雑感

(設計とは別に思ったこと)

聴衆と自分                   20140427

 

 今日は勤める会社のイベントがあって、少しの時間、百数十名くらいのお客様の前で話をする機会を得た。

 目立ちたい欲求は人並みにあるけれど、人前で話すのが得意でない僕は、「プレゼンしますか?」と聞かれたとき、迷いながらも「お願いします」と答えた。それが二か月前。これまでにも何度かそうした機会を与えてもらったし。

 

 前日深夜に準備を終えて、会場の目立たない片隅で小さな予行演習をした。

 

 緊張というのは持続しないことを知る年齢だから、檀上に立った時は冷静とは違った静かな心境だったりする。そこで発見した。

 

 お客様がそこに座っている動機が、手に取るように透けて、浮かび上がって見えてしまうように思う。

 大げさに言えば、社会との向き合い方も推測できるのではないかと・・・

 

 そして、今までの、聴衆としての自分がどんなだったかを思い返しながら、反省を始めた。

再会                       20140419

 

 2年点検に同行したのだから、再会と言うのは違うのだろうけれど、今日訪ねたご夫婦はそのように迎えてくださった。

 

 最近、何か物足りないと思いながらいたのは、海と距離が不足していたのだと気付く。

 

 ずっと逗子駅が行動範囲だったのに、もう2年遠ざかっている。それに、栃木と水戸の現場に通っていた去年と違って、今年は電車で1時間余りのところばかりで、体は楽だけれど何か刺激が不足している。

 不平を言う内容ではないけれど、長距離移動が何か活性化に役立っていたと思う。

 

 車で過ごす時間は、渋滞でなければ、浄化作用があるのだ、きっと。

誕生日                      20140413

 

 今日は僕の誕生日、いまさら誕生日でもないけれど、で、55歳になった。

 うっかり忘れるところだったのに、自覚したのは長女がメールをくれたからだ。

 しばらくフェイスブックを開いてなくて、でもひょっとしたらと思って開けてみると、何人かの友達がメッセージをくれていた。

 

 嬉しくて返信した。

 

 昨日の土曜日、九州支店に配属された長男が飛び立った。5月かと思っていたけれど、意外と早くて少し慌ただしかったような。

 

 早朝、(妻が運転する)車に乗ったところを見送ると、あまり見せたことのないような晴れ晴れしい笑顔をしやがった。 

ぐっときた                              20140411

 イタリア人デザイナー、ヴィットリ氏が考案した空気から水を得る装置。

 エチオピアのために開発されたそうだけれど、まだ建設には至っていないので、写真はイメージだと思われる。

 

 そして、ヴィットリ氏が制作に携わった動画がユーチューブにあった

 ぐっとくる。

メヒコ                                 20140410

 

 CDを聴こうと思って眺めたら、「メキシコ音楽の地平」という薄い背中のタイトルが目に入った。

 自分で買ったのは覚えているけれど、どうしてこれを選んだのかは定かでなくて、聞いた記憶も少ししかない。多くない所有CDだから、そんなイレギュラーも良いかと思って聞いてみる。

 

 映像を伴った民族音楽はそれはそれで楽しいけれど、音だけで小さく聞いてみると、異国でラジオを聴いているようで楽しい。

ルビーの王様                   20140406

 

 ひょんなことから、「ムーミンを読む」(冨原眞弓著 ちくま文庫)を購入して、今二回目を読んでいる。

 

 トーベ・ヤンソンが著したムーミン世界を俯瞰した解読書で、むかし、アニメのストーリーだけを楽しんでいた僕に、作者のメッセージを明確化してくれる楽しい本だ。そのひとつ、飛行おにのエピソード。

 

 世界の果てでルビーに囲まれて暮らしている飛行おには、しかしまだ「ルビーの王様」(豹の頭ほどある)だけは手に入れていない。探して冥王星まで行ったし、月のクレーターをひとつひとつ覗いても見つからなかったのに、ある日ムーミン谷でそれを見つけた。飛行おには、宝物との交換を申し出る。

 

 所有者のトフスランとビフスランは断って、魔法で出したら良いのに・・・と考える。しかし、飛行おにが他人の望みを叶えることと変身することだけが出来ることを知って、こう言う。

 「じゃあ、私たちの願いを言うわ。ルビーの王様と同じくらい大きいルビーの女王を出して。」

 そのルビーをプレゼントされた飛行おには、最高の笑顔で微笑む。・・・という温かいストーリー。

 そして、冨原さんはこう記す。

 

「一番大切なものは自分では得られず、常に他人から与えられる」

 

 うーーーーーん、と思った。

 ムーミン谷の物語は、児童書であるのと同時に、「幸福を追求する本」でもあったのだ。そうして見てみると、そこには常に「出会い」と「葛藤」があって、「共生」へと導かれていることに気付かされる。

さわひらき展                             20140331

 

 昨日の日曜日、9時からの打合せが予定の2時を前に終了した。雨天ながら桜を見に行ってみようかと妻と相談していたものの、風雨が強いので見送ることにする。

 そうした連絡の後、お腹がすいていることに気付いて店に入った。食べている時、展覧会のことを思い出したので検索してみる。数週間前、午後の代替休暇をとって勇んで出かけたのに、うっかり月曜日で見られなかった展覧会だ。

 

 検索の結果、昨日が最終日だった。だから今日現在では終わってしまった展覧会で、それを「よかった」というのも情報としてはどうかと思うけれど、やっぱりとても魅力的だったので記したい。

 

 

『Under The Box, Beyond The Bounds』 さわ ひらき 

東京オペラシティーアートギャラリー(~2014. 3. 30)

 印象を手短かに言うと、自分の固有の好みと思っていたものを目の前に広げてもらった感じだ。だからとても驚いた。

 直観的に思ったのは、数十年という時間の蓄積も、数分間の覚醒も、ありがたみの質量としては等しいのかも知れない・・・というようなもので、作者の意図に近いかどうかを別として、とても刺激的・示唆的な展覧会だった。

 もう少し平らに言えば、死ぬことはもったいなくないのでは、と勇気づけられるような直観。僕らの住む時間と空間が、味わいつくせないほど豊かで広がりを持っていて、そこに確かに存在したという事実。量は問題ではないのではないか。

 

 少しオーバーかも知れないけれど、そんな風に感激して会場を歩いていた。あるいは床に座って眺めていた。

 同じように我を忘れた観客はたくさん居て、ドガ展の「踊り子」の絵の前と、豊島美術館で声を失った人々を思い出した。

 

 さわひらきさんは映像作家らしいけれど、小さなドローイングでも的を射抜かれてしまった。ああすごい。

棟上げ                                20140329

 

 昨日は棟上げがあって、最近では珍しく建築主が会食の場を作ってくださった。招いていただいたのは棟梁をはじめ10名で、現場の近くのお店の二階座敷が貸切りになった。

 

 僕は建築主のエピソードや、設計をまとめる中での建築主の考えなどを少し披露する。工務店の社長が家作りへの情熱を語って、棟梁や職方も自身の経験を楽しく紹介してくれた。

 

 和やかに楽しくあっという間に2時間が過ぎたのだけれど、会の前と後で皆がまったく違った顔になったのを見て、こうした機会がいかに大切かをあらためて感じることになった。

 

 「想い」を持ち寄らないと成立しない式だけれど、幸いにも僕の知っている工務店はみなそれを持っているのだから、これからは建築主に勧めることにしよう。「作る」ことはとても力強いことだ。

N43                                  20140323

 

 僕にとって、その札幌(?)のバーを記憶に繋ぎ止めるのはみっつの要素だ。

 一つは店の名がN43かその数字近辺だったこと(緯度が由来だったと思う)。それから、函館本線を北向きの崖下海岸縁に望んでいたこと。あとは、千歳空港に着いて、他は札幌と小樽にしか行っていないので、その近辺なこと。

 

 連れて行ってくれた仲間があるのだから、メール一つでそのあいまいな記憶は整理できる。でも、あんまり魅力的なバーだったので現実に引き戻したくないという気持ちがあって、何度もインターネットで検索してみたけれど、既に店を閉じているのでこれはという情報に行き当たらない。

 

 そのバーはこんな様子だった。

 

 客席が無いばかりかテーブルも無い。あるのは絨毯の床とコンクリート天井までの全面ガラスのみ。

 客はみな、通路からガラスに向かって二段降りた床に、備え付けられたクッションだけを頼りに身を横たえる。(砂浜にいるように)

 二人連れしか想定されていなくて、その二人が寝そべるであろうその中央に、蝋燭が据えられた高さ10㎝ほどの錫の円筒が置かれている。その円筒にはガラスに向かって5㎜ほどのスリットが切られている。

 

 店のスタッフはどこまでも静かで、小さく鳴っているBGMが耳を澄ませてようやく確認できるほどだ。そのスタッフが蝋燭に火をつけてくれると、錫のスリットを通した灯りが床にゆらめいて、それは音楽とかまじないのように、思考を断絶する力を持っていた。

 高さ2.5m、幅10mほどのガラス面に見えるのは、闇に浮かび上がった桜の老木一本。

 目を凝らすと、遥か遠くは海らしくて、その間に一切の灯りがない。それだけ。

 

 函館本線を、その当時走っていたSLが最終を迎えると、バーも閉店なのだと聞いた。

 

 そのバーを作らせたオーナーは、キャバレーチェーンで成功したらしい人物で、もともとの計画通り、そのバーは自宅に戻された。再開を希む声が多かったけれど、そんな新情報はないままで、今はどんなふうに使われているのだろう。僕は夢でもう一度行きたいと願うばかりだけれど。

字統2                                 20140322

 

 先日少し触れた春夏秋冬の字源について。

 久し振りに外出のない今日、朝からお餅を食べたので昼は簡単にした。オリーブとタバスコとチーズ、好きなものを三つ合わせても三倍にはならないけれど、満足。

 

 春夏秋冬が絵葉書のようだと思ったのは、大外れではないけれど正解でもなかった。

 

 春は、陽光のもと草木が伸びるのに力をためている様子

 夏は、大柄な男性が威容を誇る踊りを踊るさま

 秋がずいぶん違って、収穫を左右する季節に害虫を焼くために火が付けられているそうな

 冬は、雪と寒風のように見えるけれど、収穫物を結えたさま

 ただし、元来は糸の最終部を結んだ象形で、季節の終わりを示しているとも

 

 最後の写真は妻が友人たちと生田の民家園に出かけて作ってきた虫。

 

 今日明日はひたすら製図。でも、時間がゆったりしているので一安心。札幌のバーについて明日記したい。

(写真は白川静 著・編纂 普及版 字統 平凡社)

ましょ                                 20140321

 

 まだメールは開通されていないけれど、ようやく新しいパソコンが起動できた。

 何をするにも、タブレットでは大変時間がかかるので嬉しい。

 

 数日前、いつもより1時間早く起きなければならない朝、布団でごそごそしていると頭の中で「雛祭り」の歌が繰り返されていた。

 3月だから不思議でもないようで、だんだん雛祭りを控えた少女の心持ちに近づいたような気がしてくる。

 

 灯りをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花・・・・・

 

 それは可愛らしい幸福感で、僕は半ば夢の中でその末席に身を置いてみる。

 そうしている内に、その幸福感がどこから来るのか気になりだして、変わらず半覚醒のままで出した結論は「ましょ」の不思議な力だった。

 

 女性が花を育てるのを、不思議な思いで見ている。

 見るのは好きだけれど、育てるにはやたらと手間がかかりそうだ。水をやるにも、僕だったら「水をやらなきゃ」「水をやらねば」と思って、きっと三日で負担になってくる。それを苦にもせずとは・・・。気付いたのは、「水をやりましょ」なのかということだった。

 

 ちょっと話が飛躍するけれど、ブルガリアの女性コーラスが好きで、そんな番組を見ていたら過剰に可愛い民族衣装のおばあちゃんたちが、寄合で編み物をしながら歌っていた。

 それを思い起こすと、「集まりましょ」「編み物しましょ」「歌いましょ」、の連続だった。

 

 おそらく、ましょ、は日常生活では幼児語やままごとことばに近いように思う。だから、男性に、ましょ、はもちろん無い。「よう」は近いけれど少し違う。

 

 小さいかも知れないけれど、本日現在大きな発見に思えている。

花粉症                                20140313

 

 ここのところ土日が無いままに何週間もが過ぎている。忙しいのはありがたいことだけれど、少し休みたい。

 

 先日「いつ風邪をひいたのだろう?」と思っていたのは、どうやら花粉症らしい。

 毎年のように、ついに発症した、と宣言しながらその後変化が無くて有言不実行でいたのが解消されたようだ。

 

 アレルギーということにあまり縁がなかったけれど、やっと現代人になったということか。

 できれば軽く早く過ぎ去って欲しい。

 

 前回記した春夏秋冬の字源は、僕の想像とはずいぶん違ったものだった。今度訂正しよう。

字統                                  20140305

 

 字を思い出そうとして頭の中に 「のぎへん」 を書いたら、目的とは違って 「秋」 が出てきた。

 秋は 「火」 なんだと思った瞬間、JR東海の 「そうだ、京都に行こう」 シリーズの秋編を思い出す。そうか、秋は散りゆくものではなくて燃えるものなのか。

 

 ずいぶん前に購入した 「字統」 という、文字の由来を記した分厚い辞典を調べてみよう。この辞典は象形文字の原始が知りたくて買ったのだけれど、期待よりは象形文字が少なくて、形声文字ばかりなので手に取らなくなっていた。それでも、

 

 春  夏  秋  冬

 

 と並べてみると、絵葉書を見ているようだ。

3月                                  20140228

 

 今日、午前中は代替休暇を取ったので、昼前に家を出た。

 家の前に作った雪の猿が30㎝ほどの名残になっていて、それ以外には雪が見当たらずに暖かい。昨日は冷たくて高湿度だったのに、柔らかくて少し寝惚けた空気が春のようだ。

 

 ヨーロッパチャンピオンズリーグの、シャルケVSレアルマドリード戦を見た長男が今日の夜帰ってくる。短い旅行だったけれど、帰ってくる日が春になっているのは良いと思ったら、天気予報では明日からまた冬に戻ってしまうらしい。

 

 内田選手をあのスタジアムで見られなかったのは残念だとしても、大きくて硬質なドイツの大群衆の中に身を置いたのは、素晴らしい経験になっただろう。

 僕も行きたかった。

ファラデー                                                         20140224

 

 本屋に寄って文庫本の棚を見ていたら、「ろうそくの科学」を見つけた。

 なぜ、蝋燭はゆらゆらと静かに燃え続けるのか・・・芯のまわりでどんな調和が響きあっているのか・・・子ども読者、聴講者を対象にゆっくり話が進んでいく。

 

 読むうち、札幌の小高い丘の上にあったバーを思い出した。

 今度ゆっくり記すとして、(前にも少し触れた記憶があるけれど)蝋燭はこんなに魅力的なんだとあらためて感心するばかり。

 

 「見る」ことがもっと上手になれれば。

雪掻き                                20140216

 

 先週の日曜日に引き続いて、また大雪だった。雪国では首都圏の混乱がどのように見えるのかとは思うけれど、電車などが停まってしまう面倒くささはまた逆に想像してもらいにくいだろうとも思う。

 

 そばに花が無いのにどうしてここに、というように氷化した雪の上に可愛らしいものを発見して、汗をかいて雪掻きして、なんだか楽しくなって猿も作った。妻と雪を相手に悪戦苦闘するうち、隣に住む幼馴染もシャベルを片手に出てきて、古い住宅地で僕たちは若手のようでもあるから、ついつい何軒も先まで道を作ってしまった。

 

 明朝の体脂肪率が楽しみだ。

嶋田洋書                               20140212

 

 南青山のショールームに行ったついでに、久し振りに嶋田洋書に寄ってみた。

 

 この洋書専門店は、青山通りから南東側に入った住宅地の中にあって、狭い道のさらに奥に入ったところにあるので目的にしないと到達しにくい。

 それでも、アプローチとなる行き止まり通路は、取り囲む建物と一体的に開発されているので、そうしたことに興味のある人は吸い寄せられるかも知れない。

 

 誰かに勧めてみたいと思いながら、これまでそうしなかったのはこのお店が人気があるのかそうでないのかわからないからだ。誰とも話したことがないので当然なのだけれど、思い返しても20年くらいは変わらずにあるのだから、安定経営はできているはずで、きっと固定客が少なくないに違いない。

 この日は、小さい店舗に溢れかえる美術書の中にホッパーの画集を見つけて買い求めた。

 

 気持ちに余裕が無ければ行ってみようと思わないし、天気も良くなければ寄らないところだから、この店にいるときはいつも幸福感がある。

尾根道                                 20140207

 

 最近麓廻りから尾根道に通勤路を変えて、エスカレーターも使わなくなったら体脂肪率が若干改善したように思う。

 短期の変動はこれまでにもあったからあまり期待はできないけれど、長い階段を急ぎ足で登り切ることは慣れてきたのだから、何かしら良い変化はあるはずだと思う。

 

 玉川学園という町は、その名の通り玉川学園(幼稚園~大学院)が始めにできて発展してきた。だから、小高い丘の上はその関係者が開いたところが多く、区画も大きいし歴史のある家も残されている。

 写真は20年ほど前だったか、片岡義男さんが建てて移り住んで来られた家だ。

 学園町だったからか、訪ねてみたところでは、田河水泡さん、遠藤周作さん、赤川次郎さんなどの家もあった。(赤川邸は、デベロッパー在籍時に改築相談で伺ったのだけれど、結局見送られたようだ。なにしろ、居間から玄関が遠すぎるというのが悩みだったのだから。そうそう、書斎やシアターを見せてもらったことを思い出した。)

 

 通勤路を変えて空がまたたくさん見られるようになったのが気持ち良いけれど、写真の片岡さんの家のすぐ先に、駅に降りる階段があってそれは117段だ。

 

 帰宅時は上りで、現段階では急ぎ足で上り切れるようになったところなので、そのうち 「階段を駆け上がる」 に挑戦したい。

螺旋階段                                                        20140204

 

 昨年12月に長女が結婚して、今年の5月には長男が建設会社の九州支店に配属されることになった。

 長男本人が希望した勤務地だし、僕も福岡県に好感を持っているので羨ましくなる。(瀬戸内海に移り住んでみたい僕にとって、福岡は都会なのに何故か似たイメージがある)グーグル地図を開くと、美味しいものが軒を連ねているように思えて、妻が嬉々として出掛ける様子が目に見えるようだ。

 

 僕はそんなに注文を付ける父親ではなかった(はずだ)けれど、子供達にしてみると存在そのものが面倒な訳で、新天地では長男もきっと羽を広げることだろう。とは言っても、建設会社の現場は厳しいに違いないから、なんとか頑張って九州を満喫できるようになれば、と願う。

 

 こうして家族構成が次の段階に移るまさにこの時、テレビ番組でセーヌ河のボートハウス特集を見た。

 パリ近郊では、家族が広々と暮らせるアパートは高額過ぎて庶民には手が出ないけれど、ボートハウスならメンテナンス労力が求められるものの頑張り次第とのこと。

 つてを頼って鉄鉱石の運搬船などを買い取って、1年がかりでセルフリノベーションする人もいる。

 そうしたハウスの内部は、ゆりかごのようであったりアトリエや工場のようであったりして魅力的だ。オーナーが手慣れた様子で溶接などしているから、どんな職業かと思うと銀行勤めだったりするので驚く。

 

 簡単には真似できないけれど、荷物や不要品を押し込んでいた地下倉庫を片付けて僕も挑戦しようと思う。今はコンクリートとモルタルが剥き出しだけれど、床を張って壁や天井には珪藻土などを塗ってみたい。

 そうすると、地下(創る)から屋上(想う)までを一本の螺旋階段で貫く、我が家の当初構想が現れてくるのだ。

続荒美B                               20140201

 

 昨晩は寝るのが2時半になったけれど、頑張って起きて今朝9時には茗荷谷でお客様との打ち合わせをスタートした。

 楽しい時間を過ごす内にあっという間に12時になって、13時に約束した調布のお客様宅に向かう。駅に着いて時計を見ると12時55分だったので、セブンイレブンで買ったジューシーハムサンドを歩きながら食べた。打ち合わせ中、ありがたいことにケーキを2つ出してくださったので、空腹の僕はとても嬉しくいただいた。

 

 夕方帰宅してノンアルコールビールを飲んでいると、長女が荷物を取りに寄ったので横浜線成瀬駅まで車で送る。

 夕食の後は少しテレビをみたけれど、つい腰を上げて地下倉庫の模型製作場化 (本当は書斎化と言いたい) に取りかかる。奮闘しているうちに、23時半になっていた。

 よく動く自分に感心しながらも、このままペースを維持してCに移行したりするととてつもない反動が来そうなので、明日は自重しようと思う。

 でもそう思いながらも、ひょっとしたらお酒を飲まないひとはこれが日常かもしれないと、複雑な気持ちになったりもする。

荒美B                                 20140131

 

 お酒をしばらく遠ざけると、夜の過ごし方が変わってくる。そのうちそれは朝にも及んで、目の開き方が何パーセントか大きくなるような気がする。

 それを、荒美Bと呼んでいる。

 

 今日の荒美Bは働き者で、朝8時半から夜23時半までほとんど弛まず頑張った。食事も昼夜10分ずつくらいだった。ずっと続いたら凄いことだけれど、そうならないことも知っている。

 久し振りの一杯はどこで何にしようか。

音の記憶                                                         20140124

 

 はるか昔、僕がまだ小学校2年生か3年生だったころ。家族も皆寝静まった夜更け。

 

 いつもは一度寝たら朝まで起きることなどなかったのに、何故か目を覚ました。半分ほど覚醒した頭で、雨が降っているんだな、と思う。

 サマサマサマサマサマサマ・・・

 布団を被って目を瞑ってみたけれど、何か違和感があって段々意識がはっきりしてくる。聞いたことの無い雨音だ。

 やがて音源が近いことに気付いてベッドを下りると、月明かりに照らされた、画用紙サイズの蚕の箱から音が聞こえていた。動かすと止みそうだったし、恐ろしくもあったので蓋には触れなかった。

 

 小学校のクラスで、理科の授業に合わせて蚕を飼い始めた。僕は桑の葉を調達する係を買って出て、それが関係してか自分の部屋にも少なくない蚕がいたのだ。人の気配があるときは静かなのに、寝静まると猛烈な食欲を発揮していたらしい。

  

 

 そんなことを何十年も隔てて思い出したのは・・・

 オフィスの机で昼食を終えて、パソコンの前で少し休憩しようと、背もたれに体を預けて目を閉じた。同僚の半数は食事に出ていて、時間をずらす人たちは黙々と仕事をしている。業務のほとんどはメールでやりとりされるし、今は昼だから電話が少ない。

 とても早いスピードで打たれるキーボードは、もはやカタカタではなくてコショコショに近くなり、聞きようによってはムシャムシャでもある。

 

  耳を澄ませて聞き入っているうち、二つの音は溶け合って、やがて蚕の音は蒸発した。

 夜がまだ未知だったころの記憶。また蘇ることはあるだろうか。

塩梅と味覇                              20140121

 

 柴田錬三郎のエッセイ「地べたからもの申す」をまた引っぱり出して、江戸時代前の日本の食事について読んだ。

 話は旅行先、パリでのタクシー運転手の豪快な食欲から始まり、中国ではずいぶん昔から5万種もの調理方法があったことに触れ、日本は優れた文化を誇りながら刺身と漬物くらいしか記述が残されていない、とがっかりする。

 

 その中で、当時の日本では、調味料と言えば海水を煮詰めた劣悪な塩と、梅からとった酢のようなものがあるばかりで、だから塩梅と言うんだ・・・と解説されている。

僕はきれいだ・・・と思う。

 

 

 少し前、滅多に食べない坦々麺を外で食べた。選んだのは、道に面して置かれたメニューにハーフサイズを見つけたからだ。さして空腹でなかったはずが、ハーフサイズではもの足りないままスイッチが入って家で作ることにした。

 レシピにあったウェイパー(味覇)という調味料をスーパーマーケットで探して、時々目に入っていた強烈な赤色の缶を見つけたけれど、あまりに大きいので類似品の味友(ウェイユー)にする。

 町の小さな中華料理店の中華スープが、なぜみな似通った味なのかわかった。きっとウェイパーのはずだ。気付いてしまったので、僕の坦々麺はそこそこプロっぽく仕上がったのに、あまり報われた気がしなかった。(プロはウェイパーを使わない・・・という指摘もあったけれど)

 

 ウェイパーは中華料理を代表しないし、時代考証など無関係という前提で、僕はやっぱり塩梅がきれいだと思う。「美味しい」 は僕の場合、大変に観念的・独善的だ。

太陽のイコン                            20140117

 

―R・ファインマンという物理学者に関する記事を読んで思ったこと―

 

 僕たちは植物の存在について次のように教わった。

木は、CO2というとても結びつきの強い分子を、太陽の力を借りながら、(魔法のような) 光合成によって分解する。

 その結果O2が放出されて、僕たちの生存に不可欠な酸素を得ることができる。

 

 しかしファインマン博士は、後半を

 その結果、木は自身でもあるCを体内に取り込み体積を増している。

・・・ともう一方の視点で話し始める。炭素の循環で地球を見ようとしているためだ。

 

 僕たちは夜、あるいは寒い日、また肉を焼くとき、木を伐ってきて小さな種火で燃やし始める。O2と結びつきたがっていたC は、それをきっかけに次々と結合して、光と熱を放射する。

 太陽から借りたものを受け渡すのだ。自身の意思とは関係なく、そして自身の消失と引き替えに。

 

 木は太陽の化身だろうか。太陽の冷凍保存だろうか。

 

 木を炭素の塊だと思い始めると、それは、富(エネルギー)の移動、蓄積の媒介物のように思えてくる。兌換可能な通貨(コイン)として。

 

 そんなことを考えていて、コインのようだと思い付いた瞬間、イコンのようでもあるなと思った。人は木に炎を見て、炎はその先に何かを見せているとみなが言うように。

マフラーの月                             20140115

 

 「この冬は特に寒いね」と同意を求めても、「年齢ではなくて?」 と聞き返されるようになった。確かに、夏の暑さが以前ほど疎ましくなくて、何となく上着を着たまま座っている自分を発見したりしたから、高め順応にシフトしたのだろうか?

 部屋が内外打ち放しコンクリートだし、浴室には大きな窓(シングルガラス)があるので寒暖には強くないと困るのだけれど。

 

 昨晩 「明朝は東京でも雪がちらつくでしょう」 という予報を聞いていたからか、朝起きると昨日以上に寒い気がした。

 何か対策をとセーターを出してみたものの、最近はネクタイもしているしなあと逡巡する。

 

 代わりにマフラーをして家を出ると、とても暖かかった。

 重ね着(断熱)も効果があるけれど、隙間の工夫(気密性)も大事なのだと実感する。本当は露出を少なくした効果が大きいとしても。

 

 1月を 『マフラーの月』 と名付けようか。少し暖かそうだ。 

考えたり作ったり                          20140113

 

 正月早々の三連休はありがたいものだ。暮れから正月にかけての9連休はみな歓迎だと思うけれど、月曜から始まることには少し負担があったので。(金融関係他のみなさんすみません)

 

 土曜日は早朝から打ち合わせがあって、今日は埼玉県K市での現地調査に出かけたから、必ずしも連休ではないけれどリラックスできて嬉しい。

  

 合間の昨日は、妻が書芸展の打ち上げに出掛けたのでビーフシチューを作ってみた。考えたり作ったりというリズムが心地よい。

階段                                  20140110

 

 自宅から駅までの道は、丘を越えて行くものと麓を迂回するものがある。

 ずっと迂回していたのは、地図上は丘を越えると直線距離が短いものの、アップダウンのため時間は変わらなかったからだ。

 

 しばらく前に、何かの記事で有酸素運動でなくてもきっちりエネルギー消費をすることがわかってきたと知った。

 立ったり座ったりという何気ない動作でも、小気味よく動いていれば太りにくいらしい。

 ならばと、通勤路を階段の多い直線路に切り替えて、ついでにエスカレーターを回避してみることにした。

 

 先日地下鉄を乗り換えながら3カ所を訪問した日は、数えてみるとおよそ2300段になった。

 地下鉄駅は100段程度のところが多いようで、六本木一丁目駅からオフィス前の道路まではエスカレーターが繋げられているけれど、階段で上ると220段だ。 

 

 この日は圧倒的に上りが多かったけれど、均しても1150段の上り。ビルで言えば60階を上って下りたようなもので、坂道を加えればまだ数十階積み重なるだろう。

 エスカレーターを使わなければ、東京はどこよりも運動になる街らしい。

 

 永田町駅の半蔵門線→南北線への直線上り約100段は、リズムを変えずに上ると確実に乳酸がたまって、更に20段あったら一休みという状況だった。そのうち鼻歌で上れるようになりたいと思う。

 

すみれ色の空                           20140105

 

 新年休みの最終日、買い置きの灯油が足りないかと思ったので車で買いに出た。

 家の周りは坂道が多いから、ときにフロントガラス全面が空で満たされる。その空が、夜明け直前のすみれかと思える色に染まって、しかも、たまたまそんな情景にピッタリの曲を聴いていたので嬉しくなった。

 

 昨日は、企画展のインターバルで所蔵品展になっていた横須賀美術館で楽しんだ。

 きっとガラガラだと思ったのだけれど、結構な人出があった。美術館の建物そのものがとても魅力的で、それだけでも行きたくなるのに加えて、どうやら併設のイタリアンレストランが相変わらず人気らしい。時間に余裕があったので、図書室に初めて寄ってみた。規模は小さいけれど清潔で充実している。

 

 常設展は郷土の画家の作品も多くて、超一流の展覧会とは違った絵画の文化を垣間見た気がした。同行した母は長く油絵を描いているので、良い刺激にもなったようだ。

 

 地魚を食べる目的が、知っている店が開いていなかったので鮪に切り替えた。これも美味しかった。

 港の市場でいろいろな食材を買い求め、最後に蛤も足した。帰宅してから家のガスコンロで焼くと、思ったようではなかったけれどとても美味しかった。炭火で焼いたらもっと美味しいはずだから、今度七輪を買おうか。

年末~新年                             20140103

 

 納会の27日夜、お正月に検討いただきたいと思っていたお客様に、提案図面をぎりぎり間に合わせてお送りする。翌日確認した返信メールに、「夫が一言カッコ良いと・・・」と記されていて嬉しかった。

 大掃除はほとんど妻任せにしてしまったけれど、参加した痕跡作りを少々してみる。

 三十日は父の墓参りをして、元旦は義父の墓参りとお宮参りをして少し安心した。

 

 昨日二日は、新婚長女夫婦がおせちを食べに顔を出して、そのまま新しい親戚のご両親のお宅へ。美味しいワインとケーキ、暖炉の炎をご馳走になった。我が家から歩いて7分ほどなので、ずっとリラックスしていられるのがうれしい。

 とは言っても、ご両親がいくつかの出会いから、高名建築家アントニン・レイモンドの系譜にある建築家に設計を依頼された作品なので、圧倒もされた。でも、美しいことは最高に心地よい。

 来客の中ではおじさんが好きという、小さなスパニエルが膝で寝たのが暖かく、僕も飼いたくなった。

 

 今日、三日は娘夫婦の新居に遊びに行った。横浜らしく、線路沿いを歩いてから坂道を少し上った。何年も前から集めていた可愛らしい食器が棚に並んでいて、幸せそうな長女と夫君を心から祝福した。新しい家庭がみごとに誕生していて眩しい。景色が輝いて見えるのだから。

 

 その新居で、テレビの下に置かれていた建築写真集の一冊、アルバアアルトを見せてもらった。アアルトはフィンランドのひとで、超骨太なのに繊細という類例のない建築家だ。

 

 「人生は喜劇と悲劇で構成されていて、家具やカラースキーム、素材はそれらに寄り添うことのできるものでなければならない」 という趣旨の言葉が記されていて、昨日のお住まいも思い出しながら意味を噛み締めた。

 

 良い一年が始まった。今年も、気にかけてくださる方の期待に少しでも応えられるよう、自分を励ましながら感謝して暮らしたい。

 

 ※とりあえずの明日はまだ休みなので、妻の提案で母と3人、横須賀美術館経由で三崎港に地魚を食べに行く予定だ。

パノラマの街                            20131226

 

 家族の予定に誘われて、小田和正のコンサート番組を見た。

 若いアーティストを何人何組もゲストに誘って、とてもエネルギッシュなコンサートだった。

 パノラマの街・・・というのはミスターチルドレンの桜井さんと二人で歌った曲で、僕はいろんな人が歩き回っている様子を思い浮かべて楽しんだ。パノラマというよりは鳥瞰だったけれど。

 

 吉田拓郎がステージの去り際に、「なんだか負けたくないので気力が湧いてきた」と言った。誰に限らず、ひとに元気を与えるなんてすごいことだと思う。

結婚式                                20131224

 

 いろんなことを考えて臨んだ長女の結婚式は、終わってみるととても幸せな時間だった。家族みながあっという間だったと言う通りで、もう少し時間があればと思った。

 

 先輩達の教えから、人前で初めて泣くことも自分に許容したけれど、結果的にはまったく違った気持だった。

 ただ嬉しくて、感謝してもしきれない。

 

 そこで余計かもしれないけれど、僕よりも後に娘を教会式で送り出すお父さんにアドバイスをひとつだけ。

 新婦と一緒に祭壇に向かうとき、あまり膝は上げない方が良いらしい。

 

 僕の場合、娘の笑顔につられてニコニコしながら歩いた祭壇への通路では、あまりに元気で妻に言わせるともう少しでスキップが始まる気配だったらしい。可笑しくて、肩が震えるのを押さえるのに苦労したと言われると、ノーガード側でやっちゃったか、という気持ちになった。

 

 とにもかくにも、とても幸せな一日だったのは間違いない。ひょっとして後輩になるかもしれないみなさんは、いろいろと練習してみてはと思います。僕の場合は次は新郎側で、やり直しの機会は失われましたけれど、でも・・・ありがとう感謝します。

 

cherish the day

 

 明日が長女の結婚式なので床屋に行った。四半世紀ぶりのことだ。

 日ごろから背広を着なかったために髪を整える必要が感じられず、ある時自分で切ってみたら悪くなかったので床屋に行かなくなった。適当に切って最後は妻に整えてもらうという方法が、次第に比重がシフトして妻に任せるようになった。

 

 床屋ではずいぶん違う結果になるかと秘かな期待もあったけれど、あまり変わらなかった。

 

 昨晩一昨晩と忘年会で、友達から結婚式では存分に泣けと言ってもらった。果たして涙がこぼれるかどうか自分でもわからないけれど、義父は泣き通しだったことをよく憶えているので、仮に泣いたとしても責められることはないだろう。

 

 考えてみると、家という制度が変化にさらされているせいか、嫁に出すというイメージが少しも無いことに気付く。どちらかというと、新郎が新たな家族として増えるような感覚だ。

 だから、長女が伴侶を得て新しい人生の幕を開けることをただ喜びたいと思う。雨女と自認している長女にしては、今日明日と太陽が祝福してくれそうなのも嬉しい。

 そんなことを思いながら、僕は、冬至の低い太陽と差し向かいで今日の午後を過ごした。

12月の朝                              20131215

 昨日が長女の誕生日で、今日が妻の誕生日。

 

 来週に結婚式を控えた長女のリクエストか、昨晩はロールキャベツになったので、残念だけれど僕の出番は無かった。

 

 双子座流星群が来ているらしくて、一昨日は長男が屋上に布団を敷いて夜空を仰いだ。その時は寒さにひきこもった僕も、昨晩は寒空に出てみた。すぐさまひとつが鮮やかな尾を引いたけれど、その後はふたつが顔を見せてくれるばかりだった。

 

 長女が生まれた14日。

 

 まだ携帯電話が無いころだから、僕は逐次電話で様子を聞いていた。  暗くなったころ、生まれたと知って電車に飛び乗った。町田駅で降りてから、たまたま花屋があったので花束を作ってもらって駆けつけると、両親・義父義母が待ち構えていた。

 花なんか買っている場合か、などと言われながら我が子に対面した。妻に感謝した。小さくて可愛かった。

 

 あくる日は雪が積もって、てくてくと顔を見に行った。 懐かしい想い出。

こいさご焼                              20131209

 栃木県那珂川町の小砂(こいさご)地区で、小砂焼の大皿を買ってきた。
 テレビで干支の焼き物を見た記憶で寄ってみたのだけれど、取材されていた藤田製陶よりも、その前にある新宅の焼き物に魅力を感じた。

 本家は伝統的な風情の茶系のものが多いのに対して、新宅は淡いブルーなどとても新鮮な印象のものが多いのだ。

 

 小砂地区は「日本で最も美しい村」連合に10月に登録されたらしい。

 この連合はフランスを手本に2005年に発足したということで、ホームページなどを見るとやや官僚的な印象があるけれど、活動理念には共感するので大いに発展して欲しいと思う。

 

 郷愁としてではなくて、積極的資産として「田舎」に愛情の目が注がれるのは、関係者ならずとも嬉しいことだ。

目の奥                                 20131205

 

 最近、続けて人生の先輩とお話しさせていただく機会があった。お目にかかるのは初めてと2回目で、心を許していただく関係ではない。

 

 ごく大雑把に言えば、一般的に若い人は自分を立派に見せたいという傾向があるだろうし、同じくらいの年齢ではそれを残しながらも共感したいという欲求があるようだ。そうしたことは表情に表れ、会話と同時進行的にお互いに確認しているのではないかと思う。

 対して、人生の先輩達は僕をじっと見ている。

 

 楽しい話題に笑い声が混ざるようなその一瞬、目の奥に帰って行かれる。

 評価されている、観察されている・・・という風には感じないけれど、その孤独な視線にその人との距離を感じない訳にはいかない。けれど僕は、慌てずその目にゆっくり着いていく。(あるいは引き込まれるのか)

 

 やがて、目の奥に温もりが宿る。

 少しホッとしながら、これが人間の正直な視線ではないかと考えたりする。無駄な同調をしないで済むようになるなら、年齢を重ねるのは嬉しいことだ。ただし、人を引き込むような視線は、自動的に手に入るものではないと気づいた。帰って行く場所が静かでなければならないからだ。 

3時の休憩                              20131129

 

 同居する母が3週間の郷里滞在から帰ってきた。

 僕は東京で生まれ育ったので、色々な名前が出てきても一部しかわからない。それでも、東京とはまた違った時間の流れが感じられるような気がした。

 

 そんな話の中に「3時のおやつ」があった。

 滞在3週間のほとんどは父の実家と母の従姉妹の家にやっかいになったのだけれど、その二つの家に限らずみんなが3時になるとお菓子や果物をテーブルに休憩を取るというのだ。

 僕も、とても幼いころおやつというものをもらった記憶がある。でも、外に友達ができてからは、午後3時なんて絶頂の時間だから家に寄りつきもしなかった。

 父は職場に居るわけだから、母もひとりでおやつの時間も無かったのだろう。

 

 始めに勤めた設計事務所は、3時になるとコーヒーを淹れ直して2人の所長を中心に休憩をとった。

 世間話、と言ってもかなり堅いのだけれど、業務から離れたところで所長や先輩の考えや経験を聞くのは、とても楽しかったしためにもなった。それでも若干の緊張があったのは、話題が建築の話に流れがちで、思わぬ展開から自分の勉強不足を露呈することがあったからだ。

 

 およそ30分が目安で、皆の興が乗るともう少し時間を割いていた。その内一人ずつ製図板に戻っていって、また自分の世界の住人になる。そしてまた時間が経過して6時になると、所長を除いてみなで夕食に出た。これはゆったり1時間をかけてその後夜更けから終電まで。・・・が、日常だった。

 

 いま懐かしく思い出してみると、これは大変効率的だった気がする。集中は続いて2時間程度だからだ。頑張るというのは、傍から見ていると優雅なのかも知れない、とふと思う。

おから                                20131125

 

 おからを作ろうと思い立った。要点は妻に再確認する。

 その後は台所でうの花を炒りながら、ビールやワインに手を伸ばす。きっと次回は考えずにできるだろう。

 

 おからはダイエットおつまみのつもりで、本来の、夕食の準備は餃子の下ごしらえ。ニラの香りが強いなと思いながらもいいなあと思う。

 

 餃子の準備もそれなりに進んでいるけれど、完成したおからが美味しくてどんどん減っていく。食材に対する嗜好が以前とは変わったらしくて、その変化が自分で面白い。

 

 数日前は夕食が長男と僕の二人だとわかっていたので、キャベツの千切り山盛りに奮発した和牛サラッと焼きをのせて、別皿に山芋をおろして食べた。

 合宿所のようだけれど、栄養バランスは結構良い気がする。

 

 キャベツを刻んでいると、ついついコールスローを作りたくなる。これは、どう作っても良いらしいし、なんだかおからと似ているから。

富士山                                20131124

 

 河口湖の別荘計画で、富士山のふもとに出かけた。

 富士山は、僕の家のそばで見えるところがあったはずだけれど、それはだいぶ前のことだから最近はどうなのか。

 小田急線の多摩川近辺(登戸駅~和泉多摩川駅)では、特に冬はそれなりに鮮やかに見ることができるのだけれど、この間のテレビ番組では和歌山県からも見えるのだと言っていた。

 

 中央高速を走っていると、ふと気付いたときに富士山がそこにいたりする。

 そして面白いのは、河口湖インターを降りてから何気ない時に視界に入ってくる富士山だ。僕は新幹線や飛行機で富士山を意識したけれど、うどん屋さんののれんの先に見たのは今回が初めてだった。

 

 河口湖近辺の別荘地には呼んで下さった会社の別荘があって、それは設計はもちろん建材も職方もすべてカナダから呼び寄せたものらしいのだけれど、玄関扉脇のガラスから覗いたゲストを迎える景色の展開の、そのおおらかさかつ真摯さに涙が滲んだ。

 

 この夏に出かけた河口湖自動車博物館航空館とは偶然目と鼻の先で、自己表現とは違った匿名的な存在感・・・そのような何かが示唆を与えてくれる気がした。

計画地の前から
 少しの腰痛の心配を抱えたまま出かけたけれど、なにもなくて天気晴朗気分爽快、行きこそ渋滞に見舞われたけれど帰りは順調だったので、ついついアクセルを踏んでしまって走行車線の車が止まって見えた。つかまらなかったことに感謝しながら、いい一日だったと思った。

季節                                  20131119

 

 昨日、新宿で待ち合わせをして、自宅をリフォームするという友人に長く一緒に仕事をしている工事監督さんを引き合わせた。打合せの後友人と別れて新宿南口のサザンテラスを歩いているとき、監督さんが「初夏に向かうようだ」と言った。

 一瞬、「この夏はどこに行こうか」と考えて、いやいやこれから来るのは冬のはずだ、と思い直す。しかし、目に入ってくる空やテラスのグリーンはとても初冬の気配からは遠かった。

 監督さんは葉山に住んでいて、今年の家の周りの木々が例年と違うことを教えてくれた。バナナの仲間の木だったか、いつもは10月の中旬には大きな葉が倒れて枯れるのに、今年はまだ伸び盛っているらしい。

 

 新宿も全部が自然木かどうかわからないけれど生命力が感じられる。気温が上がったせいか行き交う人も上着を脱いで手にしていたりしたからの錯覚なのだろうか。

 

 温暖化に関する記事の中では、2050年に東京は中国南部の気候に近付くと書いてあったけれど、東南アジアとは違う気候なのだろうか。猛々しい台風や気温に翻弄されるのはつらいな。

リーダーシップ                            20131115

 

 フィリピンの台風30号被害はすさまじいものだ。

 レイテ島の治安がますます悪化するなか、東北大震災との比較記事なども目に入るようになってきた。

 東北の被災者の振るまいには本当に驚かされたし、今も尊敬の気持ちは変わらないけれど、レイテ島のいくら歩いても絶望しかなさそうな状況は全然違うものだと思う。東北にはあった変わらない背面の山が無く、自衛隊の姿も一向に見えないのだから。

 

 そしてもう一つ思うのは、日本のリーダーシップのありようだ。

 フィリピンのことは知らないけれど、多くの国では声の大きい人がリーダーになりやすいだろう。しかし日本では、自分をヒーローに見立てず、周囲の評価によってリーダーシップを発揮することが多いように思う。

 それは人目を気にすることとは違って、日本の美徳だと再認識した。日本のリーダーが我慢強い分、廻りの人間にもそれが伝染するのだと思ったからだ。

 

 一方、全然違うところで日本のリーダーシップにがっかりすることもある。

 新国立競技場のコンペ当選案が大き過ぎると批判が増しているけれど、よく聞いてみるとその選考過程すら誰にも説明ができないらしい。

 議事録も残していない、あるいは公開できないでは東電と変わらないではないか。

 

 僕は最初に当選案のパースを見たとき愕然とした。日本、あるいは東京という場所に対する思いが微塵も感じられなかったからだ。だから、安藤忠雄氏が設計側審査委員と聞いて一挙に尊敬の念が薄れた。(思い当たるところもあるけれど)その後、この件は取材拒否と聞いて、安藤さんも偉くなって別の人になったのだなあと思う。嫌らしい言い方だけれど本当にそう思う。

 

 新国立競技場がどのように建てられていくか?東京の未来は大変違ったものになるのだから、声を上げるところでは小さくとも意思を示していこう。

水の底                                20131112

 

 ここ半月休みが無くて腰痛もなかなか厳しいので、今日は代休にして(・・・自宅パソコンでの図面修正や送受信は繰り返されたけれど・・・)、スーパー銭湯に行ってみた。自宅から3㎞余りの距離なので、リハビリ的に歩くには丁度良いと思ったのだ。

 

 ジャグジーに浸かって久し振りだなと思っていたら、前回来た時のことを思い出した。

 40歳までサウナを体験もせずに嫌っていたのだけれど、ある温泉旅館で快適なことを知った直後。それを思い出してスーパー銭湯で入ってみるとやはりそれなりに快適だった。

 他の人がそうしているように、出てきてから水風呂に入るとこれも気持ちが良い。水に首まで入って深呼吸すると、肺が水で満たされるような感触があって大いに気に入った。

 

 そばにひとがいなかったので、ふと思い付いて仰向けに潜ってみる。息を吐くと80㎝ほどの底に着いた。(普通の湯船よりずっと深い)

 自分の吐いた息が揺らした水面が静かになる頃、見上げる水面が明るくてきれいだなあと思った。プールよりずっと落ち着いている。

 やがて身体を起して水風呂から出ようとした時、視野狭窄がおこった。みるみるうちに暗くなって、最後は子供時代の小さなテレビで白黒アニメを見ているようになった。

 なんとか小学生だった長男を見つけて、「お父さんが倒れたら人を呼んでくれ」と頼む。浴槽の底から吹きあがってくる小さな気泡を見つめていた長男は目で頷いた。

 

 それから何分そこにじっとしていたか憶えていないけれど、長男の顔から不安が消えて、僕も落ち着いた。結構ぎりぎりだったような気がする。もう二度としないけれどきれいだった。

馬                                   20131108

 

 SADEは80年代に突然現れて、それからくり返し聴いていた。ファンだと言いにくいのは、新しいアルバム情報など何も知らないからだ。でも、今回インターネットでなんとなく検索していたら、デビュー後もそんなに多くアルバムをリリースしていないことがわかった。

 

 下の写真はYOU TUBEからのものだけれど、最初は合成のプロモーションビデオだと思っていた。画面に不自然そうに思えるところもあってそんな風に感じられたのだけれど、一方、SADEと馬は合うなあ・・・と思って検索すると、4歳から乗っているのだという記事を見つけた。

 

 このプロモーションでは、荒地にシーツを干している女性と、SADEと馬、それだけを撮ってくれたらよかったのにそうでないものが半分を占めているのが残念だ。

 それにしても、馬の走る姿はすごいなあと思う。加えてSADEもすごくて、ビデオ後半で馬術のように直角に曲がるところはまさに人馬一体だ。

階段を駆け上がる                         20131107

 

 というタイトルの片岡義男の小説がとても好きだ。

 でも今は、その魅力的な物語の展開ではなくてスピードの個人差に目が向いている。  腰痛など抱えてみると、一番困るのは条件反射がダメージになりかねないことだ。だから、少し先を予想しながら普段よりもゆっくりと動く。それをぶち壊すのは、学童だったり若い学生で、時に切迫したサラリーマンだったりする。

 

 「どけどけー!」とは誰も言わないものの、それに近い迫力で迫ってきて、かわせずに接触したら「失礼!」で済ましてしまう君!思い当たることがあるので自戒として言うならば、迷惑だしやや恐怖だ。

 

 ついでに記すと、坂道の多い町が僕は好きなのだけれど、坂道を老人が嫌うのはわかったつもりで多少しんどくても魅力が勝るでしょ・・・と思ってきたところがある。でも、場合によってはしんどさではなくて歩行困難に直結するのかと思い至った。

 だからと言っても坂道の町は好きであり続けるけれど、ひとりひとりのおばあさんに気持ちを向けることも大切だ、と思った昨日だった。

腰痛                                 20131105

  

 ここしばらく、腰痛が小さなサインをくれていたことに気付いていた。それでも大事に取り上げなかったのは、最後に辛いと思ってから10年余りを経過していたからだ。

 その間、腰痛を遠ざけていたのは昼恒例の長距離散歩だと自負していたのに、最近ではそれが実行されていないことを意識の片隅に思いながらも無頓着でいた。そうしたら、襲ってきた。

 

 思うのは、坂や高低差、不測の姿勢変化に対応しにくいということ。高齢者や障害を持つ人々に必要な配慮など、設計者は一般のひとの数倍を担うのが当然で、意識していたのに降りかかってみると少しも分っていなかったという現実に向き合うことになってしまった。 反省。

Saxophone                            20131101

 

 34年前、浪人して大学に受かってみると、それから4年間(半永久的時間)楽しい日々が前にゆったりと横たわっているように思えた。

 

 高校時代の一時期、ブラスバンド部に在籍してトロンボーンを持っていたというささやかな実績から、4年間でサックスをマスターできないかと僕は考えた。(Born to runのサビが滅茶苦茶カッコ良かったのだ)

 同じ学部に入った前田君を誘ってみると、似たような気分だったのか一緒に軽音楽サークルに入ることになった。

 前田君がアルト、僕がテナーとパートも決まり、お茶の水の黒沢楽器か隣の楽器店で購入した。20万円弱で、ローンにした。(家庭教師のアルバイトが決まっていた)

 やたらと反響する部室ででたらめに吹きまくり、バンド仲間らしきものも参集し始めたのだけれど、結局まともな活動には至らずに頓挫した。

 理工学部の実験を含んだカリキュラムが濃密なのに加えて、頻繁に出される建築学科の課題は自分の存在証明だから没頭することになったのだ。

 でもそれは言い訳で、遊ぶ時間はあったのだから要するに音楽能力が想像以上に不足していたというのが本当。

 

 テナーサックスのケースは結構大きくて、倉庫でも目立つ存在なのに目に入らなくなって34年。何がきっかけか判然としないけれど、先日リビングに出してきて開けてみた。

 ピカピカのサックスが静かに眠っていた。乾ききったリードを着けてマウスピースだけで吹いてみると、野太い音がした。頭の中で、清水靖晃の「バッハ無伴奏チェロ組曲」が鳴り始める。

 

 大変な数に上るパッド(孔の蓋についたパッキンのようなもの、羊の革製らしい)は劣化しているだろうし、第一吹けるようにならない・・・という変な自信があるけれど、吹いてはみようと思った。自分の行動は自分で結着せねばならない。

 家では隣家に聞こえてしまうので、練習は小山田緑地がいいだろうか。きっと森が音を吸い込んでくれるはずだ。 

ユーカリ                               20131028

 

 インターネットの記事で、「オーストラリアの研究グループが、ユーカリの木が金鉱脈から微量の金を吸い上げていることを発見した」と読んだ。

 金鉱脈の目印になると期待されるそうだけれど、1トン中に1mg程度ということなので大量伐採されないだろうかと気になってくる。葉に多く含まれるということだから、幹には手を付けずにすむと良いのだけれど。

 

 この記事の中に、ユーカリは乾燥に強いために砂漠の緑化などにも重宝されて、その根は40mの深さに届いたものもあったと記されていた。

 

 半月ほど前、上野の科学博物館で根の標本を見たことを思い出した。それは深く張ったものではなくて、平面方向に複雑に入り組んで伸びたものだったけれど、あの根が垂直方向に降りていくのか・・・と断面を想像する。

 地表高さの何倍もの深さを、水を求めて生きるために土の間を探る根の先端。

 

 空高く太陽光を求め、地中深く水を求めるユーカリ。でも、頭に浮かぶ断面図は夜景で、微かに水の音が聞こえるようだ。近くをアボリジニが歩いている。

廃屋                                                          20131020

 

 家の近所で廃屋を見た。  ずーっとむかし建てられて、しばらく前から人気がなくなっていた家。住居。  でも、廃屋になれて良かったとも思う。職業柄の難癖かも知れないけれど、フィルム貼りばかりでは廃屋にすらなれないような気がする。

ペガサス                               20131019

 

 昨晩は少しおっとりとした気分で、都心部を歩いてみようと思った。

 神谷町から霞が関を抜けて、うっかり六本木に回ってしまいながら四谷を巡り、もう一度外苑にもどってから絵画館などを眺めていた。

 

 その途中、青山一丁目で懐かしくも新鮮な光景に出会った。

 外苑東通りに、ペガサスビルという設計関係者なら知る人が多い建物があって、そこはしばらく昔の僕の通勤路でもあった。その建物前に一坪くらいのからくりがあるのは良く知っていたけれど、その見慣れたはずの風景に、目を奪われたのだ。

 

 おそらく、1980頃に完成したビルを、僕は学生時代に見学に行った。

 その時もからくりのガラスケースはあったし、通勤路になった時は何年も前を行き来していた。何度か眺めた記憶もあるけれど、特別の印象があった訳でもない。

 昨晩、あらためて眺めてみると、音楽のように独自の時間を紡いでいた。

 

 通行量が多いから、タクシーや自動車の音が大きな川のようで何も聞こえないように感じる。でも、そのからくりの前に立ってしばらくすると、ピンポン玉が律儀にはじく木琴や鉄琴の音が耳に届いてきて、そこに世界が立ちのぼるようだった。

 

 その楽しい時間に感激しながらも、僕が知りたいのはこのからくり仕掛けがどれだけの時間繰り返していたのか、ということだ。30年前に発案した問い掛け、そしてメンテナンスした人の気持ちが、ようやく届いた気がしたから。

夕焼け                                20131015

 

 少し前に外資系企業に勤められるお客様と話していた時、思いがけない発見があった。それは、始業と終業の時間帯のことだ。

 アメリカでは、7時に仕事を始めて3時に終える人が少なくないらしい。

 それどころか、終業時間の方が優先されるため、会議の招集は夕方が一杯だと早朝6時の設定もあるとのこと。よく聞けば役員に限った話のようだけれど、ああそうなのだ・・・と思った。

 

 僕はもう、就業の大半を経過してしまったけれど、そんな人生に思いを馳せると感慨がある。

 

 でも、これからの時間も含めて大事にしたいと思っていたら、いい歌に出会った。夕方が何かと考えさせられる。(画像は別として)

http://www.youtube.com/watch?v=2iqgG56D1uU

 

 何度も聞いてきたオリジナルとはだいぶ違って新しい発見のあるジャヴァン。夕方はできるだけ近しい人と過ごしたいと思った。

オルティーズ                            20131014

 

 少年野球選手が寝床で何を考えるか・・・それは決まっている。

 「九回裏二死、0-3での満塁。思った通りのコースにくる投球と迷いなく振るバット。舞い上がる打球と逆転サヨナラ勝ち。」

 

 今朝テレビをつけると、タイガース対レッドソックス第二戦の中継が始まったところだった。タイガースは数年前までリーグのお荷物と言われていたのに、今ではそれを忘れたかのようにタフネスを身につけている。サジャーというピッチャーは面白いように三振の山を築いて、まさにレッドソックスはきりきり舞いだった。

 つまらない地域決定戦になるという雰囲気を変えたのは、小柄な主砲・ペドロイアだった。ようやく7回で出た初ヒットに続くヒットで、初得点をあげたのだ。1-5。

 

 そして100球を超えたサジャーが交代する。

 

 小刻みに投手を替えるタイガースになぜか敗色の気配が感じられての8回裏。ツーアウトでペドロイアが打線を繋いで満塁にしたあと、オルティーズが打席に入る。タイガースは守護神ベノワを最終回を待たずにマウンドに送る。

 テレビの実況解説が、ホームランなら同点の場面です・・・と言った。

 

 オルティーズはホームランを打つ顔だった。それでも、そんな顔はこれまでにも見たことがあるような気がする。

 ベノワの第一球に当たり前のようにバットを振ったオルティーズの打球は、フェンス越えのホームランになった。

 

 「4番の一振り」 という言葉が目の前にあった。すげーっっっと大きな声を上げた。

 上原の完璧な救援後の九回裏、サヨナラ勝ちを収めたレッドソックス。 ヒットを放った打者を祝福するため、選手全員と一緒に追いかけるオルティーズだったけれど、きっとあのバットの感触を生涯忘れないだろう。まさに、ザ、ファンタジー。

海の幸山の幸                            20131010

 

 工務店がテントを設営してくれていなかったら・・・と思う強い陽射しのなか、地鎮祭が執り行われた。

 上半身は影に入れたけれど、陽の当たっていたふくらはぎが痛いくらいだから、露天だったらきっとクラクラしただろう。

 

 何度目かの 「低頭」 で睫毛から汗が落ちて、以前の夏の地鎮祭をいくつか思い出した。今日は10月10日だけれど。

 

 供えられたタイと果物を見て、文字通り「海の幸、山の幸」だと思う。

 栄養ばかりでなく、目を楽しませてくれる、奇跡のような物体・存在。

横浜で                                 20131007

 

1985年×月×日

 国鉄京浜東北線、関内駅のすぐ前にある横浜市役所合同庁舎。僕はその4階廊下を、サンダルの音を耳障りに思いながら建築指導課に向かっていた。

 書類の山が垣根のような狭い通路を縫っていくと、まだ9時前なのに担当者の机の前には5~6人の列が出来ていて、憂鬱な気持ちでその最後尾に着く。

 

 この建築指導課のフロアには、大手ゼネコン・大手設計事務所から退職間際の人が通勤のように日参していて、しきりにあちこちの職員に話しかけている。いろいろなプロジェクトを円滑に進めるためのコネ作りらしいけれど、ちゃん付けとさん付けの使い分けが鬱陶しい。

 

 一時間余り待って僕の順番が来る。朝から疲れ切った担当者はあいさつを無視するから、すぐに本題に入った。

 「それは赤本に書いてあるでしょ」(※赤本:表紙の赤い、厚さ5㎝超の建築法令集)質問が終わらないうちに担当者はそう言う。

 「はい、それでこの例外規定の適用範囲がわかりにくくて・・・」

 「こっちも同じ本を読んでいるんだよ、もう一回読んだら?はい次の方」

 

2013年10月3日

 関内駅改札で時計を見ると8時35分だった。横浜市役所分庁舎まで数分だからまだ早い。それでもコーヒーを飲む気にはならず、雨上がりの歩道を歩き始めた。

 清潔な建物の7階でエレベーターを降りると、事務室の扉に「業務時間ですのでご自由にお入り下さい」というカードが吊してあった。

 

 遠慮がちな気持ちで部屋に入り、「まだ早いですよね」とカウンター向こうの女性に声を掛ける。すると、パソコンの画面を確認しながら腰を上げて、「いえ」と短く返事をくれた。

 「民間機関で審査中の建物なのですが、確認事項ができたので・・・」と言うと、微笑みながら「お掛け下さい」と椅子を勧めてくれた。

 

 

 一般的に見て、この日の対応が優れているに決まっている。実際、若い時の僕は相当に憤慨していた。でも、少し懐かしいし、そんなに悪くなかったかも・・・という気がしてきた。

 あの総合庁舎に充満していた気配は何だったのだろう?良くも悪くも熱を帯びていたのは確かで、僕はお客さんではなくて当事者だった。嫌がりながらも自分の居場所として認識していたのだろうか。

 

秋の夏                                20131006

 

 昨日の土曜日はしとしと雨が降っていたけれど、今日はうってかわって夏を思い出させる陽射しだった。

 のんびりと過ごしながら、それでも刻々と変化する空の景色に驚いた。

 

 昨日ツタヤに寄ってみた時、目的とは違って買った手塚治虫の本がとても面白い。昭和21年の出版だからなのか、知らない時代の空気か元気さかに圧倒される。 最近水木しげるの戦記マンガを枕元に置いているので、対比されて考えることもあって面白い。たった数年間の前後で巨匠がまったく違ったところに立つのだから。

 50年という時間をひとごとにしないで、自分の時間を考えた方が良いなあ・・・と思った。

スケッチ                               20130930

 

 土曜日は家族それぞれに用事があって、僕はひとりで過ごした。

 屋上でマイルス・デイヴィスの 「Sketches of Spain」 を聴いている時、スケッチをするのも悪くないなと思い、少し大き目のスケッチブックを引っ張り出してきた。

 遠くに丹沢、手前に町田の町並みが見える。水平線は手すり壁なのだけれど、それを描いてみるとスケッチオブスペインのジャケットに似ていることに気付いた。真似をして左端にマイルスを、右端に牛を入れて、ついでに誇らしげなステレオの表記も足す。
 夜はどうしようかと少し悩んで、ひとりなのを良いことに普段は反対されるラムのステーキに決めた。  写真で見ると盛り付けがでたらめだけれど、マスタードを厚めに塗ってパン粉とパセリを載せた骨付き肉はとても美味だった。
 スープは前日に娘が作って一杯分残っていたもの。

 スケッチブックは半分ほど使われていて、懐かしかったので写真に撮った。佐藤琢磨、小野伸二と娘と浅田真央、ほかは不明。指先の訓練と思っていたはずだけれど、何かで忙しくなって忘れていた。 再開しよう。

美味しいもの                            20130923

 

 先週の土曜日は、都市計画道路で敷地が一部後退する友達の相談を受けてから、しばらく準備していた恩師を囲む会に向かった。

 日仏会館の中にあるレストランは、大使館関係者も頻繁に利用するというのが本当らしくてとても美味しかった。幹事仲間も良い会になったと自賛していたし、先生の奥様も楽しまれた様子だったので成功だったと思う。

 

 僕は一人で出席したけれど、他の幹事の息子さんや、別の幹事の娘さんが参加してくれて、その自然で清潔なたたずまいに大いに感激した。

 

 その後の二日は、比較的静かに過ごした。先週に引き続いて夕食の支度を遊びながら。

 写真に撮ってみたものの、食べ始める直前だから慌ただしくて思ったようにはいかないけれど、味の方はなかなかだった。

 金時豆と牛ひき肉のスパイス炒めとかつおのマリネ、マッシュポテト。

 今晩は、れんこんと牛の赤ワインきんぴらと、白ワインリゾット。 

 どちらも美味しかった。焼そばをつくるくらいの手間に書いてくれるレシピの重要性を実感する。数行くらいしか説明しないのでうれしい。

 

「おつまみワイン亭 さらにおいしい満足レシピ119」平野由希子・池田書店。好みがあると思うので推薦する自信はないけれど、手元の数冊のなかでは秀逸と思った。

篩い(ふるい)                            20130919

 

 みのもんたさんはバラエティー番組の司会とコマーシャルで見かける程度だから、あまり詳しく知らない。愛子さまと雅子妃がどのように暮らされているかはもっと知らない。多かれ少なかれ、みな僕と同じような知識だと思うけれど、最近、電車の中吊り広告にはまるで社会の敵のごとく書かれているものが多くて驚く。

 

 「篩いに掛ける」という言葉を考えると、基本的には不純物を取り除いて均質なもの(目的物)を取り出すという意味だと思われる一方、最近は異質なものを露わにする方向で使われることも多いようだ。どちらを主体に見るかという違いにも見えるけれど、政治家の身体検査などというように、政治家としての行動力より献金者リストのあら探しを優先すれば、当然行き先は違ったものになる。

 

 自分を世の中の常識という篩いに掛けたら、どのくらい編み目に残るのだろう。2割か1割か。

 引っかかるものは、思い出したくない失敗だったり、頑固な少数意見への支持だったり、気付いていない非常識だったりするのだろう。ひょっとするとその割合はもっと多いのかも知れない。

 しかしいずれにしても、僕は篩いを通過した多くの方をベースだと思って欲しいし、そうした方が僕と関わる必要が生じた人にとっても支障が少ないように思う。

 

 週刊誌への期待はとうの昔に失くしているけれど、最近の見出しはますます意地悪く、不快な言葉でストレスを培養しているように思えてならない。

 一定の年齢以上なら批判的にも見られるだろうけれど、子供や若者はそのまま受け取る心配がないのか。

 

 不寛容は自身を最初に蝕むのだ、という事実を親は子に教えているだろうか。僕はちゃんと教えただろうか。

 中秋の名月のように、は無理としても、少しでも澄んだ時間を増やしたいと思った。

フル参加                              20130917

 

 絆創膏レベルで、右手の小指先を怪我した。

 家でCADをしている分には気にならなかったけれど、ワードなどには大変支障となることに気付いた。CADの場合、右手はマウスを掴み通しで、数値入力は左手だから平気だったのだ。

 小指がこんなに働いていたなんて知らなかった。落ち葉掃除のときは手袋で保護してやったけれどもっと大事にせねば。

大台風                                20130916

 

 大きな台風ということで昨日から身構えていた割には、家のある町田は風雨が強くて大きな音が鳴り止まなかったものの、実害は無かった。

 

 午後になって外に出てみると、家の周りは木の葉が子供のいたずらのようにぶちまけられていた。妻と片付ける間に10カ所以上も蚊にさされてしまう。きっと、暴風下で腹を空かせていたのだろう。

 

 友人が出店する古本市が昨日予定されていて、台風で順延された今日、中止されてしまったのが残念だった。

 

 それ以外ではこの三連休、仕事が半分で残りは食事の支度で遊んだ。

 豚肉のワイン梅煮込み、三色のタンドリーチキン、香菜のつくね・・・それぞれを楽しんで食べたのだけれど、妻が面白がって義母に届けたのは、新しい展開で嬉しい。(ギャラリー増!)3連休は日頃と違うことができるようで、来週も楽しみだ。

上手く撮れなかったけれど、台風の風は超すごかった。

補助線                                20130911

 

 良く出来たかは別として、数学の幾何学が好きだった。物理のⅠも好きだったから、形のあるものが好きなのだ。対してフレミングの法則というような訳のわからないものや、見えない化学は致命的にできなかった。

 

 何しろ、文系で夏になってから共通一次に参戦した友達に化学は負けたのだ。5択だから読まなくても20点取れるところ、30点だったのだから涙も出ない。(第一回は社会科の問題に偏りがあって、教科書も持っていないのに100点を取って埋め合わせるという幸運に恵まれた:笑)

 

 季刊「考える人」に、ピタゴラスの定理に関する記事があったので、アンチョコにしながら久し振りに証明を試みた。

 僕はあまり推理小説を読まないけれど、幾何学の補助線はまさに謎解きでわくわくする。

国際信義Ⅱ                             20130908

 

 今朝、新聞配達のバイクの音で目が覚めると5時35分だった。テレビをつけると、少し前の発表だったのか、「2020五輪、東京に決定」という文字が画面に踊り、湧きかえっていた。

 

 意外さ半分、嬉しさ半分で、安部首相はどんなメッセージをIOC委員に発したのだろうと思う。しばらくして再生されたところでは、「福島の汚染水問題は限定的で完全にコントロール下にある」ということだった。

 

 本当のことは僕にはわからない。IOC委員は素直に聞いたのだろうか。間違いないのは、オリンピック誘致のコミットメントとして記録されたということだ。

 やはり安部首相の見ている風景がわからないと思った。

 

 こうなれば、なにがなんでも福島をコントロールしなければならない。その覚悟に期待して良いということなのか。

 こんなことを言うと、超ネガティブに感じられるとわかっているけれど、本人、僕は極めてポジティブに考えているつもりなのだ。

国際信義                                                          20130907

 

 決してしたくなかった選択ですが、海洋汚染を回避すべく、能う限りのエネルギーをフクシマに集中するためオリンピック開催国立候補を取り下げます。・・・というメッセージを聞きたかった。

 

 明日の今頃、2020年夏季オリンピックの開催国が発表されているはずだ。

 日本人の幸福のためにオリンピックを招致したい、という意見に疑問はないし、4年も8年もこれを目標に身を粉にしてきた人々の存在も想像できる。開催の有無で人生が変わるアスリートもいるだろう。

 だからなおさら、初めに書いた言葉が聞きたかった。

 

 克服したその日、日本は高らかにオリンピック招致を宣言します。

と。

 

 投票の行方はいろいろな報道があって全くわからないけれど、こうした大きな問題がある以上、辞退が信義ではないかと思うのだ。

 「ボヤの煙は見えますが、もう安心です」と客を招いて回避された時、なにが失われるのか今の政治家は理解しているだろうか。まして、義理立てて来てくれた人に煙を吸わせてしまう恐ろしさを。

 

 今現在、原発を他国にセールスしている安部首相には全然違った風景が見えているのだろう。それはどんな風景なのだろう。

 世界にはずる賢い競争が溢れているけれど、信義を重んずる人の数も決して少なくないと思うのだ。僕は、そのひとたちと友達になりたい。

空と、竜                                                           20130904

 

 月曜日の夕暮れ時、待ち合わせの横浜線駅改札を出ると、ペデストリアンデッキで女子高生二人連れが僕の頭上に携帯を向けた。何があるのだろうと振り返ってみると、そこに見たことのない空があった。

 鮮やかさを通り越した、禍々しさの数歩手前というような気配の空。昔の人なら何かの予兆と言ったのではないかと思う。 

 重量感のある青い雲が積層しているのだけれど、その隙間に見えるのは空というより宇宙のようだった。大気が極端に澄んでいるためか、ブルーモーメントがいつになく強調されているらしい。

 

 家に帰ると、ニュースで竜巻被害が報じられていた。画面に竜が雲と地面を行き来しているのが見える。(元日本代表FW、久保竜彦のヘディングジャンプのようだ)その日見上げた空と直接の繋がりはないけれど、何か通じていると感じた。

 

 火曜の真昼、高架の田園都市線に乗っていると、ガラガラの車内で座ったまま秋のような高い空に入道雲が林立しているのが見えた。とても高くて立ち上がった巨人のようだと思う。

 その高い空に映画「風立ちぬ」の模型飛行機を思い、「千と千尋の神隠し」の竜を思う。

 

 竜という言葉から、次いで城崎で温泉旅館を担当していた時のことを思い出した。

 完成間際に泊まり込んでいた明け方、目の前の円山川に川上から霧が迫ってきたのだ。その先頭に続いて、水面の僅か上空を高さ20m・幅100mの霧の竜が下っていく。女将はその様を大名行列と呼んでいた。

 

 先月訪ねた中野の超高層ビルでは、西側にあまりにも遮るものが無いので思わず1㎞の竜がうねる姿を想像した。想像なのに長いなあと思った。

 昨年訪ねた上海では、中国人が凧揚げのように竜を上げていた。どこで上げているかわからないほど遠く、竜は見えなくなるほど高かった。

 空と、竜の連想。

夏のごはん                            20130901

 

 夏に美味しい料理・・・のひとつに加えたいのが 「茹で鳥のせ梅ごはん」 だ。

 男子ごはんの#114「さっぱり和定食」を見て、もう3回作ったけれど毎回評判が良い。

 

 ごはんに千切りの茗荷としらす、それに細かく刻んだ梅干しを混ぜ込む。その上に生姜を加えて15分ゆでた鶏むね肉そぎ切りを載せて、白炒りごまと大葉の粗みじん切りをまぶして食べる。

 鶏は、ごま油と塩で味を整えておく。

 それぞれの分量は男子ごはんに書いてあるけれど、ただまぜるだけだから適当で少しもかまわない。一人当たりの目安としては、むね肉1/2枚、しらす大さじ1、茗荷1、大葉4枚梅干し1といったところ。(ごはんが多めの一膳分として)

 

 香り豊かでさわやか、そして透明感があるから暑かった日にはぴったりだ、。

六本木一丁目                                                   20130829

 

 ディベロッパーの設計部にいたとき、最後に担当したのは六本木一丁目のオフィスビルだった。まだ南北線が開通していないころで、六本木駅からの道が遠かった。

 地下2階、地上12階という大きくはないビルだったけれど、総合設計制度を使って都庁と駆け引きするプロジェクトだったので、かなり神経をすり減らした記憶がある。(今はサウジアラビア大使館になっている)

 一番きつかった時期は、タクシーが跳ね飛ばしてくれないかな、などと思いながら通勤していた。

 

 その後独立して、打合せに通った事務所がやはりアークヒルズの丘側にあったので、続けてこの界隈を歩いた。城山ヒルズができた頃だったと思う。

 

 年初に会社が越してきたのがホテルオークラの隣だから、ちょっと戻ってきたようにも思うけれど、泉ガーデンその他がガラッと風景を変えたし、通った事務所のビルはどこにあったかもわからないくらいだから懐かしいというほどではない。

 

 隅田川テラスから離れて散歩をやめてしまっていたけれど、今日事務所に戻るのに回り道をしてみたら快適なコースが見つかりそうな気がしてきた。木漏れ日がきらきらしている。今度は橋ではなくて大使館を目印にしよう。歩くのに快適な季節はもうすぐだ。

六本木一丁目尾根道界隈:木漏れ日でクラクラした。
六本木一丁目尾根道界隈:木漏れ日でクラクラした。

秋の気配                              20130827

 

 朝、出がけに家を振り向いた時、「壁が明るくてクリアだな」と思った。

 それから少し歩いたところで、白と黒が並んだ二軒の家と空を写真に撮った。片手の望遠だからエッジはぼけてしまったけれど。

 昨晩の天気予報で、「結構な降雨量になりますが、朝起きて上がっていたら傘は要らないでしょう」 と予報士が言っていて、とてもわかりやすい説明だと思った。
 雨の音と眠気が溶けた一晩を過ごして、ベッドから出てみるとこんな空だった。

 

 週末に向けてまた気温が上がるとはいえ、秋がはっきりと顔を見せたのは少し寂しくもある。それでもとても爽やかな空気だったので、「まあいいか」、と思った九月目前の朝だった。