雑感

設計とは別に思ったこと

昼と夜の風               20200404

 

 昨日は昼前に一仕事をして、投函したいものがあったからポストに行きがてら近くの恩田川を桜見散歩することにした。

 よく晴れていたけれど、風があって単に穏やかな春というのとは違っていた。

 昼どきだったので何か食べようかと相談していたものの、コロナ禍にわざわざと妻が言うので、テイクアウトの弁当を購入して小山を開いた公園に寄ることにした。

 

 そのコースを言い出したのは妻で、ずいぶん歩く気だなあ、と感心していたのだけれど、どうやらイメージよりは距離があったらしい。「かしの木山自然公園」と名付けられているように、山とは言えなくてもそれなりの標高なのだ。

 帰ってからスマートフォンを見ると12300歩が記録されていた。8㎞くらいだろうか。

 風が吹いていたとはいえ、穏やかな昼を過ごして新型肺炎のニュースを繰り返し見たあと、就寝前の本に久しぶりに上の沢木耕太郎選の短編小説集を開いた。

 

 一度読んでいたとはいえ、読み進めないと記憶があいまいなものが多くて適当に開いてみると、ちょうど(僕に言わせれば)悲惨な物語が3編連続した。

 最後に村上春樹さんの小説でどうやら心の平衡を取り戻す。これだって深刻な内容と思われるけれど、先の3編は本当に壮絶なのだ。

 友人I氏から推薦されてすっかり魅了された「深夜特急」の沢木耕太郎であっても、寝る前に手にとってはいけない。

 こころに暴風が吹きすさぶ。

80年代の曲               20200328

 

 僕の学生時代、二十歳になったころの印象のひとつに、高中正義のブルーラグーンがある。これは僕の個人的なものではなくて、同年代は少なからずうなずくことだろう。

 あらためてこのことを記すのは、自分が20代を超えても、時々反芻していたし、その後インターネットが普及してからはますます

触れることが容易になって「あれは何だったのだろうか?」と思ったりするからだ。

 

 今日、仕事のBGMにYOUTUBEで選んだのはhttps://www.youtube.com/watch?v=qvDf6wOaggg

 好き嫌いとかはそばに置いとおくとして、この気分は何だろうかと思う。

 

 何度か雑感でも記録したように思うけれど、世界は自分の脳の中にしか存在しないのだとすれば、そこにどんな曲目を残すのかは自由であるはずだ。

 客観的な解説などできないとしても、こうした気配は悪くない・んん・・・いいなあ、などと思う。

金運と方位                20200326

 

 占いとか方位は、信じてもいないけれど疎んじてもこなかった。

自分はあまり関係しない前提で、それらを楽しんだり頼りにするひとたちの気持ちは少し理解できる気がするし、偉そうな意味ではなくてほほ笑ましいとも思ってきた。

 触れなかったのはチャンスが無かったからだとも言えて、それが昨年の暮れに小さなことで縁ができた。

 

 仕事の申請をする会社を訪ねたとき、机に金運を呼び込むという2020年のカレンダーが積まれていて、強烈だけれどどこかスッとしている黄色に惹かれてひとつ頂戴した。

 

 黄色を家の西側に配置すると金運に恵まれるというのは聞いていたから、事務所の西側壁に置いた。

 まだ、その霊験にあずかってはいないけれど、今年一年楽しみに頁をめくりたい。

  新型コロナウィルスによる肺炎は世界を未知のところに引っ張り込むようだ。

 それも含めて、安寧と緩やかでよいから発展を願うこのころ。

遺構                   20200314

 

 先日触れた立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」という本は、氏が40年ほど前、40日間に渡ってギリシャとトルコの古代遺跡を訪ねた記録だ。

 有名な遺跡もあるけれど、大半は同行のカメラマン以外人の姿が無いような、人の意識から抜け落ちた遺跡らしい。そこで氏は、

「静かに最低2時間、ぼんやりでも良いからその中に埋没すると、2千年の時間が一続きであることが実感できるだろう」と述べている。だから、遺跡というよりは遺構の方が呼び方としてしっくりくるかも知れないと思う。

 

 僕は同じような経験が無いので、理解したとは言えないけれど、とても大切なヒントをもらった気がした。

 

 以前、視察旅行と称した仕事関連の海外旅行で何度か一緒になった大久保さんという方は、訪ねた町で早朝に散歩に出かけて適当なところで座禅を組むことを楽しみにしていた。

 大久保さんは還暦前後で、30台だった僕は、それを単純な趣味あるいは一種のパフォーマンスと受け止めていたけれど、きっとそれはその場所の観察だったのだろう(一部宇宙との交信?)。

 一般的な海外旅行は、事前にある程度の情報を得て、確認してまわるようなことが少なくないように思う。それに比べて、座禅を組んで目を閉じて、遠くの音や近くの音、人の息遣いや足音、匂い、風、陽差しを体に取り込むことはなんと豊かだろうか。

 その旅行の主催者兼スポンサーは後に一代で東証一部上場を果たすけれど、毎日夕方4時から30分、社長室にこもって瞑想タイムを持っていた。その真意が理解できていなかったことが残念だ。

 

 座禅と言えば、「悟り」とか「解脱」というように、何か凡人には理解しがたい状況を思い浮かべてしまう。でも、その深淵の先はわからないとしても、一日一定時間、遠くの存在に意識を向けてみることは本人を開放するようにも思える。

 きつかった去年一年間を経て、ようやくそんな普通のことに思いが及ぶようになった。

 

 そういえば、僕の好きなヘルマンへッセの「シッダールタ」という小説では、数多の経験を経たシッダールタが最後に川守のところに辿り着いて、川の流れの表情、姿や光、音の中に人生の全てを見出したのだった。僕には遠いけれど。

春が来る                 20200310

 

 左の写真は仕事場で、椅子に座ったまま真上を見上げたもの。

螺旋階段の裏側が見えて、屋上のガラス塔屋を超えて空が少し見える。

 右側の写真は、二日ほどまえに家の近くを歩いたときのもの。桜の一種なのは合っていると思うけれど、開花宣言前だからどうしたものか。

 

 当たり前のようでいて、日光があって空気が風として動いて、あなたがいて僕がいる。いいね。

天路歴程                 20200305

 

 もう5年以上前に、友人夫婦が出店しているひと箱古本市に出かけたときに、勧められて、購入と言うよりはプレゼントしてもらったのがこの本。

 

 全世界では聖書に次いで読まれた本ということらしいのに、宗教に縁のない僕は全く知らなかった。

 一緒に何冊も持ち帰ったので、何となく堅そうなタイトルだし後回しにして読み始めていなかった。

 本のサイズが文庫や新書より少し大きくて、新刊の多くよりは小さいからいつも見えるところにあった。

 

 何日か前、ふと睡眠前に読んでみようと思い立った。初めからだと堅苦しそうなので、ちょうど中間から読み始める。

 面白い。

 最初の著者はしがきと、訳者の解説に戻ってまた面白くなった。

 

 記したように僕は宗教と縁がないけれど、それは敬遠していることとは違う。勉強になると思う。

 ただ、老若男女に向けた教えだから、教会内部のさまざまな絵画と同様に、繰り返されるし言葉が長い。

 でも、英文はすこぶる歯切れが良いらしいし、訳もウィットに富んでいる。

 まだ3分の1程度で、これから少しづつ読み進めるだろう。

 

 これは失礼な意味でないはずだけれど、その安定した文章と寓話は、睡眠前の心の安定にはうってつけなのだ。

 意外と僕は宗教に向いているのかも知れない。

 

 遅ればせながら、Oさんご夫妻ありがとう。もう一度お礼申し上げます。

ピタゴラスの定理             20200225

 

 昨日、妻が運んできた義母が使っていた椅子に寄りかかって目をつぶったとき、何か考えてみようと思って、ピタゴラスの定理の証明を思いついた。

 

 以前に幾何として証明できた記憶があったから、それを思い出そうとしたけれど、難しかった。

 でも、直角三角形というのは大変に特殊なものだから、他の方法でも良いのだろうと考えた。

 しばらく頭の中で直角三角形を動かしていたら、斜辺が構成する正方形(cの2乗)の中に、風車のように元の直角三角形が4枚あることに気付いた。

 

 あとは、(A-B)×(A-B)=A2-2A・B+B2を思い出せばよい。

 ただ、本来ピタゴラスの定理はこのような数式ではない解法が望まれているような気もする。でも、もう忘れない証明方法を獲得した気がしてとても満足した。

 もちろんこの方法を教えられていた可能性を否定するつもりはないけれど、僕自身はゼロから組み立てたつもり。えへん。

こってり                 20200221

 

 「天下一品」というラーメンチェーン店があって、赤坂と水道橋で2回食べたことがある。「こってり」と、確か「さっぱり」というのがあって、こってりは人によってはカルボナーラか、というほど濃厚だ。

 熱狂的なファンと、二度と注文しない、というひとが入り乱れているようで、でも僕は美味しいと思った。

 それでも、次に行くのは少なくとも1年後かなあ。

 

 国道1号、東海道の藤沢の先に「来来亭」というこれも全国展開のお店があって、松山でも入ったことがあるけれどここでは「こってりラーメン」を注文する。

 こちらは名前よりは淡白で、けっこう好きだ。

 

 というあたりが僕のラーメンとの距離感。

 さて、昨日は予定が急遽変わって小田急線相模大野の駅に降りた。

 相模大野は、以前は小田急線下りの最終電車の終点で、酔ってなのか乗り過ごした人が大勢タクシー乗り場に行列を作っていた。それを当て込んで、軽自動車の改造ラーメン屋さんが陣取っていて僕も何度も美味しい思いをした。夏の海の家と深夜の移動ラーメンは限りなくおいしいのだ。特に、相模大野駅のそれは、どの世界に所属するかは不問として、とても清潔にしていて真っ白な足袋をはいていた。

 

 そんな郷愁じみたものを抱えながら、何を食べようかと歩いてみる。駅はずいぶん前に再開発されたし、真昼に移動ラーメン店があるはずもない。

 路面店でこれは、という店を見つけられないまま、駅に隣接する建物の食品階に行ってみることにした。

 

 これはおいしい。!今までひとにラーメン店を勧めた記憶がないけれど、それなのにお勧め!。濃厚が不得手のひと以外。

藍 青 ブルー              20200217

 

 先日、立花隆のギリシャからトルコに至る40日間の旅行記・取材記を購入した。

 本の中にご本人が記しているのだけれど、ご自身一番気に入っている著作らしい。

 ギリシャ神話にはとても多くの神々が登場して、それが織田さんとか徳川さんならなんとかなりそうなものの、みんなカタカナなのでお手上げ状態になる。

 それでも放り出さないのは、著者が極めてリラックスして執筆している様子が楽しげなのと、常に海の匂いがするように思えるからだ。

 

 表紙を見ていて、五木寛之の「海を見ていたジョニー」を思い出した。続いてマティスが頭に浮かぶ。検索すると、だいぶ印象の違うマティスがあった。

「青は藍より出でて藍より青し」という言葉に中学生のころ触れて、自分の中に藍と青とどちらが美しいかという葛藤が生じた。

 

 磨き上げた、という意味では青に軍配が上がるだろうか。ただ、海は限りなく藍い。

 ギリシャもイタリアも、トルコもブラジルもフランスも、もちろん日本も海が身近だ。だから、あえて反語的な気分で「ロシア、ブルー」と検索してみた。

 すると、上の写真の猫が出てきた。蒼いねこ。

守護神的友人(妄想)            20200215

 彼(守護神的妄想友人)はある日やって来た。

 やって来た、と言っても自分で描いたのだからあまりそこを強調すると本当に変な人間に思われかねない。

 

深夜。

仕事場で背中にある螺旋階段の支柱に、ふとマジックペンを走らせたのがこの絵。落書き。

 

 気に入っているのは、何か話そうと思いながら、でも沈黙を守っているように見える表情。(と、僕には見える)

 

 僕はこのとき、どこかに何かを問いかけようとして描いた記憶がある。答えを期待して描いたからこんな顔になったのか。

 少し補足すると、この落書きをしたのは左の図の下の方、赤い注釈をつけたところ。

 

 地下から屋上まで、大げさに言うと4層を螺旋階段で行き来するとその室温変化が面白い。冬の地下は寒い。

多くの時間、遊牧民のように(笑)あちこちの部屋でパソコンを開くけれど、守護神的妄想友人はそこに居て、ときどき見つめ合う。

みかんと遊ぶ               20200213

 ちょっとした心機一転。

 僕が使っているHPサイトは、以前は1ページに掲載できるアイテムが200と限られていたのだけれど、しばらく前からその枠が拡大したらしい。

 だから、いつまで経っても2018から進めなかった。

 

 そこで、気分転換に自らページを更新することにした。

 

 きっとアイデアも枯渇しているし、なかなか時間も取りにくい近頃だけれど、楽しみたい。