設時間を要したとしても)現れた公団住宅は、とても新しい世界だった。

 自転車にまたがって、何度その周回道路を走ったか。

 

 この、公団住宅のほぼ中心にあった児童公園は、かいがら公園と呼ばれた。50年以上前のはなし。

 

 これをつくったひとたちは、現在の日本からするとイカレテいるようにも思う。なぜこのようなものができたのか。

 きっと、同じ姿が町田以外にもあるだろうから、それも見てみたい。図面があったかどうか別として、設計者に会ってみたい。

もう80歳超えか・・。 

  すりすりと、とんがった先端まで行くのが男子の通過儀礼だった。

愛だろ、愛 2               20201011

 

 跳んで、落ちて、はしゃいで、眠って、愚痴を言って、悪態もついて、おだてられて、悪口を言われて、美味しかったりがっかりして、希望を持とうとして、ふさぎこんで、なぜと思って、そうだと得心して、羨んで、みじめに思って、胸をはって、しゃがみ込む。

 

 近々、目の前にあるパソコンを新しいものに替えようとしていて、別にパソコンに意識があるとは思わないけれど、5年かそれ以上正対してきたことを思い出して少し振り返ってみた。

 

 さきほど、NHKBSのエチオピアの自然を主題にした番組の始めだけを見た。

 ゲラダヒヒというエチオピア高原にだけいる猿が紹介されていて、草食なのにケンカ好きな種だとのことだった。

 

 ゲラダヒヒに憧れた。洒落者。

 設計事務所には締め切りという切迫した状況は発生しないけれど、納期、というルールは無視できない。

 仲間の配慮もあって、こんなことを記すちょっとした時間が得られた。

 好きなことを楽しく頑張りたい。

写真は次から借用。https://sarucom.com/gelada/

konosaruha kyoumogenkini kusawomusitte kuratteiruka?

寒くなりました              20201010

 

 例えば、タオルケット1枚から羽毛布団に替えるのはいつ頃なのかと思っても、例年どのようにしていたかあいまいだ。実際は、妻任せなので、判断していないのだけれど。

 蚊取り線香を最後に焚いた日から、何日になったか。今日は上着をはおっている。

 日本の秋は短いなあ。子供のころからの実感。(^^)

 

 昨日は、少しづつ発展している園芸店舗を訪ねた。

 オーナーは、隠れ家的店舗にしたいのでひっそり営業していると話す。

 建築途上にあるカフェが、どのように開店を迎えるのか。とても楽しみ。

 立地は、東海道線辻堂駅と茅ヶ崎駅のあいだで、辻堂が近い。「六図」という少し変わった名称の神奈中バス停真ん前。

 

 大きな期待に応えられる規模ではなさそうだけれど、樹木との回路が見つかるかも知れないお店。遠くからは難しいとしても、近くまで寄ったならぜひ。

澄む、清む                20201001

 

 月曜日に出かけた横浜は、その前に町田から横浜線に乗った景色は、コロナを忘れるくらいさわやかなものだった。

 梅雨の、モンスーンのような重たい空気、8月のアスファルトから跳ね返る熱気。そして今、昼間でも星が見えるかのような高い空。

 他の国をよくは知らないけれど、ここで生まれてよかったなあと。

 ちょっと冬の寒さが心配としても。

ペリー来航前              20200925

 

 連日になるけれど、「カズサビーチ」の読後感が薄まる前に。

 カズサビーチというタイトルの物語は、解説によれば史実をつぶさに調べ上げて歴史検証を尊重しているとのことだ。

 それでも、先日記したように少年少女文学のようにおおらかで風通しの良い小説になっている。

 

 下手な解説は避けたいけれど、概要だけ。

 

 肝要なのは、ペリーという黒船が現れる前の鎖国日本が描かれているということ。

 TV番組でにぎわうように、黒船来航から明治維新に至るまでは大変ドラマチックだ。誰しもそこに目を奪われるけれど、その直前、江戸文化とはまた違った日本はどのようだったのか。

 

 物語は、捕鯨の為に日本海を目指したアメリカ東海岸の船が、嵐で遭難した各藩御用達荷積帆船の乗組員を救助したことに始まる。

 

 読んでいて楽しいひとつは、「船乗りたるものいかなる時も遭難者を救助すべき」という、政治絡みのお仕着せ規範を超えた価値観が、奔放な国アメリカと鎖国だった日本で共有されたこと。

 

 そして同じかそれ以上に魅力的なのが、まだ自走動力(エンジン)が船におよばずに、風頼みだった帆船の、地球に対するスケール感。

 ニューヨークに近い東海岸から、鯨資源が豊かと聞いて日本海を目指すのに、南米南端ホーン岬を迂回して、ホノルル経由で太平洋横断を当たり前とするのだ。

 

 それだけでも驚くのに、日本から見れば絶海の孤島、鳥島で日本人船員を救助して浦賀沖まで航行し、接岸許可を待つ間に、ふとした風で仙台や小笠原まで流されて行き来するのだ。まともな日本地図や海図がないままに。

 

 船員たちはキャプテンを頼りながら、どのような気持ちで朝を迎えて夕日を眺めたのか。何か月・年という単位で。

 仕事とはなんなのか。欲望とはどのようなものか。信頼って。

 

 少年少女文学が嫌いでなければ、あるいはそれは僕の自己基準の恐れが大きいので、このような物語に少しでも興味を持たれたらおすすめです。(^^)

少年少女文学              20200924

 

 一昨日の真夜中、眠りが浅くなったときに雨の音に気付いて「台風12号は近づくだろうか」などと考えていた。

 寝室は屋上コンクリート床の直下なので、大きくはならないけれど、真上からも雨音が聞こえてくる。

 

 そのせいか、寝ている僕に雨が落ちてきているように感じていた。それがだんだん膨らんで、意識が屋根を抜けて暗闇の中を絶え間なく降る雨粒の集合を見ているような気がしてきて、やがてその意識はぐんぐん上がって行って、ついには流れ込む大気から雨が生まれるようすにまで及んだ。

 

 寝ぼけた頭でその風景に感心して、同時に自分には何かインスピレーションがあるのではと自惚れようとしたとき、それはどこからか借りてきたイメージだと思い当たった。

 

芥川龍之介「蜘蛛の糸」。そうだ、最近寝る前に新潮文庫の「蜘蛛の糸・杜子春」を音読していたのだった。

 この、十短編を収録した文庫の背表紙には、少年少女文学を集めた・・・と解説がある。ここで何となく感じていた自分の好みがはっきりした形になった。

 僕は、少年少女文学が好きなのだ。大声で言って良いか別として。

 

 無人島に持って行く一冊としたら、「人間の運命」で決まりだけれど、これも読みようによっては少年少女文学だ。

 ときどき枕元に置く物語といえば、

 イリュージョン

 トリツカレ男

 旅のラゴス 

 アルケミスト

 リトルターン

 海を見ていたジョニー

 パレオマニア

 ビリーザキッド

 キリマンジャロの雪

 氷壁

 夜間飛行

 片岡義男・・・そうか、片岡義男は少年少女文学だったか。

 

 そしてこの3日間は「カズサビーチ」山本一力著

次回はこの本の感想にしよう。 

ほぼ十年                20200918

 

 先日、新たに記した雑感のタイトルを更新に加えようとしたとき、アイテム数超過の表示があった。

 恐る恐るページを作り直した結果がここです。

 

 初めのころ、操作を間違えて2年弱の記録を失った時、多少の喪失感があった。今回は、それが10年と思いながら、それでも保存をずっと続けられるとも考えていないので、「まあ、なるようになるか」と比較的冷静に対処していたような気がする。

 

 以前にも記したように、この雑感を開いてくださる方が何人いらっしゃるか把握していない。そうした統計的な数字は、ホームページの設定次第でわかるはずだけれど、正直な気持ち知りたいわけではない。・・・実際、そのことに興味がない。

 

 早めのころ、高校の同級生がクラス会で、他の友人と一緒にこのページを紹介してくれたことがあった。

 その後、「ときどき見ますよ」と声をかけてもらったこともあって、とても嬉しかった。

 職場でも、何かの拍子に遭遇したのか、見てくれる同僚があった。

 

 こうして、机の引き出しにしまえるものでもないところに、何かを記すのは読んで欲しい欲求があるからに違いない。

 でも、多くの人に、と思っていないこともその通りだ。

 

 一昨年他界した義母が、「ときどき開いて楽しく読んでいるよ」と妻を通じて聞いたときは、ただ良い気分だった。

 

 次の10年、思い出したら開いてみてください。飲みにもいきたいですね。