雑感

設計とは別に思ったこと

人生の危機のひとつ            20200530

 

 大学に入って運転免許を取得して以来、40年近く事故と無縁だった。不可抗力のもらい事故もなかったのは幸運だと思う。

(乗っていたタクシーでは2度それなりに大きな事故に遭遇して痛い思いもしたけれど)

 シートベルト不着用や駐車禁止、路線変更禁止違反とスピード違反。それに駐車時のミスで車に傷をつけたこともあったけれど、20年か25年ゴールド免許だった。

 仕事で年間何万キロも走るひととは比較にならないけれど、概ねトラブルの少ないドライバーだったはずだ。

 

 2年前、けが人は無いものの、大勢の通行者が振り向く事故を起こした。

 南房総の富津市で別荘の完了検査を無事終了し、検査官を木更津に送ることを申し出た。ホッとして何か区切りがついたように思ったのだったか。

 木更津市街に入ると、3車線になって僕は中央よりを走行していた。その日初めて会った後部座席の検査官との雑談に、注意が散漫になっていたかも知れない。

 前を行っていた老夫婦と見える軽自動車が、交差点で突然停まって右折ウィンカーを挙げた。その車線は右折レーンではなかったので少し驚きながら、車線変更をするかどうか迷ったあと、バックミラーとドアミラー、直接目視をいつも通り行ったつもりで左に寄ると、車の左側に衝撃が走った。

 その瞬間、自分の過失だと思ったけれど、僕よりも激しく損傷した黒いハイブリッドカーを見て、彼がどこに居たのか未だに不思議だ。後から考えるなら、僕の直後にいてほんの少し先に斜線を替えたのではないかと思う。

 

 慌てて降りると、その黒い車のダッシュボードに、日の丸の中央に何やら墨書された色紙のようなものがあるのが目に入った。

 別の緊張が走る。

 結果的に、その車の運転者と同乗の3人は、右翼活動に憧れる若者だったので、意味不明な治療費を相当申告したようだけれど、僕自身は不安を感じるような接触は無くて、保険等級が落ちただけで助けられた。

 

 さて、少し長くなってしまった。

 上に書いたのは、人生の危機でもなんでもない。次が危機の瞬間。

 

 子供たちと家族4人であちこち出かけていたころ。

 相模原の平均的な中堅主要道路、片側1車線だけれど神奈中バスが走るそれなりの道。

 前の車と間隔が開いていた僕は、それなりにアクセルを踏んだ。遠くに老夫婦とお孫さんが道を渡ろうとしているのを見て、減速しようかと思った。

 すると、その老夫婦は僕の車を先に通そうと、道の真ん中手前で歩を停めた。僕はそれならと小さく加速する。

 対向車もないし、僕に後続車もないから通り過ぎようとしたその瞬間、お孫さんらしき小学校中学年くらいの女の子が走り出した。反射でブレーキを踏むと、短い距離で止まることができたけれど、女の子は驚いて転んだ。

 僕は1メートルほど手前だったので接触のないことは誰が見ても明らかだろうと思った。

 けれど、突然の事態に車を降りることはできなかった。その少女がすぐに立ち上がって走り去ったこともあるけれど。

 

 少女を見送っていたらしい両親が、近くのマンションのバルコニーから激しく叱責していた。

 老夫婦と少女は何の関係もなかったのだ。バックミラーで見る老夫婦の視線は僕を非難するものだったけれど、実害が発生しなかったのなら話すことなどないし、貴方はこちらから一方的に言わせてもらうなら加担者だ。

 

 あのとき、怪我の大小を別にして、接触していたら自分の人生は違っていたと想像する。ほんのささいなことではないかと思うのに。

海面高所恐怖症              20200530

 

 自分が高所恐怖症だと自覚したのは26歳のときで、それは8階建てのさらに上にある看板下地のチェックに、揺れる仮設足場階段をひたすら登ったときだった。(建物竣工後だったので養生ネットも外されていたし、看板自体高さ6メートルもあったのだ)

 前にも雑感に記したけれど、どうやって降りてきたか覚えていないほどの動揺だった。

 以来、子供のころは好きだったジェットコースターなど近寄りたくもないし、千葉の野田で家族皆で乗った小さな観覧車では後悔もした。

 

 そのピークは伊豆の天城山の頂上外輪道を歩いた時で、緊張のあまり、妻や子供たちから「お父さんどうしたんだろう」という声が上がったほどだ。あの丸く見える天城山で、笑。

 

 時間の経過の為か、年齢による希釈のためか、最近は鹿児島の大きな観覧車なども楽しめるようになったし、きっと孫に請われればジェットコースターにも乗るだろう。

 

 そうして順化できそうなので多少の余裕をもって記すことができるのは、海の崖体験。

 セブかバリでシュノーケリングに参加したとき。

 

 僕は泳ぎは好きだけれど、どうしても「耳抜き」が苦手で、潜れるのは頑張って3mが限界。友人にはタンクで数十メートルを夫婦で回遊するという話もあるから、チャプチャプ感が否めない。

 それでも、ずっと海に浸かっていながら呼吸ができるというのは楽しくて、ガイドから制止の声がかからない程度の距離を泳ぎ回っていた。

 

 青い魚の小さな群れを追っているうち、海底の垂直崖を超えた。

それまでの水深数メートルから底の見えない海へ。

 その時の驚きと、慌てて180度Uターンした自分が忘れられない。

 浮いていて落ちようがないのに。

 

 つまり、高所恐怖症は実際の危険度よりも、気持ちの安定への作用なのだ。

 足ひれだけで移動していたのに、突然水しぶきを上げたであろう様は、もし見ている人があったら鮫との遭遇に見えただろう。

なわ跳び2                20200528

 

 着手時記録。

 せっかくの、久しぶりの運動らしきものなので、ちょっとメモしておこう。

 

 一昨日、初めて跳んでみたら、すぐに引っかかってしまうので残念な気分だった。

 

 昨日は、わずか数分の反芻でも少し思い出すことがあって、数十回は問題なく跳べた。

 

 今日は、多少心の余裕もできたので、むやみに突っかかることは無くなったけれど、足首廻りとふくらはぎの筋肉が悲鳴を上げ始めて、100回は跳べなかった。

 

 子供のころ、ボクサーが跳ぶなわ跳びにあこがれて練習したことがあった。僕自身は自慢したい気分だったけれど、それは主観そのものなので実際のところどうだったかはわからない。

 

 早いピッチで、地面から数センチを片足数回ずつ交互に跳ぶのがカッコ良くて、練習したものだった。二重跳びの回数記録のときは、最後は体が上がらずにくの字になって腰だけ持ち上げたことをよく覚えている。

 

 なわ跳びなんて、という生活だったのに、また触れられたことがけっこう嬉しい。

なわ跳び                 20200527

 

 仕事場を自宅内に設けているので、非常事態宣言の前後で目に見える違いはない。それでも、打ち合わせと出張はほぼ無くなっていたので、運動量は減っていたようだ。

 

 以前から友人たちが警告を発してくれた通り、体重を減らしていかなければならないのに、微増傾向が止まらない。微増も一定以上の長さになると激増とも言えるので、これは危機だ。

(カーブミラーは実際以上に太って見えるものと思っていたら、先日撮ってもらった写真にはその人物が居た・・・涙)

 

 という訳で、なわ跳びを始めることにした。

 昨日は90㎝角の人工芝をホームセンターで買ってきていよいよ準備は整った。毎日などと自分を縛るといやになるので、なるべく頻繁に跳んでみよう。

 

 運動に無自覚だった訳ではない。妻に勧められるまま、市の体育館に出かけてバイクをこいだり重いものを持ち上げたり押し分けたりしてみたけれど、数回通ったらコロナになったのだ。

 非常事態宣言下でも、恩田川散歩は繰り返していた。今週の日曜日などは、2時間半かけて15000歩、10㎞余りを腕を振りふり歩いたくらいだ。次の日体重が増えていてゲンナリしたけれど。

 

 続くかどうか自分でも怪しみながら、恩田川散歩が通常コースでも1時間かかるのに対して、なわ跳びは数分で息があがるから時間パフォーマンスが高そうだし、普段使わないところが痛くなるのも期待大だと思わせる。

 そう言えば、ずいぶん長いこと大地から離れたことがなかったようだ。(スーパーセーブを褒められたおっさんサッカーは、つい最近のことのように思えても、考えてみると20年近く前のこと。あれま。)

 

 うまいこと行って鏡が正視できるようになったら、水泳を復活するのも悪くない。毎週のように泳いでいたころは、少なくとも肥満ではなかったのだ。箪笥で素人向け競泳パンツが待っている。

禅とダヴィンチ              20200519

 

 非常事態宣言で番組製作も滞るのか、再放送が多い。自局製作のドキュメンタリーなどはあまり放映費用がかからずに、しかも人気の高かったものを提供したいだろうから、視聴者側からもありがたい。

 

 最近では、二人の禅僧が主に外国人来訪者に禅を紹介する番組と、レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡を辿るものが面白かった。

 

 興味深いのは、禅僧が言う「西洋人は禅を通じて心の平安であれなんであれ、何かを獲得しようとするが、禅は観察し、捨て去ることを試みるものだ。」という言葉だ。「だから、上がっていくというよりは、下がっていく活動なのだ。」と。

 モナリザの背景について、日本人研究者は「地球創生のころから今に至るまでを地質学をベースに、水の流れで表現したもので、時間の区切りを超えたものではないか」と、解説していた。

 解剖学から戦車の設計まで、あらゆることを考え続けたらしいダヴィンチは、恐ろしいほどの知の集積の頂点にいたのだろう。

 下降と上昇、あるいは沈潜と飛翔と対比してみて、僕はそのどちらを選ぼうかなどと考えたりはしない。ただ、禅の方がだいぶ庶民的に見えてとっかかりは見付けやすそうだ。それでも、試みるまでには覚悟のようなものが足りない。

 

 今考えられるのは、出発点から上と下、真反対に動き始めた軌道は、立っているリングのようにどこかで出会うのか、あるいはただ別の世界を目指すのか、ということくらい。それもまったくわからないけれど。

マッチポンプ              20200511

 

 昨日の雑感を読み返してみて、もう少し具体的に残した方が良いと思ったので連日。

 

 マッチポンプというのは、その通り自分で火を付けて次は消化に回って(時にヒーローになるという)自己顕示欲を満たすという意味でつかわれるように思う。

 

 以前から日本の労働生産性が先進国では最低ラインと聞いていて、勤勉なのになあ、と思っていた。それが、今回の事態でテレワークなどが模索されて、一部の現場では存在感の高かった人物がテレワークでは消えてしまった、という少し意地悪な記事なども目にした。

 思い出す。「何とか通すようにするが、繰り返し言うようにこれではわかりにくい。もう一度。」「小グループを作って、検討結果をまとめてはどうか。」有難いアドバイスだったり、面倒臭かったり。

 起案者と決裁者が直接話せばいいのに。(僕の知る限り、日本の多くの決裁者は会議をこよなく愛している)

 

 つまり、テレワークで消えてしまった人は、善意のマッチポンプの人ではないか。誰しも、業績は至上だと仮定しても居場所が最大の関心事なのだ。

 

「(やみくもな)努力は人生を豊かにしない」

「8時間労働は産業革命時の最低限ルール、なぜ残っている」

 

 こんなタイトルの記事を読む機会が増えて、僕なりに思った。働き方再考の絶好の機会ではないかと。

 もちろんそれは、効率性を上げてもっと飛躍すべきだということを意味しない。

 不要なことをあぶりだして、もっと早く帰宅しよう、ということなのだ。そう言いながら、僕自身は少しでも早くそこに辿り着きたいと思ったりする。通勤はないけれど。

働き方                 20200510

 

 結局、瀬戸内海へは岡山廻りで新幹線で行った。8:00の、町田から新横浜までの横浜線は乗客がまばらとは言えそれなりにあったものの、新幹線は僕の乗った車両では計3人だった。

 もっとすごいのは、新岡山港と島を結ぶフェリーの客数で、甲板を除いたキャビンだけでも300人定員なのに、僕ひとり。

 一緒に乗船した巨大なトラックが3台はあったけれど、ドライバーはどこに行ってしまったのか。

 貸し切りと喜ぶ気持ちにはなれなくて、居心地が悪かった。

 

 収穫は、レンタカーを18:00に返しきれなかったから泊まった岡山駅そばで、お店も見当たらないからイオンで買った刺身が「すこぶるつき」においしかったこと。和食の高級店など縁がないから客観的評価は難しいけれど、すこぶる満足。笑

 建て主は、横浜から瀬戸内海に移住された方で、これから子育てと言う若いご夫婦。

 そのことと、町田から瀬戸内海を往復する間に感じたことを残しておこうと思った。

 

 少し遡って企業に所属していた10年ほど前のあるとき、青山通りと骨董通りの交差点を見下ろす店で、社長と昼ごはんを食べることになった。

 心地よい話題を提供するという気分ではなかったので、思ったことをそのまま口にした。

「ここから見える人々全員の行先に目的があるとは信じがたいし、それがあるなら奇跡と思われませんか?」

 当たり前だけれど、やんわり無視されて、きっと「変な奴だ」、とスタンプされただろう。

 

 なぜそんなことを言い出したかというと、そのしばらく前から、ITの進展に伴う情報量の増加が目的を超えているという皮膚感があって、そんな話題の時には「ラッパの先端のように級数的に拡大して壁に当るのではないか」・・・などと話していたからだ。

 

 いうまでもなくコロナ禍を予兆した訳ではない。

 

 建設が進められている新居で瀬戸内海を眺めて、僕ひとりの新幹線車両から「727」の看板を見ていて、だれより僕自身のことだけれど、今一度「目的」を考えた方が良い、と思った。 

(727は新幹線開通直後から田畑に看板を立てていて、当初はCOSMETICSという表記も無かったからみんなワクワクしていたと思う。)

瀬戸内海                20200506

 

 現場のある瀬戸内海の島に、明後日出かけることになった。

 コロナが少しでも収まってからという希望もあったけれど、僕に責任のあることでもあるので先方の気持ちは大事だ。

 

 少し調べてみると、普段よりは航空券が安いようで、以前に四国突然出張で浴びた衝撃は避けられそうだ。(普段なら1泊で4万円程度だったのが、9万円だったのだ。予約が1週間前かどうかという違いで・・)

 

 直島と豊島をゆっくり訪ねたときのとても良い印象があるから、せっかくだからそれをもう一度、と考えても何日も一人でうろうろする気持ちにもなれないので先送りする。厳しい視線があるかもしれないし。

 

 愛知と静岡の県境のプロジェクトでも、コロナの影響は色濃くて、先行きが見えない。他でもオリンピック関連では混乱の極みだ。

 ただ、僕の仕事はスパンが長いので、飲食店などの人とは当面の切迫感は違うだろう。自分の家族以外、従業員の生活を心配をすることもないので。

 それでも思う。みなさん相当にきついだろうなあ、そして近い将来の自分を。

疲れ夢                 20200501

 

 「夢」という字を掲げると違和感があって、「ドリーム」と言い直しても何か良いことのように見える。そうではないからと探しても「悪夢」というほどでない睡眠中の夢はなんと呼ぶのだろう。

 と考えて、「疲れ夢」にした。(^^)

 

 1週間ほど前に見た夢は、10人ほどのお客さんを案内しているもので、「人は浮かべるんですよ」と言って、背丈ほどの高さにウルトラマンのように浮揚してみせた。コツを掴んだように思えたから、そのあと調子に乗って20mくらいまであがった。どこにどのように力を入れて集中したらよいか、生々しい記憶があるのが不思議だ。

 この夢は浮かべない現実に少しだけ落胆するものの、楽しい夢だ。

 

 今朝の夢は、孫二人が出てくるのは嬉しいけれど、なぜか皆で工事現場に居て、危ないところから孫を遠ざけようと走り回って疲れた。

 起きたときにぐったりするほど。

 

 加えて、非常に不安定な足場で数十メートルの高さを行き来して、一度は戻ることをあきらめそうになったり、なぜか海水面ぎりぎりに立っていて、どのように陸に帰ったらよいか途方に暮れたりした。ほんと疲れる。

 

 一番印象的だった夢は若いころのもので、僕が犯罪者なのか追っ手が悪党なのかわからないけれど、ひたすら逃げるというもの。やむを得ずに森から草原に走り出したとき、懸命に走っているのに地面がスローモーションのようにしか流れなかった。追っ手は馬に乗っている。

 最後は自宅の駐車スペースに追い詰められて、機関銃で撃たれた。ブスブスと銃弾を浴びるのに、痛くなかったのが不思議だ。

 

 トイレを探す夢もあって、大抵何かが阻むのだけれど、うまく見つかって目的を遂げても現実に支障がない、というのも不思議だ。

 

 椅子に膝を抱えて眠っていたとき、かかとが滑ってその衝撃で目覚めたことがある。

 その時の夢は登山に失敗するというものだったけれど、その登山の前に膨大な準備があった。かかとが滑ったのと同時に小説一遍を作り上げたのか。

 

 杜子春は、浦島太郎は、。夢は面白い。

美術と日常               20200430

 

 原田マハさんの「デトロイト美術館の奇跡」を読んで、その登場人物が著者の想像から生まれた人だとしても、美術と僕のような人間との関わり方について勉強する機会を与えてくれたと思った。

 

 かつて、アメリカの自動車の街として隆盛を極めたものの、成長が下降線をたどることになって、ついに財政破綻するデトロイト市。

 物語は、市有財産を少しでも現金化して、市に貢献した退職者の年金資金に充当したいという考えと、美術館のコレクションの散逸は文化にも破綻が及ぶ、という考えが拮抗する。

 

 著者が巻末に明かすように、魅力的な登場人物は、富豪でコレクションを美術館に寄贈したタナヒル氏のほかは、多くのインタビューから昇華させたキャラクターだという。

 

 そのタナヒル氏のエピソードは、史実と推測されてとても興味深いし、なにより、絵画を大切で守るべき友人だとする一般市民の発言が、この小説のメッセージだ。

 表明することが少し恥ずかしいけれど、アートに触れる時、「好き、嫌い」があっても同時に「理解できる、理解できない」という躊躇と葛藤がある。

 

 そうした緊張や照れもあって、アートを向こう側の世界のもの、とする人も僕に限らず少なくないだろう。

 

 デトロイト美術館には「友人(愛する作品)が大勢居る」、という登場人物の話は、とても示唆に富むし、やすらぎをも与えてくれる。

 

 僕はまだ、競争から離れられる年齢ではないけれど、年相応のゆとり、もしくは視座が必要だと思った。それに、ほんとうは若い人がそうすることで、ずっと豊かになれる可能性も感じる。

㎜ワールド               20200427

 

 振込みもあって、町田商店街に出かけた。

 今日はちょっと歩いてみようかと思って、相模大野駅のラーメン店を目標にした。開店の可能性は五分五分だとは思っていたものの、建物ごと臨時休業という張り紙を見て、まあそうだろうなあと少しだけがっかり。

 

 その後、歩いて来た道をそのまま帰るのがつまらないので、横浜線の隣駅になる古淵をまわって帰ることにした。

 ただのんびり歩いていたら、小さな花が住宅街のそこここにあることに気付いた。目標も時間設定も無い散歩だったから、スマートフォンのカメラを向けてみる。

 そこには世界があった。

 

 観察できる人はとっくに知っている世界だとも思うけれど、「ああ、太陽はそこかしこにあるのだなあ」などと感慨にふけってしまった。(^^)

 何歩歩いたかを楽しみにしていたのに、写真を撮りすぎてスマートフォンが真っ暗になって結果がないのが残念。十数キロは歩いたはずなのに。

 

 そうは言ってもスマートフォンのカメラはきれいに撮ってくれる。良い一日になった。

床屋の記憶               20200426

 

 「海の見える理髪店」をとても楽しく読んだ。ストーリーには触れない事として、髪を切ってもらうときの身体感が蘇ってきて、それはかなり濃密な印象を残していたのだと驚いた。

 

 僕の住んでいる玉川学園には覚えている限り4軒の床屋さんがあって、4~5席がある大きな「タカハシ」、なぜか1軒を挟んで並んでいる「・・・」と「モンド」、そして駅から遠い「ガクエン」。

 

 父が行っていたせいだったか、「・・・」にしばらく続けて行っていた。この床屋さんは、あまり機敏には動かない体の事情があるらしい小柄なおじいさんで、そのことと呼応するようにひたすら客扱いが丁寧だった。

 洗髪や髭剃りはもちろん、マッサージも巧みだったけれど、小説の主人公同様、人生の先輩からそうした施術を受けることに小さなためらいもあった。ある時から洗髪は奥さんに代わって、この方はご主人とは真逆の客扱いだった。そのうち息子さんが並んで立つようになり、彼は母親の遺伝が強かったらしく、僕は足を運ばなくなった。

 

 その後、車で行かれる店などに通ったものの、ある日、なかなか時間が取れないなか自分で切ってみたら、思いのほか上手くいった。「これでいいや」と思って数回の後、鏡に映っているところはまだしも、後ろから見るとまずいんじゃないか、と妻が手を出してくれた。それからすぐに全部を頼んで30年。・・・。

 

 以来、床屋さんにお世話になったのは一度だけ。それも、コストパフォーマンス最重視の店舗だったから何の満足もなくて、床屋さんという存在を忘れていた。

 

「海の見える理髪店」のような床屋さんがあるのなら、少々高額でも遠くても、妻と一緒にぜひ行ってみたい。

非常事態宣言下             20200424

 

 1週間ほど前に、4月23日木曜日に現場で打合せをしたい、という連絡が入っていた。

 こんな時期に電車に乗りたくないし、打合せは今で無ければいけないのか、と思ったけれど、無理を押して通勤している人も少なくないし、現場という外環境らしいということで承諾した。

 本当は車で行こうとしたものの、ルート検索すると所要時間が1時間10分~3時間と出て、町田と都心の車の流れがいかに不安定かを思い知る。

 多分最短に近い結果になると予想しても、遅刻を避けようとすれば1時間は早めに出ざるを得ない。で、電車にした。

 

 上の左側は池袋駅ホーム(埼京線)。ほんと池袋駅!!

 右側は現場解体工事の最中のようす。社宅らしき集合住宅が断面になっている。

 打合せは解体時の仮りの事務所らしく、小さなプレファブにすし詰めとなった。まあ、短い時間だったし窓開け放しだったから忘れよう。

 

 思わぬ副産物は、新宿駅の改札内書店で文庫本を買えたこと。書店は自粛要請外らしいことに今日気付いたけれど、昨日は本屋さんに行かれないと思い込んでいたのでそれなりに幸せな気分で3冊購入した。

 夏目漱石の「こころ」は、370円だ。

 夜はもやし入り回鍋肉を作った。それとは別に、厚めの豚肉を焼いてマスタード和えにしたのが美味しかった。満足だ。

人という字               20200421

 

 台湾、ドイツ、ニュージーランド、ベルギー、・・・今回のコロナ禍で国民から高い支持を受けている政権代表には、とても女性が多い。それを肯定的に報道する内容だとしても、見ているととても堂々として落ち着きがあるように感じられる。

 威圧もはぐらかしも無さそうだ。

 対して男性代表たちの多くは、なんとも収まりが悪い。

 少し話は飛んで、以前購入した「103歳になってわかったこと 篠田桃紅著」をまた取り出した。

 そこには、「一人であることの善悪は知らないけれど、私は自然とそうなったし他であろうと思わない」ということが繰り返し述べられる。

 大英博物館やグッゲンハイム美術館、皇居などに作品が収蔵されている美術家に、自分を引き比べるつもりはないけれど、心構えという点で近づきたいなあと思う。それができてこそ、家族とも仲間とも仕事ともより深く関われると感じるからだ。

 著者篠田桃紅氏は、本の前半で「人」という字の由来に触れる。僕達も小学校で教えられたように、支え合う姿だという解説があってもよいけれど、本来はひとり立つ人の姿だ、と指摘する。

 

 上の写真はずいぶん前に編纂された、漢字の成り立ちを膨大な資料収集の上に解説した辞書。

 

 さすがに「支え合う姿」などと言える年齢ではなくなった。というか、それはせいぜい義務教育の間ではないか。

アーノルド               20200414

 

 最近、午前や昼のワイドショーでコロナ禍の報道を見続けていて、だんだん大変なことになってきている様子が感じられる。

 それは、未曽有の危機という可能性と、サーズのように記憶があいまいな程度にやり過ごせる可能性の両方がまだありそうだ。

 

 そうした客観的な情勢分析は専門家に頼るしかなさそうだけれど、ちょっと考えてみたら日本という国は、これからの蔓延が憂慮されるアフリカなどに手を差し伸べられたら、という状況だとも思う。

 

 最近ふれた、高校時代の友人夫妻の古本市で購入した漫画を思い出した。「アーノルド」というタイトルで、大変に面白かった。

 どうして処分してしまったのか判然としないけれど、強烈だったので記憶から消えることはない。

 とても明るい空気が支配している漫画で、それでもちょっと悲しみも含んでいる。

 確か、ロボットが南の島で打ちひしがれている場面があった。それを思い出して落書きをしてみた。日本はコロナ禍で躓いたのだろうけれど、環境はやはり恵まれているのかと思う。

日々                  20200413

 

 今朝いつものように体重を測ったら、少し減っていた。(^^)

 食事の支度は好きな方だけれど、余裕がなくて長い時期遠ざかっていた。

 この朝食ではパンが1/2に見えても、実際はレタスなどの下に1枚あって、それはマーガリンとマスタードを薄く丁寧に塗ったのがとても良かった。(^^)

 昼食。白米消費が少ない我が家で、珍しくたくあんと高菜、鮭フレークなど出してみる。それぞれ、巣ごもり用で1週間前に買い求めたものについ手を出した。

 妻が前の晩につくった豚汁とシシャモが美味しい。写真としてはカエル。気付いていただけたか。

 散歩に出る。

 いつもの恩田川遊歩道は子供連れの人たちと老夫婦がそれなりの数だ。

 たまに通る小田急線のロマンスカーが来る予感がしたのに取り損なって、帰りにもう一度待ってみたら来た。

 夕食。キーマカレー。

 いい歳してと思いながらも言いたいのは、トッピングの半熟玉子が空飛ぶ天使なこと。(^^)お皿左上の、玉葱スライスを塩絞りした付け合わせは推薦したい。人参とアスパラ、小さくしたベーコンをマヨネーズで炒めて、芽キャベツを最後に加えたのは技ありではないか。笑

 恩田川散歩に出たら、前日と同じ時間だったことに気付いたので数分待っていたらオレンジ色の逃したやつが来た。

 ちょっとシャッターが遅かったけれど、スマートフォンのそうした調整がよくわからない。誰も乗っていないように見える。

 今朝の朝食。これがいつも。

 白米やパンは二日に一回くらいで、目玉焼きかスクランブルが多い。

 妻の方針で、コップ1㎝弱の酢を足したトマトジュースを飲んで、豆乳と紙ドリップコーヒーがしばらく前から習慣になった。

少年野球                20200409

 

 50年も前になることだけれど、記念ボールを前にしてとても懐かしく思い出した。

 左の写真、左のボールはリトルリーグの町田チームに選抜されたときの記念。町田全域から腕自慢が200人集まっての、10倍程度の採用率だったので嬉しかったし誇らしかった。

 やや見苦しいかと思いながら自慢したいのは、その合格者20人ほどの中で、小学校低学年から形成されていたトップチームに合流して定着したのは2人だけだったことだ。

 

 左の写真右側のボールは、リトルリーグ世界選手権・日本予選関東大会3位の記念。準決勝で全国制覇を果たした調布に、2-3で負けたのだった。調布はフィリピンだったかに遠征して準優勝だったように思う。

 

 ボールの撮り方は、片桐さんの名前が見えるように配置したもの。片桐さんはチーム卒業後に接触が無いので一方的な親近感だけれど、桜美林高校が夏の甲子園で優勝したときのキャプテンで、その後長く桜美林高校野球部の監督を務められた。

 右側の写真は同じ関東大会のボールで、反対側のもの。

 控えめに見える齊藤という名前は、齊藤直也君のもので、東海大相模でサード原辰徳、ショート齊藤直也で全試合を戦い、翌年は200人超の野球部で原辰徳からキャプテンを引き継いだ選手だ。

 

 僕の在籍したチームからは、6人が桜美林と東海大相模に請われて進んだと聞く。片さん、直也君、渋谷さん、菊ちゃん、ニクソン、きんちゃん。(リトルリーグ公式戦で完全試合を達成したピッチャーきんちゃんは中でも出色の逸材と言われたけれど、怪我に苦しんだらしい、他の選手は全員甲子園だ)

 

 さて、自慢しながらも少しつらいのは自分の不運だ。

 受かって当然というくらい、幼い僕は自信に満ちていたのに、練習を重ねるにつれて、直也くんとの違いは悲劇的な現実を突きつけてきた。僕は調子が良いと先発で2番に入り、直也君が3番、渋谷さんが4番で片さんが5番。調子が悪いとコーチャースボックススタート。

 少年野球であっても、上位チームはかなりの緊張感を持って臨んでいたから、僕の打席と彼の打席では気配が圧倒的に違ってくる。

なにより、自分が一番それを感じてしまう。「全然違う」

 プロ野球選手、という野球大好き少年の夢は蒸発した。

 

 それから半世紀、もう一度つらい気持ちを抱える。

 

 コロナ禍で、春の甲子園の中止決定がニュースになった夜、グラウンドでそれを監督から告げられる選手の表情があった。そのまっすぐで美しい瞳に心底驚いた。彼らの中からプロ野球選手が出るのはかなりの希望的観測に違いない。でも、そういうことではないのだ。

家に居て                20200409

 

 少し前のある時期、四国や沖縄、中国工場と遠出が多かった。それはそれで楽しいし、時間がどんどん流れていかにも仕事をしているという気分にもなれて充実していた。

 そんなときは会食や遊興もそれなりにあって、もともとお酒は好きだけれど出歩かない方の自分としては少し意外な気持ちで過ごしてもいた。

 去年の暮れからオリンピックに関係した案件に忙殺されて、しかしいつの間にか中国工場に検査に行く道が閉ざされた。

 

 ときどき呼ばれていた「新規事業について検討したいから説明に来てくれ」という話も間延びして、先週出かけた某不動産会社では「本当は会議自粛を厳命されているのですが」という担当者と人気のない45階応接室階で手短に打合せをした。

 

 振り返ってみると、3月に電車に乗ったのは数えられるほどだ。僕の場合、テレワークにするというより、もともとテレワークなので、すんなり巣ごもりに入った。少しの驚きがあるのは、自宅兼仕事場から出ないことに何の痛痒もないことだ。快適である。

 自分は猫よりは犬系だろうという感じは今も変わらないけれど、行動は家着き系らしい。

 そうだ、前にも記したけれど、5時間同じ姿勢でテレビを見るのが僕の特技だった。因みに、妻によると、僕の義兄弟は大変に活動的で、テレビも立ったまま見ることが多いいそうだ。何という違い。

 写真は、一昨日作った食事といつもの恩田川散歩。

 妻が作っていたきんぴらごぼうを和風パスタにして、サーモンのサラダを添えた。

 クリームのパスタが好きなために、9分のゆで時間を7.5分で切り上げたら、きんぴらと炒め合わせるだけだったので少し硬かった。

 

 東北大震災と福島原発事故のとき、興奮もあってこの雑感に少なくないことを記した。

 後から見てみたら、中途半端な知識で空回りしていて少なからず恥ずかしい。

 だから、今回のコロナ禍では慎みたくなるけれど、言いたがりを少しだけ解除すれば、愛嬌を見せる孫とこれから会えるかも知れない孫たちのために、今回の災難を将来に役立てて欲しいと思う。観察すると、僕なりに改善点は見える気がして、それは「情報開示」と「説明能力」だと思っている。

 

 明日か明後日、野球について雑感を記したい。

 長男が九州支店からこちらに移ってきて、借りたアパートへの引っ越しにともなって僕の少年時代の記念ボールが出てきたのだ。

乞う ご期待。笑

昼と夜の風               20200404

 

 昨日は昼前に一仕事をして、投函したいものがあったからポストに行きがてら近くの恩田川を桜見散歩することにした。

 よく晴れていたけれど、風があって単に穏やかな春というのとは違っていた。

 昼どきだったので何か食べようかと相談していたものの、コロナ禍にわざわざと妻が言うので、テイクアウトの弁当を購入して小山を開いた公園に寄ることにした。

 

 そのコースを言い出したのは妻で、ずいぶん歩く気だなあ、と感心していたのだけれど、どうやらイメージよりは距離があったらしい。「かしの木山自然公園」と名付けられているように、山とは言えなくてもそれなりの標高なのだ。

 帰ってからスマートフォンを見ると12300歩が記録されていた。8㎞くらいだろうか。

 風が吹いていたとはいえ、穏やかな昼を過ごして新型肺炎のニュースを繰り返し見たあと、就寝前の本に久しぶりに上の沢木耕太郎選の短編小説集を開いた。

 

 一度読んでいたとはいえ、読み進めないと記憶があいまいなものが多くて適当に開いてみると、ちょうど(僕に言わせれば)悲惨な物語が3編連続した。

 最後に村上春樹さんの小説でどうやら心の平衡を取り戻す。これだって深刻な内容と思われるけれど、先の3編は本当に壮絶なのだ。

 友人I氏から推薦されてすっかり魅了された「深夜特急」の沢木耕太郎であっても、寝る前に手にとってはいけない。

 こころに暴風が吹きすさぶ。

80年代の曲               20200328

 

 僕の学生時代、二十歳になったころの印象のひとつに、高中正義のブルーラグーンがある。これは僕の個人的なものではなくて、同年代は少なからずうなずくことだろう。

 あらためてこのことを記すのは、自分が20代を超えても、時々反芻していたし、その後インターネットが普及してからはますます

触れることが容易になって「あれは何だったのだろうか?」と思ったりするからだ。

 

 今日、仕事のBGMにYOUTUBEで選んだのはhttps://www.youtube.com/watch?v=qvDf6wOaggg

 好き嫌いとかはそばに置いとおくとして、この気分は何だろうかと思う。

 

 何度か雑感でも記録したように思うけれど、世界は自分の脳の中にしか存在しないのだとすれば、そこにどんな曲目を残すのかは自由であるはずだ。

 客観的な解説などできないとしても、こうした気配は悪くない・んん・・・いいなあ、などと思う。

金運と方位                20200326

 

 占いとか方位は、信じてもいないけれど疎んじてもこなかった。

自分はあまり関係しない前提で、それらを楽しんだり頼りにするひとたちの気持ちは少し理解できる気がするし、偉そうな意味ではなくてほほ笑ましいとも思ってきた。

 触れなかったのはチャンスが無かったからだとも言えて、それが昨年の暮れに小さなことで縁ができた。

 

 仕事の申請をする会社を訪ねたとき、机に金運を呼び込むという2020年のカレンダーが積まれていて、強烈だけれどどこかスッとしている黄色に惹かれてひとつ頂戴した。

 

 黄色を家の西側に配置すると金運に恵まれるというのは聞いていたから、事務所の西側壁に置いた。

 まだ、その霊験にあずかってはいないけれど、今年一年楽しみに頁をめくりたい。

  新型コロナウィルスによる肺炎は世界を未知のところに引っ張り込むようだ。

 それも含めて、安寧と緩やかでよいから発展を願うこのころ。

遺構                   20200314

 

 先日触れた立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」という本は、氏が40年ほど前、40日間に渡ってギリシャとトルコの古代遺跡を訪ねた記録だ。

 有名な遺跡もあるけれど、大半は同行のカメラマン以外人の姿が無いような、人の意識から抜け落ちた遺跡らしい。そこで氏は、

「静かに最低2時間、ぼんやりでも良いからその中に埋没すると、2千年の時間が一続きであることが実感できるだろう」と述べている。だから、遺跡というよりは遺構の方が呼び方としてしっくりくるかも知れないと思う。

 

 僕は同じような経験が無いので、理解したとは言えないけれど、とても大切なヒントをもらった気がした。

 

 以前、視察旅行と称した仕事関連の海外旅行で何度か一緒になった大久保さんという方は、訪ねた町で早朝に散歩に出かけて適当なところで座禅を組むことを楽しみにしていた。

 大久保さんは還暦前後で、30台だった僕は、それを単純な趣味あるいは一種のパフォーマンスと受け止めていたけれど、きっとそれはその場所の観察だったのだろう(一部宇宙との交信?)。

 一般的な海外旅行は、事前にある程度の情報を得て、確認してまわるようなことが少なくないように思う。それに比べて、座禅を組んで目を閉じて、遠くの音や近くの音、人の息遣いや足音、匂い、風、陽差しを体に取り込むことはなんと豊かだろうか。

 その旅行の主催者兼スポンサーは後に一代で東証一部上場を果たすけれど、毎日夕方4時から30分、社長室にこもって瞑想タイムを持っていた。その真意が理解できていなかったことが残念だ。

 

 座禅と言えば、「悟り」とか「解脱」というように、何か凡人には理解しがたい状況を思い浮かべてしまう。でも、その深淵の先はわからないとしても、一日一定時間、遠くの存在に意識を向けてみることは本人を開放するようにも思える。

 きつかった去年一年間を経て、ようやくそんな普通のことに思いが及ぶようになった。

 

 そういえば、僕の好きなヘルマンへッセの「シッダールタ」という小説では、数多の経験を経たシッダールタが最後に川守のところに辿り着いて、川の流れの表情、姿や光、音の中に人生の全てを見出したのだった。僕には遠いけれど。

春が来る                 20200310

 

 左の写真は仕事場で、椅子に座ったまま真上を見上げたもの。

螺旋階段の裏側が見えて、屋上のガラス塔屋を超えて空が少し見える。

 右側の写真は、二日ほどまえに家の近くを歩いたときのもの。桜の一種なのは合っていると思うけれど、開花宣言前だからどうしたものか。

 

 当たり前のようでいて、日光があって空気が風として動いて、あなたがいて僕がいる。いいね。

天路歴程                 20200305

 

 もう5年以上前に、友人夫婦が出店しているひと箱古本市に出かけたときに、勧められて、購入と言うよりはプレゼントしてもらったのがこの本。

 

 全世界では聖書に次いで読まれた本ということらしいのに、宗教に縁のない僕は全く知らなかった。

 一緒に何冊も持ち帰ったので、何となく堅そうなタイトルだし後回しにして読み始めていなかった。

 本のサイズが文庫や新書より少し大きくて、新刊の多くよりは小さいからいつも見えるところにあった。

 

 何日か前、ふと睡眠前に読んでみようと思い立った。初めからだと堅苦しそうなので、ちょうど中間から読み始める。

 面白い。

 最初の著者はしがきと、訳者の解説に戻ってまた面白くなった。

 

 記したように僕は宗教と縁がないけれど、それは敬遠していることとは違う。勉強になると思う。

 ただ、老若男女に向けた教えだから、教会内部のさまざまな絵画と同様に、繰り返されるし言葉が長い。

 でも、英文はすこぶる歯切れが良いらしいし、訳もウィットに富んでいる。

 まだ3分の1程度で、これから少しづつ読み進めるだろう。

 

 これは失礼な意味でないはずだけれど、その安定した文章と寓話は、睡眠前の心の安定にはうってつけなのだ。

 意外と僕は宗教に向いているのかも知れない。

 

 遅ればせながら、Oさんご夫妻ありがとう。もう一度お礼申し上げます。

ピタゴラスの定理             20200225

 

 昨日、妻が運んできた義母が使っていた椅子に寄りかかって目をつぶったとき、何か考えてみようと思って、ピタゴラスの定理の証明を思いついた。

 

 以前に幾何として証明できた記憶があったから、それを思い出そうとしたけれど、難しかった。

 でも、直角三角形というのは大変に特殊なものだから、他の方法でも良いのだろうと考えた。

 しばらく頭の中で直角三角形を動かしていたら、斜辺が構成する正方形(cの2乗)の中に、風車のように元の直角三角形が4枚あることに気付いた。

 

 あとは、(A-B)×(A-B)=A2-2A・B+B2を思い出せばよい。

 ただ、本来ピタゴラスの定理はこのような数式ではない解法が望まれているような気もする。でも、もう忘れない証明方法を獲得した気がしてとても満足した。

 もちろんこの方法を教えられていた可能性を否定するつもりはないけれど、僕自身はゼロから組み立てたつもり。えへん。

こってり                 20200221

 

 「天下一品」というラーメンチェーン店があって、赤坂と水道橋で2回食べたことがある。「こってり」と、確か「さっぱり」というのがあって、こってりは人によってはカルボナーラか、というほど濃厚だ。

 熱狂的なファンと、二度と注文しない、というひとが入り乱れているようで、でも僕は美味しいと思った。

 それでも、次に行くのは少なくとも1年後かなあ。

 

 国道1号、東海道の藤沢の先に「来来亭」というこれも全国展開のお店があって、松山でも入ったことがあるけれどここでは「こってりラーメン」を注文する。

 こちらは名前よりは淡白で、けっこう好きだ。

 

 というあたりが僕のラーメンとの距離感。

 さて、昨日は予定が急遽変わって小田急線相模大野の駅に降りた。

 相模大野は、以前は小田急線下りの最終電車の終点で、酔ってなのか乗り過ごした人が大勢タクシー乗り場に行列を作っていた。それを当て込んで、軽自動車の改造ラーメン屋さんが陣取っていて僕も何度も美味しい思いをした。夏の海の家と深夜の移動ラーメンは限りなくおいしいのだ。特に、相模大野駅のそれは、どの世界に所属するかは不問として、とても清潔にしていて真っ白な足袋をはいていた。

 

 そんな郷愁じみたものを抱えながら、何を食べようかと歩いてみる。駅はずいぶん前に再開発されたし、真昼に移動ラーメン店があるはずもない。

 路面店でこれは、という店を見つけられないまま、駅に隣接する建物の食品階に行ってみることにした。

 

 これはおいしい。!今までひとにラーメン店を勧めた記憶がないけれど、それなのにお勧め!。濃厚が不得手のひと以外。

藍 青 ブルー              20200217

 

 先日、立花隆のギリシャからトルコに至る40日間の旅行記・取材記を購入した。

 本の中にご本人が記しているのだけれど、ご自身一番気に入っている著作らしい。

 ギリシャ神話にはとても多くの神々が登場して、それが織田さんとか徳川さんならなんとかなりそうなものの、みんなカタカナなのでお手上げ状態になる。

 それでも放り出さないのは、著者が極めてリラックスして執筆している様子が楽しげなのと、常に海の匂いがするように思えるからだ。

 

 表紙を見ていて、五木寛之の「海を見ていたジョニー」を思い出した。続いてマティスが頭に浮かぶ。検索すると、だいぶ印象の違うマティスがあった。

「青は藍より出でて藍より青し」という言葉に中学生のころ触れて、自分の中に藍と青とどちらが美しいかという葛藤が生じた。

 

 磨き上げた、という意味では青に軍配が上がるだろうか。ただ、海は限りなく藍い。

 ギリシャもイタリアも、トルコもブラジルもフランスも、もちろん日本も海が身近だ。だから、あえて反語的な気分で「ロシア、ブルー」と検索してみた。

 すると、上の写真の猫が出てきた。蒼いねこ。

守護神的友人(妄想)            20200215

 彼(守護神的妄想友人)はある日やって来た。

 やって来た、と言っても自分で描いたのだからあまりそこを強調すると本当に変な人間に思われかねない。

 

深夜。

仕事場で背中にある螺旋階段の支柱に、ふとマジックペンを走らせたのがこの絵。落書き。

 

 気に入っているのは、何か話そうと思いながら、でも沈黙を守っているように見える表情。(と、僕には見える)

 

 僕はこのとき、どこかに何かを問いかけようとして描いた記憶がある。答えを期待して描いたからこんな顔になったのか。

 少し補足すると、この落書きをしたのは左の図の下の方、赤い注釈をつけたところ。

 

 地下から屋上まで、大げさに言うと4層を螺旋階段で行き来するとその室温変化が面白い。冬の地下は寒い。

多くの時間、遊牧民のように(笑)あちこちの部屋でパソコンを開くけれど、守護神的妄想友人はそこに居て、ときどき見つめ合う。

みかんと遊ぶ               20200213

 ちょっとした心機一転。

 僕が使っているHPサイトは、以前は1ページに掲載できるアイテムが200と限られていたのだけれど、しばらく前からその枠が拡大したらしい。

 だから、いつまで経っても2018から進めなかった。

 

 そこで、気分転換に自らページを更新することにした。

 

 きっとアイデアも枯渇しているし、なかなか時間も取りにくい近頃だけれど、楽しみたい。