雑感

設計とは別に思ったこと

栗城史多              20230130

 

 栗城史多さんという登山家を、10年余り前に応援して胸躍らせた人は多かっただろう。僕もそのひとりとして、朧げな記憶ながら会費を払う会員だったはずだ。

 35歳の若さでエベレストで滑落死をしてしまったけれど、世間に登場した勢いと違ってその亡くなる前は悲しげな気配だった。

 

 昨日、寒さに負けたのか体調不良だったので、日曜日をいいことに布団にもぐって栗城さんを克明に取材した本を読んだ。河野啓さんというテレビ制作が本業の報道関係者で、栗城さんのぶっとんだ振る舞いに翻弄されながら「彼は誰だったのだろう」という疑問を徹底的に追っているようすだ。

 栗城さんを信奉し続けるひとも少なくないし、同時に距離を置いた人も少なくないらしい。

 

 この本を読んでも栗城さんに近づけたどうかわからないけれど、彼が味わった寒さと恐怖と孤独、苦痛はとても大きかったことくらいは思いをはせることができた。

 残念ながら記憶の遠くになっていたけれど、もう一度その様子を日常の中ではあるけれど考えてみたい。

徹子の部屋             20230127

 

 少し前に、テレビ番組から距離を置くと記した。そのことに大きな変化はないのだけれど、今日、「徹子の部屋」を見て、北王子欣也さんの姿に感激したので残しておこうかな。

 

 日本の経済力が世界で何位なのかという報道がずっとあった中で、2位とか3位とかもっと下がったということも見てきた。

 普通の国民として、順位が高いことに不満があるはずがないけれど、実感とは違ってもいたかとは思う。

 

 「徹子の部屋」で、北王子欣也さんの姿を見て、昭和の時代と今、令和の気配の違いを感じた。

 新興国が日本を超えていくのは必然なのだろう。北小路欣也さんとは、時代の熱量の差が大きすぎる。

 

 考えてみれば、それは道理だ。みんななかよく、幸せに暮らそう。 

新しいページのお知らせ

 

 なんとなく、新しいページを作ろうと思って「太平洋と鼠一匹」を作りました。(^.^) 希望は、自分自身が少しでも知見を深められたらということなんですが。

 まず、大きな世界にあこがれて「太平洋」を思いついて、自分の小ささにも思いがいたって「鼠一匹」を加えることになりました。

 よろしくお願いします。

横浜市役所              20230124

 

 横浜市役所は、僕が新社会人のころには関内にあった。歴史を感じさせる建物ではあったものの、かなり古びた庁舎は昭和の映画そのままで、うず高く積まれた書類の向こうにたばこの煙でかすんだ窓があった。

 

 設計事務所に潜り込んだばかりの僕は、ちょうど始まった横浜市内の電気電子メーカーの技術研究所計画の担当者、W先輩の手下に置かれて右も左もわからないまま走り回っていた。

 時々、先輩に「一応、市役所建築指導課の確認を取っておこう」と指令されて、何度も関内の市役所に通った。

 

 開庁時前に行っても、いつも担当者の机には行列があった。人によっては複雑な相談らしくて、1時間待つのは珍しいことではなかった。

 ようやく順番が巡って来て質問すると、「本(建築基準法法令集)に書いてあるだろ。次の方。」などと。あまりの傲岸さに生卵があったら投げてやりたいと何度思ったことか。(完了検査の時はゼネコン担当者が10人居並ぶなかで、黒塗りのハイヤーで乗り付けた割に、腰を落としたままそそくさと帰っていった姿に溜飲を下げた・・・)

 

 おお、こんなところで鬱憤を晴らしても仕方がない。反省・・・

 

 さて、時は移って令和5年。昨日、横浜市役所を訪ねた。

 磯子に建設した、コロナ対応の発熱外来仮設診療所の期間更新のためで、3年くらい前から何度も出かけている。

 関内のころが懐かしまれるほど、庁舎も担当者も洗練されていて、客のように扱われるから恐縮してしまうほどだ。笑

 

 横浜市民でなければ市役所に出向くこともないだろうから、ちょっと紹介しよう。桜木町駅に市役所用改札が新設されて、デッキで行くことができる。

 あいにく、10年に一度の大寒波直前のためか陽光はなかった。この雑感でもロープウェイの写真を載せた記憶があるけれど、もはや昭和の横浜市庁舎はどこにもその痕跡を残していない。嬉しくも寂しいような。

 遅くなった昼を、駅となりのきっと再開発されたのだろう建物の店でとった。

 

 ハンバーガーにしては結構な値段だ。とても美味しいので不満は少しもないけれど。

 

 もう20年も前か、クア アイナ というハンバーガーショップを見かけたとき、既存のハンバーガーならいくつも食べられる値段に驚きながら感心したことがあった。

 お金の使い方に再び思いをめぐらした日。笑

井上靖                20230121

 

 前回、読んでいる本として井上靖の「猟人・闘牛」と記したけれど「猟銃・闘牛」の間違いだった。

 確かに、りょうじん・を変換しようとしても現れないので、猟と人とを組み合わせたわけで、それでも気付かなかったのは自分勝手な理由があって、それは、悪く言うと「あさる人」の物語だと思ったからだ。

 

 ここで念のためネット漢和辞典で調べてみると、「猟人」という言葉は「狩人」と同義とされて立派に載っていた。(始めからかりうどと打てばよかったらしい)また逆に、「あさる」と調べると「漁る」はあっても「猟る」は無かった。きっとあるとは思っているけれど辞典的には見当たらないので、まずは一勝一敗。

 

 この二つの小説は僕にとってとても読みごたえがあった。どちらかというと新しい軽快な都会的小説には手が伸びず、太平洋戦争を引きずった時代の作家が持っている量感が好きな方だし。

 「闘牛」では五木寛之氏の一連の作品を思い出したし、「猟銃」では吉村昭のウェットさを思い出した。

 猟銃は、ライフルで狩りをする壮年男性と、彼を取り巻く妻・愛人・姪の手紙からなる小説だ。

 闘牛は、戦後間もない時に、徳島の闘牛を関西の野球場での興行に持ち込む小説。

 

 吉村昭に触れたのは、「帰艦セズ」に収められた「魚影の群れ」という短編で、まぐろ漁師とそのひとり娘の婚約者をめぐる葛藤が描かれている。(これにはきっと、老人と海の影響がある)

 テレビ視聴を減らす傾向にあるとはいえ、この間まで「テレビに映るのは愛玩犬みたいな男ばかりだな」と悪態をついていた僕としては、やはりこのような生臭さがときに必要だと思ったりする。

 

 生臭さは別として、大変な量感を持ってかつ女性がほれぼれするであろう容姿をも併せ持っていたのが「GHQに唯一歯向かった日本人」と呼ばれる白洲次郎だろう。

 ある意味、触れるのも気恥ずかしいような存在だけれど、白洲正子と暮らした武相荘が隣駅にあるので勝手に親近感を持っている。

 容姿と業績は別世界として、こうした存在はどこか心に置いておきたいと思った。笑

今朝寝床で              20230115

 

 まだ夜が白む前、目が覚めた時夢を憶えていた。

 坂東玉三郎さんが、そば屋の暖簾のようなものの前で女形のまま、「短歌には定型がありますが、例えば4音ずつの連続でも可能なのですよ」という解説をしているものだった。

 僕は薄く開いた目を再び閉じて、4音でリズムができるだろうかと考えて、4×6+7=31音だと気付いた。

 そして最初に頭に浮かんだのが かざまく だった。続けて、

 

 かざまく ゆうぐれ しらなみ はるかに しずかな こうせき 

 せかいをおさむ

 (風巻く夕暮れ 白波遥かに 静かな航跡 世界を治む)

 

 料理でも写真でも、自分で作ったものには愛着が湧くけれど、少し経って見返せば「なんじゃこりゃ!」と思ったりする。大体9割強の確率でそうなるけれど、思いつきの即興だからまあ致し方ない。という前提で続ける。笑

 

 風景としては海岸に立っているのだけれど、イメージはフェリーの最後部デッキで海を眺めたときに、後ろに引く航跡が数キロにわたって平らになっているようすだ。

 そしてこれだけだったら忘れたはずなのに、ここにあえて記すのはもう一つの情景がシンクロしたからだ。

 

 アパートの3階くらいで西日が差し込んでいる。畳に置かれたアイロン台に取り込んできたシワクチャなワイシャツが広げられていて、その背中部分にあてたアイロンが一筋。

 

 

 元旦に集まった長男夫婦に、「テレビにもネットにもいささかうんざりしているのだけれど、なにか心地よいものを知らないか」と尋ねた。「僕たちも見つけられない。つまらないし何かが偏るから見ない」という返答だった。まあ確かに。

 村上龍氏の「55才からのハローライフ」という連作小説を再読していると、定年後に力なくテレビの前に座り続ける男を妻が見ている描写があって、少し気持ちがザワついた。

 無造作にテレビのスイッチを押すことを遠ざけて、その分新聞を細かく読むようになった。

 短歌の話題はその記載の中に見つけた。(玉三郎さんと4音の話の出どころは何だったか)

 そして同じ日、これはテレビでフィレンツェからプラハまで自転車で旅する番組を見て、ドローンを使った美しい風景に息を呑んだ。また、寝る前に、村上龍氏を読み終わっていた僕は、井上靖の「猟人・闘牛」という文庫本を読み始めて、そのきれいな言葉に魅了された。

 

 先に記した変則短歌は陳腐だし滑稽だろう。それでも寝惚けた頭にそんなことが浮かんだのは、上のようなインプットがあったからかも知れない。と思った。 

 

「自転車旅 ユーロヴェロ 90000キロ」

遠出散歩              20230110

 

 1月4日に鎌倉と江ノ島を廻った時、スマートフォンの歩数計を見ると妻よりも多かった。これまでは1割弱ほど僕の方が少なかったから、また歩幅が小さくなったかと不安がよぎる。

 そこで新年はなるべく大股で歩くように誓った。

 

 6日に思い立って一人で相模大野という二駅先まで歩いてみることにした。コロナよりしばらく前、偶然立ち寄ったラーメン店がとてもおいしかったので目標にすると励みになる。

 一度コロナの時期に行ったときは、このラーメン店は駅ビルの隣のビルに入っているのだけれど、ビルごと閉鎖されていた。

 今回は閉店している可能性を思いながら、しかしそのラーメン店は近くの精肉店かステーキ店が出した店だったから残っているのでは、と期待して到着してみると、別のラーメン店が入っていた。写真を見ると好みのものではなく、ステーキ店も検索したけれどヒットしなかった。

 ああコロナ。

 

 仕方ないという気持ちで入ったロータリーに面した駅反対側の路面店は、食べてみると気に入った。普段は細麺の方が好きだけれど、これは別。

 「美味しかった、ごちそうさま」と店を出て、帰りのルートを思いめぐらしているとき、一人だけどボーリングをしようと思った。(20年以上していない)

 町田駅そばの「千寿閣」という中型施設は、休業だか閉鎖なのだか、しんとしていた。それではと、駅反対側のROUND1に入ってみると、70分待ちの札。

 気持ちを切り替えてバッティングセンターを目指したら、これは跡形もなかった。そういえば、最後にいつ見たか記憶にない。

 体を動かすことはあきらめたけれど、何もしないのも癪なのでサムライマックを長女家族の分も含めて7個買った。孫たちもたまにはジャンクフードに触れた方がよい。でもないか。

 帰ってみると、21,500歩だった。早朝の6,000歩が加算されたとはいえ、鎌倉~江の島が16,500歩だったから短時間のわりに多いと思う。 

 うれしいのは、昨年暮れに徒歩6~7分のところに本格的カレー店がオープンしたこと。

 これまでは木造2階建ての建物オーナーが片手間という感じで喫茶店を出していた。(入ったことはなかった)

 作ってくれるのは同年配かあるいは年上の女性で、込んでいる注文の合間を縫ってカウンターの僕たちのカレーに関する質問に答えてくれた。期待大だ。

新年                20230105

 

 開いてくださったみなさま、新年おめでとうございます。

 みなさまをはじめとして、僕たちも楽しい一年になりますよう祈念します。

 元旦に、長女家族4人と長男夫婦が集まることができた。

 僕の母を含めて9人がテーブルに着くと、ぎりぎりかも知れないけれど近いのも楽しい。

 お煮しめや黒豆などがどんどん減っていくのは、保育園などの食育教育のためか、あるいは農産物の品種改良か。満腹になったら僕と母を除いてみなでトランプに興じているのがうれしい感じ。

 写真下は妻が準備したものの一部で、その注力にはきっと何かの見返りがあるだろうと思う。

 

 3日に孫たちが訪ねてきた。そこで神経衰弱やババ抜きなどするうち、坊主めくりをしようと誰かが言い出した。

 僕としても、ただ札をめくればよい坊主めくりはありがたかったのだけれど、終わってみると最初の3ゲームは終了時点で手札ゼロ。(最後にめくったのが坊主だったから)

 次の最終戦は終了時の札が2枚。おお。

 その、引きの悪さに孫たちよりは妻と長女に笑いが止まらなかった。笑

 

 しかしながら、4日に訪れた初詣では「大吉」を引く。

 そのおみくじを引いた長谷寺に行く途中、雀だかの糞を頭にくらったのは前哨戦か。

 鳥の糞を浴びたのは覚えている限りでは生涯2回で、前回は六本木ビルの地鎮祭だったから、今回も吉兆と受け止めよう。

 長谷寺に行く前の、鶴ケ丘八幡宮では小町通りから混雑があって、まあそれでも普通の渋滞で参拝ができた。

 午前中に参拝を終えたから、小町通りで目星をつけておいた海鮮丼を食べる。廉価なわりに新鮮でうれしかった。

 

 鎌倉からまずは江ノ電に乗って長谷寺で降りた。その後、江ノ電江の島駅と、小田急線片瀬江ノ島駅の間でおつまみとお酒を探したけれど、結構行列があったのでそのまま歩いて江ノ島に向かう。

 

 南側灯台先まで行って、いつもの店を目指そうかとも考えたけれど、時間と体力を用心してふもとの店でおつまみ+日本酒でまとめた。

 家族と楽しい時間が持てて、海も見ることができたから充実した正月だった。(^.^)

熊谷へ               20221227

 

 先週は横浜市役所と熊谷に出かけた。通勤がなくなって久しいので、電車に乗るのが新鮮だったりする。笑

 熊谷は、最高気温でたびたびニュースで見かけるけれど、訪ねたことはなかった。

 

 熊谷駅で秩父線のホームに移動して、なんだかたつの市のダイヤみたいだなと写真など撮って、確信をもって反対向きの車両に乗り込んだから遅刻した上にタクシー代も払った。

 写真は上段が横浜桜木町の市役所で、下段が熊谷駅。横浜市役所帰りには、崎陽軒本店に寄ってシュウマイや餃子を買った。

 この写真は、左下が新宿紀伊国屋書店のそばの「ガンジー」のもので、他は僕が作ったもの。カレーに福神漬けはどうかなと日ごろ思っているけれど、ガンジーでは素直においしいと思う。

 先週のエチオピアカレーとガンジー、共栄堂が最近の個人的ランキング上位だ。(エチオピアカレーは、チキンカレーの辛さ10倍がお勧め。辛いけれど、激辛ではない。辛さに決して強くない僕は、ビーフカレーで20倍を無理なく食べられるけれど、チキンカレーはスタートが前にあるので10倍が僕のおいしい守備範囲。)

 

 前から思っているけれど、僕が作る夕食はオフィス街のランチメニュー的で家庭料理の趣がない。盛り付けの拙さとはまた違う次元で。妻とくらべることもなく、まあそれは経験値の違いなのだろう。

 右下のやけに目玉焼きが威張っているものは、ほんとうはココナッツのキーマカレーで、見た目と違ってけっこうおいしかった。笑

晴れやかな日            20221220

 

 12月18日、如水会館で妻の所属する「全日本書芸文化院」の授賞式があった。

 妻は、児童・学生も含めた全国コンクールで師範部特別賞を受け、成人だけの全書芸では「玉川堂賞」を受けた。(玉川堂とは、筆をはじめに書道の道具を扱う老舗)

 

 玉川堂賞は、文部科学大臣賞と東京都知事賞に続くもので、受賞・入選者リストを見るとぎっしり数百名の名前が並ぶほぼ先頭にあるのだから、代わりに僕が自慢しよう。笑

 僕は、一般が入場できる全国コンクールの授賞式を覗いた。ここで受賞したのは右上の写真で、応募はみな企画サイズの半紙で提出するらしい。式に参加しているのは、9千点あまりからの受賞だから児童・学生はもちろん、その父兄も嬉しそうだった。

 写真中央のものは、玉川堂賞を受けたもので、コンクールと違って総合力が試されるので大きさも書体も多岐に及んでいる。妻のものは90㎝×180㎝のたたみサイズ。

 こちらは懇親会を含めた着席での式だから、会員以外入ることができないので、僕は受賞作が展示されている国立新美術館に廻った。途中で神保町のエチオピアカレーを食べることも忘れずに。

 写真左上は如水会館での式場。他3枚は国立新美術館。

 前の日とは打って変わって青空が気持ちよかった。今週木曜日は長女が見に行くそうだから僕は孫と留守番になる。

 弟のほうはまだ無理だけれど、小一の兄とはワールドカップの話で盛り上がるだろう。なにしろメッシの優勝を熱烈に望んでいたから。

冬の到来              20221212

 

 このところ、夏には寒い日なんてやってくるのだろうか、と思いながら、寒くなるとあの暑い日は本当にあったのだろうか、などと思う。

 通勤しているときは、場所はいろいろあったけれどどこも光に満ちていた。祐天寺(渋谷)、代々木上原、赤坂、表参道、水天宮前、骨董通り、虎ノ門。丸の内や霞が関は訪ねていく場所だったけれど、勤務地の街は小さくても躍動感があった。

 だから、町田の自宅で通勤なしに仕事をするようになると、夕方の暗さを感じるようになった。それでも、沖縄や四国、東北など  出張が多かったからそれなりの高揚感は持続していたけれど。

 今は、コロナ禍も影響してか出張回数は減っていて、自宅廻りを歩くことが多くなった。

 静かな夕暮れのなか、幼子が母親に訴えかける声やおじいさんの松葉杖の音が耳に入るようになった。こちらが本当なのかと思う。

 写真右上は横浜に用事があって中華街で昼を食べたときのもの。それ以外は、冷蔵庫と相談しながら僕が作った。右下は今晩で、あんかけ堅焼きそば。

 

 先週は叔父の葬儀での会席や中華街での昼食もあって体重が二度跳ねあがったけれど、そのほかは野菜中心にしたためかもとにもどった。あとはワールドカップの終了を待って日常に戻るばかり(^^;)

関西へ               20221202

 

 前回記した石井修展と、10月に開業した商業施設の視察を兼ねて、先週末に兵庫県・京都府を訪ねた。

 この写真は断片的だけれど、兵庫県たつの市の姫新線東觜崎駅そばにあるコンテナ複合施設だ。

 オーナーは、地域の活性化とコンテナ建築を広めるショールームを兼用した施設として、広い敷地に3棟を建設した。(僕はコンテナ設計と製造管理を担当)

 訪ねたのが日曜日だったこともあって、たくさんのお客さんが入れ替わり訪れて活況を呈していた。頼もしい。(牛すじカレーをたべたらとてもおいしかった。!(^^)! スタッフも快活で朗らかなのが良い雰囲気を醸し出している。)

 

JUNG  RING  ㈱ゲンイチ

 

 JUNG RING を視察したその足で、兵庫県立美術館で最終日を迎えた石井修展にでかけた。

 この写真では人の姿が多くないけれど、それはねらったためで実際は大変盛況だった。

 石井修氏はおおざっぱに言えば昭和時代に高名を馳せた建築家だけれど、現代を先取りするような環境重視の発信があったためか、今日の学生がとても多く見られたのが驚きでもあり、得心するところでもあった。

 

 大学の匂いを思い出すようでとても良い刺激を受けた。     

 感想を記したいところだけれど、今回は旅行記ということでここまでで我慢。 

 石井修展見学のあと、京都まで在来線で移動して宿泊した。

 そして翌日、まず金閣寺を訪ねた。京都駅から思ったより遠いことに驚く。見学を終えて守衛さんに「竜安寺は歩けますか?」と尋ねると、「20分あまりかなあ」との答え。歩き始める。

 そのしょっぱなでまだ昼には早かったけれど、鯛めしの看板を見つけたのでふらふらっと引き寄せられてしまった。美味しいけれど、やっぱり宇和島の方が感激的か!。

 竜安寺ばかりでなく、京都駅周辺も外国人観光客を多く見かけた。コロナ前の状況を知らないので比較はできないけれど。

 写真左下は、石庭の囲い塀を裏側から見たもの。広い庭園は樹木が美しく整えられていて気持ちがスッとした。

 最後に訪ねたのが三十三間堂。

 竜安寺からのバスを乗り間違えて(京都のバスは難しすぎる)四条河原町で降りて悔しいからそのまま勘を頼りに歩いたら、疲れたところでまだ五条・・・。それでも頑張った。

 今回出かけるときに真っ先に思い浮かんだのが三十三間堂だったので、大変満足したけれど、堂内撮影不可だったので売店で鉛筆を借りてにわかスケッチをした。

 立派そうなことは言えないけれど、「視る」ことは高度技術が必要なので、スケッチはその力強い補助なのだと再確認した。

 

 そんなに荷物は重くなかったのに、14,000歩/日の連続はそれなりに疲れたけれどとても楽しかった。

石井修展              20221125

 

 大学同窓の石井さんの父上の展覧会が開催されているので紹介しよう。

 紹介と言っても会期が残り二日なので大変間の悪いことになってしまったけれど。

 会場が関西なのでどこか遠いところという感覚だったのだ。

 生誕100年の著名な建築家、石井修さんの長男である同窓の石井さんは同じく建築家で、二つ目の大学だったので僕よりは数年先輩になる。卒業設計や卒業論文で鈴木恂先生の研究室のドアを叩いて総勢7名の仲間になった。

 

 鈴木先生の喜寿を祝う上海行では二人部屋の同室で、だから自由時間でもISZさんと一緒にずっと行動を共にした。

 

 そうそう、上海行では危うくローマ行きになるところだった。一部の大企業社員を除けば、好きだから設計の仕事をしている集団なのに、どこか金銭感覚がズレていて平気で上海とローマのどちらにしようか、などと言ってくるのだ。新宿か渋谷か、とでもいうように。

 僕はあいうえお順で連絡係になったから、努めて平静を装って「若い人は時間がないだろうから上海が良いのではないか」と発言した。ローマだったら1週間になっていただろう。怖!

 

 最終日の日曜、大きな足跡を残された建築家の気配を感じたいと思っている。

秋の陽、食事            20221123

 

 いつものように恩田川を散歩していたら、とんぼが僕の足先に舞い降りて動かなくなった。一週間だろうか、地上の時間を全うしたらしい。

 夕食調理は、少しだけステップアップした。

 作るものを決めてスーパーマーケットに買い出しに行っていたのが、冷蔵庫を眺めて考えることができるようになってきた。

 左端は白菜を新鮮なうちに食べてしまおうとクリーム煮にしたもので、右端は山芋とワカメのバター炒め。おお。独創的。おいしい。

 右から2番目はカレーパンマンを意識したけれど、孫に食べさせるわけでもなくてもはや妄想か。笑

 上の写真は茅ヶ崎(辻堂)のカフェを久しぶりに訪ねたもの。

 オーナーは隠れ家的な店を意図したとおっしゃるけれど、隠れ家的過ぎて、近所の人たちもカフェがあることに気づかなかったということで、僕も看板を出したらと進言した。

 

 もともとはガーデニングのお店で、ビオトープなども苦労して作って夢中になっているようす。

 ほがらかな奥様が調理するこの日の定食は、しらすのオープンサンドで大変美味しかった。これだけ薫るアイスコーヒーを他で僕は知らない。

 辻堂駅から1番バス乗り場、赤羽根行きに乗って6分5停留所の「六図」下車。登り線ならバス停目の前。ただし1時間に2~3本。カフェから眺める庭は順光なので幸せ感がきっと得られます。

 

「ナリen」

 

こっちの方 がよりわかりやすいかも。

昭和のあだ名            20221115

 

 かなり古臭い感じになる雑感。

 子供のころのあだ名の記憶。

 

 僕は小学校のころ「あんこ」と呼ばれるようになって、高校時代の途中まで一部で続いた。なぜあんこなのか、和菓子のあんこではないし、相撲力士のあんこ型でもない。深海魚のあんこうも関係ないはず。荒美のあ、が始まりかと思っているけれど。

 同じ中学出身のKRE君が呼んでいるのを知ったYMM君やHNJ君が受け継いでくれたけれど、どこかで減っていって「アラミ」になった。

 

 中学1年に仲良くなって毎日一緒に遊んだ4人組が、「たかお」これは苗字そのまま、「タワシ」、「チョック」。近くの町田高校校庭に潜り込んで、自転車サッカーを大いに楽しんでいた。ケンカもしたけど。

 

 バレーボール部に入って、一年先輩が「フルチョ」。彼はとてもハンサムで、バレンタインデーの日にたまたま廊下で会うと、「アラミ、チョコレート何個?」と聞いてきた。正直にゼロと答えると、「おれ、こんな」と見せてくれたのは段ボール箱にどさどさと入ったチョコレートの山だった。最早告白というよりファン投票の感じ。

 バレンタインデーと言えば、家の隣のひとつ年上の「なおちゃん」の弟が二つ下の「ヒーコ」で、彼は目立つ方ではなかったけれどすらっとした清潔感のある少年で、クラスで断トツ人気と聞いた。星飛雄馬(巨人の星)を目指していた僕は女子の好きなタイプを初めて知らされた思いでショックを受けた。笑

 

 少年野球チームでは、「カタさん」(桜美林優勝時のキャプテン:のちに監督)、「ナオヤ」(名前通り:東海大相模キャプテン)「キンちゃん」、「シブヤさん」(体がデカかった)、「ニクソン」(小柄なキャッチャー。)このチームで、僕はあだ名ではないけれど父兄に「ラッキーボーイ」と呼ばれることがままあった。2番を打っていて実力が無いのに後ろの選手のヒットでなぜかホームに帰ってきたからだろう。

 

 中学時代、親しいところでは「ジェリ」(少し前に記したウィッチンケア発行者)や、「とんちゃん」(修学旅行直前に走り高跳びで鎖骨を折って、僕が荷物を引き受けた。)他に「ブオジ」、「キータン」、「オンジ」、「ヨースイ」(苗字が井上)、「アッチ」などさまざま。本当の名前が思い出せない。

 

 最近のニュースなどでは、「くん、さん」を含めて呼び方に配慮が必要らしいけれどあだ名にもどこか体温があったことも確かだ。

 復活を願うものではないけれど、そうした体温は継承してほしい。

 

 ああそうだ、数か月前に大規模設計事務所の社長に就任した大学同級生に「ピエール」とあだ名を押し付けたのは僕だし、同期の那覇出身の友人に会ったその日に「マスター」と呼ぶことを決めたのも僕だった。ピエールは何かとも洗練されていたし、口ひげが豊かで視線が落ち着き払っているように見えたTKM君は、いかにもバーのマスターだったのだ。笑

月食                20221111

 

 先日、長女から妻へのメールで滅多にないという皆既月食を知った。夜空を見上げてみると、見たことのない赤い満月があってこれが月食かと訝しんだけれど、なるほど光は屈折するものなのかと曖昧に頷く。アインシュタインが指摘した光の特性とはこういうことなのか。・・・多分僕の思い違い。苦笑

 最近は野菜がとても好きになった。健康志向という点もなくはないけれど、単純に味を再確認した感じ。そのうち精進料理に目覚めるのか!

 

 右端の写真は前回とよく似ていると見えて、前回がアジア系なのに対してこれはイタリアンのつもり。

 ずいぶん久しぶりにスーパーマーケットのOKに行ってみたら、トマトソースの瓶詰が僕の認識の半額以下だったので迷わずかごに入れて、今日は豆乳と調節して焼き野菜の下に置いた。おいしい。

(真ん中の写真は恩田川散歩中の昼の太陽、青い点はレンズの影響らしい)

片付け               20221108

 

 先週末に居間周りの片付けを敢行した。本や雑貨をしまっていた収納の半分が整理できて、隙間も見えるようになってうれしい。

 

 終活という言葉が聞こえてしばらく経つようだけれど、特に関心を持ってはいなかった。それでも、身の回りを軽くしておかなければという思いは小さくなかった。

 妻が2年余り前に母を見送って、姉妹で片付けをしたのだけれど、整理整頓が信条だった義母としても、片付けには労力を要したということが頭にあったし。

 

 片づけるうちに奥の方から製図に使ったハンコのケースが出てきた。

 写真の左端。

 パソコンで全てを進める今となっては懐かしいばかりだけれど、そんなことを言っていると片付けは止まるので写真だけ撮って廃棄。

 真ん中は、子供のために作った紙粘土ウルトラマン。どちらかというと材料と機会を借りた自分の遊びか。笑 ピカチュウは確か長女作。

 

 その晩作った夕食が右端。上のお皿はキャベツの千切りとゆで卵に全粒粉のロールパンを細かくちぎって和えたもの。

 少しのオリーブオイルと塩コショウ、ごく控えめなマヨネーズというだけ。結構食べた感があって、カロリーを考えるととても良いのではないかと思った。ロールパン2個を3人に分けて充分だった。僕の発明料理。笑

11月                20221104

 

 このところ散歩は続いている。スマートフォンで見ると、この一週間は平均で9051歩/日だ。月平均にすると5602歩だから向上しているのがわかる。

 以前は夜に歩いたりしたけれど、最近は午前中に切り替えたので、保育園児とすれ違ったりして気持ちもほっこりする。

 上の写真は左から順に、横須賀秋谷のT邸模型・散歩道・2日の夕食。まとまりがないけれど、色が11月っぽいかと。笑

 

 昨日、長女家族を誘って町田に焼肉を食べに行った。

 僕たち夫婦と同じように、長女家族も焼き肉店に出かけることは無いらしい。

 1年くらい前から孫たちと焼肉を食べたいねと話していた。それは、男子二人が中高生になったら大変な出費になりそうなので、早めに実績を作っておこうと僕が考えたからだ。

 

 Kは喜んで焼き奉行振りを発揮していたし、Rは普段は鶏肉以外を好まないらしいのに、口に押し込むようにして食べていた。

 Rが「もう一回寝たら焼肉?」と無邪気に言っていたので、何か対策を練らねば。

 

 比較材料がないので推薦しかねるけれど、町田中央通りブックオフ隣の「焼肉やまと」は狭いけれど個室で、清潔感があって嬉しかった。

小澤酒造              20221031

 

 昨日、久しぶりに青梅の小澤酒造に出かけてみた。立川から青梅に向かい、単線になってから沢井駅を目指す。前回は、一駅歩いて軍畑(いくさばた)という変わった名前の駅から帰ったけれど、他にも不思議な駅名が多い。

 

 行楽日和そのものの天気だったから、改札もない小さな駅に降り立ったのは何十人にも見えた。パスモのタッチに行列ができる。

 「全員が小澤酒造に向かえば大変な混雑ではないか」と心配した。

 果たして着いてみると大勢の人であふれていた。それでも、1時間に2本のダイヤだから、どんどん増えることもなくてなんとなく馴染んでいく。

 立ったまま飲食している人も多かったけれど、ちょうど席が空いたところに出くわして、のんびりできた。

 4号瓶を空けて、いつも通り川岸を歩いて河原に降りてみる。

 この散策路はもっと整備すれば人を呼べるような気がするけれど、小澤酒造はあまり欲を持たない会社らしくて、ひとの手を過剰に感じさせないようすがうれしい。

 釣りをする人、カヌーで川下り体験をする人、河原で昼寝をする若い二人連れ。それぞれの時間を持っていた。対岸には天然ボルダリングのグループ。

 そのまま隣駅の御嶽山まで歩こうかと考えたけれど、誕生日の近い長男にお酒を送ることを思い出して小澤酒造に戻る。

 

 変わらず賑わっていたけれど、運よく帰り際の大人数家族が席を空けてくれた。近くに住む3世代家族で、客の多い日は観光地気分に浸れるので遊びに来るのだ。と話してくれた。

 テーブルを囲む7つの椅子に2人で座っていたら、ほどなく同年配の男性が「二人で座って良いか」と声をかけてきた。もちろん「どうぞ」

 しばらく経って話をしてみたら、63歳と64歳の男性は、障害を負われたひとと、ヘルパーさんだった。10年ほど前、激務の最中にホームから転落して頭部を打ってしまい、助けが必要になったとのこと。

「つらいことがいろいろある」と話しながらも終始ニコニコしていて、肌の色つやは羨ましいくらい健康的だったから苦しんでいるようにはとても見えなかった。

 ヘルパーさんも仕事としての距離を保ちながら友人のようでもあり、少し前には二人で障害を負ったひとの生家を訪ねたというからとても良い関係なのだろう。二人とも酒好きなのに、ヘルパーさんは運転があるから飲まずにいたのが他人事ながら残念。笑

 

 たまたま居合わせた我々に、言葉を発することが少しでも彼らのリフレッシュに役立っていたらと思った。

恩田川 秋              20221029

 

 散歩する恩田川は、時々、専門職のひと達が護岸から降りて伸びてしまった草木を刈っているけれど、両脇の遊歩道の花壇を誰が維持しているかわからない。とても丁寧で、歩く人は誰しも感謝しているはずだ。

 僕は、植物の名前や違いにとても疎くて、コンプレックスを持っている。

 

「心旅」というBSの長寿番組では、自転車で全国を巡る火野正平さんのコメントが生命線だけれど、その中に昆虫や植物の名前が多くあって、幼少期から馴染んでいるだろう様子が氏の豊かさを感じさせる。

 

 設計に携わる人の中に、一所懸命樹木の名前を憶えたらしい様子が見られるけれど、生活の中で獲得したものとは決定的に違う。だから、すっと名前の出てくる様子を羨むしかない。

 

 花を見る機会を与えてもらったことに感謝するばかりだけれど、 できる見込みがないまま、高山植物を見に行きたいなどとも思う。

チリ・ストロガノフ         20221028

 日を置いて作った夕食は、赤と白になるはずだったけれど、白の方はブラウンになった。

 赤がチリビーンズで、ブラウンはウクライナ風ビーフストロガノフ。

 言い訳をすれば、食事が出来上がれば暖かい間に食べたいし、階下の母にも届けるから盛り付けに神経を使うことが難しい。

 

 どちらもクミンを使っていて思い出した。

 7年前まで水天宮前に勤務していたころ、墨田川対岸に弁当屋があって、それは家族経営らしくて一番張り切っていたのは婿殿らしいペルー人だった。

 この婿殿の作るペルー弁当は異国の香りがするけれど、全体的な柔らかさやさしさはきっと日本人好みで、繁盛していたように見えた。

 

 最近のテレビワイドショーによれば、円安で食材の価格が国産・輸入品でほぼ同等になったらしい。

 値上げととらえることも自然ではあるけれど、国産に再注目する絶好の機会だとも言えるかも知れない。

 ある日書店で目についたので「農ガール、農ライフ」という本を買ってみた。

 読むと大変面白くて満足した。内容をおおざっぱに記せば、都心に暮らしていた30歳の女性が、移住して農業に挑戦する物語だ。

 

 必ずしも農村が移住者を歓迎しているばかりでもなく、農業で生計を立てることの難しさがあっけらかんとした展開で示されることに大いに好感を持った。

ぶら下がり             20221027

 

 ぶら下がり健康器を購入した。

 妻の発案で、背筋を伸ばしたいからという話だったけれど、僕があまりに座りすぎていて姿勢が悪くなっていることが影響していることは間違いない。

 なにしろ、MLB(アメリカ大リーグ)を3時間あまり視聴することは珍しくないし、たまに本を読めば、5時間を超えて脚の組み換え程度で座り続けてしまうのだ。

 

 ある日など、衣服を買いに出かけるという妻を椅子で送り出し、「ああ、お帰り」と言うと、「出かけたときと同じ形」とあきれられたりしたこともあった。

 

 ぶら下がり器具が届いて四苦八苦して組み立てた。

 ひとりでやってみると宣言して挑戦すると、かかとを浮かす前に腕がぶるぶる震えた。

「タイタニック号に乗り合わせたら、最初に落ちるのは自分だ」と映像を思い浮かべる。多少覚悟していたとはいえ、ショックだ。

 

 軽々とやってのけるおっさんがいたら、「18リットルの灯油缶を背負ってもできますか?」と問いかけたい。もちろん、もっとみじめになるだけだけれど。

 ただ、ちょこちょことぶら下がっていたら、1週間ほどで無理せず20秒はもつようになった。

 思い返してみれば、最後にぶら下がったのはいつだったか。10代、20代・・・記憶にない。だから、筋力の低下は素直に認めるとして、全身の筋肉がぶら下がることを忘れていた、という言い訳もあるのではないか。

 そんな釈明を自分にしても、小学校などにある「運てい」を渡ることは射程圏外と思い知らされてもいるけれど。

 しばらくサボっていた散歩を再開した。あらためてグーグルマップで経路確認をすると、往復で5.2㎞だった。道理で時間がかかる訳だ。

 再開した日、ちょっと足を延ばして9㎞にしたら、最後の上り坂がほんとうにきつかった。「長く歩くより、小まめに動くことが肝要」という話に素直にうなづく。

 

 孫が生まれたころ、「体力をつけて守ってやらなければ」と思ったのが、ほどなく「足手まといにならないように」に後退して、最近では「もし介護を受けるようなことになれば、可愛いくらい小さくないと」と思うようになった。おお。

孫                  20221019

 先週土曜日は孫の運動会で近くの小学校に出かけた。

 幼稚園年少なのだけれど、広い校庭で開催しようと、僕の卒業した町田第五小学校で開催された。

 この孫の兄は小学校に入学していて、僕の長女長男三代で同じ校歌を歌うのがちょっと不思議。

 

 子供たちや妻の友人と何年か振りの再会があったけれど、当たり前ながら年月の経過が感じられて、当然自分もそうだから歳をとるんだなあなどと思う。

 

 長男のサッカー部の先輩なども声をかけてくれて、誰だか思い出せなかったりする。おっさんサッカーにつきあってくれたから、彼は僕を認知するようだけれど、14歳から35歳になっていると別人だ。

 自分たち夫婦の35歳を思い返して感慨にふける。

 

 月曜日は幼稚園の振り替え休日で、Rと長女が家に寄った。

 なんとなく買っておいた黒板とチョークを妻がRに手渡すと、楽しそうにしていた。男子兄弟だからどうしても兄Kのお下がりが増えがちらしくて、包みを開くのが嬉しかったらしい。

中野駅北口              20221016

 

 昨日は、高校時代の友人との飲み会で中野に行った。

 中野は新宿から近いけれど特に出かける動機が見つからず、ほとんど知らない。この集まりの幹事役のYMM君の勤務先が中野だから、何度か行ってはいたものの、南口だったから北口は未知だった。

 ラビリンス・・・路地を歩いていくと、縦横に延びる飲食店街は道路にはみ出したテーブルなどもあって、見たことのない光景だった。一緒にいたKMR君は、野毛もすごいけどこっちが勝っているかなあ、と言っていた。僕は野毛を知らないので比較できないけれど、みなが感心していたのは間違いない。

 

 いろんな話が出たけれど、興味深かったいくつか。

 

 ABCさんはコロナ初期に罹患したらしい。嗅覚障害も短期間といえあったらしいから、不安を想像すると回復したことに遅ればせながらみな安堵する。

 

 浅草に勤務するKTOさんは、コロナで閉店や倒産に追い込まれた店舗が多く、しかしながら新しく出店した店は若い活気にあふれていて、去った人には気の毒だけれど町の様子が若返ったと話した。

 

 鎌倉に棲むKMRさんも、やはりコロナの影響は大きくて店舗の入れ替わりが頻繁だという。

 

 僕は、巣篭もりしたつもりはないけれど、打ち合わせもズームなどが混ざって来て、遊びは別として外出は限定的だったかも知れない。特に最近は転んだりコロナに感染したりと家から出る機会が減ったので、足腰が弱ってきたかと心配している。

 まだもとに戻すことができる年齢と思うから、少しづつ頑張ろう。

 

 昨日の7人は、幹事役のYMM君こそ奥さんも含めて度々あっていたけれど、ほかの5人は高校時代にほとんど会話した記憶がない。それだけに、高校時代のエピソードが聞いていて楽しかった。

 何か話したいことがあっても、声の大きさで負けて沈黙する自分を発見したし。割って入るって難しい。笑

チーズ入り肉団子           20221013

 このページを開いてくださった方は、「連日、特に変わったところもない夕食を懲りもせずに貼り付けて」と思われたことだろう。

 

 今日から仕事が密になるので、昨日の夕食が一区切り。

 

 豆が食べたくて、クックパッドで検索した。

 手順に従っていたはずなのに、レッドキドニーを解凍したつもりがカットトマトだったりと脱線したので、クックパッドからは大きく逸脱した。それでも美味しかったからこれは鍛錬のたまものか。笑

 この夕食には隠れテーマがあって、それは「ころんころん」。

 手前のものがなんだか見てもわからないけれど、実は肉団子4個なのだ。(チーズ入り・・・!(^^)!)

 

 隠れテーマの「球体(ボール)」は、肉団子(ミートボール)・豆・うずら卵・オリーブ・・・・

 おつまみっぽく仕上がったのがうれしかった。

李禹煥 展              20221012

 

 先日、乃木坂の新国立美術館で、「李禹煥 展」を見てきた。

 直島で安藤忠雄氏と共作していたことを妻が覚えていて、ああそうか、と出かけた。

「肯定感」に溢れているなあと思った。

 少ない情報から、イサムノグチ氏の焼き直しではないかなどと失礼なことを考えていたけれど、それはとんでもない間違いだった。

 

 例えば、岩を置いて、その岩から取り出して精製した鉄板を並べて配置する。

 僕の印象としては、そこには静かな時間の流れと、少しも変わらない止まったままの時間が同時に存在するようで、「そのまま存在していることが奇跡だよ」と励まされているように思った。

 美術展でこれほど作家を身近に感じることも稀だし、まして暖かい気持ちになることも珍しい。

 静かな静かな、無音が聞こえるような静物画を見続けているような時間だった。

 

 展覧会が、氏の足跡を振り返るという主旨らしくて、奔放に新しい表現手段を追い求めていく様子も愉快と言うか自由な気分にしてくれる。

 

 これはおすすめだ。11月7日まで。

揖保乃糸パスタ            20221011

 

 先週は兵庫県での完了検査に立ち会った。

 コロナは最早普通のことで、検査の週に職人さんの何名かが感染したために工事が遅れ、ひやひやの検査だった。

 無事合格したので笑えるけれど、大げさに言えば結果をもらうまで心配が継続した。

 

 微妙な検査の後、最寄りの無人駅の前にポツンとある「揖保乃糸認定販売店」に寄ってみた。次の出発まで40分あったし。

 現場は、揖保川に面してはいないけれど一筋だけ中にあるのだ。

 

 お店で、この近辺でしか買えないものと尋ねると、パスタとラーメンを勧められた。一袋づつでは心もとないので、二つづつ購入して後悔した。ノートパソコンとバッテリーもカバンに入れていたので、さらに1㎏の増量はこたえる。

 それでも、我流ペペロンチーノを作ってみたらとてもおいしかったので、結果に満足した。

 その後、調子にのっていくつか作ってみた。今晩の親子丼は見た目よりもずっとおいしかったと言いたい。でも、過半はきんぴらごぼうにエネルギーを割かれたけれど。

「たまに・・・」という前提条件で言ってよければ、作って食べるってたのしい。

サンピエトロ大聖堂          202201007

ローマに行ってきた。

 

写真は、東武ワールドスクエアにあるサンピエトロ大聖堂。

 孫たちを連れてではなくて、妻と二人で出かけた。そして、1/25というスケールの建物が大変精緻に作られていることに驚いた。

 

 入場すると、日本の国会議事堂や東京タワーから始まって、ふじ丸という豪華客船などが続き、次にアメリカコーナーに行きつく。ここまでは、まあよく作ったね。という印象。

 ところが、ここからエジプトに移動すると、大げさに言えば腰を抜かす。ピラミッドなど膨大な石積みが表現されているのだけれど、これがひとつひとつ作られた石のようで、大変な質感を与えられているのだ。

 そして極め付きが上のサンピエトロ大聖堂。

 他にも世界各国、たくさんの建物が再現されていて、どれもすごいのだけれど、このサンピエトロ大聖堂のレベルを期待してしまうとやや残念感が出てしまうかも知れない。

 コロッセオやグエル公園、ワットアルン、帝国ホテル、桂離宮などへと続く。これはいつか。

 東武ワールドスクエアは、鬼怒川温泉からバスでも6~7分で温泉につかることができた。

 夕食で初めてイワナの刺身と小鮎の甘露煮を食べて、とても美味しくて満足だった。

 雨模様で寒かったけれど、静かできれいな温泉で川音を聞き、一足早く晩秋を味わった気分。

東武WS              (20221009)

 

 あまり写真を羅列すると、もし行った時の興をそぐことになりかねないので少し。

エジプト・ローマコロッセオ・アルハンブラ・バンコクワットアルン・首里城

日本の寺院も豊富だけれど、実物を地上から多く見ているせいか、写真には撮っていなかった。

施設全体としては昭和感があるので好むかどうかは人それぞれかと思う。

夕食支度                20220926

 

 この夏は、時々夕食を作った。

 その前はいつだったか思い出せないくらいだから、とてもムラがある。散歩やストレッチのように。悲

 

 妻と、91歳になった母との暮らしだから、食べる量は限られているし、こうして雑感に記録を残すけれど他人に見せるものではないから、かなり日常感が出ていると自分でも思う。

 それでも、いつか見返したときに「ああ、そうだったな」と記憶の手がかりにはこの方が良いかと。

 

 レシピ本を見れば、知らない世界を覗くこともできるけれど、ここにあるのはあまり考えていない普段の夕食なのだ。

 たとえばローストビーフを作って上手くいったときなど、それなりに達成感があるし、しばらく前にお稲荷さんを作ってその難しさに驚いて、発見もあって楽しい思いをした。

 上のものはハンバーグやシチュー、カレー、パスタなど、レシピも何も・・・というものだけれど、でも、かえってこの方が後から思い出すには都合が良いと思う。

 

 妻は、パリ在住の日本人作家のサイトを見ることが多いという。その影響で、テレビに出たときなど僕も見ていて、食器の選定から食材の豊富さなどうらやましいと思うことが多い。

 

 だからといって、特にキャッチアップしようとは思わないけれど、少しづつでも近づけたらいい。

 ひそかな夢は、長火鉢だけで食事を完結するか、まったく逆だけれど、オープンキッチンで子孫たちと一緒に夕食を作ること。イタリアの田舎みたいに。

感動                  20220923

 

 僕は「感動」という言葉を使うことに若い時から違和感があった。大した理由はなくて、「感激」には抵抗が無かった。

 あえて考えれば、感激は表出するもので、感動はひとり胸にしまうものだという思い込みがあったのかもしれない。

 

 それが、たまたまある記事(SONYを再生させた優れた社長に関するもの)を読んで、かなり変化した。赤字から立て直したという平井社長(当時)が、感動をキーワードに掲げたというのだ。

 インターネットでは、企業の広報かと疑う記事も散見されるなかで、この記事を書かれた方が大変な経歴の持ち主なので、素直に読めた。

 

その記事

 

 あらためて考えるまでもないけれど、人が明日に向けて就寝するのは次の日に何かを期待するからだろう。消極的には「もう一日生き延びること」かも知れないし、積極的には「新たな感動」を味わいたいからかも知れない。

 

「人は食物のみで生きるものではない」とはたくさん聞かされてきた言葉だ。・・・確かにそうだ、と思った。

 

 僕は自宅仕事なので、昼前後に大谷選手の試合を見ることが多い。ときどき紹介される視聴者のコメント主は平日ということもあって60台の人が多く、意外に女性が結構な割合を占める。

 

 大谷翔平という人が、MLBなど無関心だったグループを惹きつけ、その活躍から得た感動で日本の健康寿命が延びているのではないか。笑

 

 賞はジャッジ選手でいい。それは優勝にけん引する選手と、下位に沈んだままの弱小球団選手の差かとも思われるし。ただ、大谷選手の2022を忘れることはアメリカ人をもってしてもないだろう。(来シーズンもっと活躍する場合を除いて)

ハドリアヌス              20220922

 

 ハドリアヌス皇帝とは、ローマの全盛時代を築き上げた大君だ。再放送のBS番組で見ると、征服した領地の人々の支持を得るために浴場や娯楽施設などの整備を推進したらしい。

 

 歴史に疎い僕としてはその検証は無理として、ローマのパンテオンと言う建物を造ったのが誰だかに興味がある。

 アウグスティヌスと言う記述もあるし、ハドリアヌスの別荘と関連付ける記述もある。加えて、学生時代はアグリッパが実行計画責任者だったとされていた記憶がある。

 そのBS番組ではローマの土木技術が紹介されていて、遠くから何十キロも引いたという有名な水道橋(都市部地下を含む)は、勾配が1Km進んで34cmだったらしい。

 現在に置き直してみよう。例えば、市役所など公共建築の駐車場を計画するとき、雨水が流れるように多く求められるのは1/100の勾配だから、1kmでは高さ10メートルになる訳で、その精度の違いを想像してもらえるだろうか。

 

 もちろん、国家的事業と民間事業を比較するのは横暴だ。それでも、2000年前に先人が到達した技術水準に驚嘆するしかない。

 

 思い出したのは、かなり前に読んだ「ゾウの時間、ネズミの時間」という本だ。

 大事な点を忘れているかも知れないけれど、僕がもっとも印象に留めたのは、「ゾウとネズミの生涯の心拍数はほぼ同じだ」ということだった。

 

 ハドリアヌス王の別荘の周りには、3000人が暮らして日の出に仕事を始めて、昼からは大浴場と集まり所で食事などしながら楽しく過ごしたらしい。

 まあ、考えてみれば、日の出が6時として、12時まで労働すれば6時間にはなる。

 ああ、それでも、なんだか夢のよう。

ラーメン丼               20220917

 

 今週は念願ふたつが叶った。

 ひとつめは、兵庫現場の帰りに横浜市役所に寄る必要があって、桜木町駅で崎陽軒のしゅうまい弁当を買って帰ったこと。

 食べたことがあるようで、実は一度もなかったのだ。 

 ごまを振っているパートのおばあさんの姿を想像する。

  

 ふたつ目は、ラーメン丼を購入したこと。

 昨日、合羽橋に出かけてついに手に入れた。860円也。

 

 今日の昼、さっそく「行列のできるラーメン」を食べてみると、大変美味しく感じた。妻は「もうラーメン屋さんに行かなくていいね」と言った。

 

 合羽橋からアメ横まで歩いて、ビールと天ぷらを食して帰ってきた。13,500歩。ビールの大瓶なんて何年ぶりだろう。

ぺんぺん草               20220915

 

 朝食のときぼんやりニュースを見ていると、シロイヌナズナという言葉が聞こえてきた。

 前編を読んで保留中の、三浦しをんさん著「愛のない世界」は、シロイヌナズナの研究に没頭する主人公の話だから、ふと焦点が合った。

 

 ニュースは月探査計画「アルテミス」に関するもので、月に作る基地の資材研究(月の砂からコンクリートを作るらしい)と、植物生育が可能かどうかを、アポロで持ち帰った月の砂を使って実験を繰り返しているらしい。

 その植物としてシロイヌナズナが選ばれて、どうやら見通しが立ちつつあるらしい。

 シロイヌナズナはつまりぺんぺん草とのこと。

 愛のない世界ではこの植物の特徴が熱心に解説されるけれど、ポイントはどこにでも生えていることと、形態が単純なこと、繁殖力がおおせいで、しかし大きくは成長しないことらしい。七草粥にも使われるように食べることもできるから、それも候補理由か(^.^)

 

 僕は花言葉とは無縁だけれど、「あなたに私のすべてを捧げます」らしい。おお。

 

※下の写真は出典サイトにリンクしています※

 コンテナに関与する人間は一匹狼が多くて、変わっている率が高い。食後に飲んだりしていて、キャバクラの話に僕がポカンとしていると、フォッサマグナや宇宙エレベーターの話を振ってきたりする。

「宇宙エレベーターのワイヤー候補が何か知っているか」と聞かれたのでわからないと答えると、「蜘蛛の糸です」ときっぱり。

 

 孫たちの時代には宇宙エレベーターが稼働しているだろうか。

闇の開放                20220913

 

 半月ほど前に、夜更けのNHKで「闇歩きツアー」を取材する番組を見た。

 これは、中野純さんという行動的作家が、有料で深夜のハイキングをガイドするものだ。

 拠点は中野さんと大井夏代さん夫婦が建てた、多摩西部の「まんが館」らしいけれど、出張でどこにでも行くとのこと。いくつかのバリエーションがあって、複数参加ならひとりあたり6千円くらいがガイド料だっただろうか。

 

 非常用の懐中電灯を持つものの、基本的には灯りのない山道を手探りで登るようだ。

 番組では片桐はいりさんがゲストで、ある部分では斜面に手をついて道を探りながら登っていた。

上の写真は、左が番組紹介サイトのもので、左が中野さん、右が片桐さん。ここでは頂から街を眺めているけれど、途中はまさに手探り。

 「はじめは不安だしどうしたらよいかわからない。それでも、見ないということに慣れてくると、動物になったように日ごろの人間関係の距離や配慮から解放されて、気持ちが伸びやかになった」と語る片桐さんの言葉が印象的だった。

 

 中野さんという人は、僕の中学時代からの友人である多田洋一さんが編集・出版する、「ウイッチンケア」という不定期誌のレギュラー作家として知った。何かの拍子に少しだけメールでやりとりをしたことがあって、僕が「中東の指導者にアーラミ師という人が現れるのを心待ちにしている」と言ったら、面白がってくれた。(ウイッチンケアとは、キッチンウェアのスペルで遊んだものらしくて、何と言ったかそういう手法があるらしい)

 

 人間が好きで観察を怠らないのに、常識から離れたところから人の心を覗く中野さんの存在はとても示唆に富んでいると感じた。

 

 以前、瀬戸内海の直島で、やはり闇を体験する現代アートに触れたので、少しだけ闇歩きを想像できる。

 今残っているかわからないけれど、青山に知らない客が複数で闇の中に数十分滞在する体験があると聞いた。

 闇に注目する人は少なくないのだな。

姫新線                 20220912

 

 今日は兵庫県たつの市の現場に来ていて、姫路駅そばのビジネスホテルに一泊する。

 現場は姫路駅からローカル線の姫新線に乗って、25分先の東觜崎という駅から近いところ。

 姫新線はJRだけれど、基本的に単線でところどころの駅で対向線の車両とすれ違うために待機する。少し江ノ電に似ているだろうか。

 レトロ感のないディーゼル車両で、沿線に学校も多いから、高校生たちで賑わうことも多いようだ。

 ここに記したくなったのは、とても味わい深い駅名だから。

 全線では30余りの駅になるようだけれど、僕が乗る車両の案内板は次の13駅。

姫路ー播磨高岡ー余部ー太市ー本竜野ー東觜崎ー播磨新宮ー千本ー播磨徳久ー作用ー西来栖ー三日月ー上月・・・

(写真は東觜崎駅線路横断部から)

 ローカル単線と思えない感じに沿線は整備されていて、タクシーが待ち構えるロータリーも見られるけれど、僕が下車する東觜崎駅は無人駅だ。

 人を見かけることが少ないけれど、山陽らしいおだやかな気配がとても気に入っている。今日はとても暑かったけれど。

MLB MVP               20220904

 

 今年のアメリカンリーグのMVPがヤンキースのジャッジ選手かエンジェルスの大谷選手か、とにぎやかな話題を提供している。

 もちろん僕は大谷選手のファンだし、日本人だからジャッジ選手に競り勝ってほしいと願っている。

 でも、ジャッジ選手がア・リーグのホームラン記録を塗り替えるなら、軍配は彼に挙がるだろうと思う。

 

 大谷選手が打席に立つ姿はとても美しい。

 一方、ジャッジ選手の姿は怖い。

 

 大谷選手の大ファンなので、だからこそ、この際ジャッジ選手に65本くらい打ってもらって、気持ちの良い来シーズンの競争を見たい。

ドライブ曲               20220903

 

 一年浪人して、1979年春に大学生になったころの記憶。

 入学後まもなく、車の教習所に通い始めたけれど、生来のなまけ癖と大学のレポート提出なども少なくなかったから、免許を取れたのは年がかわるころだった。

 

 その当時人気があって、まだCDなど無かったからきっとカセットテープで聴いていた曲がいくつかある特別なファンだったのでもないのにどうしても聞き返したくなって購入した中の2枚がこれ。

 高中正義氏は、空前のヒットになった「ブルーラグーン」を買いに行ったのに、店頭で見つからなくて買ったのが「ジャングルジェーン」。今日現在も車に載っていて、飽きもせずに聞いている。

 高中正義の評価は詳しい人に委ねるけれど、日本人の気質や日本の気候を超越した乾き方にいつも驚かされる。

 天才かバカのどちらかだとしか思えなくて、きっと天才なのだろう。すごい。

 鈴木茂氏の「バンドワゴン」は、確かアメリカ西海岸で録音するくらい力を込めた一枚だったはずだ。無類に恰好良い。

 

 免許が手に入る前、友だちの車に乗せてもらっていろいろな曲を聞くことができた。

 

 入道雲の真下、駐車場のようになった渋滞の逗葉新道で、それでもひたすら楽しかったKMDくんのポンコツ車。

 麻雀が強くて、町田商店会のおっさんたちから相当な売り上げを

手にしていたHSくんのセリカ。

 大みそかに江ノ島の駐車場で暴走族に包囲されたTDくんのシグマ。

 急な加速でひょっとしたら僕は後続車両に轢かれて死んでいたかもしれないYMMTくんのバイク。

 不安な振動をする軽自動車で、「女子を乗せたらプラスかマイナスか」と聞いてきたKREくん。

 爆発的ヒットとなった初代ファミリアで、さっそうと大学に乗り付けたISZKくん。

 中古とはいえ、117クーペを乗り回したUMZWくん。

思い出したらきりがない。 

 

 流れているのは、底抜けに明るい異星人の快楽と、ギラギラとした欲望を隠さない若者の気配だろうか。