雑感

設計とは別に思ったこと

涼しい朝                 20200916

 

 以前よりは入浴に時間を充てるようになって、汗などを熱心に流し落とすようになったためか、例えば朝の5時ころ、寝床での肌触りに大変に幸せな時間を得たりする。

 

 空調機を動かさずに、窓からの風に期待するのはいいなあと思う。写真は7時過ぎころの例の体重測定の後。

 

 働き方を考えたいけれど、そうはうまくいかない日々。何が欲しいのか自問自答の日々。

八ヶ岳                 20200905

 

 子供たちがまだ小さかったころ、夏休みは八ヶ岳や蓼科の貸別荘に出かけることが多かった。手ごろな距離感で、他人との接触もないから自由奔放に振る舞えたからだったか。

 

 今夏は、それを懐かしむということではないけれど、妻と相談して八ヶ岳に宿を予約した。フリードリンクという言葉に誘われて。

 ロビー、庭、客室、食堂、浴場・・・際立ったところは無いとしても、とても居心地がよかった。感謝感謝。ホテル「風か」。

 サントリーの醸造所がある白洲は、清冽な水が変わらずにあったけれど、岩の配置は記憶とは違っていた。大雨で変化したか、こちらの記憶違いかもしれない。

 

 ホテルのすぐそばにある、「キースへリング美術館」に出かけた。孫男子二人にそれぞれ野球帽と、自分にクリップを買った。

 

 キースへリングの人類愛は巨大だと思った。

ゆりかもめ               20200826

 

 ある電気自動車メーカーに声をかけていただいて、台場の先にお客様を訪ねた。ゆりかもめに乗るのはかなり久しぶりだ。

 渋谷駅が月ごとに通路を付け替えているかと思わせる状況と比較すると、JR新橋~ゆりかもめ新橋は、「昭和ですか」と思うくらい変化がなかった。

 

 とはいえ、新橋からレインボーブリッジ間には高層マンションが林立していて、こういう所で子育て、家庭生活を営む人々の心性を計りかねて不思議な気分にもなったりする。

 それは批判ではなくて、単なる好奇心や不可思議さだ。

 上の4枚目の写真は自宅付近。

 うまく撮れなかったけれど、とてもオレンジ色で、まさにみかんのようだった。

 

 前に、宮城の現場で「町田はいつころ神奈川県に編入されるのですか?」と問われて面食らったことがあった。

 インターネットの世界に、その地図上の姿から、町田市は神奈川県ではないか、という意見があるらしい。実際の論議の俎上にのるかどうかは別として、僕はどちらも好きなのであまり関心がない。

 

 ただ、ゆりかもめから見た景色が東京の象徴とするなら、浅草や上野、千鳥ヶ淵や巣鴨新宿渋谷、を除いて、[TOKYO]をどのようにとらえるかを感じるべきかと思った。

 

 僕は。街にも皮膚感があってほしいから、大きなものは苦手だ。

マイクロ図書館(記事紹介)       20200823

 

 今日見つけた年初の記事。とても楽しいので紹介します。

 中国で製作された子供のための小さな移動図書館らしく、てんとう虫の形だそうです。

 幼い時にこんなものに出会いたかったなあ、などと。(ひょっとしてそうしたものに関心を示す感性が無かった恐れもあるけれど)

 

 

 このような移動図書館を発想できることに驚かされる上、こんなに美しく本当に作ってしまう人たちって・・・。

 価値を追いかけるのではなくて、価値を生み出すのか。

真夏の地鎮祭              20200820

 

 昨日は横浜の新杉田で9時から地鎮祭だった。3階建てのコンテナ集合住宅、と言ってもワンルームだから小ぶりだ。

 建設責任者と行動を共にしたので、8時前には到着してほんの少し設営の手伝いをした。

 

 やがて神主さんが到着されて、この方は阿部寛とは言わないけれどカッコ良い風貌で、だからかえって違和感がなくもない。

 きびきびとしていたから、苦痛は感じないものの、とても丁寧な式で40分間「低頭」と「直る」を繰り返した。

 

 3階建て住宅の建て込んだ一角であっても、この季節は太陽が真上にあるから影など期待できない。むしろ、前傾したときに自分の延びない影を、草交じりの土の上に見ることになる。その時、10年か20年前の地鎮祭を思い出した。

 

 

 同じような炎天下で、大汗をかいた僕は、前傾しているときに、鼻の先から汗が落下するのを見た。

 中空にある一粒の水滴を、真上から見ることなど滅多にない。

 

 その水滴は、汗の一滴は、すぐに地面に落ちて乾いた土に吸い込まれたけれど、それが落ちるであろうことを予測していた僕には、とても長い時間だった。水滴のゆらめきを憶えているくらいに。

 

 暑いのに、たとえ一瞬でもワープした僕は、とても満たされた気分になった。どこの現場だったか、前後を全く憶えていないけれど。

i フォン落下              20200817

 

 久しぶりに徹夜をした。

 昨晩、10時半頃情報も不足しているので明日の朝再開しようとしていたのに、その新たな情報がもたらされたので、くぎりのよいところと思っているうちに5時を超えていた。

 

 その後2時間強寝たから、本当の徹夜ではない。

 仕事関係の連絡をしてから、母に頼まれていた近所のお寺さん訪問に出た。

 お墓参りの少ないことを父に詫びつつも、あまりの陽射しに掃除もそこそこに車に戻る。

 

 冷気に当っていたいので、近くまで足を延ばすことにして、妻娘孫二人でいるだろう4人に、昼のお弁当を買っていくことにする。

 人気パン店や牛丼、ケンタッキーなどは目新しさに欠けるなあと考えていたら、丸亀製麺を思いついた。

 

 ちくわ揚げ、いか天、海老フライなどを食べさせたくなったのだ。それでもうどんそのものは、どうやってテイクアウトするのだろう、と無駄に悩みながら到着して駐車場に入ると、その駐車場を共同使用しているらしい、コメダ珈琲よりもマイナーな郊外型珈琲店があった。

 

 覗いてテイクアウトメニューを見せてもらうと、大振りのヒレカツサンドとポテサラサンドのほかに、から揚げと海老フライもあるではないか。4人の配分を考えて注文して、15分待つ間にアイスティーを飲んだ。2分で。

 

 娘の家に届けて、家に着いた時には半徹夜が響いてきたのだろうか。

 母に迎えられて玄関を上がろうとしたとき、大きな音がした。財布にハンドタオル、お寺でいただいた小さな箱、線香ケースと着火器、それにマスクの間からスマートフォンがタイル床に落ちたのだ。いつも裸で持っているので、滑りやすいことは承知していたのに・・・。府中で注意力の低下の話をさんざん聞かされたのに。

 

 母への説明を中断して慌てて拾い上げると、10匹分の蜘蛛の巣を透かしてみるよう。機能はしているようで、メールを開くことはできたけれど、まともに読むことができない。これは今日中に直さなくては。いくらかかるのだろう。

 

 気を取り直して軽い昼食をとり、1時間眠る。

 夢は見なかった。

 

 帰ってきた妻に保証書などを出してもらって、ヨドバシカメラに向かう。慎重に慎重に。そこで修理の話をすると、アップル直営のカメラのキムラヤに行った方が良いとアドバイスされ、町田マルイ店5階へ。

 調べてもらうとガラス破損の他には故障がないようで、保険に入っていたから3500円程度で修理できることがわかった。一安心。

 

 また保護ガラスを貼るから結局7000円になるけれど数万円かと覚悟していたので良かったよかった。

 修理待ちの1時間、6階に上がってみると100円ショップがあった。スコッチやゼブラ、?マジックインキなどもあるのでのんびり物色している内に時間が過ぎて、結局15点買った。

 

 寄せ集めのピースを貼り合わせたような、滅多に無い一日だった。「もう落とさない!!」いや、「もう真夏に徹夜しない」

ほぼ無益情報              20200808

 

 昨日、府中自動車試験場に更新にでかけた。

 ほぼ無益情報としたのは、普通の人は府中まで行かなくとも地元の警察署そばで更新できるはずだからだ。

 僕は、違反があったので講習が義務付けられて府中に行く羽目になった。本当は4月なのだけれど、コロナで8月まで延びていた。

 

 情報(推薦)

1 開門30分前に到着して並ぶと良いと思う。

 確認したわけではないけれど、こうすればさほどの行列も無いだ  

 ろうから、所定最低限の時間で終了できそうだ。

2 家族に送迎してもらうことができれば余裕ができる。

 駐車場空きは望めない。

 

 昨日の僕の経験は

 9:30に家を出て、10:15ころ到着するも、駐車場はいっぱいで路上待ちは禁止なので近くの住宅地を長い距離さまよった。相互通行できない狭い道路ばかりなので、罪悪感もなくはない。

 見つけた3台限りのコインパーキングは誰かの庭先のようなところで、試験場から700メートルも離れているうえ、風景に特徴が無いので帰って来られるか心配になって歩きながら写真を何枚も撮った。

 

 着いてから

1 案内窓口に並んで更新通知はがきを提示して次の支持を受け  

 る。

2 渡された書類に記入して手数料窓口に並ぶ。

3 視力検査に並ぶ。

4 免許証用写真撮影に並ぶ。(マスクを取り忘れる人が多くて

 おかしかった)

5 講習会の教室の記されたカードをもらい、2階に上がると広い 

 廊下に待ち人多し。

 

 ここまでで約1時間経過。11:45

 途中の列では距離はある程度確保されて、涼しくはないけれど暑いと不満を抱えるほどでもないのが幸い。

 

 しかし、早めに講習出席手続きをした方がよいかと、人を避けながら入口に向かうと、職員とみるにはかなりご高齢の制服女性に呼び止められて、あなたのカードには⑩とメモがあるから、講習開始は14:50予定と告げられる。3時間以上の待機!!「コロナで人数制限があるから」・・・鉛筆の⑩を⑦に書き換えたい欲求にかられるも実行するほどの度胸なし。

 

 コインパーキング代が無駄に思えて、行くあてのない昼食旅にでる。朝方、久しぶりにお玉の形をした町中華風チャーハンを食べたい、と思っていたけれど、主要街道沿いには「来来亭」などの看板は見つからず、窮余の策で入った車通行の少ない商店街で博多ラーメン店を見つけて、またコインパーキング。

 

 その後は試験場に戻って路上駐車待ちの車列に加わって待つこと40分。アイドリングクーラーごめんなさい。脱水するので。

 

 多少開始が早まるかと期待して14:30待機。通知通り14:50開室してひとりひとり丁寧な着席案内で、講習開始15:10。

 きっちり2時間ありがたい講話をいただいて、免許が手元に来たのが17:40。(それぞれの時間はアバウトです)

 

 おお、7時間の免許更新。

 多分、コロナ禍のもとで、違反者講習を受講するひとは稀なので、「ほぼ無益情報」ですが、何かに応用できれば・・・。

28°                  20200806

 

 朝ごはんを食べる時、妻は朝の換気が大切だと思っているので、窓が解放されている。

 僕は、いずれ空調が必要になるのだからという理由で、窓を閉めて空調機をONにする。その時28°設定になっているのを27°にちょこちょこと下げたりする。

 

 でも最近気づいた。28°は暑くない。27°は足元が冷えてくる。

 

 なぜ28°を敬遠するかと言えば、節電が叫ばれたとき、官公庁が28°設定を率先垂範してくれて、しかしそこを訪ねると「勘弁してほしい」という暑~い状況だったからだ。

 

 その理由は多分二つだと想像する。

 ひとつは、官公庁舎の室温設定が28°だったとしても、実態はもっと高かった可能性があるということ。

 もう一つは、官公庁に辿り着く前に炎天下を歩くことが多く、そうした場合、コンビニエンスストアや商店なら一瞬で快適さに感謝したくなる温度設定だったのに、28°は失望する設定だったこと。

 加えれば、上着を着なくともYシャツネクタイ靴下革靴と、裸足短パンTシャツの違いも見過ごせない。

 

(余談だけれど、以前、まさに暑熱地獄のような現場で、僕が汗をふきふきしている時、若い不動産営業担当者が涼しそうな気配でいるので、暑くないのですかと尋ねたら、「汗をかかないのは訓練です」と、一蹴された  ひぇ~、できそうな気がしない)

 

 今、地下のスペースで仕事をしていて、地下は比較的地上よりも室温が制御されるそうだけれど、外気が35度になると、28°からちょっと超えたりもしている。除湿器や、パソコン、プリンターの放熱もばかにならないかも知れない。扇風機を時々回すことで支障は無いけれど、そのうち空調機が必要になるかなあ。今日8月6日。あと3週間問題無ければOKだけれど。

生物的時間               20200803

 

 この直前の雑感と同日になっても、忘れない内に記しておこうと思って。

 

 7月の末から9月の初めまで、東京芸大の美術館で一風変わった展覧会が催されているらしい。

 上野駅からは公園を突っ切るので近くは無いけれど、散歩と思えは楽しいかもしれないし、芸大の構内なんてあまり行かないので面白い。

 この展覧会もまた、テレビで紹介番組を見ただけなので、紹介すると言えばおこがましいけれど、見逃した人も多いと思うので。

 テレビ画面を通してでも、あまりに濃密な世界に驚くのだけれど、作者たちがいろいろな要因で社会生活への適合が難しい、と聞くと意味もなくホッとしたりする。

 

 僕はアーティストではないから、競争心など持つことが無いとしても、異次元に思われる作品群にただ圧倒されると、何かエクスキューズが欲しくなるのだ。

 それは、前回雑感の、藤原辰史さんが指摘したカテゴライズに属するものだろう。

 

 ここで、これも前回触れた伊藤亜紗さんのコメントが思い出される。

 「現代人の多くは、例えば3日後のプレゼンを意識してその準備のために前の数日の時間割を立てる。視線は、今現在ではなくて3日後に据えている。来るかどうかもわからに3日後に・・・」(意訳 笑)

 何回か前に僕も聞きかじりで記した、1日8時間労働についても疑問を呈されていた。

 

 僕はこの2年ほど、作家でもないのに複数案件の図面や指示書の提出期限をパズルのように並べて直してはの日々を過ごしていた。

 

 それは強制されたものではなくて、自ら選んだスケジュールだった。間違っていたとは思いたくない。でも、明らかに不足がある。

 

 

 補足すると、以前に似ているアート関連のテレビ番組を見たとき、卓抜な集中力を見せていた作者が、「イメージが枯れた」と言って頭を抱え込んでいた。不自由で悩ましくて魅力的だと思った。

意識の自己更新             20200803

 

 一昨日の夜、テレビで「コロナ時代にどのように暮らすか」というような内容の番組が始まって、出演者に敬愛する福岡ハカセと「目の見えない人は世界をどう見ているか」著者の伊藤亜紗さんの名前があったので、視た。

 

 そのお二方のメッセージにも感嘆・共感したけれど、もう一人の出演者、藤原辰史さんの指摘が忘れられない。

 

 不安な時代には、人々は甘い言葉を欲する傾向があって、敏感な為政者はこれを見逃さない。

 強く思われるメッセージが好まれて、なかでも効力を発揮するのが聴衆の自尊心をくすぐるものだ。それは、グルーピングをしながら自陣に聴衆を引き入れて、グループの構成員には優秀性と清潔さが備わっている・・・と説くらしい。

 

 ここまでは、何となく知らないでもないし、思い浮かぶのはナチスの行動だ。(つぶさには知らないけれど)

 

 僕が「そうなんだろうな」と得心したのは、次の次の段階。

 

 グループ内の清潔度での結集は、相互監視を生んで、(ここまでは次の段階で想定内・・文化大革命とか)、その次の段階では本人の意識が清潔度で支配される傾向がある・・・清潔であることの自己立証欲求・・・と指摘していた。それは半ば何かに乗っ取られたロボットではないか。

 

 藤原さんは、「人間は上水と下水の中間バルブのようなもので、清潔を標榜しても無理があるのに・・・(勝手な意訳)」と話されていた。 

 ご本人の趣旨から外れるかも知れないけれど、コロナを清濁で判断するのではなくて、自分自身の感覚で冷徹に観察するべき、ということだったように思う。

 さて、話は飛躍するけれど、コンテナ中国製造工場のこと。

 こうしてグーグルマップで見てみると、大連は遠くない。年初からコロナで行かれなくなってしまったけれど、書類と写真で融通している。

 中国入国で2週間隔離待機、日本帰国でも2週間隔離待機、は、日当と滞在費が支給されてホテルが多少選べれば喜んで行きたい。笑

 

 中国工場のリーダーや仕入れ責任者、設計担当や工場長さんとは何度も会食して楽しい時間も過ごさせてもらった。

 一泊か二迫のホテルも、日本資本とは言え中国人スタッフの対応はおもてなしの気持ちに溢れている。

 

 米中間で覇権争いが高まる中、テレビ報道ではそうした葛藤を伝えるものが少なくない。

 やくざの縄張り争いに喩えてよいか心配もあるけれど、それはそれで損をしないように頑張って欲しい。

 

 でも、清潔度において、中国より日本が勝っていると思いたがる気持ちがあるとすれば、それは誤解だしロボットだと思い直した。 

中空箱根そば              20200729

 

 立川にある都立高校に入学したのは45年前だろうか。ただその数字に驚くけれど、僕にとってはそんなに前のことではない。

 入学式後に割り振られた教室で、知り合いのないままいくらかの緊張のなか待機しているとき、活発な人もいて、そのひとりがY君だった。

 

 うまが合ったのか、一緒に行動することが増えて、じきに彼の家族が小田急線沿線に引っ越したこともあって、下校時など本数の少ない南武線で乗り合わせていろいろしゃべった。

 彼はすんなり現役合格を果たしたから一年の差が生じたけれど、大学時代も僕の妻も含めて頻繁に会っていた。アルバイトを複数紹介してもらったことは感謝ばかり。

 

 その彼との高校時代、南武線から小田急線に乗り換える登戸駅。

 跨線橋の不自然なひとすみに、「箱根そば」があった。ホームや改札そばにある店は珍しくないけれど、その店は印象として踊り場のようなところにあった。

 

 いつでもお腹が減っている高校生。Y君とは目くばせも必要なく立ち食い蕎麦屋さんの引き戸に手をかけた。

 

 この世のものと思えないほど、しかも毎回おいしかったのは、コロッケうどん。カレー風味のコロッケ乗せ。・・・。

 

 立川駅も登戸駅も、建て替えられたから当時を辿るものはないけれど、僕はあのおいしかったコロッケうどんの店があの辺りだったと、中空を指すことができる。

木馬座続編               20200727

 

 東京オリンピックが当初予定通り開催されていたら、なんとも高揚感のない日々だったかと思われる空模様だ。

 家を出る時には陽が差していたので折りたたみ傘を鞄ポケットにささずに出てしまった。

 北参道の駅から訪問先に着くと、まだ15分前。傘が必要かどうか微妙な水滴が落ちてきていた。

 

 その屋上空調機から飛んでくる水滴のような雨のなか、木馬座よりはガンジーにしようか、などと考えていた。

 明治神宮前駅で乗り換えた副都心線では、隣の北参道駅のその次が新宿3丁目駅だ。新宿3丁目と言えば、紀伊国屋書店のそば、ガンジーのそばだ。がぜんガンジー熱が高まる。

 

 木馬座とみのりんご、ガンジーとヘンドリクスで楽しく揺れ動いた結果、ヘンドリクスに行った。

 打合せの後、仲間として同席した明大前から自転車で走って来た女性が昼を食べようと言ってくれて、その条件下では木馬座かヘンドリクスが便利で、木馬座はやや可愛い店構えが予想されたことと、黄身をトッピングするキーマカレーは好み次第だと思ったからだ。

 

 結果として、10日前にマトンキーマカレーと悩んだチキンカレーを注文して大変満足した。おいしい。

 

 店を出て、傘をさすひとの少ない弱弱しい小雨のなか、新国立競技場を仰ぎ見ると、威圧感のない静かな佇まいだった。

 怖いもの見たさという点で、ザハ案の建築を見たかった気持ちもあるけれど、こうして世界的コロナ災厄にあって、灯のつかないザハ案は巨大な喪失感をもたらしただろうから、隈案に変わって完成したことは、日本もまだ未来の運命を手中に持っている、などと感じさせた。

 

 「映える」ことに異議はないし、それを目指すことも大切だと思う反面、映えることよりは慈しまれることを目標にしてきたと僕には思われる日本文化、そんな世界にあらためて思いをいたす微雨の時間だった。

木馬座                 20200727

 

 コロナステイホームもあって、本当に家から出ない。明日は久しぶりのお客様訪問で、なんと千駄ヶ谷に出かける。

 10日前に神宮前に出かけたけれど、すぐそばだ。

 

 都合のよい時間を訊かれて、13時にカレー店に入れるように11時を申し出たら、先方の都合から11:30になった。

 

 大して問題のないズレだけれど、問題は「ヘンドリクス」にまた行くか、「みのりんご」(原宿駅そば)にするかだ。

 しばらく前は、ちょうどその中間に「木馬座」があったのに、ビルの建て替えで見つからなくなった。

 

 僕が幼いとき、初めて劇場に連れて行ってもらったのが木馬座だった。・・・舞台の女性のトークを少し覚えている。カレーとは関係ないけれど。

 

 などと思いながら検索したら、訪問先のすぐそばに再び構えていることが今判明。明日は出かけがいがあるというもの。笑

音声                  20200720

 

 今日は銀行に行く用事があって、その途中でハンコ屋さんの前を通ったから認印をふたつ作ってもらうことにした。珍しい苗字だから、商店街では見つけられないのだ。

 出来上がりまでに中途半端な時間ができたから、本屋に寄る。

 

 たまには知らない世界の雑誌でも買おうかと思って棚を探すも、本当に知らない世界では開くことすらしなくなる恐れがあるので、結局「航空情報9月号」にした。

 手に取って開いてみると、紙面の構成が丁寧で、自衛隊の多方面の活躍などの紹介などがあり、飛行艇製造から100周年という企画記事も興味深かったからだ。

 

 大戦中の戦闘機は子供のころの漫画やプラモデルの影響もあってとても好きだから、ゼロ戦は河口湖と上野、靖国の遊就館に加えて、所沢でのイベントにも出かけたくらいだ。

 飛行艇を画像検索するうちに、左の写真を見つけた。最後の更新が2009年のようなので、お勧めではないけれど。

 そうこうしているうちに、ボーイング777の映像に行き当たった。

 その映像はコックピットから見える羽田着陸までの映像と、その際のピット内の会話と管制塔との交信が音声として残されている。

 

 この音声がとても気持ちを和ませてくれる。

 

 以前アメリカ映画のふたつで、音声に関して興味をもったことがあった。

 ひとつめは中層アパートの夜に、夏なのか開け放した窓から隣の中年男性が聴くラジオの野球実況中継がくぐもった音で聞こえてくるというもの。

 もうひとつは、モーテルの駐車場で、ちょっと変わった少年が無線の周波数を切り替えながら、他人の会話を傍受し続けるというもの。

 

 共通しているのは、静かな環境にいて、自分と無関係の音声がとぎれとぎれに届くという情景。

 コロナもあるなか、東京という街をどのようにとらえるかはとてもたくさんのアプローチがあるだろう。

 僕は、この視点も良いなあと思った。

大気圏                 20200717

 

 椎名誠さんの「地球上の全人類とアリンコの重さは同じらしい」という本を楽しく読んだ。

 僕はSFに知識が無いので、ときどき椎名さんのマニアの度合いに圧倒されるけれど、興味深い視点がたくさんある。

 

 その中に、地球がどれだけ儚い存在かということに触れたところがあって、児童向けの自然科学書を紹介している。

 

 それは、「もし地球が直径1メートルの球だったら」という例えで、大気の厚みはどのくらいだろう?という問いかけがある。話の流れから薄いのだろうと予想して1㎝くらいか、と頭の中で考えると、答えは1㎜。

 エベレストが0.7㎜で、海の深さは平均0.3㎜らしい。素直に驚く。ちょっと熱くなればあっという間に蒸発しそうだ。

 そんなことを思いながら、しばらく前に撮った飛行機からの写真を開いてみると、大気圏は結構厚い。

 

 日本がアジア大陸と一部地続きだったころ、10メートル数十メートルという恐竜が闊歩していたらしい。

 6千数百万年前に気候大変動で絶えてしまったとしても6千数百年前ではない。空間と時間を頭でとらえるのはとても難しそうだと思った。

神宮前                 20200707

 

 七夕である。

 そうだけれど、昨日の電話で約束した顧客を午後1時に神宮前に訪ねた。

 充電をし忘れていたスマートフォンは寂しげな残量計で、シャットダウンすると到達するのが困難なので緊張した。

 

 千駄ヶ谷駅を降りて、東京体育館と新国立競技場の間の道を歩く。電源は持つかなあと思いながら、ホープ軒の前を通るとメニューを覗き込みたくなる。もう長いこと食べたことがないけれど、どんなだったかな、と。

 

 その先100mで、この景色は知っているぞと思ったら、大好きなカレー店「ヘンドリクス」があった。

 いつも原宿からアプローチしていたので直前まで気付かなかった。昨日、ランチと言えどイタリア料理店でコースを食べていたので、今日は梅干しでもいいなあと思っていたのが「キーママトンカレーサフランライスで」になってしまった。

 店を出ると新国立競技場が見える。木材と、多く配置された緑がとても好ましい。

 

 店はしばらく前まで男臭さが多少ある様子だったのに、今日は女性店員ばかりでこざっぱりしていた。そこに何か言うつもりはないけれど、ライスは丁寧に盛り付けて欲しい。美味しく見えるようになるべく平らでまあるく。

 本場インドでは、複数の種類のカレーをかき混ぜて食べるのが王道だとも聞いたけれど、僕はスプーンでも半々にしたいタイプなのだ。それが喫茶店系極上カレーの道ではないか。笑

ああでも、このお店のピクルスは美味しい。

小林亞星さん              20200704

 

 今日たまたま、ネットで小林亞星さんの記事に出くわした。偶然すれ違ったことがあるのでその小さなことを懐かしく思い出した。

 その様子に触れる前に、ちょっと根拠のない自慢ではあるけれど、近くで見た有名人リストを作ってみたい。(^^)

 

松田優作 新宿駅西口の路上にて。周りのひともざわざわしていた

キャンディーズ 新宿小田急と旧国鉄の通路間の階段踊り場でのプ  

        ロモーション(テレビデビュー前、僕は中一)

永井豪  西早稲田の喫茶店によく来店していた

篠山紀信 午前2時の新宿副都心横断歩道橋上で。ロケハンか。

原田芳雄 午前6時の代々木上原路上で。ジョギング中。

西城秀樹 六本木東洋英和の裏口門前で。何かを待っている様子

     で、僕も人待ちで、10分ほどそばにいて会釈などした 

     り。超ナイスガイ。

赤川次郎 建築相談に呼ばれてご自宅訪問(すれ違いとは別?)

白都真理 勤めていた設計事務所のお隣さん

オール阪神 同上

藤原新也 芝浦の喫茶店で。

エドワード鈴木 旧防衛庁前で。超大きなアメリカ車にひとり

     乗っていた。

椎名誠  西新宿の飲み屋で。隣のテーブル。超楽しそうだった。

小澤征爾 表参道のメトロホームで。絶対の自信はないけれど。

山田詠美 スティングのコンサートで、3列先にマッチョ黒人男性

     4人を従えて。(僕が席を間違えていた)

石原慎太郎 清澄白河の都美術館で。ごく至近距離で面白かった。

パットメセニー 中野のライブハウスで僕の膝に尻もちをついた。

荒木信義 表参道の仮設美術館で。

谷村新司 青山FROM1'stの書店で。自転車で乗り付けたところを

     見ていたら、笑顔をくれた。

岡田美里 僕が設計した分譲住宅を購入してくださった。

草彅剛  恵比寿駅前で、僕の車のボンネットに手をついて信号無

     視横断をしていった。

伊丹十三 六本木アクシス前で。タクシー待ちの様子。

米倉涼子 青山の歩道で。僕は気付かず仲間に教えられた。

デーブスペクター 骨董通りで。小柄で華奢な印象。

横尾忠則 世田谷美術館の自販機コーナーで。気さくな印象。

アベベ  甲州街道で。(^^)

 

ここにメモしたのは、遠くから見たのではなくて、人としてすれ違ったかな、という印象が残ったもの。

 

 さて、小林亞星さんである。

 とりわけその印象が強烈なのは、他に歩く人のない麻布の立体交差道路の歩道で、彼が小唄らしきものを口ずさんでいたからだ。それはもちろん誰かに聞かせるものではなくて、歩行のリズムと一致しているように感じられた。手ぶらだったけれど、頭には三味線があったのだろうか。着流しというのか、とても涼し気だった。

 

 それは、お座敷での手慣れた遊びのひとつにも思えたけれど、今日あらためて小林亞星さんの業績を見て、認識を新たにして感謝の気持ちが沸き起こる。氏の作品を極めて乱暴な抜粋しても次のようだ。

 

 魔法使いサリー

 北の国から

 レナウン「イエイエ」

 サントリー「オールド」

 ブリジストン「どこまでも行こう」

 日立「この木なんの木」

 明治「チェルシー」

 

 そして、現在八代亜紀さんの声に魅了される「積水ハウス」のCMソングもそうだったのだ。僕に埋め込まれたメロディーの何%かと思ってしまう。

 いつまでもお元気で。

例えば川原で              20200702

 

 まだ収束の見通しは立たないようだけれど、今回のコロナ禍でみな多くの経験をした。

 いろいろな気付きの中で、僕が一番刺激を受けるのが自宅就労だ。テレワークという通信インフラの活用も目に付いたけれど、どこにいても仕事ができる、という、自宅就労が開いた地平が全国、あるいは世界どこでも仕事が普通にできるという可能性に直接結びついたことが大きい。

 

 10年以上前に、先駆的なベンチャー企業が田舎の廃校を借りて、宿舎と仕事スペースを作り出して、定期的合宿をしているという報道番組を見た。それはとても刺激的だったけれど、僕の知る限り爆発的な流れになったようには見えない。

 でも、今回の自宅就労の一般化はこれを後押しするかも知れない。

 

 僕たちに置き換えてみれば、廉価な宿が見つけられれば、それなりの期間、そこで仕事をしたり近場を散歩したり、ちょっと食堂を覗いてみたりする生活を想像させる。

 例えば川原で、模型を並べ替えてプレゼンの奥行きを生み出したい。(下の写真は自宅仕事場と、近所のスポーツ広場)

ああ、まだちょっと理想形。

袖触れ合う               20200629

 

 少年のころ、「袖触れ合うも他生の縁」を「袖触れ合うも多少の縁」だと勘違いしていた。・・・少年だったので・・・。

 

 池澤夏樹さんの「きみのためのバラ」を久しぶりに読み返した。普通にタイトルを読むと、なんだか大仰で、時代錯誤に見えないでもないけれど、「きみ」が誰か知ってみると全然違ってくる。

 この短編集は、袖触れ合うよりももう少し接点が濃い、それでも離れていく人々の瞬間を見つめた物語だ。

 大変好きだ。

 この短編集を読んで思い出すのは、椎名誠さんの「さよなら海の女たち」だ。

 こちらは「きみのためのバラ」よりも更に接触が濃い、というよりは、もともと接点があった女性との短い時間の交流の描写だから、簡単に並べるのは相当でないかも知れない。それでも、「袖触れ合う」もしくは「こころ触れ合う」という瞬間と捉えれば共通点が多いように思う。

 

 社会的生産性、効率、目標、達成度、そうしたことを排斥するつもりは無いけれど、そこから離れた空隙に「他生の縁」は現れるのかも知れないと思った。

恩師事務所移転             20200625

 

 昨日は僕が最初に勤めた設計事務所が移転するということで、関係者に公開するという連絡をもらったので出かけた。

 ドライに言えば雇い主とも定義されるだろうから、恩師という表現が当たっているかわからないけれど、気持ちはその通りだ。加えて、勤めたと書くのはためらいがあって、正しくは見習いに通った・・・だ。

 

 大好きな建築家二人のコンボだったので学生時代からアルバイトに行き初めて、大学院卒もしくは同等経歴の持ち主という枠をすり抜けたのだった。

 

 左は1979年、僕が大学に入学した6月に建築専門誌に特集された事務所の表紙。

 左上の写真が事務所に入ったところで、図面は事務所の全体を表している。

 何もかもが新鮮で、所長は厳しかったけれど話の合う先輩に恵まれてとても楽しい時を過ごさせてもらった。

 

 建築家の二人はコルビュジエに師事した坂倉順三氏の事務所で知り合い、タイで多くの学校建築を指導したあと共に独立されたと聞く。

 昨日訪ねた事務所は、1979年の少し前に自らが設計した建物群の中に設けたもの。数えてみれば45年間ほど形をかえながらも活用・開き続けたわけだ。

 

 大きく姿を変えていたら残念かな、と思いながら到着すると固定壁以外取り払われていたので、原型が保存されていて感激した。大変に好きな建築計画なのだ。

 

 そしてもうひとづ感激したのが、お二人とも元気溌剌だったこと。傘寿とはだれも信じないだろう。若く見えるお年寄りではなくて、歳のわからない元気な男性だった。眼力・姿勢・立ち居振る舞い・発声・会話のテンポ・・・いまだに元所員を圧倒するものがある。何が起こっているのかわからない。

 

 引っ越し先は40年弱前にやはり自ら設計した住宅だ。僕が所属しているころだった。

「桜台の家」だから遊びに来て。と声をかけていただいて、目いっぱい元気よく「はい」と答えた。

ひりひり                20200622

 

 20年ほど前になるようで、自分でもその時間の経過にびっくりしてしまうけれど、そのとき、おっさんサッカーに属していて、試合の先発メンバーとしてピッチに立ったのだった。

 

 公式戦でもないし、観客はゼロだからただのおっさんサッカーだ。

 不思議ともいえるけれど、その状況を把握しながら僕は緊張した。

 まったく誰も見ていないのに。まして、何の期待もされていないのに。

 

 でも、  ひりひり した。

 

 思えば、最近ひりひりしていない。

 忙殺されるぎしぎしでなく、ひりひりが欲しいなあ。

ジャパ二(NHK番組から)        20200616

 

 先日NHKの番組で、ネパールの山岳地帯、寒村の日本への出稼ぎを取材する番組を見た。

 そうした、人権的な視点は大切だと思いながら、特に何かをしている訳ではないので、紹介じみたメモは恥ずかしい。

 で、気持ちの動きを箇条書きにすることにしよう。

 

・ネパールやブータンを訪問する予定はないけれど、憧れはある。

・NHKの予告に、ネパールの日本への出稼ぎ労働者の特集番組が  

 あった。

・偶然その時間に出くわして、結局最後まで見た。

・ある村の幼い少女の両親は、東京で10年を迎える。

・親子ともに暮らす時間を失わせた日本への出稼ぎに、その村では

 少しの羨望と冷ややかな視線、子供たちの悲嘆がある。

・両親はコックとホテル清掃業で、仕事に明け暮れている。

・渡航費に100万円の前払いがあるから、帰郷も簡単ではない。

・ホテル清掃業の母は、ホテルの表の仕事は全部日本人、裏は全部

 ネパール人だと断言した。

・コロナ禍で、一番苦しいのは外国からの出稼ぎ労働者だから、少  

 しでも関心を向けて欲しい、というNPOのテレビ取材での訴え  

 を思い出す。

・あの取材対象の両親は現在どうだろう。

・就労ビザをネットで検索すると、かなりファジーで、ブローカー

 なら商機を見出すと感じた。受け入れ一方ビジネスの存在。

・一連のネット検索で、2017年にネパール人男性が拘置所で不自

 然死したというニュースに辿り着く。

・それは、他人のクレジットカードを所持していた嫌疑で拘留さ  

 れ、その最中に挙動不審があったとのことで拘禁され、その後死

 亡したというもの。

・それは、記事を見る限りでは、事件というよりも容疑者扱いの未

 熟さの結果と思えた。

・遺族は裁判で、「クレジットカードを拾ったら死ぬのか」

 と訴える。

・自然と、ミネソタの事件とその後の社会不安を思い出す。

・TVを通しての、香港の叫びのようなものが耳に思い出される。

・台湾の、ベトナムの中国への恐怖はいかばかりか。

・ジャパ二では、少女が日本を嫌うと言った。

・それはそれで仕方ない。

・仕方ないけれど、どこに関心を向けるべきか。

雨、降雨                20200612

 

 昨晩、少し暑いかと思いながら雨も気にかけて窓はあまり開かないまま横になった。

 早い時間に起きてみると、音の無い雨だったのに、いよいよ活動を始めようという時間には音を鳴らす雨だった。

 基本的に、雨が好きではないし、沖縄が梅雨明けなどとニュースで聞かされると、ただうらやましい。

 

 それでも、傘をさして近所まで出てみると、「ああ、雨だなあ・・」などと思う。見つめてみれば、雨は悪くない。

 僕の家の最寄りは玉川学園前駅で、構内にビニール傘の棚がある。

 管理者はなくて、自由に提供して自由に持ち帰るというシステムだ。我が家は数十本のビニール傘を寄付という気持ちではなくて提供したけれど、突然の雨で欲しい時はいつも棚はすっからかんだ。

 横断歩道の黄色い小旗と一緒で、こうした需要は一方通行なのだから、仕方がない。

 

 それでも、雨が降ったらコンビニエンスに行けばよい、という考えを改めて、天気予報を見ながら折り畳み傘を鞄に入れるようになった。

 進化だ。雨も好ましい。これも進化か。明日は晴れて欲しいけれど。

リズム(昼夜)              20200608

 

 先日いつものように散歩して、翌日浜松に出かけた。

 特になんということもなく撮った写真2枚。

 夜の方は新幹線の窓から満月らしい月を見続けていて、帰宅してからまた思い出して撮ったもの。現在のスマートフォンの性能限界か、設定の問題か、光りを大きく拾うから月が数倍の大きさに見える。

 

 2枚の写真を見ていて、「よいしょ、よいしょ」というリズムが感じられるような気がした。

 生命というものに期限があって、人間の場合つつがなく過ごせれば数万回の「よいしょ」が脈動する。

 それはとても美しいことではないか、などと柄にもなく考えてみた。

人生の危機のひとつ            20200530

 

 大学に入って運転免許を取得して以来、40年近く事故と無縁だった。不可抗力のもらい事故もなかったのは幸運だと思う。

(乗っていたタクシーでは2度それなりに大きな事故に遭遇して痛い思いもしたけれど)

 シートベルト不着用や駐車禁止、路線変更禁止違反とスピード違反。それに駐車時のミスで車に傷をつけたこともあったけれど、20年か25年ゴールド免許だった。

 仕事で年間何万キロも走るひととは比較にならないけれど、概ねトラブルの少ないドライバーだったはずだ。

 

 2年前、けが人は無いものの、大勢の通行者が振り向く事故を起こした。

 南房総の富津市で別荘の完了検査を無事終了し、検査官を木更津に送ることを申し出た。ホッとして何か区切りがついたように思ったのだったか。

 木更津市街に入ると、3車線になって僕は中央よりを走行していた。その日初めて会った後部座席の検査官との雑談に、注意が散漫になっていたかも知れない。

 前を行っていた老夫婦と見える軽自動車が、交差点で突然停まって右折ウィンカーを挙げた。その車線は右折レーンではなかったので少し驚きながら、車線変更をするかどうか迷ったあと、バックミラーとドアミラー、直接目視をいつも通り行ったつもりで左に寄ると、車の左側に衝撃が走った。

 その瞬間、自分の過失だと思ったけれど、僕よりも激しく損傷した黒いハイブリッドカーを見て、彼がどこに居たのか未だに不思議だ。後から考えるなら、僕の直後にいてほんの少し先に斜線を替えたのではないかと思う。

 

 慌てて降りると、その黒い車のダッシュボードに、日の丸の中央に何やら墨書された色紙のようなものがあるのが目に入った。

 別の緊張が走る。

 結果的に、その車の運転者と同乗の3人は、右翼活動に憧れる若者だったので、意味不明な治療費を相当申告したようだけれど、僕自身は不安を感じるような接触は無くて、保険等級が落ちただけで助けられた。

 

 さて、少し長くなってしまった。

 上に書いたのは、人生の危機でもなんでもない。次が危機の瞬間。

 

 子供たちと家族4人であちこち出かけていたころ。

 相模原の平均的な中堅主要道路、片側1車線だけれど神奈中バスが走るそれなりの道。

 前の車と間隔が開いていた僕は、それなりにアクセルを踏んだ。遠くに老夫婦とお孫さんが道を渡ろうとしているのを見て、減速しようかと思った。

 すると、その老夫婦は僕の車を先に通そうと、道の真ん中手前で歩を停めた。僕はそれならと小さく加速する。

 対向車もないし、僕に後続車もないから通り過ぎようとしたその瞬間、お孫さんらしき小学校中学年くらいの女の子が走り出した。反射でブレーキを踏むと、短い距離で止まることができたけれど、女の子は驚いて転んだ。

 僕は1メートルほど手前だったので接触のないことは誰が見ても明らかだろうと思った。

 けれど、突然の事態に車を降りることはできなかった。その少女がすぐに立ち上がって走り去ったこともあるけれど。

 

 少女を見送っていたらしい両親が、近くのマンションのバルコニーから激しく叱責していた。

 老夫婦と少女は何の関係もなかったのだ。バックミラーで見る老夫婦の視線は僕を非難するものだったけれど、実害が発生しなかったのなら話すことなどないし、貴方はこちらから一方的に言わせてもらうなら加担者だ。

 

 あのとき、怪我の大小を別にして、接触していたら自分の人生は違っていたと想像する。ほんのささいなことではないかと思うのに。

海面高所恐怖症              20200530

 

 自分が高所恐怖症だと自覚したのは26歳のときで、それは8階建てのさらに上にある看板下地のチェックに、揺れる仮設足場階段をひたすら登ったときだった。(建物竣工後だったので養生ネットも外されていたし、看板自体高さ6メートルもあったのだ)

 前にも雑感に記したけれど、どうやって降りてきたか覚えていないほどの動揺だった。

 以来、子供のころは好きだったジェットコースターなど近寄りたくもないし、千葉の野田で家族皆で乗った小さな観覧車では後悔もした。

 

 そのピークは伊豆の天城山の頂上外輪道を歩いた時で、緊張のあまり、妻や子供たちから「お父さんどうしたんだろう」という声が上がったほどだ。あの丸く見える天城山で、笑。

 

 時間の経過の為か、年齢による希釈のためか、最近は鹿児島の大きな観覧車なども楽しめるようになったし、きっと孫に請われればジェットコースターにも乗るだろう。

 

 そうして順化できそうなので多少の余裕をもって記すことができるのは、海の崖体験。

 セブかバリでシュノーケリングに参加したとき。

 

 僕は泳ぎは好きだけれど、どうしても「耳抜き」が苦手で、潜れるのは頑張って3mが限界。友人にはタンクで数十メートルを夫婦で回遊するという話もあるから、チャプチャプ感が否めない。

 それでも、ずっと海に浸かっていながら呼吸ができるというのは楽しくて、ガイドから制止の声がかからない程度の距離を泳ぎ回っていた。

 

 青い魚の小さな群れを追っているうち、海底の垂直崖を超えた。

それまでの水深数メートルから底の見えない海へ。

 その時の驚きと、慌てて180度Uターンした自分が忘れられない。

 浮いていて落ちようがないのに。

 

 つまり、高所恐怖症は実際の危険度よりも、気持ちの安定への作用なのだ。

 足ひれだけで移動していたのに、突然水しぶきを上げたであろう様は、もし見ている人があったら鮫との遭遇に見えただろう。

なわ跳び2                20200528

 

 着手時記録。

 せっかくの、久しぶりの運動らしきものなので、ちょっとメモしておこう。

 

 一昨日、初めて跳んでみたら、すぐに引っかかってしまうので残念な気分だった。

 

 昨日は、わずか数分の反芻でも少し思い出すことがあって、数十回は問題なく跳べた。

 

 今日は、多少心の余裕もできたので、むやみに突っかかることは無くなったけれど、足首廻りとふくらはぎの筋肉が悲鳴を上げ始めて、100回は跳べなかった。

 

 子供のころ、ボクサーが跳ぶなわ跳びにあこがれて練習したことがあった。僕自身は自慢したい気分だったけれど、それは主観そのものなので実際のところどうだったかはわからない。

 

 早いピッチで、地面から数センチを片足数回ずつ交互に跳ぶのがカッコ良くて、練習したものだった。二重跳びの回数記録のときは、最後は体が上がらずにくの字になって腰だけ持ち上げたことをよく覚えている。

 

 なわ跳びなんて、という生活だったのに、また触れられたことがけっこう嬉しい。

なわ跳び                 20200527

 

 仕事場を自宅内に設けているので、非常事態宣言の前後で目に見える違いはない。それでも、打ち合わせと出張はほぼ無くなっていたので、運動量は減っていたようだ。

 

 以前から友人たちが警告を発してくれた通り、体重を減らしていかなければならないのに、微増傾向が止まらない。微増も一定以上の長さになると激増とも言えるので、これは危機だ。

(カーブミラーは実際以上に太って見えるものと思っていたら、先日撮ってもらった写真にはその人物が居た・・・涙)

 

 という訳で、なわ跳びを始めることにした。

 昨日は90㎝角の人工芝をホームセンターで買ってきていよいよ準備は整った。毎日などと自分を縛るといやになるので、なるべく頻繁に跳んでみよう。

 

 運動に無自覚だった訳ではない。妻に勧められるまま、市の体育館に出かけてバイクをこいだり重いものを持ち上げたり押し分けたりしてみたけれど、数回通ったらコロナになったのだ。

 非常事態宣言下でも、恩田川散歩は繰り返していた。今週の日曜日などは、2時間半かけて15000歩、10㎞余りを腕を振りふり歩いたくらいだ。次の日体重が増えていてゲンナリしたけれど。

 

 続くかどうか自分でも怪しみながら、恩田川散歩が通常コースでも1時間かかるのに対して、なわ跳びは数分で息があがるから時間パフォーマンスが高そうだし、普段使わないところが痛くなるのも期待大だと思わせる。

 そう言えば、ずいぶん長いこと大地から離れたことがなかったようだ。(スーパーセーブを褒められたおっさんサッカーは、つい最近のことのように思えても、考えてみると20年近く前のこと。あれま。)

 

 うまいこと行って鏡が正視できるようになったら、水泳を復活するのも悪くない。毎週のように泳いでいたころは、少なくとも肥満ではなかったのだ。箪笥で素人向け競泳パンツが待っている。

禅とダヴィンチ              20200519

 

 非常事態宣言で番組製作も滞るのか、再放送が多い。自局製作のドキュメンタリーなどはあまり放映費用がかからずに、しかも人気の高かったものを提供したいだろうから、視聴者側からもありがたい。

 

 最近では、二人の禅僧が主に外国人来訪者に禅を紹介する番組と、レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡を辿るものが面白かった。

 

 興味深いのは、禅僧が言う「西洋人は禅を通じて心の平安であれなんであれ、何かを獲得しようとするが、禅は観察し、捨て去ることを試みるものだ。」という言葉だ。「だから、上がっていくというよりは、下がっていく活動なのだ。」と。

 モナリザの背景について、日本人研究者は「地球創生のころから今に至るまでを地質学をベースに、水の流れで表現したもので、時間の区切りを超えたものではないか」と、解説していた。

 解剖学から戦車の設計まで、あらゆることを考え続けたらしいダヴィンチは、恐ろしいほどの知の集積の頂点にいたのだろう。

 下降と上昇、あるいは沈潜と飛翔と対比してみて、僕はそのどちらを選ぼうかなどと考えたりはしない。ただ、禅の方がだいぶ庶民的に見えてとっかかりは見付けやすそうだ。それでも、試みるまでには覚悟のようなものが足りない。

 

 今考えられるのは、出発点から上と下、真反対に動き始めた軌道は、立っているリングのようにどこかで出会うのか、あるいはただ別の世界を目指すのか、ということくらい。それもまったくわからないけれど。

マッチポンプ              20200511

 

 昨日の雑感を読み返してみて、もう少し具体的に残した方が良いと思ったので連日。

 

 マッチポンプというのは、その通り自分で火を付けて次は消化に回って(時にヒーローになるという)自己顕示欲を満たすという意味でつかわれるように思う。

 

 以前から日本の労働生産性が先進国では最低ラインと聞いていて、勤勉なのになあ、と思っていた。それが、今回の事態でテレワークなどが模索されて、一部の現場では存在感の高かった人物がテレワークでは消えてしまった、という少し意地悪な記事なども目にした。

 思い出す。「何とか通すようにするが、繰り返し言うようにこれではわかりにくい。もう一度。」「小グループを作って、検討結果をまとめてはどうか。」有難いアドバイスだったり、面倒臭かったり。

 起案者と決裁者が直接話せばいいのに。(僕の知る限り、日本の多くの決裁者は会議をこよなく愛している)

 

 つまり、テレワークで消えてしまった人は、善意のマッチポンプの人ではないか。誰しも、業績は至上だと仮定しても居場所が最大の関心事なのだ。

 

「(やみくもな)努力は人生を豊かにしない」

「8時間労働は産業革命時の最低限ルール、なぜ残っている」

 

 こんなタイトルの記事を読む機会が増えて、僕なりに思った。働き方再考の絶好の機会ではないかと。

 もちろんそれは、効率性を上げてもっと飛躍すべきだということを意味しない。

 不要なことをあぶりだして、もっと早く帰宅しよう、ということなのだ。そう言いながら、僕自身は少しでも早くそこに辿り着きたいと思ったりする。通勤はないけれど。

働き方                 20200510

 

 結局、瀬戸内海へは岡山廻りで新幹線で行った。8:00の、町田から新横浜までの横浜線は乗客がまばらとは言えそれなりにあったものの、新幹線は僕の乗った車両では計3人だった。

 もっとすごいのは、新岡山港と島を結ぶフェリーの客数で、甲板を除いたキャビンだけでも300人定員なのに、僕ひとり。

 一緒に乗船した巨大なトラックが3台はあったけれど、ドライバーはどこに行ってしまったのか。

 貸し切りと喜ぶ気持ちにはなれなくて、居心地が悪かった。

 

 収穫は、レンタカーを18:00に返しきれなかったから泊まった岡山駅そばで、お店も見当たらないからイオンで買った刺身が「すこぶるつき」においしかったこと。和食の高級店など縁がないから客観的評価は難しいけれど、すこぶる満足。笑

 建て主は、横浜から瀬戸内海に移住された方で、これから子育てと言う若いご夫婦。

 そのことと、町田から瀬戸内海を往復する間に感じたことを残しておこうと思った。

 

 少し遡って企業に所属していた10年ほど前のあるとき、青山通りと骨董通りの交差点を見下ろす店で、社長と昼ごはんを食べることになった。

 心地よい話題を提供するという気分ではなかったので、思ったことをそのまま口にした。

「ここから見える人々全員の行先に目的があるとは信じがたいし、それがあるなら奇跡と思われませんか?」

 当たり前だけれど、やんわり無視されて、きっと「変な奴だ」、とスタンプされただろう。

 

 なぜそんなことを言い出したかというと、そのしばらく前から、ITの進展に伴う情報量の増加が目的を超えているという皮膚感があって、そんな話題の時には「ラッパの先端のように級数的に拡大して壁に当るのではないか」・・・などと話していたからだ。

 

 いうまでもなくコロナ禍を予兆した訳ではない。

 

 建設が進められている新居で瀬戸内海を眺めて、僕ひとりの新幹線車両から「727」の看板を見ていて、だれより僕自身のことだけれど、今一度「目的」を考えた方が良い、と思った。 

(727は新幹線開通直後から田畑に看板を立てていて、当初はCOSMETICSという表記も無かったからみんなワクワクしていたと思う。)

瀬戸内海                20200506

 

 現場のある瀬戸内海の島に、明後日出かけることになった。

 コロナが少しでも収まってからという希望もあったけれど、僕に責任のあることでもあるので先方の気持ちは大事だ。

 

 少し調べてみると、普段よりは航空券が安いようで、以前に四国突然出張で浴びた衝撃は避けられそうだ。(普段なら1泊で4万円程度だったのが、9万円だったのだ。予約が1週間前かどうかという違いで・・)

 

 直島と豊島をゆっくり訪ねたときのとても良い印象があるから、せっかくだからそれをもう一度、と考えても何日も一人でうろうろする気持ちにもなれないので先送りする。厳しい視線があるかもしれないし。

 

 愛知と静岡の県境のプロジェクトでも、コロナの影響は色濃くて、先行きが見えない。他でもオリンピック関連では混乱の極みだ。

 ただ、僕の仕事はスパンが長いので、飲食店などの人とは当面の切迫感は違うだろう。自分の家族以外、従業員の生活を心配をすることもないので。

 それでも思う。みなさん相当にきついだろうなあ、そして近い将来の自分を。

疲れ夢                 20200501

 

 「夢」という字を掲げると違和感があって、「ドリーム」と言い直しても何か良いことのように見える。そうではないからと探しても「悪夢」というほどでない睡眠中の夢はなんと呼ぶのだろう。

 と考えて、「疲れ夢」にした。(^^)

 

 1週間ほど前に見た夢は、10人ほどのお客さんを案内しているもので、「人は浮かべるんですよ」と言って、背丈ほどの高さにウルトラマンのように浮揚してみせた。コツを掴んだように思えたから、そのあと調子に乗って20mくらいまであがった。どこにどのように力を入れて集中したらよいか、生々しい記憶があるのが不思議だ。

 この夢は浮かべない現実に少しだけ落胆するものの、楽しい夢だ。

 

 今朝の夢は、孫二人が出てくるのは嬉しいけれど、なぜか皆で工事現場に居て、危ないところから孫を遠ざけようと走り回って疲れた。

 起きたときにぐったりするほど。

 

 加えて、非常に不安定な足場で数十メートルの高さを行き来して、一度は戻ることをあきらめそうになったり、なぜか海水面ぎりぎりに立っていて、どのように陸に帰ったらよいか途方に暮れたりした。ほんと疲れる。

 

 一番印象的だった夢は若いころのもので、僕が犯罪者なのか追っ手が悪党なのかわからないけれど、ひたすら逃げるというもの。やむを得ずに森から草原に走り出したとき、懸命に走っているのに地面がスローモーションのようにしか流れなかった。追っ手は馬に乗っている。

 最後は自宅の駐車スペースに追い詰められて、機関銃で撃たれた。ブスブスと銃弾を浴びるのに、痛くなかったのが不思議だ。

 

 トイレを探す夢もあって、大抵何かが阻むのだけれど、うまく見つかって目的を遂げても現実に支障がない、というのも不思議だ。

 

 椅子に膝を抱えて眠っていたとき、かかとが滑ってその衝撃で目覚めたことがある。

 その時の夢は登山に失敗するというものだったけれど、その登山の前に膨大な準備があった。かかとが滑ったのと同時に小説一遍を作り上げたのか。

 

 杜子春は、浦島太郎は、。夢は面白い。

美術と日常               20200430

 

 原田マハさんの「デトロイト美術館の奇跡」を読んで、その登場人物が著者の想像から生まれた人だとしても、美術と僕のような人間との関わり方について勉強する機会を与えてくれたと思った。

 

 かつて、アメリカの自動車の街として隆盛を極めたものの、成長が下降線をたどることになって、ついに財政破綻するデトロイト市。

 物語は、市有財産を少しでも現金化して、市に貢献した退職者の年金資金に充当したいという考えと、美術館のコレクションの散逸は文化にも破綻が及ぶ、という考えが拮抗する。

 

 著者が巻末に明かすように、魅力的な登場人物は、富豪でコレクションを美術館に寄贈したタナヒル氏のほかは、多くのインタビューから昇華させたキャラクターだという。

 

 そのタナヒル氏のエピソードは、史実と推測されてとても興味深いし、なにより、絵画を大切で守るべき友人だとする一般市民の発言が、この小説のメッセージだ。

 表明することが少し恥ずかしいけれど、アートに触れる時、「好き、嫌い」があっても同時に「理解できる、理解できない」という躊躇と葛藤がある。

 

 そうした緊張や照れもあって、アートを向こう側の世界のもの、とする人も僕に限らず少なくないだろう。

 

 デトロイト美術館には「友人(愛する作品)が大勢居る」、という登場人物の話は、とても示唆に富むし、やすらぎをも与えてくれる。

 

 僕はまだ、競争から離れられる年齢ではないけれど、年相応のゆとり、もしくは視座が必要だと思った。それに、ほんとうは若い人がそうすることで、ずっと豊かになれる可能性も感じる。

㎜ワールド               20200427

 

 振込みもあって、町田商店街に出かけた。

 今日はちょっと歩いてみようかと思って、相模大野駅のラーメン店を目標にした。開店の可能性は五分五分だとは思っていたものの、建物ごと臨時休業という張り紙を見て、まあそうだろうなあと少しだけがっかり。

 

 その後、歩いて来た道をそのまま帰るのがつまらないので、横浜線の隣駅になる古淵をまわって帰ることにした。

 ただのんびり歩いていたら、小さな花が住宅街のそこここにあることに気付いた。目標も時間設定も無い散歩だったから、スマートフォンのカメラを向けてみる。

 そこには世界があった。

 

 観察できる人はとっくに知っている世界だとも思うけれど、「ああ、太陽はそこかしこにあるのだなあ」などと感慨にふけってしまった。(^^)

 何歩歩いたかを楽しみにしていたのに、写真を撮りすぎてスマートフォンが真っ暗になって結果がないのが残念。十数キロは歩いたはずなのに。

 

 そうは言ってもスマートフォンのカメラはきれいに撮ってくれる。良い一日になった。

床屋の記憶               20200426

 

 「海の見える理髪店」をとても楽しく読んだ。ストーリーには触れない事として、髪を切ってもらうときの身体感が蘇ってきて、それはかなり濃密な印象を残していたのだと驚いた。

 

 僕の住んでいる玉川学園には覚えている限り4軒の床屋さんがあって、4~5席がある大きな「タカハシ」、なぜか1軒を挟んで並んでいる「・・・」と「モンド」、そして駅から遠い「ガクエン」。

 

 父が行っていたせいだったか、「・・・」にしばらく続けて行っていた。この床屋さんは、あまり機敏には動かない体の事情があるらしい小柄なおじいさんで、そのことと呼応するようにひたすら客扱いが丁寧だった。

 洗髪や髭剃りはもちろん、マッサージも巧みだったけれど、小説の主人公同様、人生の先輩からそうした施術を受けることに小さなためらいもあった。ある時から洗髪は奥さんに代わって、この方はご主人とは真逆の客扱いだった。そのうち息子さんが並んで立つようになり、彼は母親の遺伝が強かったらしく、僕は足を運ばなくなった。

 

 その後、車で行かれる店などに通ったものの、ある日、なかなか時間が取れないなか自分で切ってみたら、思いのほか上手くいった。「これでいいや」と思って数回の後、鏡に映っているところはまだしも、後ろから見るとまずいんじゃないか、と妻が手を出してくれた。それからすぐに全部を頼んで30年。・・・。

 

 以来、床屋さんにお世話になったのは一度だけ。それも、コストパフォーマンス最重視の店舗だったから何の満足もなくて、床屋さんという存在を忘れていた。

 

「海の見える理髪店」のような床屋さんがあるのなら、少々高額でも遠くても、妻と一緒にぜひ行ってみたい。

非常事態宣言下             20200424

 

 1週間ほど前に、4月23日木曜日に現場で打合せをしたい、という連絡が入っていた。

 こんな時期に電車に乗りたくないし、打合せは今で無ければいけないのか、と思ったけれど、無理を押して通勤している人も少なくないし、現場という外環境らしいということで承諾した。

 本当は車で行こうとしたものの、ルート検索すると所要時間が1時間10分~3時間と出て、町田と都心の車の流れがいかに不安定かを思い知る。

 多分最短に近い結果になると予想しても、遅刻を避けようとすれば1時間は早めに出ざるを得ない。で、電車にした。

 

 上の左側は池袋駅ホーム(埼京線)。ほんと池袋駅!!

 右側は現場解体工事の最中のようす。社宅らしき集合住宅が断面になっている。

 打合せは解体時の仮りの事務所らしく、小さなプレファブにすし詰めとなった。まあ、短い時間だったし窓開け放しだったから忘れよう。

 

 思わぬ副産物は、新宿駅の改札内書店で文庫本を買えたこと。書店は自粛要請外らしいことに今日気付いたけれど、昨日は本屋さんに行かれないと思い込んでいたのでそれなりに幸せな気分で3冊購入した。

 夏目漱石の「こころ」は、370円だ。

 夜はもやし入り回鍋肉を作った。それとは別に、厚めの豚肉を焼いてマスタード和えにしたのが美味しかった。満足だ。

人という字               20200421

 

 台湾、ドイツ、ニュージーランド、ベルギー、・・・今回のコロナ禍で国民から高い支持を受けている政権代表には、とても女性が多い。それを肯定的に報道する内容だとしても、見ているととても堂々として落ち着きがあるように感じられる。

 威圧もはぐらかしも無さそうだ。

 対して男性代表たちの多くは、なんとも収まりが悪い。

 少し話は飛んで、以前購入した「103歳になってわかったこと 篠田桃紅著」をまた取り出した。

 そこには、「一人であることの善悪は知らないけれど、私は自然とそうなったし他であろうと思わない」ということが繰り返し述べられる。

 大英博物館やグッゲンハイム美術館、皇居などに作品が収蔵されている美術家に、自分を引き比べるつもりはないけれど、心構えという点で近づきたいなあと思う。それができてこそ、家族とも仲間とも仕事ともより深く関われると感じるからだ。

 著者篠田桃紅氏は、本の前半で「人」という字の由来に触れる。僕達も小学校で教えられたように、支え合う姿だという解説があってもよいけれど、本来はひとり立つ人の姿だ、と指摘する。

 

 上の写真はずいぶん前に編纂された、漢字の成り立ちを膨大な資料収集の上に解説した辞書。

 

 さすがに「支え合う姿」などと言える年齢ではなくなった。というか、それはせいぜい義務教育の間ではないか。

アーノルド               20200414

 

 最近、午前や昼のワイドショーでコロナ禍の報道を見続けていて、だんだん大変なことになってきている様子が感じられる。

 それは、未曽有の危機という可能性と、サーズのように記憶があいまいな程度にやり過ごせる可能性の両方がまだありそうだ。

 

 そうした客観的な情勢分析は専門家に頼るしかなさそうだけれど、ちょっと考えてみたら日本という国は、これからの蔓延が憂慮されるアフリカなどに手を差し伸べられたら、という状況だとも思う。

 

 最近ふれた、高校時代の友人夫妻の古本市で購入した漫画を思い出した。「アーノルド」というタイトルで、大変に面白かった。

 どうして処分してしまったのか判然としないけれど、強烈だったので記憶から消えることはない。

 とても明るい空気が支配している漫画で、それでもちょっと悲しみも含んでいる。

 確か、ロボットが南の島で打ちひしがれている場面があった。それを思い出して落書きをしてみた。日本はコロナ禍で躓いたのだろうけれど、環境はやはり恵まれているのかと思う。

日々                  20200413

 

 今朝いつものように体重を測ったら、少し減っていた。(^^)

 食事の支度は好きな方だけれど、余裕がなくて長い時期遠ざかっていた。

 この朝食ではパンが1/2に見えても、実際はレタスなどの下に1枚あって、それはマーガリンとマスタードを薄く丁寧に塗ったのがとても良かった。(^^)

 昼食。白米消費が少ない我が家で、珍しくたくあんと高菜、鮭フレークなど出してみる。それぞれ、巣ごもり用で1週間前に買い求めたものについ手を出した。

 妻が前の晩につくった豚汁とシシャモが美味しい。写真としてはカエル。気付いていただけたか。

 散歩に出る。

 いつもの恩田川遊歩道は子供連れの人たちと老夫婦がそれなりの数だ。

 たまに通る小田急線のロマンスカーが来る予感がしたのに取り損なって、帰りにもう一度待ってみたら来た。

 夕食。キーマカレー。

 いい歳してと思いながらも言いたいのは、トッピングの半熟玉子が空飛ぶ天使なこと。(^^)お皿左上の、玉葱スライスを塩絞りした付け合わせは推薦したい。人参とアスパラ、小さくしたベーコンをマヨネーズで炒めて、芽キャベツを最後に加えたのは技ありではないか。笑

 恩田川散歩に出たら、前日と同じ時間だったことに気付いたので数分待っていたらオレンジ色の逃したやつが来た。

 ちょっとシャッターが遅かったけれど、スマートフォンのそうした調整がよくわからない。誰も乗っていないように見える。

 今朝の朝食。これがいつも。

 白米やパンは二日に一回くらいで、目玉焼きかスクランブルが多い。

 妻の方針で、コップ1㎝弱の酢を足したトマトジュースを飲んで、豆乳と紙ドリップコーヒーがしばらく前から習慣になった。

少年野球                20200409

 

 50年も前になることだけれど、記念ボールを前にしてとても懐かしく思い出した。

 左の写真、左のボールはリトルリーグの町田チームに選抜されたときの記念。町田全域から腕自慢が200人集まっての、10倍程度の採用率だったので嬉しかったし誇らしかった。

 やや見苦しいかと思いながら自慢したいのは、その合格者20人ほどの中で、小学校低学年から形成されていたトップチームに合流して定着したのは2人だけだったことだ。

 

 左の写真右側のボールは、リトルリーグ世界選手権・日本予選関東大会3位の記念。準決勝で全国制覇を果たした調布に、2-3で負けたのだった。調布はフィリピンだったかに遠征して準優勝だったように思う。

 

 ボールの撮り方は、片桐さんの名前が見えるように配置したもの。片桐さんはチーム卒業後に接触が無いので一方的な親近感だけれど、桜美林高校が夏の甲子園で優勝したときのキャプテンで、その後長く桜美林高校野球部の監督を務められた。

 右側の写真は同じ関東大会のボールで、反対側のもの。

 控えめに見える齊藤という名前は、齊藤直也君のもので、東海大相模でサード原辰徳、ショート齊藤直也で全試合を戦い、翌年は200人超の野球部で原辰徳からキャプテンを引き継いだ選手だ。

 

 僕の在籍したチームからは、6人が桜美林と東海大相模に請われて進んだと聞く。片さん、直也君、渋谷さん、菊ちゃん、ニクソン、きんちゃん。(リトルリーグ公式戦で完全試合を達成したピッチャーきんちゃんは中でも出色の逸材と言われたけれど、怪我に苦しんだらしい、他の選手は全員甲子園だ)

 

 さて、自慢しながらも少しつらいのは自分の不運だ。

 受かって当然というくらい、幼い僕は自信に満ちていたのに、練習を重ねるにつれて、直也くんとの違いは悲劇的な現実を突きつけてきた。僕は調子が良いと先発で2番に入り、直也君が3番、渋谷さんが4番で片さんが5番。調子が悪いとコーチャースボックススタート。

 少年野球であっても、上位チームはかなりの緊張感を持って臨んでいたから、僕の打席と彼の打席では気配が圧倒的に違ってくる。

なにより、自分が一番それを感じてしまう。「全然違う」

 プロ野球選手、という野球大好き少年の夢は蒸発した。

 

 それから半世紀、もう一度つらい気持ちを抱える。

 

 コロナ禍で、春の甲子園の中止決定がニュースになった夜、グラウンドでそれを監督から告げられる選手の表情があった。そのまっすぐで美しい瞳に心底驚いた。彼らの中からプロ野球選手が出るのはかなりの希望的観測に違いない。でも、そういうことではないのだ。

家に居て                20200409

 

 少し前のある時期、四国や沖縄、中国工場と遠出が多かった。それはそれで楽しいし、時間がどんどん流れていかにも仕事をしているという気分にもなれて充実していた。

 そんなときは会食や遊興もそれなりにあって、もともとお酒は好きだけれど出歩かない方の自分としては少し意外な気持ちで過ごしてもいた。

 去年の暮れからオリンピックに関係した案件に忙殺されて、しかしいつの間にか中国工場に検査に行く道が閉ざされた。

 

 ときどき呼ばれていた「新規事業について検討したいから説明に来てくれ」という話も間延びして、先週出かけた某不動産会社では「本当は会議自粛を厳命されているのですが」という担当者と人気のない45階応接室階で手短に打合せをした。

 

 振り返ってみると、3月に電車に乗ったのは数えられるほどだ。僕の場合、テレワークにするというより、もともとテレワークなので、すんなり巣ごもりに入った。少しの驚きがあるのは、自宅兼仕事場から出ないことに何の痛痒もないことだ。快適である。

 自分は猫よりは犬系だろうという感じは今も変わらないけれど、行動は家着き系らしい。

 そうだ、前にも記したけれど、5時間同じ姿勢でテレビを見るのが僕の特技だった。因みに、妻によると、僕の義兄弟は大変に活動的で、テレビも立ったまま見ることが多いいそうだ。何という違い。

 写真は、一昨日作った食事といつもの恩田川散歩。

 妻が作っていたきんぴらごぼうを和風パスタにして、サーモンのサラダを添えた。

 クリームのパスタが好きなために、9分のゆで時間を7.5分で切り上げたら、きんぴらと炒め合わせるだけだったので少し硬かった。

 

 東北大震災と福島原発事故のとき、興奮もあってこの雑感に少なくないことを記した。

 後から見てみたら、中途半端な知識で空回りしていて少なからず恥ずかしい。

 だから、今回のコロナ禍では慎みたくなるけれど、言いたがりを少しだけ解除すれば、愛嬌を見せる孫とこれから会えるかも知れない孫たちのために、今回の災難を将来に役立てて欲しいと思う。観察すると、僕なりに改善点は見える気がして、それは「情報開示」と「説明能力」だと思っている。

 

 明日か明後日、野球について雑感を記したい。

 長男が九州支店からこちらに移ってきて、借りたアパートへの引っ越しにともなって僕の少年時代の記念ボールが出てきたのだ。

乞う ご期待。笑

昼と夜の風               20200404

 

 昨日は昼前に一仕事をして、投函したいものがあったからポストに行きがてら近くの恩田川を桜見散歩することにした。

 よく晴れていたけれど、風があって単に穏やかな春というのとは違っていた。

 昼どきだったので何か食べようかと相談していたものの、コロナ禍にわざわざと妻が言うので、テイクアウトの弁当を購入して小山を開いた公園に寄ることにした。

 

 そのコースを言い出したのは妻で、ずいぶん歩く気だなあ、と感心していたのだけれど、どうやらイメージよりは距離があったらしい。「かしの木山自然公園」と名付けられているように、山とは言えなくてもそれなりの標高なのだ。

 帰ってからスマートフォンを見ると12300歩が記録されていた。8㎞くらいだろうか。

 風が吹いていたとはいえ、穏やかな昼を過ごして新型肺炎のニュースを繰り返し見たあと、就寝前の本に久しぶりに上の沢木耕太郎選の短編小説集を開いた。

 

 一度読んでいたとはいえ、読み進めないと記憶があいまいなものが多くて適当に開いてみると、ちょうど(僕に言わせれば)悲惨な物語が3編連続した。

 最後に村上春樹さんの小説でどうやら心の平衡を取り戻す。これだって深刻な内容と思われるけれど、先の3編は本当に壮絶なのだ。

 友人I氏から推薦されてすっかり魅了された「深夜特急」の沢木耕太郎であっても、寝る前に手にとってはいけない。

 こころに暴風が吹きすさぶ。

80年代の曲               20200328

 

 僕の学生時代、二十歳になったころの印象のひとつに、高中正義のブルーラグーンがある。これは僕の個人的なものではなくて、同年代は少なからずうなずくことだろう。

 あらためてこのことを記すのは、自分が20代を超えても、時々反芻していたし、その後インターネットが普及してからはますます

触れることが容易になって「あれは何だったのだろうか?」と思ったりするからだ。

 

 今日、仕事のBGMにYOUTUBEで選んだのはhttps://www.youtube.com/watch?v=qvDf6wOaggg

 好き嫌いとかはそばに置いとおくとして、この気分は何だろうかと思う。

 

 何度か雑感でも記録したように思うけれど、世界は自分の脳の中にしか存在しないのだとすれば、そこにどんな曲目を残すのかは自由であるはずだ。

 客観的な解説などできないとしても、こうした気配は悪くない・んん・・・いいなあ、などと思う。

金運と方位                20200326

 

 占いとか方位は、信じてもいないけれど疎んじてもこなかった。

自分はあまり関係しない前提で、それらを楽しんだり頼りにするひとたちの気持ちは少し理解できる気がするし、偉そうな意味ではなくてほほ笑ましいとも思ってきた。

 触れなかったのはチャンスが無かったからだとも言えて、それが昨年の暮れに小さなことで縁ができた。

 

 仕事の申請をする会社を訪ねたとき、机に金運を呼び込むという2020年のカレンダーが積まれていて、強烈だけれどどこかスッとしている黄色に惹かれてひとつ頂戴した。

 

 黄色を家の西側に配置すると金運に恵まれるというのは聞いていたから、事務所の西側壁に置いた。

 まだ、その霊験にあずかってはいないけれど、今年一年楽しみに頁をめくりたい。

  新型コロナウィルスによる肺炎は世界を未知のところに引っ張り込むようだ。

 それも含めて、安寧と緩やかでよいから発展を願うこのころ。

遺構                   20200314

 

 先日触れた立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」という本は、氏が40年ほど前、40日間に渡ってギリシャとトルコの古代遺跡を訪ねた記録だ。

 有名な遺跡もあるけれど、大半は同行のカメラマン以外人の姿が無いような、人の意識から抜け落ちた遺跡らしい。そこで氏は、

「静かに最低2時間、ぼんやりでも良いからその中に埋没すると、2千年の時間が一続きであることが実感できるだろう」と述べている。だから、遺跡というよりは遺構の方が呼び方としてしっくりくるかも知れないと思う。

 

 僕は同じような経験が無いので、理解したとは言えないけれど、とても大切なヒントをもらった気がした。

 

 以前、視察旅行と称した仕事関連の海外旅行で何度か一緒になった大久保さんという方は、訪ねた町で早朝に散歩に出かけて適当なところで座禅を組むことを楽しみにしていた。

 大久保さんは還暦前後で、30台だった僕は、それを単純な趣味あるいは一種のパフォーマンスと受け止めていたけれど、きっとそれはその場所の観察だったのだろう(一部宇宙との交信?)。

 一般的な海外旅行は、事前にある程度の情報を得て、確認してまわるようなことが少なくないように思う。それに比べて、座禅を組んで目を閉じて、遠くの音や近くの音、人の息遣いや足音、匂い、風、陽差しを体に取り込むことはなんと豊かだろうか。

 その旅行の主催者兼スポンサーは後に一代で東証一部上場を果たすけれど、毎日夕方4時から30分、社長室にこもって瞑想タイムを持っていた。その真意が理解できていなかったことが残念だ。

 

 座禅と言えば、「悟り」とか「解脱」というように、何か凡人には理解しがたい状況を思い浮かべてしまう。でも、その深淵の先はわからないとしても、一日一定時間、遠くの存在に意識を向けてみることは本人を開放するようにも思える。

 きつかった去年一年間を経て、ようやくそんな普通のことに思いが及ぶようになった。

 

 そういえば、僕の好きなヘルマンへッセの「シッダールタ」という小説では、数多の経験を経たシッダールタが最後に川守のところに辿り着いて、川の流れの表情、姿や光、音の中に人生の全てを見出したのだった。僕には遠いけれど。

春が来る                 20200310

 

 左の写真は仕事場で、椅子に座ったまま真上を見上げたもの。

螺旋階段の裏側が見えて、屋上のガラス塔屋を超えて空が少し見える。

 右側の写真は、二日ほどまえに家の近くを歩いたときのもの。桜の一種なのは合っていると思うけれど、開花宣言前だからどうしたものか。

 

 当たり前のようでいて、日光があって空気が風として動いて、あなたがいて僕がいる。いいね。

天路歴程                 20200305

 

 もう5年以上前に、友人夫婦が出店しているひと箱古本市に出かけたときに、勧められて、購入と言うよりはプレゼントしてもらったのがこの本。

 

 全世界では聖書に次いで読まれた本ということらしいのに、宗教に縁のない僕は全く知らなかった。

 一緒に何冊も持ち帰ったので、何となく堅そうなタイトルだし後回しにして読み始めていなかった。

 本のサイズが文庫や新書より少し大きくて、新刊の多くよりは小さいからいつも見えるところにあった。

 

 何日か前、ふと睡眠前に読んでみようと思い立った。初めからだと堅苦しそうなので、ちょうど中間から読み始める。

 面白い。

 最初の著者はしがきと、訳者の解説に戻ってまた面白くなった。

 

 記したように僕は宗教と縁がないけれど、それは敬遠していることとは違う。勉強になると思う。

 ただ、老若男女に向けた教えだから、教会内部のさまざまな絵画と同様に、繰り返されるし言葉が長い。

 でも、英文はすこぶる歯切れが良いらしいし、訳もウィットに富んでいる。

 まだ3分の1程度で、これから少しづつ読み進めるだろう。

 

 これは失礼な意味でないはずだけれど、その安定した文章と寓話は、睡眠前の心の安定にはうってつけなのだ。

 意外と僕は宗教に向いているのかも知れない。

 

 遅ればせながら、Oさんご夫妻ありがとう。もう一度お礼申し上げます。

ピタゴラスの定理             20200225

 

 昨日、妻が運んできた義母が使っていた椅子に寄りかかって目をつぶったとき、何か考えてみようと思って、ピタゴラスの定理の証明を思いついた。

 

 以前に幾何として証明できた記憶があったから、それを思い出そうとしたけれど、難しかった。

 でも、直角三角形というのは大変に特殊なものだから、他の方法でも良いのだろうと考えた。

 しばらく頭の中で直角三角形を動かしていたら、斜辺が構成する正方形(cの2乗)の中に、風車のように元の直角三角形が4枚あることに気付いた。

 

 あとは、(A-B)×(A-B)=A2-2A・B+B2を思い出せばよい。

 ただ、本来ピタゴラスの定理はこのような数式ではない解法が望まれているような気もする。でも、もう忘れない証明方法を獲得した気がしてとても満足した。

 もちろんこの方法を教えられていた可能性を否定するつもりはないけれど、僕自身はゼロから組み立てたつもり。えへん。

こってり                 20200221

 

 「天下一品」というラーメンチェーン店があって、赤坂と水道橋で2回食べたことがある。「こってり」と、確か「さっぱり」というのがあって、こってりは人によってはカルボナーラか、というほど濃厚だ。

 熱狂的なファンと、二度と注文しない、というひとが入り乱れているようで、でも僕は美味しいと思った。

 それでも、次に行くのは少なくとも1年後かなあ。

 

 国道1号、東海道の藤沢の先に「来来亭」というこれも全国展開のお店があって、松山でも入ったことがあるけれどここでは「こってりラーメン」を注文する。

 こちらは名前よりは淡白で、けっこう好きだ。

 

 というあたりが僕のラーメンとの距離感。

 さて、昨日は予定が急遽変わって小田急線相模大野の駅に降りた。

 相模大野は、以前は小田急線下りの最終電車の終点で、酔ってなのか乗り過ごした人が大勢タクシー乗り場に行列を作っていた。それを当て込んで、軽自動車の改造ラーメン屋さんが陣取っていて僕も何度も美味しい思いをした。夏の海の家と深夜の移動ラーメンは限りなくおいしいのだ。特に、相模大野駅のそれは、どの世界に所属するかは不問として、とても清潔にしていて真っ白な足袋をはいていた。

 

 そんな郷愁じみたものを抱えながら、何を食べようかと歩いてみる。駅はずいぶん前に再開発されたし、真昼に移動ラーメン店があるはずもない。

 路面店でこれは、という店を見つけられないまま、駅に隣接する建物の食品階に行ってみることにした。

 

 これはおいしい。!今までひとにラーメン店を勧めた記憶がないけれど、それなのにお勧め!。濃厚が不得手のひと以外。

藍 青 ブルー              20200217

 

 先日、立花隆のギリシャからトルコに至る40日間の旅行記・取材記を購入した。

 本の中にご本人が記しているのだけれど、ご自身一番気に入っている著作らしい。

 ギリシャ神話にはとても多くの神々が登場して、それが織田さんとか徳川さんならなんとかなりそうなものの、みんなカタカナなのでお手上げ状態になる。

 それでも放り出さないのは、著者が極めてリラックスして執筆している様子が楽しげなのと、常に海の匂いがするように思えるからだ。

 

 表紙を見ていて、五木寛之の「海を見ていたジョニー」を思い出した。続いてマティスが頭に浮かぶ。検索すると、だいぶ印象の違うマティスがあった。

「青は藍より出でて藍より青し」という言葉に中学生のころ触れて、自分の中に藍と青とどちらが美しいかという葛藤が生じた。

 

 磨き上げた、という意味では青に軍配が上がるだろうか。ただ、海は限りなく藍い。

 ギリシャもイタリアも、トルコもブラジルもフランスも、もちろん日本も海が身近だ。だから、あえて反語的な気分で「ロシア、ブルー」と検索してみた。

 すると、上の写真の猫が出てきた。蒼いねこ。

守護神的友人(妄想)            20200215

 彼(守護神的妄想友人)はある日やって来た。

 やって来た、と言っても自分で描いたのだからあまりそこを強調すると本当に変な人間に思われかねない。

 

深夜。

仕事場で背中にある螺旋階段の支柱に、ふとマジックペンを走らせたのがこの絵。落書き。

 

 気に入っているのは、何か話そうと思いながら、でも沈黙を守っているように見える表情。(と、僕には見える)

 

 僕はこのとき、どこかに何かを問いかけようとして描いた記憶がある。答えを期待して描いたからこんな顔になったのか。

 少し補足すると、この落書きをしたのは左の図の下の方、赤い注釈をつけたところ。

 

 地下から屋上まで、大げさに言うと4層を螺旋階段で行き来するとその室温変化が面白い。冬の地下は寒い。

多くの時間、遊牧民のように(笑)あちこちの部屋でパソコンを開くけれど、守護神的妄想友人はそこに居て、ときどき見つめ合う。

みかんと遊ぶ               20200213

 ちょっとした心機一転。

 僕が使っているHPサイトは、以前は1ページに掲載できるアイテムが200と限られていたのだけれど、しばらく前からその枠が拡大したらしい。

 だから、いつまで経っても2018から進めなかった。

 

 そこで、気分転換に自らページを更新することにした。

 

 きっとアイデアも枯渇しているし、なかなか時間も取りにくい近頃だけれど、楽しみたい。